第二十一話
二十一、
高橋は鋭い眼光で三人を凝視していた。三人はそれとは知らずに、げらげらと笑いながら談話にふけっている。高橋の体には、自然と力が入った。そして、体の中でめらめらと何かが燃え盛るのを感じた。すると次の瞬間、高橋は身を乗り出し、その鋭い眼光の先へと向かっていった。その通りには高橋と三人の姿しか見当たらない。高橋は三人のいる方へと歩み寄っていった。その距離はじりじりと縮まっていく。高橋が大分近づいたころ、三人のうちこちらに体を向いていた一人が気付いた。それから、三人はその場で立ち上がり、全員が高橋の方に体を開いた。そして、高橋を見ながらにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべていた。
案の定、高橋が横を通り過ぎようとすると三人は高橋に話しかけてきた。そして、あっという間に高橋は三人に囲まれた。三人の身長はみな高橋より高く、近くで見ると威圧感があった。しかし、今の高橋にはそんなことは関係なかった。むしろ、三人を前にして感情は高ぶるばかりである。
「お兄さん、安くしとくから一つどう?」と話しかけてきた男の息は煙草臭かった。
「・・・」高橋は話しかけてきた一人の顔を見た。見たというよりは、睨んだと言った方が正確かもしれない。
「おい。こいつ何もしゃべらないぜ。」
「びびってんじゃねえのか。」
「おまえらもう少し言葉を選んでしゃべれ。」と一人が二人の態度をたしなめた。それから、その男が続けた。
「すみませんね。こいつら口が悪くて。それで、どうですか?安くしときますよ。もちろん品質もいいです。」
「・・・」高橋は依然として黙ったままである。それを見て、先程の二人はいらいらしているようだった。
「こいつ全然しゃべらね〜じゃねえか。」
「おい。買うのか買わねえのか、はっきりしろや!」
「・・・」
「ばかやろ〜、おまえらは下がってろ。まともに話もできね〜。」とまた一人がたしなめた。いずれにせよ、三人はイラついているようである。
「すみませんね。こいつらのことは気にしないで。それで、どうしますか?いくらならいいですかね?」
「なんの話ですかね?さっぱり分かりませんが・・・」それを聞いて先程の二人はげらげらと笑い出した。
「そんな事も知らねえで、ここを歩いてたのか。」
「はっはっはっ、めでたい奴だな。」
「俺たちはSを売ってるんだ。お前やったことないだろ?最高だぜ。少しだけなら大丈夫だからやってみろよ。今日だけ半額にしといてやるよ。」Sとは覚せい剤のことである。
「・・・」高橋の怒りは爆発寸前であった。こいつらが伊藤を・・・。
「おい、どうすんだ。」
「・・・」
次の瞬間、高橋は目の前にいた男の顔面を思い切り殴った。そして、ゴツッという鈍い音と大きな奇声と共にその男は後ろに仰け反り、その場にひざまずいた。顔面を押さえた手の隙間からは血が滴り落ちている。その男は声もでないほど痛いのか、その状態のまま動こうとしない。しかし、目だけはしっかりと高橋の方を向いており、力強く睨んでいた。高橋は睨みかえすと二人の男たちにも殴りかかった。しかし、一発目とは違い、拳は顔面を外れた。次に蹴りを入れると、高橋の足は相手のわき腹に食い込んだ。それを食らった相手は、渋い顔をしながら背中を丸めた。それから高橋は、一心不乱に相手の体へと激しい打撃を繰り返した。最初に鼻を折られた男にもう一度蹴りを入れると、その男は気絶してしまった。そんなことは気にも止めず、高橋はひたすら打ち続けた。
けれども、相手は男三人である。まだ意識のある二人は、一瞬の隙をつくと高橋の顔面めがけて頭突きをしてきた。思わぬ攻撃に高橋はそれをまともにくらい、顔面を手で押さえた。幸い鼻の骨は折れていないようである。それからいっきに形勢は逆転し、高橋は、一方の男に取り押さえられ、もう一方の男に激しい打撃を浴びせられた。辺りにはドスッ、ドスッという鈍い音が鳴り響く。
皆さんはご存知だろうか、人間が強打されるときの音を・・・。映画やドラマではスカッとするような効果音で表現されているが、実際の音はもっと鈍い音なのだ。むしろそれは音ではない。音と言うよりは、感覚である。相手を殴ったときに感じる肉片を叩き、骨を砕く様な鈍い感覚だ。しかも、人間の体は映画とは違い、非常にもろいものである。素手で殴られれば、二三発でよろよろになってしまう。すでに高橋も服が血だらけになっていた。
高橋は全身を強打された。ある場所を殴られ、痛いと感じた次の瞬間には、もう違う場所を殴られる。前の痛みが止まないうちに次の痛みが襲ってくるのだ。そのうちどれが痛みなのかも分からなくなってくる。それから、どうして自分がこんなことをしているのかも分からなくなってきてしまう。自分はなぜ殴られているのだろう?もしかしたらここで死ぬのかもしれない。しかし、またそれもいいのかもしれないとも思った。
しばらくすると、二人の男は、意識を失った男を担いで、いきなりどこかえと去っていった。無論、高橋は反撃する事などできない。意識を持っているだけでも精一杯だった。高橋が激しい痛みに耐えていると、警官が二人やってきた。どうやら、騒ぎを聞きつけてやってきたようだ。
「大丈夫ですか?」話しかけてきたのは、中年の警官だった。もう一方の若い警官は、その隣で興味深そうに高橋を見つめていた。
「はい・・・」
「いや、かなり出血してるじゃないか。ちょっと待っていてください。すぐに救急車を呼びますから。」そういうと、警察官は救急車を呼んだ。
「いったいどうしたんですか?」と若い警官は声をかけてきた。
「ちょっと不良の喧嘩に巻き込まれまして・・・」と高橋はとっさに嘘をついた。
「そうですか、お気の毒に・・・とりあえず、体がよくなってから詳しい事を聞かせて下さい。」
「分かりました。」
高橋は呼吸に違和感を覚えた。激しい痛みに気がいっていたが、じっくりと自分の体の感覚を確かめると、脱力感や嫌悪感も感じられた。それに力を入れようとしても、思うように力が入らない。まるで自分の体ではないようである。高橋は、中年の警官の体に身を委ね、救急車が来るのを待った。待っている間、警官の征服の煙草の臭いが心地よかった。いつもなら不快に感じるこの臭いも、なぜか今は心地よく感じられた。