悪辣非道の魔王
「ミリー……あいつ何処に行ったむきゅ」
精霊のような何かを探して、一晩中飛び回ったむくちゃん。ただでさえ希薄は気配は全く見つからない。
とうとう夜が明け、流石に戻っているだろうと信じ、宿に戻ったむくちゃんだったが、ミリーの姿は見当たらなかった。
「見つからなかったのか? むく」
「お前、寝てないのかむきゅ」
宿のロビーで一人座っていたレイは、少し疲れた様子だった。
「アリアがうなされてたし、ミリーもいつ戻るか分からなかったからな」
「苦労掛けたな、むきゅ」
「それにしてもミリーのやつ、何処に行ったんだか」
レイの腰掛ける椅子の横に降り、むくちゃんは唸る。
珍しく深刻な様子のむくちゃんを気に掛けているのか、レイは口調や経歴には似合わない、小さな頭をぽんと叩いた。レイから受ける、珍しい気さくな対応に、むくちゃんも驚き顔を上げる。
「まぁ、あいつは普通は見えないから。むくもそこまで気にしなくても大丈夫だろう」
「……別に俺も大丈夫だとは思ってる。ただ、相手が相手だ」
「相手って……オロバスか? お前、オロバスに何をされたんだ?」
むくちゃんが黙る。しかし、逃げ場がないと悟ったのか、やがて諦めた様に口を開いた。
「力を抑えて……あれは確か魔人の形態をとっていた頃だった、むきゅ。ただの魔人として奴とは関わっていたが……」
言い掛けて、むくちゃんはぶんぶんと首(体?)をぶんぶんと振った。
相当な黒歴史のようである。
「とにかく、あいつは油断ならない奴だ!」
「どんだけ酷い目にあったんだお前」
その時、レイがふと気付く。
ふらふらとおぼつかない足取りでロビーを歩いてくるアリア。
すぐさまレイは駆け寄り、転び掛けたアリアの体を支えた。
「おい、無理するなって」
「おはようございます~……寝過ぎてちょっとふらふらするだけですよ~」
具合が悪そうな頃から見せていた無理をした感じではなく、ごくごく自然な笑みを浮かべてアリアは体勢を立て直す。そして、眠たげに目を擦るとすぐに椅子に腰掛け、ふう、と息をついた。
「レイさんありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました」
「本当に大丈夫か? 無理してないか?」
「レイさんってお母さんみたいですね~」
はぁ、と溜め息をつくものの、大分調子が良さそうなアリアを見てレイが肩の力を抜く。
「まぁ、今日は安静にしておけよ。オロバスの所に行くのはまだ先になるからな」
「あれ? 何かあったんですか?」
「只今出張中、だそうだ。今頃いそいそと本拠地で罠でも仕掛けてるんじゃないのか?」
「?」
アリアがきょとんと首を傾げる。
「そう言えば、他の皆さんはどこに?」
「師匠は今も寝てる。ゼブブは……あれ、そう言えば見てないな。ミリーもちょっと……」
レイが今のパーティーメンバーの所在を口にしていく中で、はっとむくちゃんが気付く。
「……待て。本当にタカシは寝てるのか?」
「え?」
「見に行くぞ」
むくちゃんが先んじて飛んでいき、タカシが居る部屋に体当たりする。
すると、慌ててドアを開き、タカシが飛び出してきた。
「なんだよ! びっくりするだろ!」
「よし。いたか。ゼブブは……」
「ゼブブちゃんがどうしたって?」
遅れてついてきたレイやアリアも「どうした」とむくちゃんの突然の行動に疑問を示す。
「ミリーはいなくなった。ゼブブも見当たらない。タカシは部屋にいたからいいが……少し気になった」
「オロバスの仕業、と?」
「全部あいつのせいとは思わない。だが……もしかしたら……」
「考えすぎだぞお前。いい加減力抜けよ。そんなんだからミリーに逃げられるんだって」
若干タカシが呆れ気味に、ぼさぼさの頭を掻き乱す。
レイも同調したように頷いた。
「むく、オロバスはどのくらい強いんだ? たとえば、ゼブブより強いのか?」
「……いや。力だけで見れば、恐らく今までお前達が見てきたどの魔王よりも弱い。ゼブブとは、子供と大人くらいの力の差がある」
勿論、此処でいう子供というのはオロバスの事を言っているのだろう。決して見た目が子供なゼブブの事ではない。
むくちゃんも言っている事がおかしい事には気付いているのだろう。タカシが溜め息交じりに言う。
「じゃあ心配ないだろ。どうやったらオロバスがゼブブちゃんを隠せるんだ?」
「いや、だからな……あいつはそういう魔王じゃなく……」
「もうやめやめ。俺もうちょっと寝るわ」
タカシがのろのろと部屋に戻っていく。
アリアとレイははっきりとは言わないが、確かに考えすぎなのでは、と思っているようだった。
それを察し、むくちゃんはむう、とその身に似合わない声で唸る。
「……考えすぎ、なのか?」
「あれ? みなさんお目覚めですか。丁度良かったです!」
声が聞こえる。昨日の少女が宿に入ってきた。
無邪気な笑顔は本当に演技なのか?
