第十五話
十五、
「病院の食事っておいしくないって聞くけど、どう?」
「いや、そうでもないよ。」と伊藤は本当においしそうに食べていた。
「それで、体の調子はどう?」
「まあ、昨日よりはいいかな。」
「よかったな。」この調子ならまともに話ができそうである。
「それにしても、昨日は驚いたよ。気が付いた時には、腕に点滴を打ちながら、ここのベットに寝ていたんだぜ。後で担当の医者に聞いたら、お前が運んできてくれたって言うじゃないか。ホント、ありがとな。」伊藤は少し照れくさそうにそう言った。
「なに、困った時はお互い様だろ。それより、なんで実家に帰らなかったんだ?」
「ああ、そのことか。」伊藤は、ためらいながら重い口を開いた。
「帰った方がいいし、帰ろうとも思ってたんだけど、いざ帰るとなると怖くなってきちゃって。それで、この通り帰らずじまいさ。」
「そうだったのか。でも、大学にも来ないで家にひとりでいたらよけい不安になるだろ?」
「ああ、不安だったよ。けど、大学に行くのも怖くなってきて・・・だから、あまりにも不安になった時には街の雑踏の中を訳もなく行ったり来たりしてたんだ。そうしていると、自分が自分じゃないみたいに思えてきて、楽になるんだ。」
「そんな時こそ俺に相談してくれよ。」
「ごめん、そうすればよかったよ。もしも、そうしていれば、こんなことにはならなかったかもな〜。」本当はお前に会うのも怖かった。伊藤は心の中でそう思っていたが、どうしても口には出せなかった。
「まあ、いいや。今はこうして話せてるわけだし。細かいことはなしにしよう。」
「ありがとう。」
「それよりも、大事なのはこれからだ。お前はこれからどうしようと思ってるんだ?」
伊藤は、持っていた箸とお椀をトレーの上に置いた。それから小さな声で次のように言った。
「分からない。」
「・・・」
「どうしていこうかお前に教えて欲しい。」そう言って伊藤は高橋の目を直視した。
「俺も・・・、よく分からない。けれど、お前の家族にはもう分かっている事だし、やっぱり正直に話した方がいいんじゃないか?」
「俺もできればそうしたいよ。」と伊藤はつぶやいた。しかし、その声は高橋の耳には入らなかった。
「それにしても、警察の捜査は案外てこずっているみたいだな。あれ以来、ニュースではなにもやらないし、警察の動きもないみたいだよ。あまりいいことではないかもしれないけど、あの事故は迷宮入りになるかもな。」
「そうか。」
「とりあえず、家族にはなんて言うんだ?」
「いや、家族は昨日来たよ。」
「えっ、それでなんて言ったんだ?」
「昨日は、まともな話をできる状態じゃなかったから、大した話はしてないよ。」
「そうだよな。びっくりさせるなよ。」
「かってに驚いたのはそっちだろ。」そう言われて高橋も伊藤も笑った。
「じゃあ、今度会った時はどうするつもりなんだい?」
「それはまだ考えてないけど、あの事は言わないつもりさ。というか、まだ言えないよ。」
「そうだよな。まあ、そういうことにしておこう。とりあえず、俺もお前の話に合わせるよ。」
「いつも悪いな。だけど、お前を巻き込みたくないから、ほどほどに頼むよ。」そう言いながら、伊藤は微笑した。
「いいって、俺のことは気にするな。」高橋は椅子から起き上がった。
「俺はそろそろ帰るよ。お前とも話せたし、お前が晩御飯食べてるの見てたら、俺も食いたくなってきちゃった。」
「もう帰っちゃうのか?」
「ああ、それじゃまた来るよ。」
「おう、またな。ありがとう。」
伊藤は想像以上に元気だった。しかし、それよりも気になるのは、想像以上に話がスムーズにいったことである。あれだけ悩んでいたであろう伊藤が、あれだけ病んでいたであろう伊藤が、どうしてこうも落ち着いて会話ができたのだろう?今日は医者と話していないため、伊藤の体の具合は分からないが、見た感じなにも問題はなさそうである。これらのことはいい事であるが、それまで起きていたことと比較すると、どうも腑に落ちなかった。
まあ、明日の風は明日吹くとも言う。長い目であいつを見守っていくとしよう。それだけのことをする価値はある。あいつは俺にとってそれだけ大きな友達なのだ。