ブーツを履いた猫
アリアは夢を見る。
魔王シカトリス。知っている。忘れていた名前だ。
あの魔王はそれなりに強く、配下もそれなりに厄介だったが、それなりに戦える相手だった。
私が怖れているのはこいつではない。
じゃあ、何だろう?
ガチン、ガチン、と重々しい音を立てて、ぎしぎしと何かが擦れる音を立てて、巨大な黒い爪を引き摺る、黒い、黒い、黒い、黒い…………
シカトリスは死んでいた。でも聞いた。部屋に入る前に言い争う声がした。
「……シオン……謀ったな……」
「……ええ。……が……です」
「……分かっているのか、この意味が」
「大……。だから勇者が訪れるタイミングを……た」
「バアルの……が……前魔王に宣戦布告……」
「……。これは全て私の……。バアルは関係……」
シオン? バアル?
バアルって……
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うなされるアリアは何か悪い夢でも見ているのだろうか。
それが彼女が浮かない表情をしていた理由なのか。
レイはアリアの傍に座って難しい顔で考え込みながら、軽くタカシが説明した魔王オロバスの話を整理する。
「確かに少し怪しいですね」
「お前もそう思うのか」
むくちゃんと同様のレイの見解に、タカシも珍しく真面目な顔で唸った。
「ミリーもどこかに飛んでって、アリアもこの状態。明後日までに何とかなればいいんですが……最悪のケースも想定しておかないといけませんね」
「最悪のケース?」
「ミリーが明後日までに見つからずに、アリアの調子も戻らない時の話です」
申し訳なさそうな顔を見せるレイは、タカシの方に向き直る。
「敵の息が掛かっているかも知れない町にアリア一人置いてはいけないでしょう。とはいえ無理に連れていっても危険です。現実的なのは此処で休ませて、誰かが付き添いで残るという形でしょうか」
「ふむふむ」
「ミリーは、まぁ、普通は見えないから大丈夫でしょう。でも放っておく訳にもいかないですし、そこはむくが対応してくれる、って話でいいんですかね?」
「いいんじゃないか? あいつも責任感じてるみたいだし」
「じゃあ、後はそれぞれの役回りですが……今のところ動けるのは俺とゼブブと師匠の三人です。その役回りなんですが、この街の住人が黒であると仮定して考えるべきだと思うんです」
「ふむふむ」
「師匠の言う少女が俺達を誘導しているのは『明後日』という部分。オロバスは恐らく時間を掛けて、何かの罠を仕掛けるつもりなのではないでしょうか。それも、師匠を見て声を掛けたという事は、師匠を狙って。つまり、オロバスは師匠の情報を事前に得ていて、師匠の為の対策を練ってきているとは考えられませんか?」
「そうだな」
「そうであれば、オロバスの元に向かうのは師匠以外……もしくは仮に師匠が向かうにしても、そのサポートにあたるメンバーが一人は欲しい。……正直、俺なんかがまだ魔王を倒せるとは思えないし、師匠が元の世界に帰る条件として必要かも知れないので、後者がやはり現実的なのではないでしょうか」
「おお」
「そうなればアリアと残るのは俺。師匠はゼブブとオロバス討伐に向かう。これがベストだと俺は思います。ゼブブなら師匠の足も引っ張らないのではないでしょうか。師匠に魔王を押し付けるみたいで申し訳ないんですが……」
「うん。俺もそれで構わない」
タカシはレイの話を聞き、腕を組みながらうんうんと頷きながら、ふと思った。
なんか、こいつの方がリーダーっぽいな。
ちょっとリーダー……というか師匠っぽいとこ見せた方がよくね?
