月夜に踊る ②
四カ月ほど前のことだ。
普段は由良一人しかいない文芸部に、めずらしく部員がそろった。幽霊部員とは言っても、別にお互い仲が悪いわけじゃない。部室にはめったに顔を出さないが、それぞれマイペースに活動している。
そのうちの一人が、今度新人賞に出す短編を書いているという話になった。ジャンルはミステリ。古今東西のミステリの話で盛り上がり、さらにはSF、オカルトと話は広がった。久々のにぎやかな部室に、由良も少しはしゃいでいたのかもしれない。
その話の流れの、ほんの余興みたいなものだったのだ。
紙に書かれた言葉を見ずに当てるという、単純な手品。
由良が披露してみせたその手品で、その日の文芸部は大いに盛り上がった。もし由良に日記をつける習慣があったら、その日はいつもより筆が進んだに違いない。そして、その一日は高校生活の青春の一ページとして、良い思い出で終わっただろう。
しかし、事態は由良が思いもしなかった展開になった。その場限りのお遊びだったはずのそれを聞きつけて、翌日、D組のやつらが文芸部に乗り込んできたのだ。
「D組っていうと、阿部と町田と木下か?」
「それと日浦な。おもしろい一発芸があんなら見せてみろって言ってさ。突然部室におしかけてきた。連続五回も付き合わされたけど、最初はまあまあにぎやかにやってたんだ。だけど」
誰かが賭けをしようと言い出して、空気が変わった。
その場の一人がメモを書いて、由良がそれを当てられるかをまわりのやつらが賭ける。
ただの遊びだったはずのそれは、賭ける金額が上がるにつれて単なるゲームではなくなってしまった。
「それからはあいつら、毎週のように文芸部に来るようになった。さすがに俺もうんざりしたよ。あんなこと始めなきゃよかったって後悔した」
浅茅が同情の目を向ける。
「そりゃ鬱陶しいな。そんなん、はっきりと来るなって言えば……言えるわけねえか、お前は」
「そ。向こうはスクールカースト上位の陽キャ様だ。根暗で陰キャな教室すみっこぐらしの文芸部員が意見を言える相手じゃない」
「そこまで言ってねえよ。お前は、あー、あれだ、クラスではちょっと口数が少ないサブカル系男子なだけだ」
「雑なフォローどうも」
「礼には及ばん。それで? 今もそれは続いてるのか?」
浅茅の声がぐっと低くなった。さっきまでのふざけた雰囲気とは違う、風紀委員の顔だ。
校内の秩序を乱すやつは許さない。真面目で誠実な、誰からも信頼される風紀委員長。
だからこそ、由良は浅茅に話せなかった。ただでさえあれこれと校内の雑事を抱えている友人に、余計な負担はかけたくない。単に説明が面倒だという理由も半分くらいはあったが。
ため息をついて両手をあげると、由良は笑みを浮かべてみせた。
「いや、今はやってない。ひと月くらい前に解散したよ」
浅茅の眉がぴくりと動く。
「本当だ。今の文芸部は静かなもんだよ。嘘だと思うなら来てみればいい」
「別に疑っちゃいねえよ。それじゃ、今は賭け事には関わっていないんだな?」
「ああ」
「脅されたり、嫌がらせもなしか?」
「まったく。平和なもんだ」
「そうか」
長く息をはいて、浅茅はイスの背にもたれかかった。ガタイのいい浅茅の身体を受け止めて、背板がぎしりと悲鳴をあげる。
おちゃらけているように見えて、一応、心配してくれたんだろう。友人の気遣いに、由良は頬をゆるめて笑みを浮かべた。
「悪いな、心配かけて」
「まったくだ。けど、まあ、何事もないならよかったよ」
安心したように笑って、浅茅は続けた。
「一応、D組の連中には釘を差しとかないとな。またお前にちょっかいかけるかもしんないし」
「別にいいって。たぶん、もう来ないと思う」
「そうか? それにしても、あの悪ノリ好きのやつらが、よくすぐに手を引いたな。ギャンブルなんて一度始めたらしばらくハマってそうだけど」
それについては由良も同意見だ。新しいおもちゃを見つけてはしゃぐやつらを見て、これは飽きるまでつき合わされるんだろうなと苦い覚悟をしたものだ。
だが。
「瀬尾が助けてくれたんだよ」
「瀬尾?」
ぱちりと、浅茅がまばたきをする。
「瀬尾って、あの瀬尾か? A組の?」
「そ。その瀬尾」
少し首をひねって、なるほどな、と浅茅はうなずいた。
「瀬尾が出てきたんじゃ、あいつらもおとなしくなるだろうな。なんだ、お前たち知り合いだったのか」
「知り合い……っていうか、顔見知り程度だけど」
ぱしん、と浅茅が膝を打った。
「よし、わかった。この件はクローズだ。事情聴取終わり。さーて、解散、解散。そんじゃ、部活にでも行きやすか」
満面の笑みを浮かべる浅茅に、由良はため息をつく。
「事情聴取って……取り調べだったのかよ」
「許せ。例え腹心の友であっても、目の前の悪を見過ごすわけにはいかんのだ」
「別にいいけどさ。お前の立場はわかってるから」
立ち上がって教室のドアに向かう由良のあとを、浅茅が笑いながら追いかける。ドアを出る前、丸めたゴミを浅茅が放り投げると、それはきれいな放物線を描いて教室のゴミ箱に入った。
「浅茅さん、お行儀が悪いわ」
「ま、いっけない、あたくしったら」
軽口をたたきながら廊下を歩く。階段で別れる時、思い出したように浅茅がきいた。
「そういや、その例のゲームだけどさ。お前の勝率は何割だったわけ?」
「ん? ああ、十割だよ」
「十割?」
「そ。百パーセント」
「おいおい」
疑いの目を向ける浅茅に、由良は肩をすくめてみせた。
「だから、手品なんだよ。種も仕掛けもトリックもあるわけ。賭けるもなにも、はなっから勝負にはなんないんだって。当たるように仕掛けてんだからさ」
「そりゃあギャンブルっていうか、詐欺なんじゃないか?」
「人聞きが悪いな。俺はちゃんと説明したぞ。これは手品だって。話を聞かない方が悪いんだ」
「単細胞だからなあ、あいつら」
大きく伸びをして、浅茅は天井を見上げた。
「それにしても、いくらタネがあるっつったって、何回かは失敗しそうだけどな」
お前にそんな特技があったとは、と笑う友人に、由良は答えることなく口の端をあげた。
「じゃあな、今度は俺にもその手品を見せてくれよ」
「おう、気が向いたらな」
かるく手をふって別れる。
階段をのぼりながら、由良はかすかに息を吐いた。
部室に向かう足は重い。
教室で、由良は少しだけ嘘をついた。
賭け事はしてないし、今はD組の連中とも関わりはない。それは間違いない。
しかし。
「静かな文芸部室、か」
かつての由良の安息の場所であった文芸部室。校内で唯一、一人で過ごせた静かな空間は、今はもう存在しない。
のろのろと廊下を進みながら、由良はもう一度だけ深いため息をついた。




