序章(10) 残り火
セピア色の景色がそこに広がっていた。
随分と画質は悪く、所々はくすんだようにぼやけて、鮮明でない。
長い耳が目立つ、褐色肌の子供二人がそこにある。
肩ほどの長さに整えた茅色の髪の少女と、長い黒髪を複雑に結い上げた少年。
海を臨む砂浜だ。
潮騒の音が、俗世からの隔絶を表すように、あまりに穏やかに聞こえる。
澄んだ海面のさざなみの天辺には、小さな宝石ができたように細かい輝きがいくつも並んでいる。
少女が、流木のようなもので砂浜に何かを描いていた。
存外に絵心があるらしく、船のようなものの概形がはっきりと分かる。
その脇で、睫毛の長い少年が、それを楽しそうに見ていた。
『この海のさ。
ずっと向こうに行ってみたくない?』
少女は、太陽を小さくしたような光を、やや茶色がかった大きな黒い瞳に湛えて言った。
作業に没頭しつつも、眩しい笑顔を浮かべている。
浜の照り返しもあってか、異様に明るい表情に見える。
長い黒髪の少年は、釣り気味の目を随分と感情豊かそうに泳がしながら、首を捻った。
少年の頭には、様々な考えがあった。
楽しそうではある。
けれども、〈守り人〉という民族には、霊木を守るというしきたりがある。
無論これは慣例であって必ずしも守らなければならないということはないのだろうけれども、彼女の言っていることが、それよりも優先されるかどうかは判断がつかない。
そもそも、これは誰が考えるべきなのだろう。
人生は誰のために。
どこで、どうやって定まるのだろう。
少年の父は、ほとんど人を辞めてしまった。
剣以外は教えてくれなかった。
母の親族の人たちも、未来なんて知らない、と虚無的なことをよく言う。
彼女らは、運命は決まっている、ともいう。
けれども、もしかすると、本当に定まっているのかもしれないと少年は思うのだ。
夢を見る。
暗い山の上に、光がさしている夢。
綺麗な光。
そこへ行きたい。
誰かが囁く。
行くべきだ。
その頂にこそ、真の価値があるのだと。
行け。
行け。
そのように、姿も、声も、何もかもが不明瞭な何かが、声をかけてくる。
剣を持つと、その声がする。
剣は楽しい。
けれども、怖い。
人を殺す道具。
傷つけるための訓練。
心が痛い。
進めば、どうなるのだろうか。
父の姿が頭に浮かぶ。
生きているのか、死んでいるのか、よく分からないような人。
末路、なのだろうか。
止まるのだろうか。
誰かが、止めてくれるのだろうか。
『行ってみたいけれど、どうやっていくの?
川を下るみたいな小舟だと、たぶん嵐で沈んじゃうよ』
少年は、とりあえずそう言った。
少女は、うーむ、と唸った。
それはそうだ、と思ったのだろう。
外の世界、などとそのような視点を持っている人間はまずいない。
いたとしても、戦士の修行を積んでいくうちに、心頭を滅却する過程で無駄な欲などを洗い流してしまう例もある。
少女に言わせれば、それはこの島の最も恐ろしく、理解しがたい文化ということだ。
だが、仕方がない。
神様は、パブ=ダ神は、俗世の穢れの一切を落とし切ることで、無二の戦士となった。
それこそが正答。
どれほど人道に反していようとも、気が狂っていても、風俗としての信仰はこれに尊さがあるといわれる。
〈寂滅の八難行〉。
人を捨てる試練。
戦士は魂を研ぎあげて、薄い刃のようにする。
無駄を捨てて、穢れを捨てて、何もかもを武術に捧げ果たして、神の足跡を追う。
少女は、どうにもこの文化が好きでない。
少年も特筆して好きではないが、どうしてかその環境と親和性がある。
剣の才能は、随分とあると言われた。
良いことか悪いことか、〈八難行〉もいくつか成してしまった。
捉え方によれば、便利ではある。
何せ、通常の人間が悩むような事象のいくつかを、全く淘汰することができたのだから。
『大きな船をさ、作る。
そいで、友達みんなと世界を見ようよ』
少女は、少年の方を振り向くと、ぱっとはにかんだ。
馬鹿みたいに楽しそうな笑顔。
考えごとなど、どこかへ消えて失せてしまうような喜色。
そうだ、笑えばいい。
最近は色々と思考を深めすぎて、頭が痛かった。
心が痛かった。
大丈夫。
笑えばいい。
少年も、ぱっと笑った。
どこか女性めいた雰囲気のあるらしい顔に、満面の笑みを浮かべる。
少女は、かすかに頬に朱が差して、顔を背けた。
『アスラ。
約束、覚えてる?』
少女は、もにょもにょ言い出した。
流木で、砂浜を突いている。
さくさく、と乾いた音が鳴る。
アスラと呼ばれた少年は、うん、と笑顔のままに頷いた。
少し前にした約束。
いや、これは約束というより正確には告白なのだろう。
『結婚するんでしょ?