「だが、あんまり自分を卑下するなよ。お前だって魔王の一人くらい倒せるさ」
「……そう言って頂けるだけで救われます」
「お世辞じゃねえよ。まあ、今回の相手は罠張ってるからな。俺がいくさ」
「ありがとうございます」
罠張ってる事もレイの考察を聞いて初めてはっとしたのに、知ってた風にスカした顔で言うタカシ。
レイは普通に嬉しそうに照れ臭そうに頬を緩め顔を伏せ、かと思えば「あ」と再びタカシを見上げた。
「師匠。アリアは俺が見てますので、先に休んで下さい」
「え? いやいいよ。俺だってアリアちゃん見てる」
「大丈夫ですよ。師匠に魔王と戦う役割を押し付けてしまったんです。できる事は俺にやらせて下さい」
何かこいつの方がリーダーっぽいなぁ、とタカシ。
そういうこと考えてるからリーダーっぽくないのだ。
「じゃあお言葉に甘えて」
ここであっさり引いてしまう辺りもリーダーっぽくないのだが、眠さに負けて身を引くタカシ。
こうして、不穏な夜は過ぎていく。
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「狙いは召喚獣。その為に罠を仕掛けている」
ぶるふふ、と唇を振るわせ、オロバス笑った。
「……などと考えられたら10点ですね」
「違うのか?」
オロバスの背後で目だけが光る。
「まさか。私の狙いは別です」
「ところであいつは何処に行った?」
目がぎろりと周囲を見渡す。
「ダルタニャン氏ですか? 彼なら森に向かいましたよ」
「森? どういうことだ?」
「抜け駆けではないのでご安心を、ワンフー氏」
言い掛けた事を先に口にされ、闇に光る目、魔王ワンフーは剥き出しに仕掛けた牙を収めた。
魔王オロバス。嫌味な魔王だ。
しかし、オロバスは『本当に越えてはいけない一線』は越えてこない。
ワンフーの怒りに触れる事は決してしないし、彼をギリギリ納得させるだけのリターンを用意する。
それだけはワンフーも信用しており、それだけが魔王同盟を繋ぐ絆でもある。
「一足先にお仕事を頼んだのです。『彼女』ならば、既に森の住人達の演技に気付いている可能性があるのでね。用心に越した事はありません」
用心、か。ワンフーはふんと鼻を鳴らした。
オロバスは確信なしに動くような魔王ではない。
この馬は知っているのだ。『彼女』とやらに、既にあの街の正体が見抜かれている事を。
何処までも油断ならない魔王だ。しかしそれだけに、用意された莫大な見返りにも期待できる。
魔王ワンフーは気付かない。
そんな淡い期待を、裏切る。
今までにこの魔王と関わり得てきたリターンが、魔王オロバスがこの時の為に支払ってきた必要経費に過ぎなかったという事を。
剥き出しの歯茎の奥底で、オロバスは背後の魔王をあざ笑った。
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「これはこれはお嬢さん。こんな遅くに危ないよ? 此処はちょっぴり危ない森だ」
「…………確かに」
頭上から声がする。
町外れの森を一人歩くゼブブは、視線を斜め上に動かし、立ち止まった。
「…………魔王が出る森なんて、確かに、危ない」
「それはごもっともだが、お互い様かな。ゼブブ嬢」
「…………ダルタニャン、どうして此処に?」
シルクハットを外し、木の上で軽くお辞儀したのは猫だった。
しかし、人型の猫は黒いブーツの似合うスマートな装い。
魔王ダルタニャン。それなりに名の知れた、そこそこの魔王は木から飛び降りた。
くるりくるりと二回転を決め、見事に着地した猫は、服をぱんぱんと払ってゼブブに顔を寄せる。
「オロバス君とのお茶会があってね」
「お茶会…………」
少し心惹かれかけたゼブブだったが、はっとしてダルタニャンを睨む。
「…………町の人はどこ?」
「やはり気付かれたか。こればかりは……流石に『君達』のせいではないかもね。安心したまえ。オロバス君には上手く伝えよう」
ざわわ、と森がざわめいた。
まるで怯えるように、震えるように走ったのは怯え。
ダルタニャンがぎろりと光らせた猫目から、逃れるように周囲に隠れていた沢山の気配は散っていった。
「お気付きの通り、あの町の人間は全て我々が隠してしまったよ。町で君達が見た人間は全員、この森に住む動物達が化けていたんだ」
「…………どうしてそんな事を」
「オロバス君の策は、深く探らない事にしているんだ。僕には答えようがない」
ダルタニャンがタン、と地面を軽く蹴った。タップダンスのような動作に深い意味はない。
「ゼブブ嬢。君はオロバス君の恐ろしさを知らない。今回の一件からは、素直に身を引く事をお勧めするよ」
「…………やだ」
「それは困るよ。そう言われてしまっては、僕が君の相手をしなければいけなくなる」
シルクハットを被り直し、タタン、とダルタニャンがステップを踏んだ。
ゼブブは表情一つ変えずに、いつの間にか右手に手斧を握っていた。
町の人を消し、動物達に演技させる。更に他の魔王と共謀し、何かを企んでいる。
その時点でオロバスは黒。分かりきっていたが、ゼブブが刃を構えない筈がない。
「これは怖い。バアルの秘蔵っ子相手に、イケメンだけが取り柄のイケネコが勝てるのか……」
シルクハットを下にずらして、口元だけを覗かせ、ダルタニャンは「にゃり」と笑った。
「僕に勝てたら、教えてあげよう。今回のオロバス君の狙いを、ね。ただし、もしも君が負けたら……」
「…………有り得ない」
「まぁ、聞いてくれよ」
タタタン、とステップを踏み、すらりと長い足を交差させ、ダルタニャンが手に一本のステッキを出現させた。
「君が負けたら、君の弱そうなお仲間を殺しに行くよ」
「……!」
ゼブブの表情が僅かに強ばる。
「ああ、妙な期待は抱かない事だね。召喚獣は今回は全く役に立たないと思った方がいい」
「…………何を企んでる?」
「色々さ。それよりせいぜい僕を森から逃がさない事だね」
タタタタタン! とステップを踏み、ダルタニャンが姿を消す。
ゼブブにも見抜けない、唐突な消失と共に、不敵な声が森に響いた。
『孤独な魔王にできた貴重なお友達だ。長生きさせてあげたまえ?』
魔王ダルタニャンが現れた!
イケネコ魔王、ダルタニャン登場!
噛ませ犬(猫だけど)っぽいように見えて実は……とかなったりするのかも知れない不敵な悪役です。