序章(8) 魔剣
『ドルゴブム。
わたくしは、嘘は言わない。
この世は、小さくささやいているのです。
人は大きく傲慢になりすぎて、そのささやき声を上手く拾うことが叶わぬのです』
彼女は。
呪い師は、かのようにいう。
そして、こうも言っていた。
声を聞きすぎるな。
話しすぎるな。
世界の声は、人には毒なのだ、と。
まるでそれは、耳から酒を流し込まれたようだと言われる。
甘く、深く、とろけるような清い何か。
それを、拝受し続ければ。
体に入れすぎれば。
視界は揺れ、臓腑は浮いたようになり、多幸感なような、酩酊感のような、気色の悪い心持ちが次第に酷くなって、最後は前後不覚のまま昏睡をする。
それは、〈耳の深酒〉などと呼ばれる、珍しい症状だ。
ドーブは、殆どこの世の声を聞くことはできない。
正確には、それを認識することができない。
けれども、その音の酒気は知らぬうちに身体を侵す。
世界のささやき。
〈始神〉がこの世を創られた時、万物に言葉があったという。
それは、世界そのものにすらも。
しかし、いつしか人間というものが隆盛になり、世界中に満ちて大きな声で喚くようになった。
それに負けるように、排されるように、世界の声は、ずっとか細く、小さくなりつつある。
だが、そうでない場所がこの世にはある。
〈始神〉が創られた、あまりに美しく、穢れなき世界が、今にいたるまで残る神の箱庭が。
一般の人間などでは、およそ想像もできぬような恩寵の土地。
そうだ。
ここは、この島は。
〈聖地〉だ。
先述のとおり、ドーブは過去に一回だけ〈耳の深酒〉をしたことがある。
それは、仕事の最中に、どうしてもある霊山への登頂を試みねばならなくなった時だった。
さる国に峰を伸ばす極めて有名な巡礼の山。
特定の時期になると呪い師が列を成して山道を登り、この世の声を聞き、密やかな祭事を催す。
その護衛の任務。
山の奥には、いや、正確にはそこの幽谷には、〈聖地〉と呼ばれる場所がある。
ドーブは実際、そこへと入れた訳ではない。
むしろ入ってはならない。
ある騒動があって、どうしても人が集まらないということで、急遽広く依頼が出されての着任だった。
己など、よそ者の、ただのごろつきだ。
そして、その際に深酒をした。
あの時も、酷く酔っ払ったような感覚を受けた。
どうすればいいのか、と尋ねたような気がする。
方法はある。
まずは、人と話すこと。
あるいは、何らかの強い音を立てること。
それも、大きな声で、轟くような音で、世界の声を塗り潰さなければならない。
この場において、この何もない島において。
できることは一つ。
「ああーーーーーーーーーっ!」
ドーブは、海に向かって大声を出していた。
加えて、拍手のような動作も組み込まれている。
ぱし、ぱし、と大きな拍子が鳴る。
胸が、腹が、腕がまだ痛むが、これをやらねば仕様がなかった。
これを行い出した当初、彼女が例の祈祷師のような格好のままじっと己を観察していたのが、あまりに恥ずかしく、心苦しい。
あるいは、気が触れたように思われているかもしれない。
成人をした男性が、大きな拍手をしながら叫んでいるなどと。
許して欲しい。
そんな目で見ないで欲しい。
彼女の誠実な静けさを破ってしまい、申し訳ない気持ちも大いにある。
けれども、これを行わなければ過言ではなく命に関わるのだ。
世界の声を弱めねばならない。
彼女に協力を要請してもいいが、間違いなく饒舌な人柄ではない。
情報交換のために話そうと試みたが、彼女の超然とした近寄り難さから、どうにも口籠ってしまうのだ。
全く会話ができないわけではないが、続かない。
コルビンスがいれば、と心から思う。
奴こそ、この世に負けるはずのない声と喧しさをほこる男だ。
必ずや酔いを覚ましてくれるだろう。
「ああーーーーーーーーーっ!」
ちら、と彼女が一瞬こちらを見た。
わずかに首を傾げているようにも思える。
作業としては、洗濯をしている最中ということらしい。
ドーブが気になるのは、彼女は平気なのか、ということだ。
〈聖地〉で人は生きられない。
声の酒気の件もそうだが、それのみには留まらない。
人がなぜこの世に広く生活ができるようになったか。
それはひとえに、開墾や開拓を行い続けて来たからだ。
山を掘り穿ち、川をひき、樹林を伐り倒し、海さえも埋めて生活圏を広げる。
これは呪い師の価値観では、世界を押し返すこと、とされる。
天然とは、自然とは、環境とは、すなわち世界の肖像であり、これを御して、あるいは力を削いで管理下に置くことが人の営みなのである。