でも、いつになったらできるのかな?』
そもそも到底そのようなことを考える年齢ではない。
加えて、この島の婚姻は非常にややこしい。
武器を、そして武術を継いでいく、という社会構造があるからだ。
血族によって、伝承されている武術の質や、それこそ武具そのものが違う。
古い血族ほどその秘奥を保有していると言ってよく、たとえばアスラはカルナ氏という非常に歴史ある一門の生まれではあるが、その受け継がれてきた武術と武具を手放すという選択をした異端だ。
伝統ある弓と槍ではなく、剣を取った裏切り者のカルナ氏。
武術の蓄積は、これ即ち財産といって相違なく、剣のカルナ氏はそれが希薄で少ない。
アスラの父も天才剣士として武名は高いが、家柄自体は芳しくないという評価になるわけだ。
少女の両親がどのように考えるか、そして彼女の兄妹がどの血族と契りを結んで武具を取るのか、という話すらもある。
ある種の政治がそこにあるのだ。
『大きくなったら』
少女は、漠然という。
空へと視線を向けて、青い色をしているであろう遠くと、その中に浮く雲を見ている。
何を考えているのだろう。
彼女には、この世界がどう見えているのだろう。
アスラには、彼女がどうしてか魅力的に見える。
神様が嫌い。
戦士が嫌い。
武術が嫌い。
けれど、この島が好き。
おかしな感性。
彼女は、よく言う。
アスラと少女が出会ったのは、運命なのだと。
そう、運命の二人なのだと、恥ずかしそうに笑って言う。
アスラには正直よく分からなかった。
でも、それほど間違っているとも思えなかった。
♢
アスラは、天井の光を見ていた。
それが、水面が反射する不規則な光のように見える。
彼女の、声がする。
一瞬、横目で屋内にいる異邦人を見る。
全く慮外の部分から切り込んでくる男。
ブロンドの青年、コルビンスの友人こと、ドーブ・エットラ。
正直なことを言えば、本交渉においてアスラが最も得たかったものは何か。
外界の情報は欲しいが、それではない。
彼らが荷として保有している資産などいらない。
それこそ、彼ら自体を捕虜のように鹵獲して使役しようなどとは思っていない。
船だ。
船が欲しかった。
ーーこの海のさ。
ずっと向こうに行ってみたくない?
屋内に風が吹き込む。
海の匂いのする風。
どうにも、思考が乱れる。
そうだ。
つまり、ドーブ・エットラがアスラに投げてきた勧誘まがいの言葉は、こちらの要求を見透かしたような揺さぶりに近い。
ネルガンが仕掛けさせた、諜報上の罠と見ることもできる。
そう。
通常であれば。
アスラは今回のネルガンとのやりとりを含め、ドーブにさえも特段の要求をしていない。
これはつまり、何らかの交渉ごとになった際に、つけ込まれる可能性を低くするためだ。
需要の解像度の非対称性は、あればあるだけ望ましい。
船に乗りたいということは秘めて、外力で船に乗せるように動かす。
あくまでも、事実のようなものを提示し、それによって間接的に誘導をしなければならない。
ネルガンは馬鹿では無さそうだった。
恐らくは理性で動く傾向のある男。
ならば、概ね計算をすることはできる。
ただ。
アスラは、天井から視線を落として、ドーブを見た。
無精髭をたくわえた、若そうな青年剣士。
この男が、どうにも読めない。
アスラのやり方を前提にするのであれば、かのような感情で動くタイプは排するべきだ。
やりようはなくは無い。
ただ、どうにも同情だ何だと、そのような善心を揺さぶるような繰り方は好きではないのだ。
アスラが思うに、先の言葉は演技ではない。
つまり、彼は己に何ら決定権が無い立場にあるにも関わらず、勧誘を行った可能性が高いということ。
意味がわからない。
馬鹿だ。
けれども。
(嫌いじゃないんだよな…)
どうにもこのタイプには弱い。
おそらく、コルビンスのこともある。
あれだけ優しい男に気にかけられていた人物だ。
己のように人格がひん曲がっていることはそうそう無い。
それも、出会って数日しか経っていない人間を心配して、泣きそうな顔をするなどと。
困った。
突っぱねようと思ったのだが、できなかった。
やはり、どうにも独りで過ごしすぎたらしい。
少し。
ほんの少しだけ、嬉しかった。
人に心配されるなど、久しくなかった。
(ありがとう、ドルゴブム)
実のところ、コルビンスとの約束はまだ生きている。
ドーブ・エットラは未だ傷が癒えてはいない。
コルビンスとの約束を果たすのであれば、少なくともドーブが家族の元に帰り着くまでは介助をするべきだ。
その意味でも、かの船へと乗船する価値はある。
ドーブは、恐らく死ぬと言う覚悟を持って黄虎の前に立って見せた。
短い木の棒一本で、非戦闘員と判断したアスラを庇おうと、逃がそうとしたのだ。
あれも馬鹿だ。
冷静な判断ができていない。
死ぬのだ。
蛮勇だ。
