見透かす者
マゴット篇完結です。
魔王バアルメヒティヒ。
当時、その名は全ての魔王の間で恐れられていた。
大魔王に最も近い魔王、そうとまで呼ばれた最強にして最悪の魔王。その力は他の魔王からも、この世の全ての存在からも一線を画していた。
しかし、バアルメヒティヒはある日突然消えた。
バアルという一族の中からも、多くの者の記憶の中からも、そしてその歴史の中からも。
彼女に何があったのか?それを知る者はほんの一握り。
彼女に精霊としての新しい道を与えた精霊王、彼女に忠誠を誓う魔王マゴット、そして彼女自身のみ。
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リベルは反撃はしない。ただただゼブブの攻撃を、「無効」の一言でかき消すのみ。動かずとも、見ずとも、聞かずとも、全てをただただ打ち消すだけ。
ゼブブの放った斧が消滅する。ゼブブの突き出した槍が指で受け止められる。
無数の攻撃は通用せず、リベルを動かすことも表情を変えさせることも適わない。
まさに圧倒的。
ゼブブは息を切らして、上空に浮かぶ姉、バアルメヒティヒ、精霊リベルを見上げた。
「疲れたかな?」
「まだ大丈夫。それよりもっとその能力を見せて」
「うんうん勉強熱心!やっぱり可愛いなぁゼブブちゃんは!」
まるで相手にされなくとも、ゼブブは冷静に、攻撃を繰り返しながらリベルを観察していた。
リベルが発する魔力の色、それをじっと観察しながらゼブブはその奇妙な動きを分析する。
斧の投擲。それに合わせて恐らくは能力発動の合図であろう「無効」という声。それと同時に、じわりとリベルから湧き出した魔力の色が、斧に染み込むように消えたかと思うと、斧の中の『何か』をかき消し、そのまま消失。
今までゼブブは実験的に、全然違ったタイプの攻撃や能力で、リベルの『無効』を誘発してきた。
「『念力』」
魔力を集中し、手のイメージを作り出す。そしてその手に魔力を注ぎ込みながらグンとリベルに向けて伸ばす。
それがリベルに掴み掛ろうとしたその瞬間、ゼブブは意識を手から切り離し、すぐに目に意識を集中する。
「『無効』」
ぬるりと湧き上るリベルの魔力。それが魔力の手に絡みつく。
…………実験の最終段階。純粋な魔力で構成したその手がかき消されるのを見て、今までの現象の分析を終えたゼブブは、とんと地面を蹴り上げて、宙に浮かぶリベルに飛びかかる!
そして振りかざしたののは平手。まるでビンタでも叩き込むような体勢。
「可愛いねえ。ここにきて平手打ち攻撃とは……ま、可愛い攻撃でも受けてあげないけど……ねっ!」
これは実験の最終段階。ゼブブは無数の試行から分かった情報を元に、組み上げたその技術を実践に移す。
「『無こ」
言いかけたリベルは、そこでゼブブの笑みに気付く。その時には既に遅い。
「『無効』」
ゼブブはそっくりそのまま同じ言葉を発する。それを目にした途端、リベルは楽しそうに、嬉しそうに、歪んだ笑顔を浮かべた。
「…………そう!それだよ!」
パチン!
頬を打つ平手。それを受けて、『無効』を見事に『無効』にされた、リベルは、バアルメヒティヒは、……腕を振り抜いたゼブブの体を、ギュッと抱きしめた。
「まだまだ完璧からは程遠いけど…………分かったかな?」
「…………うん。…………仕組みだけは、ね」
「流石は私の妹!…………そして、ゼブブちゃんの今ので……全員、見事……『解放の試練』、合格だよ」
こうして、意外なまでにあっさりと『解放の試練』は幕を降ろす。
リベルが「無効」と囁くと、周囲の景色は崩れ落ちるようにその形を変えていった。
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「さて、そろそろお目覚めかな?」
タカシが目を覚ましたのは、ベッドの上だった。
木製の小屋の一室、ベッドがずらりと並ぶその部屋には、全員の様子を眺めるように、揺り椅子に腰を掛けた青髪青眼の女、リベルが居た。
「……あれ?寝てたっけか?」
「ああ、寝てたよ。今までの試練、全部夢オチだ」
「……マジで?」
「マジだよ。…………だが、安心していい。『感覚』は頭の中に、その体に残っているだろう?」
タカシに続き、他のメンバーも続々目を覚ます。その様子を確認すると、リベルは「よっこらせ」と見た目の若々しさを感じさせない声を漏らして、揺り椅子から腰を上げた。
「朝は紅茶派?コーヒー派?それとも可愛くジュース派か?ちなみに私は熱々の緑茶派だ」
リベルは部屋から出る際に、ふっと不敵な笑みを浮かべてその美しい横顔を向けた。
「……さて、夕食の時間だ。用意は出来てるよ。もう夜だよ全く。長々と寝やがってこの暇人どもめ」
「今の朝は何派のくだりはなんだったんだ!?それに最後の悪態はなんだ!?」
「ジョークだよジョーク。さ、汗をかいたならお風呂も沸かしてるし各自好きなように休むといい。ただし、夕食は全員でだよ」