その観点から言えば、〈聖地〉は人の手に余る。
この世の大きさに容易く押しつぶされ、その恩恵を飲みきれず、下しきれず、死ぬ。
誰もがその豊かさに食らいつこうとし、奪い合い、そしてほんの僅かにその欠片を持ち帰り、小さくも大きな成果を喜び合う。
欲と大望が集まり、誰もが分不相応な期待を抱いて、擬似餌に寄せられるように世界に呑まれる場所。
争いを呼ぶ地。
人があってはいけない禁域。
「いいーーーーーーーーーっ!」
なんとはなしに、言葉と拍手のリズムを変える。
彼女が、またこちらを見た。
気のせいでなければ、まばたきの数が多い。
翡翠の瞳には、困惑のようなものが窺える、かもしれない。
あの厳粛さと高潔さの化身のような人物を当惑させたのだとしたら我ながら大したものだが、彼女の宗教観などによって断罪されないかどうか、その一点のみが心配だ。
彼女の謎は多い。
それこそ、言語だ。
彼女がそれなりに流暢に使うのは、ドーブの国で広く使われている言葉だ。
しかも、よく思い返せば、相当に古風な訛りのようなものがある。
これが彼女の口から発せられる言の葉をより厳かで格調高い雰囲気に押し上げていたと言ってもいいが、それにしても時代錯誤な抑揚などが目立つ。
例えば疑問系になる際に、かや、かえ、などと語尾に含ませるケースだ。
個人的には可愛いと思うが、これを使っているものは現代においてまずいない。
淘汰された表現といっていいだろう。
これは古語だ。
現代語ではない。
「ううーーーーーーーーーっ!」
彼女は、視界の端でいよいよきょとんとしているような気がする。
ただ、一方である程度気分が良くなってきた。
世界を押し返し、その中で営む彼女をも押し返す。
この奇行のような行為は一定の成功を収めたといってもいい。
無論、問題はある。
彼女もきっかりと押し返しているということだ。
この後、彼女がどのような目で己を見るのだろうか。
流れとしては、海難に遭う、彼女に手当をしてもらう、親友を看取ってもらう、勘違いで殴りつける、親友を弔ってもらう、そして己はただひたすら謎の奇行に走るといったところだろう。
圧倒的な異分子。
客観視すると嫌すぎる。
恥知らずという言葉では到底表現しきれず、羞恥心などが優位な人は一刻も早くこの場を後にしたいだろう。
「ええーーーーーーーーーっ!」
ドーブには、やらねばならぬことがあった。
コルビンスは、亡くなった。
この事実は覆しようがない。
心に大きな穴が空いたようで、しばらく塞がる見込みもないが、耐えるしかない。
だが、己は生きている。
彼の決死の献身もあり、この世界にまだ生きていられているのだ。
だとするならば。
この島を脱出し、妻と娘の元に帰らねば。
それに、交易船のことも気がかりだ。
ドーブは荷主のことは嫌いではないし、水主の娘とも仲が悪いわけではなかった。
コルビンスを除いた水夫連中にも数人は仲が良いものがいた。
彼らが〈船飲み〉を撒くことができたのか。
己の、微力かもしれないが、あの力添えで何かが変わったのか。
彼らは、無事なのか。
嵐の海を割って懸命に進む船が、ドーブの脳裏によぎる。
「おおーーーーーーーーーっ!」
それに、愛剣。
それとなく彼女に伺ってみれば、手入れをしている最中だという。
この際なのではっきりと言うが、彼女は聡明だ。
彼女の剣以外に、身の回りからは徹底的に凶器が無くされている。
つまり、どこの誰とも知らぬ男が武器になりそうなものを持つことを抑止しているのだ。
それも、大義名分として『手入れ』と称し、愛剣をも丁寧に取り上げている。
ドーブは己の剣がどのような状態か分からなかったので強くは出られないし、彼女の篤実な態度からも否定はしにくい。
食器も木製、唯一調理用と見られる小ぶりの刃物はあるが、流石に心許ない。
彼女は一応剣を吊っているので、咄嗟の事態にも対処はしやすいというわけだ。
いい意味でも悪い意味でも泳がされている気がする。
彼女は、実に簡単な雑事などをドーブに振ってきた。
リハビリテーションということだろう。
だが、その際にはかるような視線を感じる。
普段の何気ない素行というのは、そのものの内心を最も投影しやすい部分だ。
それに、怪我の状態は、手先の器用さなどから職種は、などと情報抽出できる箇所は多い。
監査されているというのが、正直なところだろう。
そして、そのような静かな緊張感がある中。
「かかーーーーーーーーーっ!」
つまり、こういうことである。
ある意味では高度、と言える可能性がある。
即ち、彼女の脳を焼くような一手。