でも、アスラは嫌いではない。
はっきりと言えば、少しばかりドーブ・エットラという男が気に入りつつある。
しかし、肩入れしすぎるのは良くない。
アスラがドーブに情を移していると察知されれば、彼を介して間接的にこちらを操作しようとする可能性もなくはない。
ドーブにも迷惑が掛かる懸念すらある。
希薄な関係でいい。
感謝の念を静かに抱くくらいでいい。
さて、どう動くか、とアスラは頭を捻った。
ドーブは、どうしてかそわそわしているようだ。
あのような力任せの勧誘をしたのだ。
冷静になって焦り出したか。
それとも、単に答えが早く欲しいのか。
実際彼は本当の馬鹿では無いとは思うが、どこか少年めいたような純心さがある。
ちょっと可愛いかもな、と柄にもなくアスラは思った。
この青年の誘いに乗ってやりたい。
いや、素直になれば、くそ餓鬼め、と頭をくしゃくしゃにしてやりたい。
ただ、難しい。
今は何ら理がない。
勇み足だ。
綺麗な形ができていない。
ネルガンは恐らく首を縦に振らないだろう。
洗濯物を丁寧に積むと、アスラはドーブと視線を交錯させた。
じっと彼の瞳を見る。
青みがかった黒の眼。
彼女が、海や空を見ていた時の色。
まぼろしが見える。
彼女がこちらに微笑みかける。
やはり、今なのか。
君はいなくなったが、夢の中で息をしているのか。
大丈夫。
今度こそは約束を守る。
何もできない、誰ひとり満足に守れないような愚図だが、必ず君へと外の世界の話を届ける。
失敗ばかりだ。
何が上手くいった。
彼女は死に、友達は死に、息子は守れず、娘も助けられず、妻の最期すら看取れなかった。
なんだお前は。
人ばかり殺して、屍の山を築いて、何を成したのだ。
島は滅んだぞ。
霊木は枯れたぞ。
のうのうと生き残って。
やれ、アスラ・カルナ。
天の国にいる、友達や家族へ、そして彼女へ。
夢を届けろ。
やれることをやれ。
馬鹿げた妄想を、風にしろ。
嘘の風でなく、まことの風に。
砂浜の絵を海に浮かべて、その彼方へと運び出せ。
「ドーブ」
青年に声をかける。
ドーブは、かすかに、びく、と肩を跳ねさせた。
緊張が強い。
不安と期待。
明かり窓から投げられた光が、彼の頭髪をきらきらと光らせる。
褐色の肌、黒っぽい眼、やや色素が薄いような、ブロンドの髪。
似ている。
似ているのか。
馬鹿らしい。
あまりに馬鹿らしい。
何故に心の隙間に刺さりこむような容姿をしているのだ、この男は。
どうしてか、気持ちの置き所に酷く迷う。
「鍋、溢れそうだぞ」
え、という声と共に青年は振り返った。
背後では、鍋の液面がかなり高くなってもうもうと湯気を出している。
火力を出しすぎたのだろう。
おおお、とドーブは薪の燃えていない部分を引っ掴んで炉から引き出す。
火の粉がかすかに舞って、風に流された。
ふう、とアスラは吐息を一つばかりだした。
何にしても、彼らは今休息を挟みつつもこちらの出方を伺っているはずだ。
先の勧誘についても、恐らくは独断専行で情報の共有はされていない。
一番いいのは、彼の暴走を利用してネルガンを揺さぶること。
ドーブがそのように言ったので興味を持った、などとするのが最も安定感のある策。
仕込むなら、今。
ドーブ。
ドーブよ。
許せ。
どうしてもこの島から出なければならない。
素直に善意の勧誘を受けられない天邪鬼に少しばかり動かされてくれ。
ネルガンを丸め込むためのちょっとした布石を置く。
恨んでいい。
「ドーブ、誘いは分かった。
お前たちは、つまり人手が足りていないということだな?」
まずは、探る。
恐らくは正しい観点だが、言質が欲しい。
コルビンスが亡くなったということは、少なくとも一人は欠員が出ているということ。
ドーブも満足に動けるまでには、時間を要する。
航海というリソースを消費しながらの移動、それも場合によっては補給もままならないという構造がある以上、ランニングコストは最小限に抑えたいとするのが人間の理性というものだ。
つまり、人手はギリギリか、もしくはやや不足気味という答えが像を成す。
「あ、ああ。
そうだ。
コルビンスも死んじまったし、俺もあまり動けない。
武器も無くなったしな」
「そうか。
確かに人手が足りないようだな。
それに、随分と疲弊もしているしな」
確認。
正確には、こちらが確認し、ドーブも再度深く確認すること。
そして、向こうから人手が足りていないという困った現状の提示と、勧誘があったという事実。
先ほどネルガンが具体的に提示してきた要求は、物資の譲渡。
人が居なくて困っている、とは口にしていない。
無論、これは交渉の場での話であり、その前のドーブとの話の中ではコルビンスが抜けて痛いとは言っていた。
あの程度の距離であれば、耳を澄ませて声を拾うことは造作もない。
