放浪の魔王
二人の魔王がいた。
拮抗したその力は、しかしそれ意外に並ぶものは無く、『最強』の呼び名に恥じない桁違いのものだった。
二人の魔王を、人間と魔族は畏怖の念を込めて、『大魔王』と呼んだ。
一人の魔王が生まれた。生まれながらにして成体だったその魔王の額には禍々しい渦巻く角。それはその比類無き力を象徴していた。
魔力を知らぬ子供でさえも震えるその魔力。しかしその魔王が知られたのは、彼が生まれて数年後の事だった。
人も魔物も近寄らぬ灰色の砂漠、砂の穴。
生まれた魔王は其処で自我を形成した。寂しく、たった一人で。
そして目覚めた魔王は穴を出る。
魔王は人の里に立った。
手を差し伸べた魔王を人は刺した。
全員死んだ。
魔王は次に魔族の森を訪れた。
語りかけた魔王を魔族は斬った。
全員肉片になった。
何故、俺を拒む?
魔王は美しい花に優しく手を添えた。
花は震え散り落ちた。
何故、俺をそんな目で見る?
勇者が魔王を倒しに来た。
全員恐怖に震えながら地面に沈んだ。
俺が悪いのか?
二人の大魔王は手を結び、魔王を消しに来た。
大魔王サタンの拳を右手で掴んだ。
大魔王バアルの剣を左手で折った。
何故怯える?
右と左の二本の腕が、それぞれ二人の大魔王の右腕、左腕をもぎ取った。
その日から、俺は全ての存在の敵となった。
何故?何故?何故?何故?何故?
何故俺に牙を剥く?俺は手を差し伸べただけなのに。
何故勝手に壊れていく?俺は語りかけただけなのに。
何故、俺ハ嫌ワレル?
「強すぎるからですよ」
強すぎるから?
「貴方は大きすぎる。『出る杭は打たれる』、ずば抜けて大きい力を持った者は疎まれる運命にあるのですよ」
運命?運命?運命?運命?運命?
そんなもののせいで?
ダッタライラナイ。コンナチカラ。ダッタライラナイ。コンナウンメイ。ステル。ステル。ゼンブステル。
名乗るだけで大地が震え、空がなく、そんな名前ももういらない。
だから俺は封をした。
大きすぎる自分の力に。
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「俺は生まれながらの『悪』。俺は生まれながらの『異物』。俺の名前は人を殺す。俺の力は世界を殺す。俺の存在は全宇宙を殺す。それが俺の本当の姿」
『……』
ミリーの微妙な表情。
何となくだったが、むくちゃんは察した。
「……お前、今の話、理解してないだろ?」
『……し、してるよ?魔王だったんでしょ?』
「お前には別の意味で話したくなかった!」
むくちゃん、今更後悔!
そして僅かにこんな相手を信じようとした数分前の自分を責める。
「だったら見せたほうが早い……俺の力の一端を見せてやる」
むくちゃんは自らの意識内に潜在する666の袋の内の一つを紐解く。
ああ懐かしき感覚。
誰も居ない暗闇の中、語りかけてきた声の事を思い出す。何だったか、この声は。酷く不愉快だったが、唯一敵意を俺に向けなかったその声。理解されない事を教えてくれたその声だ。
忌まわしき記憶と共に、むくちゃんの……禁忌の名を持つ魔王の666分の1の力が目覚めた。
ミリーは思わず身震いした。
むくちゃんの眼が僅かに黒い濁りを含んだかと思うと、その内包する魔力がみるみるうちに膨れ上がったのだ。
ミリーが見てきた魔王達。ドッペルゲンガーは魔力の量はまだ少なかった。ゼブブは大きいが、静まり返ったように落ち着いた雰囲気があった。パンプディングは巨大な中に得体の知れない渦巻きがあった。
むくちゃんの魔力は、途方もなかった。それは明らかに今までの魔王の魔力量を上回っている。そしてその魔力は、まるで底の見えない深い穴のように、深く深くその小さな体の更に奥まで繋がっている感覚を秘めている。
ミリーにも、それが『一端』であることは容易に理解できた。
「震えているぞ?やはり俺が怖いか?」
顔面蒼白、真っ青な唇を震わせるミリーを深い闇を秘めた瞳が捉える。
「魔王の怖さ、ようやく分かっただろう?これでもまだ……お前は俺に関われるか?」
ミリーは威圧的なその瞳に、遂にはその目に涙を溜め初めていた。言葉を吐けない。そんなミリーに背を向けて、むくちゃんはようやく踏ん切りがついたかのようにその場から離れようとした。
その時、その小さな器にするりと冷たい腕が巻き付く。
それは慣れた感覚。まるで自分をぬいぐるみのように抱き締めるような感覚。
名も無き魔王は初めてその鼓動を高鳴らせた。
『怖いよ……』
震える透き通った手。その主の言葉にビクリと身を震わせる。憎まれ口はもう飛んでこない、何故かそれを口惜しく思う自分に名も無き魔王は疑問を抱く。
怖がるな。今更そんな言葉が、何故口をつきそうになる?
