宿命という名の書き割り:完結編
静寂が、祭壇を支配していた。
黄金の古龍と、縛られた一人の若者。そこにあるのは、村人たちが信じる「生贄の儀式」という神聖な光景などではない。
ただ、新宿の路上と同じように、誰かが決めた「色のあせた決まり事」に無理やり押し込められた者同士が、初めて互いの輪郭を捉え直した瞬間だった。
「……カエデ、と言ったか。その瞳に映る、我らの『澱み』。それを知ろうとする意志が、お前にあるのか」
龍の声から、威圧が消えていた。代わりにそこにあるのは、底知れない知的好奇心と、自分を縛る「違和感」を言い当てられた者としての、魂の震えだ。
「……本当のことが知りたいだけだよ。こんな中身のない、空っぽな決まり事に、あんたみたいな『本物』が閉じ込められている理由がさ。……それが分からないままなのは、死ぬより嫌なんだ」
それは、正義感などではなく、自分自身の「納得」のための言葉だった。
龍は、ゆっくりと首を下げた。それは神としての慈悲ではない。この世界の綻びを共に見つめる、静かな「理解」の瞬間だった。
龍の喉の奥から漏れたのは、低く、重い笑い声だ。
「……ククッ、ハハハハ! 掃除、だと? 我を、この地の掃除人だと抜かしたか、人間!」
それは、自分ごと叩き割れと叫んだカエデの「狂気」に近い誠実さへの、龍なりの最高の返礼だった。
黄金の龍は、大きく翼を広げた。それだけで、祭壇を覆っていたどす黒い霧が霧散する。
「良かろう、カエデ。我が背に泥水を浴びせ続けたこの欺瞞の台座……お前の望み通り、今、粉砕してくれよう!」
龍がその巨大な爪を、カエデが指し示した台座の一角へと突き立てた。
轟音。
石造りの祭壇が、内側からの圧力に耐えかねて爆発するように弾け飛ぶ。そこから溢れ出したのは、水晶のように澄み切った光の帯。数百年もせき止められていた、本来の魔力の奔流だった。
祭壇の脇、干からびていた聖なる泉から、清冽な水が勢いよく噴き出した。澱んでいた空気は一瞬で洗い流され、大地が呼吸を取り戻すように瑞々(みずみず)しく色づき始める。
眩い光の渦の中で、龍の巨大な姿が収束していく。
カエデが次に目を開けた時、そこには一匹の小さな影が飛び出し、肩にすとんと降り立った。
手のひらに乗るほどのサイズになった、見事な黄金の鱗を持つ小龍。けれど、その双眸に宿る威厳は元のままだ。
「……ふむ。随分と、身体が軽くなったな。これなら、どこへでも行けそうだ」
耳元で響く重厚な声と、小さく愛らしい姿。カエデは思わず、今日初めて、心の底から笑った。
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その夜、村は数百年ぶりという歓喜に包まれていた。
生贄を出さずに済んだ安堵。カエデの隣では、村長の娘であるリナという少女が、何度も涙を拭いながら頭を下げていた。
「ありがとうございます……あなたが来なければ、私は今頃……。本当に、ありがとうございました」
彼女もまた、村のために死ぬのが「宿命」だと自分に言い聞かせ、震えていた一人だった。彼女の震える指先を見て、カエデは自分がしたことの重さを、どこか遠い出来事のように、けれど確かな温かさとして感じていた。
賑やかな宴の喧騒を離れて、カエデは肩の相棒に問いかけた。
「……名前、リアっていうのはどうかな。そのままじゃ呼びにくいし」
「リア? 我を呼ぶ名としては、いささか短すぎる気もするが。由来は?」
カエデは夜空を見上げ、少し照れくさそうに笑った。
「リアル……現実感、の『リア』だ。あんたのおかげで、僕は初めて自分が本当にここにいるって感じられたから。……本物の相棒、って意味だよ」
黄金の小龍――リアは、その小さな瞳を瞬かせ、深く頷いた。
「……フム。悪くない。嘘の祈りに彩られた名よりも、お前がその瞳で見た実感を名にされる方が、よほど誇らしい」
ここかどこなのかはわからない。けれどあの老人のいったことは間違いなかった。ここで私はきっと何かを見つけられそうだ。その旅路に着いたのだと思う。今までの人生、そんなに長く生きてきてはいなかったが、ようやく何か意味を掴めたような気がした。
もう僕は自分を透明にしていた新宿の街へは戻れない。
けれど、この肩に乗る「本物」と一緒なら何かできそうな気がしている。
一人と一匹?の、自由で少し風変わりな放浪が、ここから始まった。
(第1話 完)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
これにて第1話『宿命という名の書き割り』完結です。
生贄という役割を捨て、小さな、けれど最強の相棒「リア」を手に入れたカエデ。
彼らの旅は始まったばかりです。これから訪れる場所で、彼らはどんな「世界の本当」に出会うのでしょうか。
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第2話もお楽しみに!