「……めっちゃ親切だな、精霊」
親切な精霊、リベルに言われるがままに、一同はそれぞれ試練の疲れを癒すようにゆっくりと休んだ(眠っていて殆ど疲れはなかったが)。
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しばらくの休息。そして、夕食の時間。リベルの用意した食事はそれぞれ各人によって違っており……
「どうかな?私なりに君達が今、欲している好物を用意したつもりなんだけど」
「…………マジか」
それぞれがピッタリ求めていたものが並べられていた。
一家に一人、是非是非欲しい気の利く精霊リベルさん。
「それでは皆さんご一緒に」
リベルの号令で、席に着いた一同も声をそろえてご挨拶。
「いただきます!」
リベルの用意した夕食は見栄えも良く、味も相当のものだった。
「さぁ、たんと食べてくれ。……夜も遅いし、今日は泊まって出発は明日の明るいうちにするといい。とりあえずは今、食事と会話を楽しもう」
満足げに食事に感激の表情を浮かべる一同を見て、それなりに嬉しそうに微笑みながらリベルは言った。
その様子を見て、ふとむくちゃんが抱いた疑問。
「随分と親切だが……何か企みでもあるむきゅ?」
『むくちゃん!良くしてもらってるのに何言ってんの!このクソ生意気な肉饅頭が!』
「肉饅頭!?」
「あはは。いいよいいよミリーちゃん。肉饅頭君の心配もごもっとも」
「肉饅頭はやめろむきゅ!」
「でも大丈夫。毒を盛ったりはしてないから。そんな事をするつもりなら、さっき寝てたときに手を出してる。そう思わない?」
リベルは怪しい笑顔をうかべる。
「……まぁ、寝てる間に悪戯はさせて貰ったけどね」
「何!?」
「……いや、ちょっと服を脱がしてね……ちらっと。ちらっとだけ。いや、大丈夫。私は男の子でも女の子でも、子供でもお年寄りでもイケイケだから……」
「!?」
「………………気持ち悪い冗談やめて」
「気持ち悪い!?…………ごめんなさい。ちょっとした冗談だよ」
リベルの冗談に全員ドン引きで顔が笑っていない。
「…………やめてくれ。そんな目で見ないで。悪かった。変な冗談言って悪かった。ずっと此処に篭もりきりだから外のセンスがわからないんだもの。勘弁して」
リベルが軽く焦る。
「…………と、ところで試練はどうだったかな?感想とかない?」
咄嗟の方向転換。これには全員が乗っかった。
「俺の編み出した必殺技は凄いぞ!もう負ける気がしねぇ!」
「俺もそれなりに感覚は掴めた気は……まぁ実戦で試さないと何とも」
「……ある程度の方向性は見えたむきゅ」
『これからは私も思いっきり戦えるよー!すっごいの出せるようになったんだから!』
「………………いい力をもらえたと思う」
口々に試練の成果を語る一同。しかし、それぞれが勿体ぶるようにその内容は語らない。それはサプライズ的な意味もあれば、今はまだ完成系でない、ほんの入口部分だと判断して自重しているなど、意味合いは違うようだ。
しかし、一人だけ、食卓に居るときから暗い表情を見せていたアリアは、何一つ言葉を発しない。それに気づいたレイはふと尋ねる。
「アリア?調子悪いのか?」
「……え?いえ、別に。全然大丈夫ですけど?」
「……ならいいが」
レイの気遣いを受けて、アリアは何事もないかのように笑顔を返した。自然に、本当に何事もなかったかのように。
その様子を見て、リベルは怪しく微笑む。
「ま、みんな充実した経験が出来たのなら何より。もっと、もっと精進してくれたまえ」
この話をきっかけに、食卓には明るい空気が戻る。
そして何事もなかったかのように、夜は更けていく。
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出発の朝。小屋を出たそこは森の中。入口すぐには道が伸び、その先にはすぐに魔王マモンの城に至る整備された道が見えている。
「こんな場所にこの小屋あったのか……もっとこの横道長かったような……道もこんなものじゃなかったし」
「ああ、あれ幻。君達が潜った扉も、そこらに転がってた死体も、全部ね。演出だよ」
最後に入口を出てきたリベル。その口から語られた事実に、一同は今更驚くこともない。
「まぁ、緊張感欲しいしね?やっぱり試練を預かる身としては、キッチリバッチリこなしたい訳で」
「真面目だなぁあんたは。何処かの精霊とは随分と違うな」
「だからあの不良と他の精霊全部を一緒にしないでくれよ。大半は真面目に試練を執り行ってるさ。ま、挑戦者からしたらああいう適当な奴の方が楽なんだろうけどね」
リベルは呆れたような表情で首を振りながら苦笑する。
実際、リベルの課した試練により、得たものは大きかった。そして、終わってみればかなり親切に接して貰ったとも言える。
「ありがとな。為になったわ。それに飯までご馳走してもらって」