意図したわけではないが、撹乱としては上策だろう。
錯乱と言った方がよいかもしれないが。
「ききーーーーーーーーーっ!」
目下取り組むべきは、この島からの脱出手段の模索に違いない。
問題点は、この島の場所がどこにあるのか、ということだ。
航路を考えれば、ドーブの故郷のある大陸と異国の大陸の間、となるわけだが、あの嵐によって想定した道筋を逸した、ということも考えられる。
この島は大きい、とドーブは思う。
周知されていてもおかしくはなさそうだが、そのような地理的情報は世間には見られない。
とんでもない場所にある、と思った方が良いのかもしれない。
脱出のみを考えるのであれば簡易的なイカダで十分だが、長期の航海となれば話は違う。
ちゃんとした船が要る。
それに、保存食と水もそうだ。
やぶれかぶれで脱出、というわけにはいかない。
その点でいえば、彼女のリソースを譲ってもらう、というようなことが必須になるだろう。
雨風をしのげる家に、食事、水、寝床、それに薬草などもそうだが、これだけ手厚く面倒を見てもらって臆面もなくよくこのような考えに至れると思うが、致し方がないのだ。
今の満身創痍の状態では、それらを用立てることができない。
回復を待ってから、などといつになるのかすら定かではない。
家族が、仲間が心配だ。
「く、くくーーーーーーーーーっ!」
流石に体力と喉が枯れつつある。
手のひらも叩きすぎて熱くなってきた。
雑事を終えたらしい彼女が、例の鉤爪のような靴で歩んでくる。
しかし、暑い。
ドーブは、空を見上げた。
雲は多いが、かろうじて晴れているだろうか。
この島は暑く、そして湿っている。
体力の消耗は激しい。
水分が欲しいところだ。
「け、けけーーーっ」
情けない鳥のような声を上げたあたりで彼女がそばに寄った。
木製の筒に入った、水筒のようなものを手に持っている。
「大丈夫かえ…?」
常のような抑揚の無い声ではなかった。
高い、困ったような少女そのものと言える声質。
翡翠の瞳は動揺と憐憫の情を湛えているような気がする。
彼女は、荒い息を吐くドーブに水を持ってきてくれたようだ。
水筒を両手で受け取り、感謝を述べる。
これまでの努力の成果として、体力こそ減ったが、気分はかなり良くなった。
やはり、世界の声よりも己の奇声と奇行が勝ったのだ。
ドーブは、わずかに口角を上げて水を含んだ。
冷えた水が、喉を甘い蜜のように落ちてゆく。
「…?」
彼女は、包帯まみれの様相のまま、瞬きを繰り返している。
つまりこれは、二方面作戦であった。
世界に勝つということは、彼女にも勝ちうるということ。
勝利とは、様々な形がある。
この場合は、喧しさと情報過多による知性への一撃といったところだろう。
彼女を物理的にも殴り、意識的な部分でも殴りつける。
最低だ。
現に彼女は己を心配してくれている。
己は、迷惑の塊だ。
ドーブは、無心のまま水を飲み干した。
「…大丈夫かえ?」
♢
天気が、荒れつつある。
太陽は完全に雲に覆い隠され、鈍い色の空が水平線の彼方からずっと広がっている。
海風は不安定で強い。
黒っぽいような、暗さがあるような海原は、細かい波がいくつもできて、どこかささくれが立ったように刺々しい。
浜の近くにある林は高い木の枝が大きく揺れて、幹も陸の側へと傾斜しつつある。
激しいまでの磯の香り。
嵐でも、来るのだろうか。
ドーブは、浜辺にいた。
昼飯を作ろうというので、食材を拾いにきたのだ。
この浜には、様々な生物が生息している。
二枚貝、巻貝、蟹、そしてやどかり。
食べなれたものだが、馴染みの無い土地で口にすれば存外に美味しいかもしれない。
実際、種類として大別すればそこまでではないが、細々と見れば全く知らないような生物しかいない。
例えば、何だこれは。
ドーブは、手元にある二枚貝を見た。
いや、正確には二枚貝では無い。
三枚貝なのだ。
上と下にそれぞれ身が詰まっているらしく、中央の貝殻は共有している格好になっている。
やはり、ここは〈聖地〉なのだ。
人間の常識は通じない。
それでいえば、武器も持たずに歩き回るのも危険ではある。
彼女が言うには、森の中へと入らなければ致命的な危機は訪れないだろう、とのことだった。
逆説的に、この島の森こそが〈聖地〉としての本懐なのだろう。
ドーブは、浜の先に広がる森林を見た。
深い。
そして、暗い。
太陽が雲に隠れているというのに、なぜこれほどまでに緑が鮮やかなのか。
あまりに美しく、けれども底知れぬ虚のようにも感じられる、大樹海。
ドーブは、頭を抑えた。
