勇者と魔王
怪しい宴会。
どうやら町の人間は、時間を稼いでいるようだった。
移動しようとすれば引き留められ、見張るように付きまとう。
流石に異常だ、とレイもアリアも警戒を強める。
日は既に落ちた。
「なかなか仕掛けてこないな」
レイがぼそりとむくちゃんの傍で呟いた。
敵は何かを企んでいる。
しかし、この町の人間は怪しさこそあれ、魔力はまるで感じられない。恐らくは普通の人間なのだろう。
人間を脅し、何かを仕掛けてくる。それがオロバスの狙いなのだと、レイは考えていた。
料理や飲み物には極力手を付けていない。さりげなく回避している。
すこし前から町の人々がそわそわし始めた。
恐らく彼らが待っていた『何か』が訪れようとしているのだ。
身構え、いつでも対処できるようにする。魔王オロバス本人か、それともその手下か。
レイの読みは、そして敵をよく知るむくちゃんでさえも、その策は見抜けなかった。
ぬっと辺りが暗くなる。
慌ててレイとアリア、むくちゃんは周囲を見渡した。
「良い満月だ」
声が聞こえる。声の方向を一斉に振り向くレイ達。
町の傍の森の上、一際大きな杉の木の上に、黒い影が立っていた。
黒い影は月明かりを背にして、その光を吸っている。周囲が暗くなったのは、月の光が途絶えたせいだ。
その特性と、声、シルエットに、むくちゃんが思わず声を大きくした。
「まさか……何でお前が……!?」
「知ってるのかむく!?」
柴犬の顔の下に、人型の毛むくじゃらの身体。
世にも奇妙な犬人間が、黒目がちな目でじろりとむくちゃんを見下ろした。
「魔王……ワンフー!」
「ほう。俺を知っているのか。お前のような小動物に覚えはないが……まぁ、いい」
魔王ワンフーはびしりと並んだ歯を剥き出しにして笑った。
「全部どうせ俺の腹の中に収まるんだ。小動物も、勇者も、その仲間も、周りの人の振りをした物の怪達も、全部、全部……! くくっ! 久しぶりに腹を満たせそうだ」
「人の振りした物の怪達? それはどういう……」
「ま、待って下さい!」
何処からか少女が躍り出る。タカシ達にオロバス討伐を願い出た少女だ。
少女は引き攣った笑みを浮かべながら、ワンフーを見上げた。
「わ、私達はちゃんと、勇者達を繋ぎ止めましたよ!? 召喚獣にだって、偽のラブレターを渡して、湖に行かせました! 仲間からちゃんと召喚獣が湖に向かって、未だに来る筈も無い女の子を待ってるって報告を受けてます! 何も失敗なんてしてませんよ!?」
「し、師匠……!?」
まんまと罠に掛かったタカシ!
それをこんな形で知ったレイの衝撃や計り知れない。アリアが憐憫の目で「うわぁ。かわいそう」と呟く脇で、むくちゃんが顔を引き攣らせる。
「オロバスめ……相変わらず……」
「ん? むく、何か言ったか?」
「な、何も言ってない。それより、今はそれどころじゃないだろう」
少女が白状した真実。
タカシ一行はまんまと魔王オロバスの罠に落ちていたのだ。
そして、敵の狙いを全く読み違えていた事に、続くワンフーの言葉で気付かされる。
「ああ。確かに。計画は予想以上に上手く運んでるぞ。オロバスから『幽霊』を確保したと連絡が入った」
「『幽霊』……? まさか、オロバスの狙いは!?」
「ミリー……?」
むくちゃんとレイは気付く。
今、姿が全く見えないミリー。
彼女は未だに隠れている訳ではない。
既に敵の手に落ちているのだ。
ワンフーは舌なめずりした。
「お前達がオロバスの計画成功に貢献した時、オロバスが支配下として収める、お前達の住処の森を開放すると約束したな。お前達、森の物の怪達に自由を与え、今後一切の干渉をしないと契約したな」
「そ、そうですよ! 私達、うまくやりましたよね!? だったら……!」
慌てて、泣きそうな顔で必死に言う少女を見下ろし、だらりとヨダレを垂らしたワンフーが言い放つ。
「あれは嘘だ」
「え?」
少女の表情が凍り付く。
「最初からオロバスはそんな約束なんて守らない。計画が終われば、お前達を食って良いと俺と契約しているからだ」
町の人々、正確には『町の人々に化けた物の怪達』がざわめく。
代表の少女が叫んだ。
「そんな! 私達を騙したの!?」
「騙してない。お前達は勘違いをしている」
ワンフーの邪悪な笑み。
彼もまた、魔王らしい魔王の一人なのだろう。
ワンフーの身体が膨れ上がる。元より逞しかった筋肉が更に隆起する。柴犬の愛らしい顔が鋭く洗練され、凶暴性をたたえた金色の眼光を宿し、毛を荒々しく逆立てた。
「契約とは、高度な生物同士で交えるものだ。貴様らのようなケダモノと、我ら魔王の間に契約など結ばれる筈があるまいて」
魔王オロバスは森の物の怪達を最初から利用し、切り捨てるつもりだったのだ。
少女が「嘘だ」と震えながら呟く。魔王ワンフーはその表情を楽しげに見下ろしながら、木を揺らす事もなく飛び立った。
全てを理解したレイが叫ぶ。
「逃げろ!」
同時に弾けるように、森の物の怪達は変化を解いた。
狸に狐、鹿にリス、様々な動物達が散り散りに逃げ回る。
「逃げても無駄だァッ! 地の果てまで追い回して、一匹残らず食い散らしてやるッ!」
魔王ワンフーが現れた!