「皆様にオロバスを倒して貰えると言う事で、町中の人達が皆様を歓迎したいとの事です! 明日の決戦に備えて、英気を養って頂こうと、宴を開く事になりました! どうかご参加下さい!」
レイとアリアが顔を見合わせ、その後同時にむくちゃんを見る。
最も警戒しているむくちゃんに対する「どうする?」という問いを込めた視線を受けて、むくちゃんは難しい表情でレイの頭の上に飛び乗る。
「……参加しよう、むきゅ。ただし、レイ、アリア。せめてお前達は一緒に行動するように、むきゅ」
思い出したように「むきゅ」を語尾に付け始めるむくちゃん。
納得はしていない様子に見えるのは、恐らく勘違いではないのだろうとレイは考える。
隠していたつもりなのだろうか、影に隠れて殆ど見えない少女の浮かべた笑みが、まるで無邪気な動物をあざ笑っているかのようにレイには見えた。
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魔王ダルタニャンは飄々と森の木々を飛び移る。
「ゼブブ嬢。確かに地力では僕は君に遠く及ばない」
足を引っ掛け、逆さになって枝にぶら下がる。まるで自分の庭であるかのような身軽さ。ダルタニャンの素早さに、ゼブブはついていくのがやっとだった。
「しかし、素早さならば僕は殆どの魔王に負けない自信があるよ」
「…………それを逃げ足に使ってちゃ、世話無い」
「部を弁えてる、と言うんだ」
僅かに息が乱れ始める。ただでさえ足場の悪い森の中、素早いダルタニャンを見失わないように追い続けるのにはかなりの体力を消費する。それを一晩。ダルタニャンは一晩中、逃げ続けているのだ。
時折遠距離攻撃で牽制も忘れない。最低でも、ダルタニャンを森に繋ぎ止めなければならない。森から出られてしまえば、たちまちパーティーメンバー達に危害が及ぶからだ。
相手はそれが分かった上で、ゼブブを引きつけている。分かっていても逃れられない。
「…………オロバスらしい手」
「だろう?」
くるりと枝に昇り直し、何故か逆さになっても落ちないシルクハットを外して、ダルタニャンは黒い猫耳をぴくぴくと楽しげに動かした。
「分かっていても陥れられる。それがオロバス君さ」
「…………そんな奴に手を貸すなんて……物好き」
「ははは。いやなに、猫の手を借りたいと言われては、貸さないわけにはいくまい? 何たってイケネコだからね」
「……面白くない」
「それは失敬。じゃあ、これは面白いかな?」
シルクハットを被り直し、ブーツのかかとで木の枝をタタンと叩く。
ダルタニャンの口元がぐにゃりと歪んだ。
「『物好きは一人じゃない』」
ゼブブの無表情から一気に血の気が引く。
その表情を満足げに見下ろしながら、ダルタニャンは足を組んだ。
「さぁ、どうする?」
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タカシは放っておかれればずっと寝ていられるタイプである。
それは勿論、魔王戦を控えた彼に対する思いやりであったのだが、タカシが目覚めて窓の外を見ると、わいわいと楽しげに騒ぐ人々と、囲まれるレイ達の姿があった。
ハブられた。
なんやかんやちやほやされてたこの世界で、タカシ、久々の傷心である。
「どうして起こしてくれなかったんだ……」