何にしても、これを直接言わせて、こちらがそれを拾ったということが重要。
選択肢の中に自然と、船に乗ろうか、というものが現れる。
それに、彼が剣を失ったというのも悪くない。
武器は戦士の魂が宿るとされることから、これについては彼の無念もあるだろう。
あまり良いというのは失礼にあたる。
ただ、状況の分析として、戦力の低下、ということであればこちらの力を貸すというのも分かりやすい。
構図として、流れとして滞りがないのだ。
「…なあ、アスラ。
あの金の虎みたいな奴って、他にいるのか?」
ドーブが、少し迷うように口にした。
良い傾向だ。
これはつまり、この島の生態系について不安を抱いているということだ。
無理もない。
彼らの話では、〈船飲み〉という大鯨には相当な辛酸を飲まされていたらしい。
それを金の虎、つまり黄虎が、代名詞たる空を駆ける絶技雷足と世を震わせる光の咆哮で、いとも容易く屠ったのだから。
警戒しているのだ。
あのような獣や、外敵に襲われることを。
「いる。
お前たちの概念ではこの島は〈聖地〉と言う危険な地域なのだろう。
ドーブ、お前には森に入らなければ致命的な危険は無いと言ったが、何事も例外はある。
森でない場所も、場合によれば死地になりうる」
事実だ。
嘘は一つたりとも言っていない。
小さな火の粉。
この不穏を、風がきっと奥へと運ぶ。
では、浜は、海は。
あのような化け物が出たら、と。
アスラを乗せるのはリスクのある行為だろう。
素性も分からない人種。
戦力も高い。
おそらく、向こうは『良薬にもなる劇薬』とこちらを考えている。
通常、乗船させるデメリットをメリットで埋めなければならない。
簡単な話だ。
こうさせれば良い。
乗船させるデメリットよりも、乗船させないデメリットが上回れば。
「ドーブ。
コルビンスが、最後にこう言っていた。
お前を『頼む』と」
許せ、コルビンス。
しかし、これもまた彼が口にした事実だ。
情報の出し方に悪意はあるが、許してくれ。
最も可能性の高い動きを実践する。
己は神でもなんでもない。
手を抜いても上手くいくだろうなどというのは、慢心でしかない。
泥臭く行く。
出るのだ、この島を。
約束を守れ。
お行儀の良さなど捨て置け。
「コルビンスが、あんたに…。
そうか、だから良くしてくれたのか…」
ドーブの瞳が潤む。
彼は、コルビンスを思い返しているのだろう。
アスラも、彼の穏やかに眠る表情が脳裏をよぎる。
最低だ。
こんなやり方は褒められたものではない。
けれども、始めたのならばやりきれ。
「おれは乗るべきか…?」
この程度でいい。
欲は最低限、匂わせる。
選択は己ではなく、彼ら。
消極的な問いかけで、誘いかける。
「乗るべきだ。
乗るべきだよ…。
それが、あいつの遺言であれば…」
ドーブは、潤んだ黒い眼を細めた。
口の中に、苦味のようなものが広がる気がする。
これだから、感情的な揺さぶりは好きでは無い。
人を選ぶが、これは極めて効果的な一手になりうる。
故にこそ、好きではない。
大概、効率の良いことというのは道徳の境界を掠める。
極めて優良な能率があるものは、罪という名で呼ばれることが多い。
殺しや盗みなどがそうだ。
無力化の最大効率が殺し。
手間の圧縮の極致が盗み。
そんなものだ。
そして、意図をして感情に訴えかけることこそがある種では交渉における罪だ。
良心があるものが行うような手立てではない。
「そうか」
相槌でいい。
肯定も否定もするべきではない。
もう一つ気になるのは、かの船がどこへ向かっているのかという点。
聞いたことのない共同体、つまり『国』という枠組みの名前が出された。
アスラが気になっているのは、島に寄せた賊どもとの関係だ。
まず言語は違う。
コルビンス、ドーブ、ネルガンと同じ言語を使用している。
こちらを欺こうと、油断をさせようとしていたと仮定すれば、瀕死のコルビンスにまで仕込みをさせていたのは容易周到がすぎる。
場合によれば、この島の〈知のもの〉らやアスラのように複数の言語を扱えるという含みもあるが、護衛仲間と言われた連中も、あの満身創痍の中で同じ言葉を使っていたことを考えると、やはり第一言語は異なる。
それに、かの船が交易船であるということも重要だ。
複数の国家を跨いで物流を担っているのであれば、賊どもとの何らかの関与があってもおかしくはない。
先の盗み聞きをした話の内容を考えれば、彼らはこの島のことを地理的にも、存在としても認知していなかった。
あれほど長く続いた戦だ。
世間から隠れて挙兵をしていたとは考え辛い。
少なくとも、彼らは賊どもと深い関係は無いと推測して良い。
敵の腹の中へと運ばれるという可能性は低いだろう。
だからこそ、条件は悪く無い。
わたりに船とは、まさにこのこと。
「飯を作ったら、ネルガンを呼んできてくれるか?