しかしミリーは期待を裏切った。
『怖いよ…………ずっと前から』
「……え?」
意外な言葉にむくちゃんは声を漏らす。ミリーの震える声は、普段の間の抜けたような明るさを思わせないものだった。
『魔王が怖いなんて……言われなくても知ってるもん。…………こんな体になった時から』
曖昧にしか聞いていなかった事情をむくちゃんは思い出す。魔王の最強の手下を前にして、ミリーは命を賭してタカシを召喚したという。その結果、この透き通った人ならざる姿になった、それは知っていた。
しかしその重さまでは考えていなかった。
それほどに、ミリーは明るく暗いものを感じさせなかったのだ。
しかし平気な訳がない。人とズレた存在となり、知る者意外には知覚すらされない……
忌避される魔王よりも、それはさらに孤独。
『私、バアルベリトのお城でね、みんなが殺されちゃうかと思った……』
むくちゃんも長年世界を見てきて知っている。確かにバアルベリトは強かった。それこそ、今の時代においてむくちゃんの見立てで『最強』と呼べる魔王の一人に数えられる程に。並の人間など楽々ねじ伏せるだろう。『絶望』、その一言が似合う魔王だった。
『とても怖かった。後悔もした。どうして魔王と戦おうとしたんだろう、って』
むくちゃんは少し誤解していた。あまりにもデタラメなタカシ。そのパーティーに居て、明るく振る舞うミリーは怖いもの知らずのアホだと思っていた。
しかしミリーはあの化け物とは違って強くない。自分より強く恐ろしいものを知っている。
『あはは……正直トラウマだよ。一度死んだようなものだし……魔王が怖くてたまらなかった』
ベリトを倒した後から見てきたむくちゃんも知っている。
何だかんだで会った魔王はアホみたいなのばっかりだった。それが辛うじてミリーを支えていたのだろうか?
『……でもね、あのね、むくちゃん……私、全然むくちゃんのこと、怖くないよ』
どくんと胸がなる。
『だって、いっぱい喧嘩してるもん』
……確かにしてるな。下らない位に。
『本当にむくちゃんが怖い魔王だったら、私、殺されちゃってるよ』
一緒にいた時間をむくちゃんは思い出す。……こいつマジぶっ飛ばしてぇ、と思ったことがあるのは黙っておく。
『話ちょっとだけ分かったよ。むくちゃんは多くの人を傷つけたけど……嫌だったんだよね?』
見透かされる。否、『気付いてもらえる』。
『だからそんなカビ饅頭みたいになって、力を押し込めて、あんなところでみんなと仲良くしようとしてたんだよね』
さりげなくカビ饅頭は辞めて欲しい。
『むくちゃんは、友達が欲しいだけの寂しい奴なんだよね?』
その言い方は辞めて欲しい。間違ってないけど辞めて欲しい。
『私はむくちゃんの友達だよ』
かぁっとむくちゃんの白い体が赤くなる。何言ってるんだこいつ。何言ってるんだこいつ。心の奥底でむくちゃんは繰り返す。
『だから………………』
だから?もたれかかるようなミリーの体。むくちゃんの心臓がバクバク弾む。
『腰抜かしたから置いてかないでぇ!』
「……え?なんて?」
むくちゃんは思わず聞き返した。
『だから!お前が!脅かしたせいで!腰抜かしたの!友達なんだから!置いてかないで!運んでよ!みんなのとこまで連れてって!責任取れ!』
おいいいいいいいいいいッ!!
