その名は……
クッション回。タカシ達は登場しません
魔王モーメンが目覚めたのは、乱入者達が全員立ち去ってからの事だった。
「……ふざけやがって」
空から落ちてきたパイモンに押し潰された彼だったが、決してあの一撃で敗れた訳ではない。
魔王と思しき二人と、マモンを同時に相手取る程無謀ではない彼は、敢えて倒れたフリをしていたのだ。
その能力は『夢想』。眠りながらも夢の中で自在に動き、気絶しようとも動き続ける、持久力のみならばトップクラスの魔王。それが魔王モーメンなのである。
「あいつら絶対許さない……マモンだって逃がすもんか……今に見てろよ~~~~!」
怒りに燃えるモーメン。
彼が目を開け、立ち上がろうとした時、ふと何かに気付いた。
どっと冷や汗が吹き出す。
そして、思う。
どうして今まで気がつかなかったのか。
眠っていたから? 気絶していたから?
そもそも『こいつ』はいつから此処に居た?
どうして『こいつ』は此処に居る?
「おーおー、ようやくお目覚めか? ったくよぉ、いつまで寝たフリぶっこいてやがんだてめぇは」
日を遮る黒い影。
大きさは普通の人間程度。
しかし、重圧は人間の比ではない。
モーメンは、とうとう背後の影を見上げる事はできなかった。
ただ、せめてもの抵抗として、その名を呟く。
「ぱ……パズズ……!」
グシャアッ!
モーメンは「ぷげっ!」と空気が抜けるような声を漏らした。
頭を地面にぐりぐりと押し付けられているのだ。
押し返せない。頭蓋にみしみしとヒビを入れる程の力が、モーメンを完全に制していた。
「パズズ?」
影は呟く。
「パ ズ ズ ?」
ゆっくりと、ゆっくりと。
「パ ズ ズ ?」
次第に力が強まっていく。
「わりいなぁ。耳がすっかり遠くなっちまったみたいで。もっぺん言ってくれねぇか?」
モーメンはガタガタと震えながら、絞り出す様に『訂正』した。
「パズズ……『様』……!」
「おー。モーメン君。元気してたかぁ?」
パズズ。
『風の魔王』と呼ばれる魔王。
その名は人間よりも、魔王達に怖れられると言われる、『最悪の魔王』。
「どうして……此処に……!?」
「どうしてって……マモンの縄張りに顔出したんだから理由は一つに決まってんだろ? それとも何か? 俺が此処に居ちゃおかしいってか? どうしてそう思う?」
モーメンは明らかに視線を泳がせた。
幸い地面に押さえ付けられ、その様子はパズズには見えていない。
言葉を選ぶように、モーメンは口を開く。
「……あ、貴方ほどの魔王が、広大な縄張りを離れて動くなんて」
みしり、と頭蓋が再び軋む。
しまった、とモーメンは思った。
「『此処も』だ」
パズズの声が低く沈む。
「俺の家も、此処も、お前の城がある森も、全部、全部、全部、全部、全部、全部……全部俺の縄張りだ。誰も縄張りから離れちゃいねぇ。お前は何を言ってるんだ?」
「す、すみません……すみません……!」
ぐっとモーメンの頭が持ち上がる。
耳元に、冷たい息が吹きかかり、ぶるりと身体を震わせる。
「ほら。言ってみろ。『私の縄張りはパズズ様のものです』」
逆らえない。
「わ、わたしのなわばりは、パズズ様の……ものです」
「おー、よく言えましたぁー。じゃあ、もう一声」
ぐいと更に顔を引き寄せられる。
次の瞬間、唯でさえ身動きの取れなかったモーメンは凍り付く事になる。
「『ドミナシオンの縄張りも、パズズ様のものです』」
「……!」
モーメンが敬愛するドミナシオンの名前を出して、パズズはにたりと口元を歪ませた。
屈辱に震える。
しかし、逆らえない。
でも、ドミナシオンも裏切れない。
踏み絵を強要されたモーメンは、乾いた唇をぱくぱくさせながら震えていた。
