僕は狼だ
お前は狼の子だよ。
父のいない少年は、そう言い聞かせされて母一人に育てられた。我が子にできることなど、それしかこの母にはなかったからだ。
少年は父がいないが故に、いや父親が誰だか分からないが故に、村で虐められていた。
せめて強い子に育って欲しい。母一人では育てるだけで精一杯だ。せめて心だけでも、狼のように強くなって欲しい。
母はその願いを込めて、お前は狼だよ、狼の子だよと少年に言い聞かせる。
少年は外に出ると、いつも泣きながらボロ小屋に帰ってくる。
外に出しておけば虐められると分かっていたが、母の稼ぎの場に置いておく訳にもいかない。
少年は家にも村にもいき場がなく、己を狼になぞらえてることで何とか心強く生きた。
少年の母が死んだ。
母の亡がらを荼毘にふしてしまうと、少年は一人になった。
村の誰も、少年を引き取らなかった。
村の残り物をあさって少年は生きる。生きる為に人々の捨てたものを拾う。
その様は村人に犬だ、野良犬だとあざけられた。
僕は狼だ。狼の子だ。
少年は言われる度に村人に突っかかっていく。それは譲れないことだったからだ。
母はそれしか残してくれなかった。だから己が狼であることは、決して譲ってはいけないことだった。
僕は狼だ。仲間だっているんだ。
仲間など口からのでまかせだ。もちろん村人も助けにこない。少年は一人で立ち向かい、その度に多勢に無勢で返り討ちに合った。
僕は狼だ。狼の子だ。仲間だっているんだ。
そう思い込んだ少年は――
「狼がきたぞ!」
少年はやがて嘘をつくようになる。
それは仕方がないことだったのかもしれない。
少年は狼だ。人間は助けてくれない。人間に仲間などいない。
だから助けてくれる仲間は、同族の狼のはずだったからだ。
「狼がきたぞ!」
それは初めはただの強がりだった。村人も最初は驚かされた。
皆が慌てふためき家畜を守ろうと家を飛び出した。
それは少年が初めて手に入れた勝利だった。
少年の言葉で、右往左往する村人達。その様は群れないと何もできない、家畜そのものに少年には見えた。
そう、村人が家畜なら、その脅しをかけた少年は狼だ。家畜を脅かす狼だ。
「狼がきたぞ!」
少年は味をしめ、何度かその嘘を繰り返す。
いや、少年はそれを嘘だと思わない。少年こそが狼だからだ。
少年は村中を狼がきたと叫びながら走り回る。狼になって、逃げ惑う村人の様を想像して駆け回る。
「狼がきたぞ!」
だがそんな幼稚な嘘が、いつまでも通じるはずがない。
村人はやがて少年の嘘に慣れ、呆れて無視するようになった。
所詮子供悪戯だ。相手をするだけ調子に乗るだけだと、相手にしないことにした。
大人達はそうだ。だが若い衆は違う。
生意気だ何だと、少年を追い込み囲んでしまう。
少年は狼として立ち向かう。だがやはりやられてしまう。
ある日少年は血塗れになって村から放り出された。
少年は山に逃げ込んだ。血に滑る足を引きづりながら、森の中に逃げ込んだ。
少年は未だ口中に溢れ出る血を、そこら中に吐き散らしながら森の奥へと入っていく。
ほとぼりが冷めるまで、少年は森の木に背中を預けて身を横たえるつもりだった。
だが山の空気は冷たい。ほとぼりよりも先に少年の体が冷えていく。
少年は痛む体を押して山を下り始めた。
夕闇が迫り、村人は皆家に帰っていた。
「狼がきたぞ……」
その温かな光を見ながら、少年は唇を噛んだ。
そして僅かばかりの勝利をもたらした言葉を、少年は口中で呪文のように繰り返す。
もちろんそんな呟きのような言葉は、誰の耳にも届かない。
僅かばかりに警戒に耳をそばだてたもの達がいるだけだ。
「狼がきたぞ!」
少年は村の中心で叫びを上げる。
誰も応えない。今度は聞こえただろう。だが誰も応えない。
「狼がきたぞ!」
まるで最後の力を振り絞るように、少年は肺腑の限り叫び上げる。
応えたのは森からつけてきた――少年の血の匂いに惹かれた獣だけだった。
少年は背後から襲われた。獣に首筋を噛みつかれ、一瞬で致命傷を負う。
「狼がきたぞ!」
だが少年は吹き出る血とともに、その叫びを上げる。
僕は狼だ。
少年が最後までそのことを信じていたかどうかは分からない。
少年の最後の叫びを聞いたはずの村人達。彼らは人間の血の味を覚えたその獣達に、その住処をやがて追われたからだ。
そう、少年の血肉を己のものとしたその獣達に――