それと、少しばかりだが水と食料を分ける。
この島は暑い。
交渉相手が倒れでもしたら、本末転倒だからな」
本心を交えてアスラは言った。
口を湿らせる程度の水と、簡単な食料。
近頃は身体を慣らすために狩りも行っていたために、備蓄はある。
一行全体に対してまずこちらの印象値が上がる。
それに、認知の障害物としても費用対効果は悪くない。
ネルガンは、交渉の前段階でどうしてこの動きをするのだ、とピントの合わない箇所ができる筈。
人物像を複雑化させればさせるほど、対応は脆く、そして遅くなる。
「分かった…!
ありがとう、アスラ」
ドーブはどこか感動をしたような上擦った声で言った。
この男も極端だ。
ネルガンとの対峙の際にも、やや百面相気味の顔をしていたことを考慮すると、こちらの動きをまったく察知できなかった訳ではないと思われる。
それでも、要所要所で感情が優位になる。
良くないこと。
そして、なにより良いこと。
鏡合わせだ。
それこそ、彼女と自分のように。
あるいは、過去の己と、今の己のように。
どちらが良いのか。
一長一短はあるだろう。
ただ、アスラはドーブのようなタイプが好ましいというだけだ。
「そうか」
心中でため息を一つ吐く。
どうしてか疲れる。
昼寝でもしたい気分だ、とアスラは思った。
ドーブはまた薪の様子を見ている。
熱っ、などと言いながら火力の調節を試みているのは、大きな少年のようにも見える。
はあ、とため息が今度こそ口から漏れ出る。
息子が生きていれば、あのくらいの歳になったのか、とふと思った。
畳んだ洗濯物に行儀悪く頬杖をついて、アスラはぼうっとその光景を眺めていた。
亡き妻の、洗濯物が皺になる、という非難の声が聞こえる気がした。
♢
少しして、アスラ宅内にて最終交渉は行われた。
先の浜辺と状況は同じで、アスラ、ネルガン、ドーブの3名が隣席した。
まず最初の切り出しは、ネルガンの再度の深謝からであった。
僅かながら、食料の配給をしたことへの感謝の意を含め、やはりコルビンスとドーブを救ったこと、それに黄虎を退けたことへも触れられた。
アスラは内心で頷いた。
ネルガンの中でも、〈聖地〉は特別に危険な場所であるという強い刷り込みが済んでいる。
アスラは静かにそれを受けると、微力ながら、などと流した。
これは十分な恩であると認識できているので、特筆して強調する必要も無い。
ネルガンは続いて、具体的な物資の必要数を述べた。
食料については約10日分。
400食から500食といった所か。
言い終えたネルガンの瞳は揺れている。
ドーブも唾を飲んだ。
アスラは、瞳を閉じてしばし黙り込んだ。
屋内に沈黙が垂れ込める。
基本的に、彼らのこれは無茶な要求といっていい。
アスラ個人で摂食する量を遥かに超えている。
ただ、業突く張りな内容かというとそうではない。
次にいつ補給できるか不明瞭、この島を出たのちに少し休息を取る、ということを見据えるのであれば、これは十分に想定される量だろう。
実のところ、燻製の肉がかなり余っている状況ではある。
流石に400食とはいかないが、慎ましく食べれば200食分はあると言っていい。
体慣らしと素材集めのために、積極的に狩りを行っていたその不可抗力だ。
「100食はご用意致す」
アスラは静かに言った。
ネルガンは、わずかに喜色を強めたが、未だ表情は硬い。
そう、これは要求の4分の1だ。
アスラが今現在において拙速に用意できる分量かつ、痛手にならない出費でもある。
船の人員を考えれば、持って2日か3日。
どうする。
「ありがとうございます。
しかし、アスラ殿…。
御身にこれだけのご迷惑をお掛けしているのを承知して、ご無理を承知して、何卒お願い申しあげます。
どうにか、食糧の調達にご協力を頂けないか…」
ネルガンは深々と頭を下げた。
無論、そうなるだろう。
100食では、安定した航海は殆どできない。
彼らは今疲弊して、息も絶え絶えの状況だ。
安心が欲しいはずだ。
食糧もそうだし、航海の上での安全面でも。
ドーブが、何かを言いたげにしている。
どうだ。
動くか、彼は。
「なあ、ネルガン。
やっぱり流石に無茶だ…」
良い感じで横槍が入った。
冷静であれば、おそらくは言わないであろう発言。
ドーブは、いかにも様々な懊悩を抱えた表情をしている。
ネルガンは、微かに厳しい表情をして顔を上げた。
「ドーブ、分かっている。
けれども、アスラ殿に手伝ってもらう他には手が無いのだ…」
プライドをかなぐり捨てた懇願。
ネルガンはネルガンで、大した男ではある。
船の長という話だったが、今できそうなこと、それも比較的心証を悪くしないであろう、真っ直ぐな物乞いを行っている。
これは言うには容易いが、理性がある上ではかなり難しい。
妙に立場を取り繕ったり、交渉めいた口上を述べたりと、そのようなものがないのは評価できる。
この場面は、基本的に相手の善意のみにフォーカスをした立ち回りなのだ。
言動から徹底的に棘や骨を抜く調理のようなものだ。
「いや、手はある。
