第十九話
十九、
「その話ってなんだ?」高橋は息をのんだ。伊藤は横たわったまま、顔だけは高橋の方を向いている。
「いいか、よく聴いてくれ。」
「おう。」
伊藤は、一呼吸置くと話し始めた。
「まずはお前に謝らなければいけないことがある。」そう言って、伊藤は目線を高橋から天井に移した。
「謝る?」
「そうなんだ。実はあの事故以来、誰にも言っていないことがあったんだ。もちろん、お前にも・・・、だからまずは隠していたことを謝りたい。本当にごめん。」
「別にいいんだよ。それより、話の続きを聞かせてくれ。」伊藤は高橋の対応が意外だったのか、また目線を高橋の方へと戻した。
「ありがとう。そういってもらえるとうれしいよ。」そう言って伊藤の話が始まった。
「実は、俺は薬物中毒なんだ。」高橋は驚きと同時に何か言おうとしたが、伊藤はそれを遮り、話を続けた。
「おそらく驚いたと思うし、信じられないと思う。けれど、質問なしで最後まで聴いて欲しいんだ。それと、これから話すことは、全て本当の話だからな。もし、聴きたくなければそれでもいい。」
「分かった。」そう言うと高橋はベットの脇の椅子に座った。
「最初に言った通り、俺は覚せい剤に侵されている。それも、あの事故の前からなんだ。だから、あの事故を起こしたのも覚せい剤とそれを使った俺のせいさ。始めは軽い気持ちだった。少しだけなら止められる。まさか、自分がそれに依存するようになるなんて、そんな軽い気持ちだったんだ。今思うと、それがいけなかった・・・
今から二ヶ月ほど前、俺はひとりで駅周辺の路地裏を歩いていた。しばらくふらついていると、三人組の男が円字を組んで、地べたに座り込んでいたんだ。年は全員二十代ぐらいで、髪型や服装等はいかにも不良といった感じの奴らだった。そこで、俺が足早に横を通り過ぎようとすると、一人の男が俺を見て声をかけてきた。もちろん、俺は無視して通り過ぎようと試みた。けれど、奴らの一人が俺の左腕をつかんだ瞬間、俺の希望は絶たれたんだ。
無論、俺は拒み続けたさ。しかし、最後には奴らにのせられて少しだけ覚せい剤を打った。お前は分からないだろうが、打った後の快感といったら、まるでこのまま天国に行けるような、または自分にはなんでもできるといったような気分になれるんだ。その気分がいつまでも続けばいいのだが、そうはいかない。しばらく覚醒すると、今度は激しい苦痛が襲ってくる。覚醒が天国なら、覚醒後は地獄と言ってもいい。その地獄はまるで砂漠のようで、俺ののどをカラカラにするんだ。そして、覚せい剤という名の水を異常に欲するようになる。それから、俺は、定期的にあの三人組のところに通うようになり、現在に至るわけなんだ。
それに加えて、自分だけならまだしも、俺は人を殺してしまった。あの事故の日も俺は覚せい剤を打ち、いい気分になったところでドライブしていた。自分でもぞっとするが、あの時人をひいた感覚は最高に気持ち良かった。そして、あの事故の後も、俺は覚せい剤を打ち続けた。悪いとは分かっていながら、俺は止められなくなっていたんだ。もちろん後悔もしたが、すでに自分ひとりの力ではどうにもならなくなっていた。けれど、この病院に入ってからはそんなことはできない、俺のことを思ってお見舞いに来てくれる人たちもいる。だから、これを機会に俺はなんとか立ち直りたい。そう思って、お前には話を聞いてもらいたかった。俺は最低な人間さ。そう思われたとしても構わない。今の俺には、捨てるものなんて残ってないしな。だけど、お前にだけは見捨てられたくないんだ。俺の話はこれで終りだ。」そう言うと伊藤は目を閉じた。閉じた目からは涙がこぼれ落ちていた。
「そんなことがあったのか。」
「ああ・・・」
「お前はこれからどうしたいんだ?」
「俺は俺なりに罪滅ぼしをしたいと思ってる。」
「俺は何をしてやればいい?」
「お前は見守っていてくれるだけでいい。それで十分だ。」
「分かった、心配するな。俺は、いつでもお前のみかただからな。」
「ありがとう。」伊藤は涙で濡れた目を開いた。高橋はそれを見ないように、窓の外を見つめた。
「俺の方こそ、正直に話してくれて礼を言うよ。」
「・・・」
「確かに、今までのお前の行動には問題があった。けれど、ここは病院だし、お前の考えもまとまっているようだから、俺はお前を信じるよ。」
「もうお前はゆっくりしてくれ。俺のことは構わなくていいさ。」そう言って伊藤は高橋の方を見た。
「そうもできないが、実態が分かって少し安心したよ。」
「俺はここで罪滅ぼしをするよ。」
「頑張ってくれ。きっと時間が解決してくれるさ。」
「ああ、今日はありがとう。すっきりできたよ。こんな話をいきなり聴かされて、今日は疲れただろう?」
「少しな。でも、もう慣れてきたよ。」
「ははっ。」高橋は伊藤の笑顔を久しぶりに見ることができた。
「それじゃ、俺はここら辺で失礼するよ。いいか?」
「もちろん。今度は直子の面倒を見てやってくれ。」
伊藤は布団の下から手を出して、できる限りの力を振り絞って天井に突き上げた。高橋はそれに応えたが、その腕は青年の腕とは思えないくらいに貧弱で、見るに耐えなかった。その時、高橋の頭の中には、まだ元気だった頃の伊藤との思い出がよみがえってきた。大学に入ってからの仲であるから、それほど長い付き合いではないが、二人の間には切っても切れない何かが出来上がっていたのだ。ややもすると、その何かは、直子でも切れないほど丈夫かもしれない。この時、高橋はそう実感した。
もうあの頃には戻れないのだろうか?そう思うとなんだか目頭が熱くなってきた。