似合わないこと言うと思ったら、困ったから媚びてただけかいッ!
ビービー泣き出すミリー。
『置いてかないでぇ!私、他の人に見えないから置き去りにされるぅ!みんなあれで結構非情だから忘れられるぅ!』
「……プッ」
『笑うなぁ!』
パンプディングの城で迷子になった時のことを思い出す。
ゼブブは探しにきたが、何だかんだでお菓子に釣られてミリーや俺のことを忘れてたからなぁ。
確かに放っておいたら置き去りにされるな。
そもそもこいつらが頼りないから俺は後始末の為に正体を晒さなきゃならなくなったのだ。
全く……
「……世話の焼ける奴だ」
俺が見ててやらないと、こいつ気付いたらいなくなってそうだな。
そう思いつつ、むくちゃんは溜め息をつく。
「調子戻るまで待っててやるから離せ」
『やだ!そう言って置き去りに!』
「するか!……ったく。だったら抱えてろ。寄りかかるな」
『そうする』
ミリーの寄りかかる力が抜けて、ぎゅっと締め付ける力が加わる。
「締まってる!ゲホッ!チカラ強すぎ!緩めろ!」
『行かないでぇ~……!ふええ……!!』
マジ泣きし出すミリー。なんかこいつ置き去りの方が魔王よりトラウマになってないか?
……と思いつつ、何故か「行かないで」という言葉にドキドキしているむくちゃんは、自身の感情が理解できずに、キツイ締め付けに身を任せる。
俺は考え過ぎなんだろうか?こいつらアホだから、案外大丈夫なのかもな。いや、それ以前に、あいつら……なんか放っておいたら危なっかしいな。
妥協しかけるむくちゃん。むぅ、と唸り目を閉じる。
ゾワッ……!!
背筋に嫌な悪寒が走る。
その瞬間、むくちゃんの体は放り投げられていた。
「……ほう」
地面に落ちたむくちゃんが見たのは、彼を庇うように振り下ろされた刀を手から放つ不思議な念動力で受け止めるミリー。そして刀を振り下ろす、黒衣の男だった。
「流石に気付かれたか」
「『黒い男』……!?」
ゼブブの従者、ホロから聞いた『魔王殺しの男』を思い出す。黒い男はその目を赤く光らせ、にやりと笑う。
「お前から膨大な魔力を感じた。てっきり魔王狩りの勇者かと思ったが……まさかの収穫だ。お前、魔王だな?」
「お前は……?」
黒い男が刀を引く。そして構えて名を名乗る。
「俺は魔王クロード。……全ての魔王を仕留め、大魔王となる者」
魔王を仕留める、その言葉で確信する。こいつこそが、もう一人の魔王殺し、黒い男であると。
「パンプディングは仕留め損ねたが……お前は逃がさない。我が糧となれ……」
『逃げてむくちゃん!』
突然の黒い男、魔王クロードの襲来に、真っ先に反応したのはミリーだった。
咄嗟の行動、ミリーは未知なる力を行使する。ミリーが睨んだその瞬間、ぼんやりと光がクロードを包み込む!
ミリーの金縛り!
