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第十八話

十八、


 高橋と直子は、大学近くの喫茶店でお茶を飲んでいた。昼間なのに店内は薄暗く、ずっとなかにいると、ついつい時間を忘れてしまいそうである。しかし、客が入ってくるたびに漏れる外からの光が、今は昼なのだと知らせてくれる。入ってくる客のほとんどは学生であると思われる。それに混じって、サラリーマンやOLの人たちが団体で入ってくることもあった。こうして人を観察していると、悩んでいるのは自分だけのように思えてくる。それは、自分が人の痛みを理解できないせいだからだろうか、それとも疲れているせいなのだろうか?今の高橋にその結論を出す余力はなかった。

「伊藤君が信君に会いたがってたよ。」

「えっ?会いたがってたって、あれから伊藤に会いに行ったのか?」

実は、高橋と直子がお見舞いに行ってからもう一週間が経ったのだ。その間、高橋が伊藤に会いに行かなかったのは、会うのが怖かったからである。

「彼、ひとりで寂しそうだったよ。」

「そうか、それでいつ会いにいったんだい?」

「確か、三日ぐらい前だったかな。」

「一人で?」

「ううん、友達と。」そう言って直子は首を振って見せた。

「あいつの様子はどうだった?」

「ちょっと痩せたかな。あと、頭に包帯もしてた。」

 やはりと思いながら、高橋はミルクティーを口に運んだ。実際そのミルクティーは美味しい物なのだろうが、特に美味しいとも感じられなかった。ただ、喫茶店に入ったから飲む、それだけのことである。

「他に変わった様子はなかったか?」

「えっと、全体的に疲れている感じだったけど・・・まあ、とにかく、信君に会いたがってたよ。」

「そうか・・・」

「なんで、会いに行かないの?」

「最近、忙しいんだよ。でも、そろそろ時間をつくって行くつもりさ。」

 忙しいというのは嘘である。けれども、本当は高橋も伊藤と話をしたいのだ。あの時の話もいいところで切れてしまっている。あいつが会いたくないと言っているならまたしも、あいつは会いたがっているのだ。そう考えると、あれから音信普通になってしまうのは、不人情であろう。いくらあいつと会うのが怖いからとは言え、いつかは合わねばならない。それに、他の人に知れる前に早く話をつけて置くべきなのは言うまでもない事だ。

「なるべく、早く行ってあげてね。何か話したいことがあるって言ってたから。」

「話したいこと?伊藤がそう言ってたのか?」

「もちろんそうよ。」直子は、キョトンとした目で高橋を見つめている。高橋はミルクティーを口へと運ぶ。

「それなら、これから行ってみようかな。」高橋は独り言のようにつぶやいた。

「うん、それがいいかも。」

「じゃあ、そうするわ。でも、今日は一人で行ってもいいかな?」

「私はこの前行ったからいいわよ。」

「おう、ありがとう。」

「ありがとうって、別に私は何もしてないわよ。」

「ははっ、それもそうだ。」

 そんなやり取りを終え、二人は店を出た。店の外はまだ昼である。向かいの道路は、信号を待つ人々でごみごみしていた。こんな寒い日に、みんなよく出かけるものである。自分は、伊藤が入院などしていなかったら、真っ先に家に帰って布団に包まり寝ていることだろう。

「それじゃ、またね〜。」

直子は手を振りながら去っていった。高橋は手を小さく振るだけで、声は出さない。そして、高橋は布団に包まりたい気持ちを抑えながらひたすら自転車をこいだ。

 もう四回目のせいか、この病院がやけに近く感じられた。それに、綺麗で大きいといった印象もだんだんと薄れてきたようだった。人間の慣れというものは怖いものである。こんなにも人の感覚を麻痺させてしまうのだ。どうせ麻痺させるなら、このストレスを麻痺させて欲しいものである。しかし、ストレスというものは堪る一方で、慣れるといった事は聞いた例がない。結局、人生というのはいい事が一瞬で、残りは悪い事で埋め尽くされているのだ。高橋は、住みにくい世に生まれてきたものだと思った。

 そんなことを考えていると、もう伊藤の病室の前だった。駐輪場から病室までの距離は、ちょっとした考えをまとめるのに調度いい距離なのだ。

「伊藤、入るぞ〜。」と高橋は気を使うことなく中へと入った。

「おお〜、久しぶり。」伊藤は笑顔で迎えてくれた。

「ごめん、ごめん、最近忙しくて。元気だった?」

「そこそこね。」

「それなら良かった。」と言いつつも、高橋は伊藤のやつれた顔を見るのが痛々しかった。それから高橋は続けた。

「なんか、直子が来たみたいだな。」

「ああ〜、来た、来た。結構大人数で来たよ。」

「大人数って何人くらい?」

「五人ぐらいだったかな。」

「悪いな、騒がしくしちゃって。」

「いやいや、お前が謝らなくても。それに、賑やかな方がいいときもあるんだよ。」

 今日の伊藤は、いつもの伊藤に一番近いように感じられた。そのためか、どことなく話しかけやすい気がした。

「まだ、頭の包帯取れないみたいだけど、あれからどうなの?」

「どうなのって?」

「だから、幻覚とかはないのか?」

「いや、あれはなくならないよ。昼間はある程度落ち着いてるんだけど、夜になって一人になると起きやすいんだ。前ほどではないけど、それでも二日に一度は必ずなるんだ。」

「・・・」こんな時、高橋は何と返せばいいのか分からない。

「でも、今日はお前が来てくれてうれしいよ。」

「おいおい、来て欲しければいつでも来るぜ。」

「ありがとう。思えば、俺は友達多いけど、ここまでしてくれるのはお前だけだな。俺は大してお前に何もしてやったことはないのに、本当に申し訳なく思うよ。」伊藤の目は少し潤んでいた。ベットに横たわる姿は、まるで老人のようである。

「そんな水臭い事言うなよ。お前らしくないぞ。」

「ごめんよ。」それから伊藤は一呼吸置き、高橋を見つめるとこう言った。

「今日はお前に話しておかなくちゃいけないことがあるんだ。これを話しておかなくちゃ、俺は死んでも死に切れないと思う。これまでに起きていた事をここで全て打ち明ける。」伊藤の目は、その様相に反して力強く燃えていた。


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