宿命という名の書き割り 1
はじめまして。お越しいただきありがとうございます。
この物語は、周囲に合わせることに疲れ果てた一人の男が、異世界という名の「新しい舞台」で、世界の綻びを自分らしく直していくお話です。
「当たり前」という名の重苦しい空気から、彼がどう抜け出すのか。 まずはその第一歩を見守っていただければ幸いです。
どこを見渡しても、そこは「息苦しい場所」だった。
新宿駅東口、夕刻。巨大な街頭ビジョンが垂れ流す彩度の高い広告は、誰にも届かない空虚な言葉を、ノイズ混じりに叫び続けている。それに視線もくれず、魚の群れのように規則正しく、けれど無表情に流れていく人波。
改札を抜ける電子音。誰かが誰かにぶつかり、舌打ちさえ交わされずに通り過ぎる乾いた音。そのすべてが、僕の鼓膜を重く、じりじりと圧迫していく。
誰もがどこか「無理」をしているように見えた。
本当は言いたいことを飲み込み、顔に「普通」という仮面を貼り付け、誰が決めたかもわからない暗黙の了解に従って、ただ今日をやり過ごしていく。
僕もまた、その「無理」を積み重ねて生きる住民の一人だった。
「……どうして皆、こんなに苦しいのに、平気なフリができるんだろう」
呟きは、都会のノイズに溶けて消えた。 僕は特別な人間じゃない。ただ、周囲の期待に応えようと自分を押し殺して生きることに、少しだけ人より早く疲れてしまっただけの、どこにでもいる「普通」の男だ。
波風を立てずに世間を渡っていくことは、僕にとってもそれほど難しいことではない。けれど、その「世渡りの上手さ」の正体は、単なる忍耐と、自分への嘘の積み重ねだった。 誰からも後ろ指を指されずに『普通』を演じれば演じるほど、自分の中の大切な何かが摩耗し、砂のように崩れていくのを感じていた。
毎日、少しずつ自分が透明になっていくような。 緻密に描かれているはずの人生が、実は色あせた古い背景画の前で演じさせられているような――そんな、拭いきれない空虚さだけが胸に溜まっていく。
ふと、雑踏の隙間に目をやると、およそこの街には似つかわしくない老人が立っていた。 ボロ布のような服を纏い、顔には深い皺が刻まれている。けれど、その瞳だけは、濁った都会の空気とは無縁なほどに、驚くほどひどく澄んでいた。
「若者よ。それの原因を、知りたいか?」
背後からかけられた声に、僕は足を止めた。
「……原因?」
「そうじゃ。なぜ人々が不自然な澱みに気づかぬふりをして、死ぬまで笑い続けられるのか。その、胸に溜まった重石の正体を知りたいか、と言うておる」
なぜ僕の考えていたことを言い当てていたんだ。
普段の僕なら、ただの怪しい勧誘だと思って無視していただろう。だが、その時の僕は、その老人がなぜ自分の考えていたことについて言葉を投げかけてきたのかとあまりに「普通」を演じることに辟易していたので、反射的に答えてしまっていた。
肺に溜まった泥水を、どうにかして吐き出したかった。
「……知りたいです。どうにかできるものなら、どうにかしたい。でも、そんなの無理でしょう。世界なんて、最初からこういうものなんだから」
「無理か。そうかもしれんし、そうでないかもしれん」
老人はニヤリと口角を上げた。その笑みには、底知れない悪戯心と、それ以上の慈愛が混ざっていた。
「ならば、異世界に行ってみなさい。そこで出会うものたちが、お主に答えを授けるだろう」
「異世界?!」
この老人は何を言っているのだろうと思う間もなく、老人がゆっくりと指を伸ばし、僕の額に触れた。
その瞬間、今まで感じたことがない妙なことが起こった。 そう、世界のすべての景色が、反転したのだ。
新宿の喧騒が、物理的な重さを持って消失する。足下のコンクリートが崩れ、奈落へと落ちていく感覚。遠ざかる意識の端で、老人の笑い声が聞こえた。
「――お主よ。その瞳で、世界の綻びを暴いてみせよ」
第1話をお読みいただき、ありがとうございます。
新宿駅東口。あの独特の息苦しさを、少しでも感じていただけたでしょうか。 僕自身、人混みの中で「自分だけが透明になっていく感覚」を覚えることがあり、そんな実感を込めて書き始めました。
次話、反転した景色の先で、カエデは「圧倒的な本物」と出会うことになります。
もし少しでも「先が気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。 よろしくお願いいたします。