今の構造だと、部外者のアスラに手を尽くしてもらうのが厳しいんだ。
アスラを、当事者にすればいい」
ネルガンは、眼を見開いた。
その意味を一瞬でさとったのだ。
積み上げてきた布石が意味を成し始めた。
許せよ、ドーブ。
これを言わせるために諸々と仕込みをしたのだ。
「つまり?」
踏み込む。
ネルガンが、流石に狼狽したような気配を見せる。
様々な計算をしているのだろう。
ただ、否定はできないのだ。
これこそは、まさにある面では桃源郷の風にすら感じられるほどの甘言。
危険な地域。
補給は必須。
船員は疲れ果てて、間違いなく休憩を要する。
第三者への、物乞いまがいの大きすぎる要求。
これに対し。
アスラは〈船飲み〉を一蹴した黄虎を容易く斬り殺した。
アスラは施設を保有し、保存食も提供できる。
強い戦力があれば、ある程度は気を休めることもできる。
身内に取り込んでしまえば、心理的なハードルは随分と下がる。
デメリットも、無論ある。
けれども、周囲の環境にデメリットが、不安因子が多すぎる。
それらを、一網のもとにまとめて解決できる奇跡の巧手。
アスラの勧誘。
これは、今の話の上では極めて有用な策に見える筈。
「アスラを船に乗せよう」
ドーブは、強い語調で言い切った。
アスラは胸の奥に鈍い痛みを感じた。
意図せずして、一瞬目が細まる。
嫌な感覚。
結実したが、実に形容しがたいような感触が心に残る。
ざらざらとしたような、ぬめりがあるような、気色の悪さ。
やはりこのようなことは好かない、とアスラは改めて思った。
「馬鹿な、ドーブ。
アスラ殿をこちらの都合で、この土地から引き剥がそうというのか」
良い動きだ。
やはり、この男は冷静である。
アスラの意思がどこにあるのか、というのを迂遠な言い回しで探ってきた。
そうだ、ここが問題なのだ。
「ネルガン。
コルビンスが、死に際にアスラへ頼んだらしいんだ。
俺のことを頼むって…。
それで、アスラは船に乗ってくれるかもしれない…」
事実だ。
コルビンスは、ドーブのことを頼む、と言い残して逝った。
ドーブの思い込み、拡大した解釈の仕方も多分に含まれた言だが、嘘ではない。
実際に、アスラはコルビンスとドーブを手当し、それについて対価を要求していない。
約束を遵守しているとも取れる。
結果として、アスラの本来の意図は歪んで正しい像をむすばない。
これは、コルビンスの遺志による感化。
一過的に温もりが移っただけのまやかしの温度。
「先ほど、ドーブ氏と少し話を交えた。
コルビンス氏は最期まで誇り高く、その御遺徳を伺い、蒙を啓かれる思いだ。
ドーブ氏を健勝なる状態にて、ご家族の懐にお返しすること。
それが、拙の本懐ではある」
肝要なのは、気持ちがあるということ。
決定はしていない。
それに、この武人気質な言動も刺さる筈。
こちらの捉え方が、『劇薬』から、『副作用の強い良薬』という程度まで良化する。
「それは…。
しかし、なるほど…。
アスラ殿、僭越ながら貴殿が乗船される際に求められる事項を伺いたい」
ネルガンも二つ返事では受けない。
誘導されているような気味の悪さもあるだろう。
こちらの解像度が未だ低いためでもある。
具体的な要求を開示させることで、プロファイリングを行おうとしているに違いない。
アスラは、目を瞑って黙り込んだ。
少し考えるような素振りが重要。
すぐに答えてしまえば、疑念はより高まる。
「…では、主に3点お力添えを願いたい。
一つ、ドーブ氏の身の安全は、拙が一切を拝承致そう。
貴殿らは、動けぬ彼に割く余計な人手を、船の運用へと戻されるが良い。
二つ、我が神への礼法により、拙は一日の内、定まった時間を静寂と闇の中で過ごす。
これは拙の刃を研ぐ儀式でもある。
三つ、拙は外界の事情に疎い。
ネルガン氏ご一行に無用な累を及ぼさぬよう、外界の理をご教示頂ければ幸甚である」
これには、いくつかの本音と建前がある。
ドーブの護衛をつとめるのは、コルビンスの遺言から自然に想定できる流れだ。
高潔な武人のような印象が向こうにできつつあるのであれば、それをより強固にできる。
加えて、リソースの最適化を謳いながら、結果的にドーブを人質に取るような格好になるため、妙な加害はされにくい。
二つ目は自己管理をするためだ。
特に包帯の件が大きい。
陽に弱いというのは、場合によっては致命的な弱点になりうる。
これを防ぐためには、この格好は一種の祈りのための衣装である、などと撹乱をする必要がある。
戦いに備えるために時間を使うというのも、大義名分として一定の水準を満たしているので咎められにくい。
最後は語るに及ばない。
情報収集をする大義名分としてそのように振る舞う必要があるということ。
実際、彼らも異文化のものをある程度教育したいと思う筈だ。
同じ船に乗るのであれば、なおさらだろう。
「承知いたしました。
ふむ…。
では、当船に搭乗いただく場合においては、食糧やその他の物資について、収集のご協力を得られるということで宜しいですか?