「……聞こえねぇなぁ?」
ごろんとモーメンの足元にボールのような何かが転がった。
「風の噂で聞いたんだが……ドミナシオンとその一派が、何やら怪しい動きを見せてるらしいぜ? なんとまぁ、目的は『大魔王の座』だとか」
見てはいけない。見てはいけない。
後ろは向けない。しかし、足元を見てはいけない。
転がったボールの正体を、モーメンは察していた。
「誰の許可を得てほざいてるんだかなぁ? なぁ、モーメン?」
「し、し……しし……」
「何を怯えてるんだ? ん? ……あぁ、あー! 何だ、安心しろよ。お前何か勘違いしてるって」
パズズの声が明るくなった。
パズズはモーメンを殺しに来た。
モーメンはそう思っていた。
しかし、違った。
という、……そんな淡い希望に縋り付くように、モーメンは泣きそうな顔でとうとう見上げた。
「俺、幽霊じゃねーから」
ぎょろりと見開いた目は、声色に反していた。
「ん? だったらおかしいよなぁ? 死んだ筈の……『お前らが殺せるつもりでいたパズズの奴』が生きて、此処に現れたときた。……あぁ~、そうかそうか。さっきの『どうして』は、やっぱりそういう事だったんだなぁ」
バレている。
そして、足元に転がっているものの正体は……
「こんな雑魚で、俺が殺せると思ったか? お前は、お前らは、俺を舐めてるだろ? なぁ、モーメンよぉ?」
「ち、ちが……ちが……!」
ぱっとモーメンの頭が解放される。
それと同時に、モーメンは一気にパズズから距離をとった。
「3ターン待ってやる」
パズズが三本の指を立て、ひらひらと手を振る。
「俺に攻撃してもいい。尻尾巻いて逃げてもいい。土下座して命乞いしてもいい。3ターンの間、俺は一切合切何もしねぇ」
にたぁ、と口を開いて、パズズはポケットに手を入れた。
「 楽 し ま せ ろ 」
モーメンの頭の中に、愚かな考えが浮かぶ。
チャンスだ。
あのパズズを討ち取るチャンスだ。
何もしないとパズズは言った。
油断しきったこいつに、一泡吹かせてやれるかも知れない。
パズズを討てば名が上がる。
ドミナシオンも褒めてくれる。
チャンスだ。チャンスだ! チャンスだ!! チャンスだ!!!
モーメンは迷う事なく逃げ出した。
本能が拒んでいる。
『あいつ』に刃向かってはならない。
あいつから逃げ果せる最大のチャンス、モーメンは一心不乱に羽ばたいた。
一気にマモン商事本社ビルが遠ざかっていく。
マモンの事などどうでもいい。
ドミナシオンの命を果たせないのも仕方がない。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。
パズズの気配は追ってこない。
本当に待つつもりだ。
今の内に距離を取れ。
そうすれば、パズズも諦めるかも知れない。
大丈夫だ。大丈夫。これだけ離れれば、いくらパズズでも追いつけない筈。
「時間だ」
どうして声が聞こえる?
「それがお前の答えか?」
耳元で囁く。
「…………つまんねぇなぁ」
胸の奥から何かが沸き上がる。
「死ね」
「ごぱっ!?」
パズズの『死刑宣告』と共に、モーメンは腹の内側から弾け飛んだ。
魔王パズズ。
通称『風の魔王』。
崩落するビルを遠巻きに眺め、パズズは邪悪な笑みを浮かべる。
「くくっ……想像以上に面白え」
刈り取った生首を足蹴にして、『最も大魔王に近い魔王』は遂に『魔王狩り』に興味を持った。
彼に目を付けられた事を、『魔王狩り』の愚か者達が後悔する事になるのは、もう少し後のお話。
何かと名前が出始めた、真面目そうな魔王パズズさん。
そして、早速退場するモーメンさん。
次回もう一話、魔王サイドのお話です。