あの森を見ると、葉の擦れる音を聞くと、新緑の匂いを嗅ぐと、〈耳の深酒〉が酷くなる。
異常。
何かがある。
およそ人が触れてはいけぬような、穢してはいけぬような、神話の時代の残照がこの樹林にはある。
彼女も、それを知っているのだろう。
確かにこれは、人が立ち入って良いような場所ではない。
いかに恵みがあろうとも、過ぎたるものは結局毒でしかない。
関知するべきでは無いのだ。
その彼女は、水を汲みに行くと言って、森の中に入っていった。
ドーブは止めたかったが、止められなかった。
淡水は森にしかないという。
生活用水は森の浅い場所にある泉から用立てているらしく、必須の雑事であるということだ。
とてつもない危険が伴うが、彼女は慣れていそうな様子でふらっと足を伸ばしている。
流石に〈聖地〉で暮らしているだけのことはある。
足の運び方や気配からして特記に値するような戦闘能力がある訳ではなさそうだが、胆力と体力はありそうだ。
彼女は、実に不思議な趣のある人物だ。
そこらにそよいでいる草花のような、自然の景色の一部分であるような、およそ主張のない丸みを帯びた雰囲気を纏っている。
厳かな空気感こそ常にあるが、立派な巌を前にしているような静粛さといえる。
聖職についていそうな印象も、そのような感受による因子が大きい。
とはいえ、清廉なるものが〈聖地〉で危険に晒されない、などということはない。
正邪などというのは、人間の物差しでしかないのだ。
ドーブには彼女の無事を祈ることしかできない。
はてさて、とドーブは例のごとく三枚貝を拾い上げようとした。
腰を屈めたあたりで、水平線の上に何かが異物のように浮かび上がってくるのが見える。
あれは。
船、船か。
己が乗っていた交易船か、と一瞬浮き足だったが、断定などできようはずがない。
まずあり得るのは、島の民という線。
一見するとこの島は巨大な墓標のように見えるが、何らかの目的で船を出していて、その留守を彼女が守っていたという可能性はある。
彼女は理知的で合理的ではあるが、その他の民がそうであるとは断言できない。
原住の彼女がいない状態で邂逅を果たすのは賢いことではない。
その他の含みとしては、何ら関係のない船、あるいはこの島が〈聖地〉であるということを考慮して、冒険家、はたまた侵略者ということもありうるか。
何にせよ、一旦身を隠して様子を伺うのが無難だ。
いよいよ、空模様は崩れてきた。
鉛色の雲から小さく雨が降り始め、乾いた白い砂浜にいくつもの丸い染みができる。
泥臭いような、そうでもないような匂いが、地べたからたちのぼる。
ドーブは、森への途中にある背の高い茂みに身を屈めていた。
天候が悪くなったのは、好都合だ。
光が弱まれば、視認性は否が応でも下がる。
大きく動かなければ、見つかる可能性は低い。
偵察には好条件だ。
暗い海を割って、船が近づいてくる。
ドーブは、手汗を感じた。
武器がない。
万が一、妙な侵略者などであれば抵抗手段はない。
茂みの中に、やや短いが木の枝が転がっている。
無用な小枝をどうにか剪定して、振り心地の良い棒へと拵える。
僅かな奮闘で、一応の武器ともいえぬようなものができた。
幸い、ある程度丈夫そうではある。
〈聖地〉の森の木の枝と思えば、あるいはそこらの鈍らな剣よりも頑強かもしれない。
それこそ、ドーブの愛剣よりは頼りがいがある。
己を鼓舞し、落ち着かせながら、船を待つ。
心臓が、早鐘をうっている。
茂みの葉と葉の間から、船を見る。
輪郭がはっきりとしてきた。
さほど大きな船ではない。
小ぶりの交易船といったような所か。
造りに、どこか見覚えがある。
とすれば。
まさか。
あれは。
あの船は。
ドーブは、思わず背の高い茂みから転げるように出た。
間違いない。
あの船は、己が乗っていた交易船だ。
ドーブは、破顔を抑えられなかった。
敵あるいは、見知らぬ連中でなかったという安堵。
名も知らぬ〈聖地〉で心細い中での、仲間との合流の機会。
同時に、脱出手段の確保。
彼らは〈船飲み〉から逃げ切れたのか、という圧倒的な歓喜。
嬉しい。
こんなに嬉しいことはない。
彼らに、コルビンスのことを伝えなければ。
あの優しい男が、どれほど偉大だったのか。
そして、帰らぬ人となってしまったという冷たい事実も。
喜び勇んで浜へと歩き出すドーブの耳に、甲高い音が聞こえたのはその時だった。
身体の動作が緩慢になったような錯覚。
聞こえた音は、嫌な耳鳴りのように残響を伴って鼓膜を揺らす。
ついに、踏み出した足が止まった。