また、要事において、戦力として当船の防衛行為にご参加はいただけますか?
当文化圏において、これは禁忌であるという行為や、あるいは慣例などはありますか?」
良い質問だ。
一つ目はリソース確保の言質を取る。
当然だ。
二つ目は、戦力としての、つまり人員としての確約を得る。
働け、ということを言外に言っているに留まらず、頼まれて船に乗る恩人という立場を契約で上塗りするという意図もある。
最後は、閉鎖空間で過ごす上での不穏の種を摘んでいる、ように見える。
実際は、いわゆる制御不能の戦力足りえるアスラの手綱を握ろうとしている。
一種の弱点の炙り出しだ。
やはりなかなかに賢い男だ。
「物資の確保については、拙にできる限りの協力を惜しまぬ所存だ。
また、手持ちの備蓄もすべて供じよう。
貴船に身を寄せる以上、拙も防衛戦力の一翼を担うに吝かではない。
ただ、一点。拙が剣を取るのは防衛の局面に限らせて頂く。
ネルガン殿に限って左様なことはあるまいが、万が一にも加害や略奪に類する行為と見受けた場合、拙の加勢は叶わぬものとご承知おき願いたい。
最後になるが、我が信仰については秘めさせていただく。
静寂と沈黙こそが我が神の教え…。
何卒、許容されたい」
ネルガンは難しい顔をした。
数回瞬きをして、ふう、と息を吐いた。
「委細承知致しました。
では、アスラ・ウシール・アンラ=マンユ・パブ=ダ・アセド・ラ=スーヤイルム・カルナ殿。
貴殿を、当船へとお招き致します。
どうか、この危機に対してご協力をお願い致したく」
ネルガンは疲労が未だ色濃いような顔に笑みを浮かべた。
片手を、アスラの前へと差し出す。
これは、握手なる文化。
丁寧な挨拶の儀礼。
要するに、交渉は締結されたということだ。
アスラも、片方の手をそれに合わせる。
潰さない程度に力を入れて握り、ネルガンと目を合わせた。
力強い。
生き残るのだ、という強烈な意志をそこへ感じる。
火をつけたような赤毛。
凪いだ海を切り取ったような瞳。
まるで、燃え盛る海原のような男だ。
「微力ながら、精一杯力を尽くさせて頂く。
よしなにお願い申しあげる。
ネルガン・セペリアノ・ホルヘ・デ=ヨビス殿」
♢
蝉の時雨が集落を包む。
黄昏の色が、島の一切を塗っている。
影は暗く、光は弱く、空気はぬるかった。
海風が、少しの涼しさを運ぶ。
アスラは、狩りを終えて燻製を作っていた。
夜通し作業をすれば、必要な数は確保できる。
海は湿り気があるのだろうから、燻製肉はできる限り水気を飛ばさなければならない。
船の連中は、やはり弱っていた。
特に、話によれば水主と呼ばれる巫女がひどく衰弱しているという。
これは〈耳の深酒〉によるものらしく、この島を離れない限りは良化することはないだろう、とのこと。
つまり、浜での彼らの話の通り、出来る限り早く補給を済ませて出航をする必要がある。
明日か、あるいは明後日。
ばたばたとするが、致し方ない。
人の命が関わっている。
昼間の交渉。
悪くない出来だった。
船に乗るということを約束し、船内での自由もそれなりに確保できた。
こちらのウィークポイントについてもさとらせず、それこそ、船に乗るという最終的な目標すらも何ら察知させずに交渉を終えた。
好意を示してくれたドーブを誘導して、ネルガンを絡め取ったのだ。
コルビンスの遺言さえ、凶器に変えて。
なんだろうか。
どうしてか、達成感がない。
血が通わないような戦果。
身体が冷たい。
彼女の夢。
砂の絵で描かれた夢。
昔の己なら、どのように叶えただろうか。
船を実際に作ったのだろうか。
それとも、この島にやってきた昔の船乗りたちに着いていったのだろうか。
炉の炎が、夕闇の中に橙の光をともす。
揺れる。
重なるように、伸びるように。
火の粉が、暗い中に赤く細かく、ちぎれた赤い花のように流れる。
彼女は死んだ。
そして、彼女が好きだったアスラも死んだ。
いつしか薄く研がれすぎた心から、何か溢れて落ちるように暗闇へと消えた。
たまに、分からなくなる時がある。
どうやって笑うのか、どうやって泣くのか。