魔王ワンフーの先制攻撃!
レイはガードした!
「くっ……!」
「ほう……勇者は召喚獣のお飾りと聞いていたが、中々にやるじゃあないか……! だが……人間如きが……魔王に勝てる筈がないと知れッ!」
魔王ワンフーの連続攻撃!
丸太のような毛むくじゃらの腕が、激しくレイの身体を打つ!
右手で押さえ付けられた剣をガードに使えず、今度はレイもモロにダメージを受けた。
「レイさんっ!」
アリアのパンチ!
レイへの追い打ちを防ぐように、アリアが飛び出していた。繰り出すのは鋭いパンチ。女の、しかも白魔術師の温いパンチなど、と侮り掌を翳したワンフーの表情が一瞬で強ばった。
「ぬぅッ!?」
グシャア! と嫌な音が響き、魔王ワンフーが一気に後退した。
ガードに使った右手が、ひしゃげている。
白魔術師か、女か、そもそも人間か。それさえも疑わしい馬鹿力。
だらりと粘りけのあるヨダレを垂らしたワンフーは、思わぬダメージを受けた事に、若干戸惑いを見せたが、すぐに右手に残る痛みが、彼を覚醒させた。
「おのれ……人間……ッ! 許さん……絶対に……許さんぞぉぉぉッ!」
ここまでは敵を格下と見くびっていたワンフーが、激怒と共に魔力を膨れ上がらせる。
月光を吸収し、激昂と共に魔力として解放するワンフーの特殊能力『月下』。
夜、月明かりが強ければ強いほどに、その力は強まり、怒りが激しければ激しいほどに膨れる。
その果ては、魔王ワンフーを上位クラスの魔王にまで押し上げる。
魔王ワンフーが覚醒した!
その力を目の当たりにして、魔王を何度も見てきたレイとアリアが戦慄する。
迫力だけならば、今まで見てきた魔王以上。
実力で言えば、レイ達が相対してきた魔王の中にはワンフーを越える力を持つ者が多数いた。しかし、これが敵意を剥き出しにした魔王なのだ。
むくちゃんが迷う。
ワンフーは倒せない敵ではない。
しかし、しぶとい敵である。
ミリーは今まさに、魔王オロバスに何かをされようとしている。
本来ならば今から飛び出して、オロバスの元に向かって間に合うかどうかも怪しいぐらいに事態は切迫している。
そして何より、此処にはレイとアリアがいる。彼らを守りながら戦うとなれば、ワンフーもかなり厄介な敵になる。
魔王オロバスの策はほぼ完璧だ。
魔王を差し向けられるとは、他の魔王と手を組むとは、むくちゃんは思っても見なかった。
結局はワンマンチーム。分断され、それぞれに強大な敵をぶつけられればそれだけで詰む。
また、むくちゃんはオロバスに嵌められたのだ。
しかし、『ほぼ』完璧。
そこにはひとつの穴があった。
「むく、アリアを連れて行け」
「……何?」
レイの言葉にむくちゃんも驚く。
虚勢か。そう思ったが、レイの顔に恐れはなかった。
「大丈夫。俺一人でいける」
自信。確信とも言えるだろう。
レイは本気でワンフーに勝てるつもりでいる。
今すぐに動き出したい。うずうずする。力を試したい。
そんな少年のような無邪気さが表情に見えた。
本来ならば、魔王を前にして、たとえそれが勇者であっても、一人で人間を残していくなど有り得ない。
しかし、何故かむくちゃんは、託しても良いのではないかという考えが浮かぶ。
――ゼペット。本当に、俺は、甘くなったかもな。
「任せた」
「任せとけ」
剣を構えるレイ。
その背中をバシンと力強い掌が叩く。
「水くさいですよ~。レイさん、寝不足でしょう? 目の下、真っ黒です」
レイが後ろを向くと、にこりと笑うアリアが居た。
「私も残ります。病み上がりでよければ、どうか役立てて下さい」
「……ああ。でも無理はするなよ?」
「ご心配なく。十分に眠って……全力全壊です!」
アリアが杖を構える。
二人の勇ましい姿を見て、むくちゃんにもう迷いはなかった。
何も言わずに飛び去る。言葉など不要。
むくちゃんはオロバスの城を一直線に目指す。
魔王達は見落としていた。
勇者の成長と、予想外のその力を。
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むくちゃんの身体には、封印された魔力は大きすぎる。
封印された魔力を解放しすぎれば、その小さな身体は一瞬で弾け飛ぶだろう。
だったら、どうすれば封印された魔力を操れるか?
強い身体を得れば良い。
強い身体をどう得れば良いか。
有り余る魔力で作れば良い。
魔力で人の形を作る。かつて取っていた魔人の形態。
光り輝く身体の中に、魔力を限界まで注ぎ込む。
それがむくちゃんが、精霊リベルの元で学んだ、自身の力の使い方。
光り輝く魔人を生み出す魔法、『魔力人形』なのである。
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「本当に、久しいな。オロバス」
震えるオロバスを睨み付け、魔力人形の視界を借りた、むくちゃんはドスの利いた声を漏らした。
「覚悟は良いな? 馬野郎」
紐解く力は三分の一。
光る魔力人形が、にやりと不敵な笑みを浮かべた。