「いやいや。騙して寝かして幻覚を見せていたお詫びみたいなものさ。気にしなくていい」
「本当に良い人だな」
「そう見えるかな?」
リベルの怪しい微笑みに、少しだけタカシは身震いした。親切な美人。しかし、どこか暗く不気味な闇を秘めている……そんな感覚。
その感覚を気のせいか、と有耶無耶にしたタカシに、リベルはくすりと笑い声を漏らして腕を伸ばした。
「……期待してるよ。魔王討伐、頑張ってくれたまえ。また暇だったら会いに来てくれると嬉しいな」
「あ、ああ」
伸ばされた手を握り、握手する。
「……願わくば、全ての魔王を倒した後に……この私を倒しに来て欲しいものだね」
「……今なんて?」
「……なんでもないよ」
ぼそり、と呟いたリベルの一声は、誰にも届くことはなかった。
「じゃ、元気でね。無理は禁物だよ。驕りはダメ。まだまだこれから、生涯未熟の精神で、油断せずに精進を続けるように」
手を振り、リベルが子供を送り出す母のように優しく微笑む。タカシ達は口々にお礼の言葉を告げて、道を進み出す。
最後に頭を下げて感謝の言葉を贈るアリア。しかし、リベルは最後に一人だけ、アリアにだけ顔をぐいと寄せて囁いた。
「…………然るべき時が来たら、私は君の傍に行くから。その時はよろしく頼むよ。もしかしたら、私の可愛い妹の命が懸かってるかもしれないからさ」
「……え?」
きょとんとするアリアの額に、リベルは優しくキスをする。
「……その時、君は本当の解放の試練に向き合うことになる。でも大丈夫。きっと乗り越えられるさ。…………ま、辛いその時まで、覚悟を固めておくといい」
ぽわりとアリアの額を伝って、不思議な光が流れ込む。するとアリアが見せていた怪訝な表情は忽ち消え、何事もなかったかのように笑顔を浮かべてさえいた。
「ありがとうございました!」
「ええ、どういたしまして」
そして、何事もなかったかのように、背中を向けて、今まで通りに進み出す。
それを見送るリベルの顔は、何とも言えないほどに不気味に、どこか楽しげに歪んでいた。
「……あっしにはあんたって人が理解できないですよ」
そんなリベルの肩に沸くのは、白黒茶色、不気味なまだら模様を作り出すもぞもぞ動く塊。それは小さな虫の集まり。
「姉御の目的はなんですか?自分を倒して欲しいと言ってましたが……自殺願望でもあるんですかい?」
「やだなぁ、私はそこまで生きることに絶望していないよ。アレはほんのジョークさ」
「……じゃあどうして魔王を辞めて、他人の能力を目覚めさせるなんてことを?」
リベルは笑う。いつでも笑う。
その裏にある感情は、他の誰かにはわからない。
「感謝されるのが大好きなだけさ。そしてちょっとした友達が欲しいだけさ。魔王には似合わないと言われるがね。願わくば、彼らがまた私の元を訪れますよう……乙女な私は明日から、お星様にお祈りするよ」
「乙女(笑)」
「オイコラマゴット。お前、後で殺虫剤の海に沈めてやろうか?」
「すみませんでした」
それはまごうことなき真実。心を見透かすマゴットは、その本心に驚いた。
……この人は、本当に何処から何処までが本気なのか分からないな。
親切で、少し淋しがりやで、お節介な元魔王、現精霊のリベル。
結局の所、彼女の目的というのは……
「……ま、私は見えないものが見えるからこそ見てられないんだよ。才能があるのに、それを埋もれさせている者がね」
大した目論見も、大した裏もない、純粋なもの。
「だから私は手助けできる精霊になった。……いやぁ、気持ちいいものだね。才能が有効活用されているのを見るのは」
「……変わり者だなぁ、姉御は」
「私を手伝うお前も相当だけどね、マゴット」
例えるならば、育った我が子を見送る母親。独り立ちする我が子を見送る、満足感と寂しさ。
魔王バアルメヒティヒが、そして彼女をおかしいと呆れる魔王マゴットまでもが、溺れてしまったのはそんな感情だったで……
今日も変わり者の元魔王達は、愛しき我が子を見送るために、怪しい看板立つ横道で、試練を受ける者を待っている。
見透かす者=リベルとマゴット
実は母性愛に溺れただけの、実に優しい魔王様、それがリベルことバアルメヒティヒさんとマゴット。
成長した試練挑戦者をニヤニヤしながら見送るのが大好き、そんな二人の元魔王様だったとさ。
これにて修行篇は終了。
アリアの過去と謎、そして目覚めた一同の力は後に隠して、次回から再び魔王討伐の旅に戻ります!
次の魔王は名前がちょくちょく出ていた魔王、マモン。次回からは「強欲の魔王マモン篇」に突入です!
ところで、章タイトルに名前が出ているのに、いまいち目立たなかった元魔王のマゴットさん……その正体は小さい虫の集合体です。
彼(彼女?)の名前が章タイトルな理由は、ただ単にリベルは精霊だから……ってだけですw メヒティヒさんだとネタバレになりますしねw
ちなみに二人とも既に魔王の座を放棄しているので、魔王討伐の対象には入ってません。