「む……?」
クロードが顔をしかめる。
「お前、何して……!」
『ノリでやったらなんか出来た!』
「馬鹿!そうじゃない!!そいつに手を出すな!」
むくちゃんの声に、ミリーは顔も向けずに答える。
『大丈夫!どうせ私は見えないから!私が邪魔してる間に……タカシ君達呼んできて!』
「馬鹿!俺の事は放って置け!」
『だってむくちゃん弱っちそうだもん!放って置けないよ!』
「弱っ……!?お前話聞いてたか!?俺は魔王……」
『「元」でしょ!』
むくちゃんはその一言に驚き、目を見開く。
「……邪魔をするなら……お前も殺すぞ?……亡霊ッ!」
『え……!』
クロードは光を振り払い、その銀の刃を走らせる。その刃はミリーの腕を掠める。
『あッ……!』
「ミリー!」
ミリーの腕に刻まれた傷から光が零れる。苦痛に顔を歪ませたミリーはその場に崩れ落ちた。
本来、ミリーは透き通った体に見合って、体を物質がすり抜ける。自分の意思で多少触るなどは出来るようだが、普通はあらゆる物理攻撃も通さない。
しかし刀は確かにミリーを斬りつけた。そしてそれ以前に、クロードはミリーを見抜いた。
冷たいクロードの瞳がミリーを射抜く。
「見えないと思ったか?残念だったな。俺の眼は……全てを見抜く。幻も、弱点も、不可視の存在さえも。全てを斬るために」
クロードの銀の刃がぎらりと光る。
「そして我が牙、『銀月』に……斬れぬモノはない!それは例え堅き鋼鉄でも、目に見えぬ存在でも、人の心であっても!」
クロードは刀をミリーに突き付け冷たく微笑む。
「お前の中に、奇妙な繋がりが見える。これは……強い力?そうか、この力が……魔王殺しの勇者の力か」
クロードの冷たい声に、ミリーがビクリと肩を震わせる。
「お前を殺せば……そいつは釣れるか?」
むくちゃんは反射的に飛び出そうとする。しかしそれを素早く制するミリーの声。
『大丈夫!早く逃げて!』
「な……!」
何が大丈夫なものか。
『私、分かるの。私は絶対に死ねないって。タカシ君を向こうに返すまでは……私は絶対に消えないって。「何か」がそう教えてくれるの』
ミリーの声は震えている。しかし、まるで強がるかのように、むくちゃんに向けたその顔は微笑みを浮かべていた。
『大丈夫……早く逃げて……むくちゃん』
「死ねない?面白い……その不可能も、俺は斬る!」
振り下ろされる刀。
大丈夫な訳ないだろうが。そんなに怯えて泣いてるのに。全く……世話の焼ける。お前はその体になった時も、そうやって仲間を庇ったのか?
するり……
三本の紐を解いた。三倍の力が目を覚ます。
222分の1、しかし十分。
『魔王じゃない』むくちゃんには、これ位が丁度いい!
ぱしり
目をぎゅっと結んだミリー。何時までも届かない刀。不審に思い、ミリーが恐る恐る目を開く。
「これが俺の……『むくちゃん』の本気モードだ……むきゅ。可愛いもんだろむきゅ?」
『……全っ然……可愛くないよっ……!』
其処には黒い球体。眼を赤く光らせ、中に黒い闇を渦巻かせる愛玩魔物。全く可愛くない魔力量を溢れさせながら、斬れぬものの無い刀を頭で受け止める、黒いむくちゃんが居た。
「さて……クロードと言ったなむきゅ。覚悟しとけむきゅ」
「……面白い面白い面白いッ!なんて魔力量!お前を倒せば俺は一気に大魔王に近付くッ!」
「勘違いするなよ雑魚が……むきゅ」
「本気の俺は、全く可愛くないぞむきゅ?」
『元々でしょ……!』
「……黙れ悪霊……むきゅ」
もう恐れない。むくちゃんは迷わず力を解放する。
本当に、俺の力を恐れていたのは……俺自身だったのか。
名も無き魔王ではない、元魔王の愛玩魔物むくちゃんが、動き出す!
魔王クロードが現れた!
魔王クロードと対決!むくちゃんの本気が発動する!?
次回、放浪の魔王クロード篇完結!
ゼブブ「アホな魔王……」
タカシ達、呑気に観光してる場合じゃないよ!