それは実に喜ばしい傾向で、心頭滅却の域にある証拠などといわれる。
真の戦士において、笑ったり泣いたりなどと、そのような感動は必要がない。
精神を薄く研磨する。
薄く、薄く。
それこそが、武術の求道。
失敗だった。
ある時、それが誤りだと体の芯から思い知った。
いや、どこかでそれに不穏を感じつつも止まらなかった。
気づけば、何もかもが後の祭りだ。
必死で取り繕っても、結局は元の通りにはならない。
恐ろしい。
精神が変じてしまうのが、本当に恐ろしい。
彼女の最期の言葉が、耳にへばりつく。
この身体に、この少女の身体になった時。
もしかすると、何もかもが元の通りになるのかと期待をした。
歪みのない身体。
健全な心。
それは、叶うことはなかった。
良くも悪くも、『アスラ・ウシール・アンラ=マンユ・パブ=ダ・アセド・ラ=スーヤイルム・カルナ』の延長にあるような、あるいはそれに手を加えたような肢体。
身体能力は、全盛の頃に近い。
歳は若い。
病は、今のところは無い。
そうだ。
考えによっては、あるところまで歪んで巻き戻されたような。
黄虎を、手玉に取れる。
技の冴えは戻ってきた。
力がある。
そう、力。
力だ。
なんだろう、これは。
何かを救うには足りず、何かを壊すには過分な、あまりに使い勝手の悪いもの。
どう使う。
何の為にある。
そればかりがあって、どうなる。
炎がゆらゆらと揺れる。
薪は殆ど炭になって、火は小さくなりつつある。
弱い炎。
闇に飲まれてしまいそうな、か細い火種。
長い時間燃え続け、いまにも灰になろうとしている。
これが消えたら。
灰燼に帰してしまったら。
己には、なにがある。
荒涼とした心の底。
ただ、思い出に手をかざして温もりを得るだけの屍。
何もかもが強張る。
どうして、これほどに空虚なのか。
優しいもの。
冷たくないものが、羨ましい。
ーー友達みんなで、世界を見ようよ。
アスラは、幽鬼のように立ち上がった。
何かに操られるように、四肢が動く。
微かに赤熱した木製の火かき棒を手に、閑散とした集落を離れる。
赤い光の線が、アスラの通った道に、血で曳いたような緋色の残像を残す。
緩やかな坂を降り、浜を歩く。
少し離れた場所に、船の影がある。
ネルガン一行の、停泊した船舶だ。
船上や窓からは明かりが漏れて、夜のとばりが降りようとする中で、じんわりと暗闇を払う。
眩しくはないが、力強い光。
笑い声が聞こえた。
人の影が、その中で動いている。
アスラは、ある所で立ち止まった。
記憶の中の、淡い色の砂浜。
まさに、彼女と約束をした場所。
そこに明かりは無く、風は冷たく、海は暗い。
彼女はおらず、アスラらしきものがいる。
藍色の砂。
殆ど黒に近い色。
風に撫でられて、アーチのような無機質な幾何学の模様が幾重にも描かれている。
何もない、滑らかなばかりの砂の山。
彼女の絵は、消えている。
当たり前だ。
その日のうちでさえ残らない。
そこへ、何かを描こうとして、手が止まる。
手の火かき棒が、小さく赤い光をはなっている。
先端に残された、あまりに小さな熱。
アスラは、その棒をやにわに振るった。
風切り音。
火の粉が横なぎの軌跡を飛んで、炭化した部分が崩れる。
地べたに落ちた炭は、ほんの少しだけ光を保って消えた。
だらりと棒を下げて、先を見る。
浜に、まだ赤い色がうつる。
小指の先ほどの火種。
消えそうで、消えない。
まだ、明るい。
残っている。
誰も、何もなくとも。
酷く粗末な残火でも。
まだ、燃えている。
波の音に何かが混じる。
遠くで、アスラを呼ぶ声が聞こえる。
用語集
・黄虎
「闘争の獣」、「四つ足の戦士」の俗称を持つ金色の虎。精霊樹の鎮座する森の深部を基本的な縄張りとしており、黄虎らが常用する獣道は、金の脈と呼ばれて高く警戒されている。
特有の甚大な肉体活性によって、雷足、光の咆哮、金剛毛などといった絶技を繰る。年老いた個体の方が肉体活性の技術が高いとされ、黄虎の老虎は島でも随一の猛獣といって差し支えない。
余談だが、作中で登場したのは比較的若い個体。




