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序章(1) まどろみ



 そこは、鬱然とした森だった。

 天蓋(てんがい)は深い常盤(ときわ)の色で、空より注がれた日の光は、その(ひさし)を通るとみごとに緑がかった暗い影となって、地べたに落ちている。

 風が吹くたびにその影はいそがしく形をかえて、煌びやかな飾りガラスのように、どこか静謐で、生命を写像したような複雑な模様を描き出していた。

 厳かに光のさす岩の上に、栗鼠(りす)のようなものがある。

 木のみを小さそうな諸手で大事そうにかかえて、右へ左へと視線を泳がせている。

 よくよく見れば、身体と同じほどの尻尾は、右に左に2本ある。

 加えて、栗鼠(りす)は存外に大きい。

 人の背丈の半分はあるだろう。

 森と相対として、小さく見えているのだ。

 周囲の木々は根からして甚だ大きく、それは規則もなくうねり回り、地べたにいく本もの太い足を埋め込んで、柱のような幹を泰然と支えていた。

 微かに、獣道があるようだ。

 地べたの緑が幾度も踏まれて薄くなり、わずかに黒っぽいような湿った地べたが露見している。

 先は見えるが、暗い。

 野生のかおりが強くそこに漂い、闇の奥から、針のような黒い瞳の照りが一瞬だけ覗いた。


 その森を進み果たした場所に、広場があった。

 人為のものではなく、自然が天為をもって作り出したと思われる、あまりに静謐な閑地(かんち)である。

 巨木といってさしつかえない木々らは突然とひしめかなくなり、幾分多くの光が注いでいた。

 そこには、古めかしい石の祭壇と、飾り柱が数本ばかりある。

 いずれも複雑な装飾が施してあり、それなりの文明を持つ民族があったことを暗に伝えているだろうか。

 そして、中心に大樹があった。

 祀られているような雰囲気のあるその樹は、およそ森厳(りんげん)とその場に鎮座している。

 よく見れば、人影があった。

 男である。

 大樹の膝下に、疲れ果てたように座り込んでいる。

 男は、天を仰いでいた。

 頭上に空いた光の窓を、黒い点がしきりに横断していくのが見える。

 鳥の一群だろうか、果てのない光耀の空を、高く、高く飛んでいるらしい。

 男は、それを翡翠ひすい色の瞳でじっと見つめているのだった。


 まるで、枯れた木のような男だった。

 霜の降った長髪を髪飾りと編み込み、一部は結って纏め、一部は肩の辺りから無造作に垂らすという、複雑な髪型をしている。

 褐色肌の顔に刻まれたしわは多く、頬は髑髏(しゃれこうべ)のようにこけ、口元に蓄えられた整ったひげは雪のように白い。

 立派な体格だった。

 肩幅は広く、丸めている背を真っ直ぐに伸ばせば、見上げるような長身であることは明白(めいはく)で、手足は骨ばっていたが、実に大きい。

 淡白な白塗りの、あるいは色さえも塗られていないような、無骨な鞘に収められた長剣が、肩に抱かれていた。

 珍しい形の耳には、鉄製であろう鈍い色の無数の装飾具ピアスが留められている。

 遠くの空を映した翠眼すいがんは、釣り気味で意思が強そうであったが、よくよく見れば、尋常とは幾分違う違うつくりをしていて、にわかに恐ろしくも、なお神秘的に見えた。


 それにしても、雄大(ゆうだい)である。

 男が背にする大樹のことだ。

 周りの木立(こだち)も、高く、深く、美しすぎるほどだが、それと比べても、あまりに威容だった。

 天をするようにして伸びる幹は壁のように長大で、所々苔むして、シダ植物のつるが幾本も垂れている。

 根っこもそれは立派なもので、近くに寄れば緑に覆われた茶色い岩のようにしか見えない。

 枝葉の傘はまるで空を覆うように広がり、一帯に大きく深いかげをつくっていた。

 蝶や小鳥や、あるいは小動物などが、人の何倍もあるような(こずえ)を間借りして、安穏そうに身を休めている。

 ただ、見るからに老樹ではあった。

 すでに余命は幾ばくかなのか、枝に残った葉は黄色く、すでに禿はげてしまった部分も目立ち、幹の色も、寄生した植物も、やや色が()せて、命が枯れているような印象を与えた。