雨足は、確実に強くなっている。
海の遠くは、すでに白いもやがかかったように雨粒が重なっていた。
風は吹きすさび、波は荒れ、黒いような色の海水が陸を登らんと押し寄せる。
悪寒。
頭の中が、強制的に漂白される。
馬鹿な。
何だ、今の音は。
これではまるで。
船の奥、海面が持ちあがるように高くなると、黒っぽい巨大な何かが一瞬顔を出した。
闇の海原に、また異なる闇が見える。
金属音のようなものが、再び響く。
ドーブは、足から力が抜けるのを感じた。
あれは。
あれは。
倒せたなどと思ってはいなかった。
けれども、逃す時間稼ぎくらいにはなっただろうと楽観していた。
〈船飲み〉。
深淵からの使者。
化け物は、まだあの船を追っている。
悪夢は、海の災いは、まだ終わっていなかった。
「くそっ、くそっ…!」
どうすればいい、とドーブは唇を噛んだ。
まさしく悪い夢。
どうだろうか、嵐の状況よりは天候は良い、などと考えられるだろうか。
そうすれば、水主が嵐を鎮めることのみでなく、〈船飲み〉の妨害や迎撃に力を使える、と。
無理だ。
無理なのだ。
そうだ、ここは〈聖地〉。
この世の声が、最も強い場所。
並の呪い師では、世界そのものを謀れるような稀代の弁舌家でなければ、〈聖地〉で呪いは使えない。
ここは、人の声が弱い場所。
穢れのない世界を騙し通すことは、容易にできはしない。
ならば。
だとするならば。
ドーブは周囲を見渡した。
最も現実的な策は、船が座礁せず、〈船飲み〉の化け物のみが座礁するような水深の場所を探ること。
あの巨体だ。
接岸できる場所は限られる。
最悪、船を乗り捨てれば、荷などはダメになるが、命は助かる可能性もある。
陸があるというのは、それだけでも強い。
地理的な優位を生かした立ち回りができるのだから。
波の立ち方を見ればいい。
おおまかな水深は、それで判断ができるのだ。
これは、海の男であればある程度はできる。
亡きコルビンスはこれの名人で、あのどら声を飛ばしながら、船の行方を見るということが常だった。
彼ほどの精度は望むべくもないが、船を良さそうな場所へと誘導するしかない。
幸いなことに、悪天候で波は大きく、見分けやすい。
波の高さが急に上がる箇所は、水深が同じく急に浅くなっている。
そこに化け物を引っ掛ければいい。
ドーブは海原を見た。
幸いなことに、この海岸の正面向かって右側はややそのような傾向がありそうな雰囲気だ。
そこへ船を導く。
気づけ。
気づけ。
こちらに気づけ。
「おーーーーーーーーい!
こっちだーーーーーーっ!」
先ほどの木の棒を大きく振る。
動きがあった方が気づきやすい。
雨が強い。
風も、波も。
声がかき消される。
己の懸命の動作も、雨の弾幕で薄くなる。
頼む。
頼む。
コルビンス。
力を貸してくれ。
お前の海に対する信頼と、その友情を俺に貸してくれ。
ドーブは、心の中で祈った。
奇跡か。
船は、進路を変えた。
気づいたのだ。
この視界が良いとはいえないような中、ドーブが陸で誘導をしているのを。
負傷していないのであれば、操舵手は荷主だ。
観測手は、コルビンスでなければ誰だろうか。
何でもいい。
こい。
こっちへ。
化け物を振り切れ。
あんなものは、もう沢山だ。
「こっちだーーーーーっ!
こっちだーーーーーっ!」
声が枯れそうだ。
少し前の声出しが後を引いている。
だが、もう少しだ。
もう少しなのだ。
陸は近い。
浅瀬も近い。
来い。
来い。
来い。
「こっち…」
唐突に身体中がざわめくような感覚がドーブを襲った。
頭痛が湧いて、耳は遠くなり、内臓が持ち上げられるような妙な知覚がある。
〈耳の深酒〉だ。
だが、どうして。
今は大声も出している。
森からも遠い。
それなのに、何故。
ドーブは、己の第六感に従って後ろを振り向いた。
森の闇の中から、いや、森の暗がりを照らすようにそれは現れた。
雨も、風も、嵐も、その場では主張ができないように静かになる。
それは、黄金の獣だった。
嵐の暗がりの中で、どうしてか光を浴びて輝く黄金のように、闇を吸うように遠ざける。
その闇が、雷のような激しい軌跡を描いて金の毛皮をはしり抜け、紋様を作っている。
巨大な手足。
白い稲光のような首の毛に、獰猛さと荘厳さを一筆ずつ交互に書き込んだような攻撃的な頭部。
虎。
星のように、光のようにある虎。
酔いが酷くなる。
世界がざわめく。
肌が粟立つ。
ドーブは、もはや動けなかった。
世界に縫い止められるように、手も足も動かない。
虎は、静かに海を、いや、船を見ている。
そうだ、船は。
