第十三話
十三、
高橋と大家は、集中治療室の前のソファーに座っていた。病院の中はやけに静かである。人の歩く音以外、何も聞こえない。そうした静けさを破るかのように大家が口を開いた。
「しかし、驚いたね。」
「ええ、しばらく連絡がなかったかと思うとこれですから、あいつには世話をやかされますよ。」高橋は下を向きながらそう答えた。
「君たちは友達なのかい?」
「はい、大学に入ってからの友達です。」
「そうか〜、じゃあ辛いだろうね。」
「ええ、まあ。」
それからまたしばらく沈黙が続いた。そして、今度は高橋の方から口を開いた。
「最近、あいつのことがよく分からないんですよ。なにか、あいつのことを知ってますか?」
「んん〜、申し訳ないけど、住居人の個人情報は把握してないんだよ。ごめんな。」
「そうですか。」
「それで、彼とはどのくらい連絡を取ってなかったんだい?」
「だいたい二週間くらいですかね。」
「二週間か、それは長いね。二週間前は元気だったの?」
「まあ、体調は良かったと思いますけど・・・」
「なにかその頃にあったのかい?心当たりは?」高橋は事故の事が頭によみがえり、一瞬ドキッとした。
「いえ、特に心当たりはありません。」やはり、事故の事は誰にも言えない。
「そうか〜、まあ、とりあえず体を治すことの方が先だよ。それから、彼とゆっくり話すのがいい。」と言いながら、大家は高橋の横顔をのぞいた。
「そうですね。」高橋は下を向いている。
「ああ、それと、君の名前と電話番号を聞いてもいいかな?」
「はい、いいですよ。」そう言うと、高橋は大家に名前と電話番号を教えた。
「すみませんが、大家さんの電話番号も教えていただけますか?」
「ごめん、ごめん、うっかりしていたよ。」そう言うと大家も高橋に電話番号を教えた。高橋は名前も教えてもらったが、難しい名前だったのと伊藤のことで頭がいっぱいだったのとで忘れてしまった。
二人の会話はこれでお仕舞いである。そして、また長い間沈黙が続いた。会話が途切れてから三十分近くたったであろうか、治療室から担当の医者が出てきた。
「伊藤はどうでしたか?」高橋は下を向いていた顔を上にあげた。
「どうも、お待たせしました。命に別状はないようです。過度の睡眠不足と栄養失調からこうなったのでしょう。おそらく、ここ一週間以上何も食べてないですよ。まあ、早い段階で治療できたので、体の面は大丈夫だと思います。けれども、精神的に病んでいるようなので、体調が回復した後も精神的なケアを受けた方が良いかと思われます。」
「はい分かりました。ありがとうございました。」そう言うと高橋と大家は頭を下げた。
「ご親族の方ですか?」
「いえ、違います。僕は彼の友達です。」
「私は、彼の住んでいるアパートの大家です。」
「そうですか。一応体が回復するまで一週間ほど様子を見たいので、入院という形になるのですが、彼の親族の方と連絡は取れますか?」
「あっ、はい。私の方から連絡しておきます。」と大家は張り切っていた。
高橋は、内心大変なことになってしまったと思った。伊藤の家族にこのことが分かってしまうと、事故のことがばれしまうかもしれない。しかし、入院したことを隠すことはできない。もうこうなってしまっては、伊藤の事を家族と相談した方がいいのかもしれない。けれども、それでは伊藤との約束を破ることにもなる。やはり、伊藤と相談してから動くことにしよう。それからでも遅くはないはずだ。とにかく今回は伊藤の体が無事でよかったではないか、それだけでも喜ぶべきである。
そんなことを考えていると、最近の伊藤には本当にいい事がないように思えてきた。伊藤もとことん不幸なやつである。しかし、高橋にはその不幸が自分にも降りかかってきそうな気がした。そうして、これから先のことが不安になった。自分は悪いことはしていない。やはり、正直に言ったほうがいいのかもしれない。心の中でそのような葛藤をしながら、高橋は大家と病院を後にした。