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第十一話

十一、


 その日も、高橋はいつもの場所に席を陣取っていた。なにをしているかというと、無論読書である。講義をしているせいか、講義室は静かであった。けれども、一つ耳ざわりなのは先生の声である。そうは言うものの、向こうはそれが仕事であり、自分もそれを聞くのが本分であるから仕方がない。しかも、こちらは金を払っている。もちろん、それを払っているのは親だが、話を聴かないのは、少し損のようにも思える。しかし、聴きたくないものを無理に聴こうとするのは不自然である。不自然なことをするとストレスが堪る、ストレスが堪ると不愉快である、不愉快になると胃に穴が開く、誰しも胃に穴が開いては堪らない。やはり、ここは本を読んで寝る方が良いだろう。

 居眠りから目を覚ますと、高橋はあることに気がついた。それは、またもや伊藤のことである。本人は実家に帰ったというし、最近は直子との時間が多かったので、彼のことはすっかり頭から離れていた。いくら実家に帰ったとはいえ、もうしばらく前のことである。あいつは本当に親と相談ができたのだろうか?もしや、親と警察に自首しに行ったのかもしれない。

 最近では、伊藤がしばらく学校に来ないので、周囲では「あいつは休学している。」だとか「なにか事件に巻き込まれたんじゃないか。」とかいう変な噂が広まっていた。こういう時は決まって悪い噂である。「あいつは留学しに行ったんじゃないか。」とか「どこかの事務所にオファーされたんじゃないか。」というようないい噂は聞いた例がない。どうせ有り得ない噂なら、そういったものの方が気持ちが良いものだ。けれども、伊藤の場合は、現実に起こっていることがあまりいい事ではないので、そういった噂を鼻で笑ってもいられない。

 その日の講義は、午前中で終りだった。それで、久しぶりに高橋は、伊藤に電話を掛けてみた。けれども、何度掛けても留守電になってしまう。この事を相談できる人は、伊藤以外にいるはずもない、その当人も電話に出ない。高橋の胸からは、伊藤への心配と不安がこみ上げてきた。とりあえず、あいつはまだ実家にいるはずだ、携帯に出ないのなら直接家に電話を掛けてみよう。そう思い立つと、高橋は、一旦自分の家に戻った。

 家に帰ると、高橋は本棚を見回した。そして、目的の本を手に取ると急いで調べ始めた。その本というのは、高橋の学年の名簿である。まさかこんなことで名簿が役に立つとは、高橋もびっくりである。そして、伊藤の実家の番号を見つけると、一呼吸おいて電話を掛けた。

「もしもし、伊藤でございます。」電話に出たのは、伊藤の母親らしかった。

「もしもし、はじめまして。高橋信幸と申します。隆君には大学でお世話になっております。」伊藤の母親と話すのは初めてだったので、高橋の口調はどこかぎこちなかった。伊藤の名前も母親の手前、隆と呼んでみた。

「隆のお友達ね。どうも、こちらこそ隆がいつもお世話になっています。」

「いえいえ、そんなことないですよ。」高橋の声はまだぎこちなかった。

「それで、今日はどうかなすったんですか?なんか隆が問題でも起こしたんですか?」高橋は会話の流れが少し変に感じた。母親はまだあの事を知らないのだろうか。

「いえ、違いますよ。ただ、隆君と話したくて。今いますか?」

「いませんよ。だって、今日は学校あるはずよね。」

「あっ、はい。学校は午前中だけありました。」

「そうなの。じゃあ隆は行かなかったの?」

「はい、多分来てなかったと思います。」

「もう〜。うちの子は仕方ないわね。お父さんに似て、さぼり癖が出てきちゃったのかしら。」

「ははっ・・・そんなことないですよ。」高橋は一応笑いを入れておいた。

「隆は、最近学校行ってないんですの?」母親は少し不安そうにそう質問してきた。

「すみませんが、そこまでは分かりません。ほとんど違う講義をとっているので。」と高橋は嘘をついた。それもこれも母親を刺激しないためである。

「そう。じゃあ隆に会ったら、ちゃんと学校に行くように言っといてもらえます?ほんと困っちゃうわ〜。」やはり、おかしい。伊藤は実家に帰っていないのかもしれない。このままでは埒が明かないので、高橋は思い切って切り込んでみた。

「隆君はそちらに戻ってはいませんか?」

「いえ、あの子が戻るのは夏休みと正月くらいよ。近いけれど、あんまり帰ってこないのよ。でも、どうして?」

「いえ、ただ聞いてみただけです。最近僕も会ってないので、家に帰ったのかと思って・・・」高橋は言ってしまった後に、少し言い過ぎたのではと後悔した。

「そう。こっちから連絡すると、あの子うるさいとか言って怒るのよ。だから、隆から連絡があったら伝えておくわ。それと・・・ごめんなさい、名前はなんでしたっけ?」

「高橋です。」

「高橋君ね。」

「それじゃ、よろしくお願いします。」そういうと高橋は電話を切った。

 伊藤は実家になど帰っていなかった。それでは、あの日からあいつはどこで何をしていたのだ?とりあえず、冷静になろう。高橋はそう自分に言い聞かせた。

 ともかく、伊藤の家に行ってみよう。家というのは実家のことではなく、下宿の事である。そう思い立つと、高橋はできるだけ強く自転車のペダルを踏み込んだ。けれども、前に進むのは体より心のほうが早かった。


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