船はどうした。
ドーブは視線をどうにかして海へと向けた。
〈船飲み〉が、口を開いていた。
赤く、暗い闇が垂れ込めた口内。
海水を呑みながら、雨と風を呑みながら。
船を、交易船を飲み込もうとしている。
追いつかれた。
もとより、化け物と船の距離は殆ど無かった。
進路を変えたことで、あるいは海流のせいか、速度がさらに落ちたのだ。
愚策。
失敗だった。
死ぬ。
仲間が死ぬ。
どうすればいい。
どうするのだ。
時間が引き伸ばされた映像が、ドーブの眼前に広がる。
飲まれる。
終わり、なのか。
どうしようもない、のか。
金の獣が、唸り声を上げた。
光。
雷を纏ったような、天の光芒を落とし込んだような燐光。
大地が四足で蹴り飛ばされて、えぐれる。
ドーブは、それを稲光だと思った。
獣は、まるで雷が宙をはしるように、空を駆けた。
丸みのない軌道。
黄金の軌跡を幾重にも闇の空に描いて、金色の虎は船へ、いや化け物の元へとたどり着く。
それが、何だったのかはわからない。
獣は吠えた。
轟音。
まるで、太陽が落ちたような極光。
嵐が洗い流されるような光の奔流。
雨粒と風の向きが変わる。
爆心地の中心から放射状にそれらが降る。
遅れて、見えない波のような空気を伝う何かが、体を通り抜けた。
何だ。
何が起きた。
あの獣は。
光が、明るさが薄まってゆく。
船は、無事だ。
そして、〈船飲み〉は消えていた。
いや、違う。
船の奥に、何やら漂っている。
赤い肉片が、水面に散乱している。
打ち倒したというのか。
南の海で恐れられる怪物を。
〈船飲み〉を。
我々をあれほど苦しめた、世界の理不尽を。
あの、咆哮、たったの一手で。
虎は吠えた反作用を利用して、いくつかの軌跡を描いて陸に足をつけた。
未だ、海を睨んでいる。
神々しいまでの威風。
人智を超越した存在。
この虎は。
この、黄金の獣は。
〈聖地〉には、神が創られた世界がそのまま残っている。
だが、箱庭には主がいる。
最初に創られたもの。
始まりの神の、実の子供たちが。
虎が、再び唸り声を上げた。
ドーブは、それを見つめるしかなかった。
これは、天意。
人の力ではどうしようもないもの。
世界は人を救いはしない。
人が、その潮流を遡るか、あるいは流れに沿うか、それのみ。
濁流が、いや、清流がくる。
どうしようもない運命がくる。
金の虎が、再び淡く輝き出した。
今度は、船を、交易船を狙っている。
ドーブは、膝をついた。
もはや、祈る他にはない。
瞼を閉じて、暗闇の世界に己を閉じ込める。
雨の音が聞こえる。
風の音が。
虎の声が。
世界の怒りが聞こえる。
〈始神〉よ、〈始神〉よ。
〈聖地〉を荒らさんとした、矮小なる我々にご子息が怒りたもうた。
どうか、どうか、お慈悲を。
お赦しを。
疾く失せましょう。
世界を、これ以上傷ませることなど致しません。
どうか、どうか。
愚かなる人に、寛大なる抱擁を。
ドーブは、ゆっくりと瞼を開けた。
虎が四足で佇む位置。
そこから二十歩ほどの場所に、どうしてか彼女が居た。
常のように静謐な翡翠の瞳。
それ以外は一切包帯によって秘められた美貌。
嵐に揺らされる結われた長髪と髪飾り。
一見すると、化け物のような手足。
水汲みは、終わったのか。
あるいは、騒ぎを聞きつけてこの場へと来てしまったのか。
最悪の状況。
恩人を、この天の代弁者に遭遇させてしまった。
死ぬ。
彼女も、己も。
世界に、飲んで食われる。
虎は、彼女の接近を感じ取った。
船への視線を瞬時に切って、先と違い身体を沈めるようにして威嚇をしている。
全身の毛が逆立って、身体が大きくなったように感じられる。
頭が痛い。
意識が遠のく。
視界が揺れる。
あの虎が動くたび、吠えるたび、酔いが酷くなる。
人の身では、あの神の恩寵の化身のような獣を相手取ることはできない。
立っているだけで、その動きを目にしているだけで、声を聞くだけで精一杯なのだ。
そうだ。
どうして彼女は何ともない。
あの虎に睨まれて、臨戦の体制を取られて、平然としている。
酔わないのか。
恐ろしくないのか。
あるいは、茫然自失なのか。
黄金の虎は激しく唸り声を上げた。
明確な敵意。
自分の庭に異物が入り込んだことによる怒りが、閾値を超えたのか。
世界が震えて、例のように光が放たれる。
不運、と言っていいのだろうか。
無情。
どうしようもない絶望。
そこで、ドーブは、奇妙なものを見た。
彼女が、腰の剣に手を掛けたのだ。
馬鹿な。
そんな古ぼけた剣で何をしようというのだ。