実は町ぐるみでタカシを起こさないように作戦を練られている事など知る由もなければ、知ったら知ったで傷付くであろうタカシは、めそめそと顔を覆いながら部屋の中をぐるりと回った。
賑やかになっちゃってる集団に、後から入っていくとかタカシには無理なのである。
本気で泣きそうなタカシが、外に出ようか、とドアに目を向けてタカシは気付く。
薄ピンク色の便箋が、ドアの隙間に挟まっている。
「何だ?」
タカシがすぐにそれを拾い上げ、裏に書かれた名前に凍り付く。
~バアルゼブブ~
ゼブブからの手紙だ。綺麗に整った丸みを帯びた文字を見てタカシは確信する。
「ゼブブちゃんからだ」
調子のいい男である。
タカシは迷わず、丁寧に便箋を開ける。中には当然手紙と、小さな地図が入っていた。
地図は町の周辺のものであり、町から離れた湖のあたりに×印がつけられている。
それより、手紙だ。
タカシは手紙を開いた。
~ タカシへ ~
おはなししたいことがあります。
町外れの、霧の湖でまってます。
きょうの夜、8時にきてください。
「こ、これは……」
ごくりと息を呑み、タカシは心の奥底で叫ぶ。
――ラブレター!?
――ラブレター!
――告白イベンツ!
タカシはガッツポーズした!
「……はっ! 今何時だ!?」
時計がさすのは7時半。
「やばっ! 時間無いじゃんか!」
タカシは手紙と地図を大切に抱え、転がるように部屋から飛び出す。
目指すは霧の湖。
最早、仲間はずれにされた事など気にもならない。
「うおおおお! ゼブブちゃぁぁぁぁん!」
部屋から飛び出していったタカシは、ドアの影に隠れていた少女に気付けなかった。
狸の尻尾をぴょこんと生やして、少女はにやりと笑みを浮かべる。
「うくく……! 上手くいった上手くいった……!」
少女の背後に隠れる小さな影も、クスクスと笑う。
「これで全部元通り……」
窓の外の賑やかな光景を見遣り、少女は僅かに笑みを崩す。
目的は果たした。
それなのに、どうしようもなく胸が痛む。
「……私達は悪くない」
言い聞かせるように言った言葉を、少女の背後の小さな影は、少女を励ますように繰り返す。
悪くない。悪くない。悪くない。悪くない。
悪いのは……
言い掛けて、少女は口を噤んだ。
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「……残念ながらお仲間は此処には来られませんよ」
オロバスは、椅子で足を組みながら、ぶるふふ、と鼻息粗く笑った。
後ろ手に縛られ、怯えた表情でオロバスを見上げる少女。
『……みんなに何したの!』
「おやおやこんな状況でお仲間の心配ですか。胸を打たれますねぇ」
馬面が、歯茎をむき出した。
「大丈夫。心配せずとも、寂しくないよう最後には全員一緒にあの世に送って差し上げますよ」
おっと、と口元に手を当てて、オロバスは椅子から腰を上げた。
「これは失礼。ゴーストのあなたはとっくにあの世を見ていましたね」
いつもならば言い返す。幽霊じゃない。精霊のような何かだと。
しかし、言い返せない。
魔王オロバスは、間の抜けた馬面と、今まで見た中でも最弱クラスの魔力には似合わず、途轍もなく恐ろしい怪物のように少女の目には映った。
そんな少女の前に、オロバスが立つ。
「ミリーさん」
透き通った身体を、地面に這わせながら、ミリーは唇を振るわせた。