何の変哲もない、それこそ、装飾すらもない白い鞘に収められた剣。
唯一あるのは、柄頭のあたりに着けられている、赤い、どこか祭事めいた折り込みの赤い布。
それが、赤い手甲に包まれた禍々しい手で、ゆっくりと抜かれる。
緩慢な動作。
しかし、どうしてか目が離せない。
剣が抜き放たれて、構え、られない。
どういうことか。
ただ地べたに向くように、だらりと下げられているだけだ。
やはりか。
彼女に、剣の心得はない。
構えすらも取らないとは。
無論、あの神の子供を相手に構えを取ろうが取るまいが、誤差ではある。
だが、無鉄砲で、無策でどうにかなる相手ではない。
ドーブの心が唸っていた。
剣の手心もないような彼女を、あの化け物の前に立たせていいのか。
彼女が、どれだけ己に、コルビンスに尽くしてくれたのか。
動け、ドーブ。
世界がなんだ。
神がなんだ。
かの虎と戦えば、死ぬ。
そうだろう。
だが、コルビンスは死を恐れなかった。
世界を恐れなかった。
闇の海に飛び込んで、己を救ってみせた。
動け、ドーブ。
彼女へ、誰よりも優しかった彼女へ、恩を返してから死ね。
ドーブは、黄金の虎と彼女の間に割り込んだ。
虎の視線が、ドーブを捉える。
考えられぬほどの圧力。
もはや、形容などできようもない。
ひたすらと頭痛がひどく、酩酊感が増す。
吐き気を堪えながら、足に力を込めながら、浜で拾った棒切れを構える。
から元気を出せ。
笑え、ドーブ・エットラ。
彼女の手を取った時を思い返せ。
気の迷いでも、何でもいい。
男がやると決めたのなら、最後までやれ。
どんなに愚かでも、馬鹿な行為でも。
やり切れば、何かの物語になるのだから。
「逃げろ!」
ドーブは叫んだ。
おそらく、時間稼ぎなどできない。
次元の違いがある。
単一の人間では無理だ。
武力を持つ大規模な団体、あるいは国などであれば、あるいは、とは思う。
だが、そんなものなど有りはしない。
彼女は、わずかに翡翠の目を瞠目した。
そして、包帯の下で笑ったように見えた。
「いや、逃げん」
そういうと、彼女はドーブを突いて飛ばした。
乱暴ではなく、何か理があるような静かな押し方。
ドーブは何故か動かされた身体に違和感を覚えながら、翻った。
やめろ、と言い掛けて言葉は出なかった。
虎が動いた。
大きな肢体がまるで光の槍のようになって、彼女の元へと牙を立てる。
明確に視認できたわけではない。
そのように見え、あるいは感じたというだけだ。
音がない。
妙な世界。
白と黒しかないような、単調な景色。
彼女が動く。
古い剣は、袈裟斬りのような軌跡を描いた。
虎の速力を考えれば、遅すぎるような、遠回りがすぎるような膨らむ剣線。
しかし、何故か刃は虎に追いつき、そしてその頸元を通らんとする。
交錯は、須臾ともいえぬような極小の時間。
雨の音が、風の音が、世界に戻ってくる。
金色の風が通り過ぎた。
遅れて、嵐の空から何かが降ってくる。
それは、血の飛沫と、金色の虎の頭だった。
雨足が、弱まる。
ピークが過ぎたのか、空の遠くはわずかに明るさが漏れている。
風も、落ち着きを取り戻しつつある。
馬鹿な、とドーブは思う他になかった。
〈聖地〉の、神の息子を、斬ったというのか。
頭が情報の整理を拒否する。
どういうことだ。
勝てる、勝てない、などという議論の上にないような相手だ。
頭を垂れて、ただ通り過ぎるのを祈るような、それこそ天災のような存在。
それを、剣の一振りで。
たった、一振りで。
あの、古ぼけた剣で。
魔剣。
神にも届きうる、あるいは、世界さえも殺すような剣。
何者だ。
彼女は。
どれほどの剣客だというのだ。
しかし、どうしてか。
彼女が、かの虎を屠ったその一瞬。
〈耳の深酒〉がより悪くなるような感覚を覚えた。
それも、激甚な悪化の予感といってもいい。
ほんのわずかな時間。
あれは、何だったのか。
すでに、その悪寒も去ってはいる。
金の虎を殺されて、世界が一過的に怒ったという可能性もある。
「あんた…。
これは…」
どうにも上手く言葉が出ない。
知らなければ竜の尾の上を歩けるが、知ってしまえば歩ける訳がない。
彼女が血振るいを行って納刀をする。
流麗そのものといっていい所作。
絶大な緊張が走る。
彼女の一挙手一投足に心が悲鳴をあげる。
巨大な生物の足元にいるような、踏みつぶされぬように願うような感覚。
彼女は、考えられぬほどの強者。
世界の理の具現と言っていい獣を一刀に伏す戦闘能力。
これは神話でもおとぎ話でもない現実だ。
主導権は元より、彼女の掌の上に生殺与奪の一切がある。
機嫌を損ねれば、まるで赤子の手を捻るように命は摘まれるだろう。
昨日見た、無機質な、気味の悪いほどの美しさが頭をよぎる。
理外にいる、という可能性も否定できない。
〈聖地〉で暮らし、その中でも、世界の絶大な圧力の中でも、何ら困ることがないほどの力。
他信仰で言うところの、神か、あるいは精霊のようなもの。
人ならざる、世界と人の境界にあるもの。
恐ろしい。
彼女が、恐ろしい。
ドーブは、それきり言葉を出せずにいた。
彼女は、青い色を取り戻しつつある海を見た。
交易船が、陸へと向かっている。
そうだ、彼らは無事か。
あの金の獣の攻撃の余波などを食らっていないか。
ドーブは、咄嗟に船を見たが、〈船飲み〉の襲撃以外の損傷は、特筆して無さそうな印象だった。
もちろん、これは遠目からの観察であるから確信には至れない。
だが、少し肩の荷が降りたような気がした。
彼女は、雨で濡れた包帯を少しばかり解いて素顔をみせた。
あいも変わらず狂ったような美しさが現れる。
やはり、血の通わないような印象。
綺麗に作りすぎた彫像のようだ。
その口が動く。
「仲間か?」
交易船のことを聞いているのだ。
彼女からすれば、謎の来訪者、ということになる。
素性を明らかにするための、当然の情報収集だろう。
「あ、ああ。
生きていてよかった」
本心だった。
紆余曲折あった。
本当に今回の一連の騒動は特記に値するだろう。
あるいは、帰り着いてない以上はこれからも、ということもあるが。
何にしても、彼らが生きているというのは嬉しい。
やはり仲間はいい。
孤独は、人を蝕む。
「昼間の騒がしい催しは、仲間と交信していたのかえ?」
ドーブは、一転して鼻水が出そうになった。
そうだ。
彼女にはあれがどのような意味を持った行為か言っていない。
純然たる奇行。
意味を強引に持たせるとすると、外部と何らかの符牒を用いて連絡を取っていた、というような線も否定はできない。
「ああ、いや…。
まあ、あの声と拍手はだな…」
取り急ぎ、彼女の誤解を解く必要がある。
我々は奇声と拍手を用いて連絡を取る、などど妙な偏見を持たれてはいけない。
そもそも、彼女に分からないように外部と連絡を取るということ自体の心象も良くない。
友好な関係を維持するためにも、拙速に。
「冗談だ」
彼女は、小さく笑った。
ドーブは、目を見開いた。
美しい、どこか悪戯っぽいような笑み。
それは、決して、無機質などではなかった。
彼女の白い肌が、かすかに赤い色を帯びるように見える。
そうだ。
何という偏見だろうか。
思い込みだろうか。
彼女は、ずっと誠実で、優しかった。
それが、どこか聖者めいて、人間の理解を超えているような、度し難い箇所も確かにあった。
加えて、強い。
果てしなく強い。
事実だ。
けれども。
この少女は、孤独に耐え、病む人を見捨てず、傷んだ心を受け止め、世界の理不尽を鎮めた。
そして、冗談を言って笑った。
生きている。
この世に、確かに生きているのだ。
熱がないような、何かの傀儡のような、世界を代弁するような存在では決してない。
「お前、名前は?」
彼女が訊く。
やはり涼しげな声だ。
包帯がないと、より一層とそう思う。
それに、そうだ。
互いに名前も知らないのだ。
会って三日、になるのだろうか。
短くも、濃い交友であったような気がする。
「ドルゴブム・エットラだ。
ドーブでいい」
ドーブはそう言って手を前に差し出した。
彼女はそれをしげしげと眺めて、わずかに首を傾げた。
そうだ。
文化が違う。
握手などという概念が彼女には無いのだ。
「まあ、なんだ。
俺たちの丁寧な挨拶の作法だよ。
同じ方の手を出して握り合うんだ」
異国でも説明をしたことがあったか。
先入観、そして癖というのは怖いものだ。
彼女は頷いて真っ赤な禍々しい手を出した。
近くで見ると、何という手甲だ。
何らかの獣から剥いだ素材だろうか。
冷たく濡れた、鱗のような材質の手が触れる。
「アスラ・ウシール・アンラ=マンユ・パブ=ダ・アセド・ラ=スーヤイルム・カルナだ。
アスラでいい」
ドーブは一瞬、え、というような状態になった。
名前が長すぎる。
だが、あるのだこのようなことは。
名前に意味を込めたり、あるいは先祖の名前を加えたりなどとして、長い名前になるというケースだろう。
語感からすると、パブ=ダというのが嫌いではない。
何の意味がある言葉だろうか。
「よろしく」
と、ドーブとアスラは言い合った。
灰色の雲の裂け目から、島に光が注ぎ出した。
船が、まさに接岸しようとしている。