 時折がさがさと乾いたような音を鳴らし、茶色く干からびた大きな葉が太い枝を離れては、寂々(せきせき)と宙を舞っている。


 男がここへと足を伸ばしたのは、ついも先ほどのことであった。

 時刻は昼を少々過ぎて、影は小さく鮮明になり、太陽は青い空の中天に居丈高に居座りながら、白くまばゆく輝いている。

 一帯は、常夏の気候と言って良かった。

 日光こそ、身の丈の数倍もあるような(やぶ)で殆ど遮られているが、その代わりにうだるような熱気と湿度がたれこめている。

 この広場は多雨林のなかにあって不思議なほどに清涼で、空気はまったく澄み渡り、静やかに風がそよいでいる。

 男は、この場所が好きだった。

 眼前に鬱蒼(うっそう)と茂る巨大な木々も、樹冠に陽の光を一杯に浴び、生き生きと葉を揺らしている。

 男は、暗がりの中に刺した木漏れ日の作る斑模様(まだらもよう)にかすかに目を細め、


 (おれも歳を取ったが、ここは相変わらず気が鎮まるな…)


 と、顎の髭を(しわ)がれた手で一撫でするのであった。


 男は、アスラ・カルナと言った。

 本名はこれの数倍も長く実に煩わしいので、親しいものはそう呼んで、男もそれを好んでいる。

 端的に言えば、彼は〈戦士〉だった。

 男や、その背後の巨木が座する森は、ある島にあった。

 絶海の中に、ぽつ、と浮かぶ、世と隔絶された名もない孤島である。

 島の半分以上を占める樹林は実に幽遠ゆうえんで、未開の神秘や生命の活動に満ち溢れ、〈戦士〉らはその仙境の中で技を磨く。

 その森の深奥に位置するこの幽邃閑雅ゆうすいかんがの聖域で、気を鎮めて瞑想にふけるのは、アスラにとって一種の命の洗濯であった。


 (はて、随分葉が落ちたな…)


 アスラはそんなことを思うと、背を預けている大樹の幹を優しく撫でた。

 乾いたような木肌は、ざらついて命の湿り気を失いつつある。

 実際、この周辺は、匂いたつような翠緑すいりょくの樹海の中にあって、茶色の絨毯を敷きのばしたような、風変わりな景観が一面に広がっている。

 折り重なった落ち葉が、そのような変調を作り出しているのだ。

 アスラは、足元に落ちた枯葉の一葉いちようを、指でつまんで拾い上げると、葉柄ようへいの部分を持って検めた。

 広い葉である。

 万物を抱擁するようにひろがった、立派な葉である。

 しかし、葉身ようしんの先にかすかな力をこめると、まるで硝子ガラス細工のような心許ない脆さをもって、粉々の破片へと変じてしまう。

 迎えが来るのだ。

 この樹には。


 (そろそろ互いに死が近いですな、精霊様) 


 アスラは、背後の木に向かって心中でそう話しかけた。

 精霊様とはこの木の俗称である。


 精霊の樹(ジア・ルジャ)

 それがこの背後の古木の通称である。

 大いなる精霊が宿り、戦士を導くと言い伝えられた霊木だった。

 島の民はしばしばこの木のことを精霊様ジアーラと呼んで尊崇していた。

 樹齢については諸説あり、四千年とも五千年とも聞く。

 アスラら島の〈戦士〉らは、第一に重要な風俗として戦士の神を崇拝した。

 その戦士の神は、この樹によりもたらされた啓示によって無二の武人になったという。

 神はその後天に昇られ現世にはいなくなられたが、神を導いた伝説と共に、この霊木は歴然として根をはり続けた。

 そうして、島の戦士らは〈守り人(フターム)〉を自称した。

 神を導いた神木を守り、また、戦の神がそうされたように、己が強さを天の神々へと捧げることが、島の民の営みの全てなのだ。


 しかし、前述のように精霊の樹の寿命は尽きようとしていた。

 ひと頃の前までは、巨大な枝には数えきれないほどの葉がつき、この森の奥地を深いかげで覆いつくしていた。

 それがいまや、影は薄く、まだらになり、殆どが落ち葉となって、大地に還ろうとしている。

 過渡なのだ。

 文化が、時代が、要らぬものを置き去りにして、進もうとしているのである。

 枯れ木と老人を、この孤島に残したまま。


 穏やかな表情で空をを見上げるアスラの胸に、強烈な不快感が走ったのはその時である。


「っ……ゴホッ、ゴホッ!」


 アスラは(たま)らず咳き込んだ。

 肺の辺りに、深く、強い痛みが走った。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」


 粘つくような湿り気を伴った咳嗽(がいそう)が、抑えきれずに外へ抜ける。

 口元を抑えた掌に、べっとりと赤い色がついてゆく。

 焼けつくような息を、一つ、また一つとアスラは吐き出した。

 一種の発作である。


 アスラは重い病を患っていた。

 六十過ぎになってより、重度になった病である。

 今まで数々の薬草を試みたが、成果は芳しくなかった。

 病状は、いかにも末期といっていい。

 いまのような喀血かっけつあるいは吐血もそうだが、全身に渡る形容しがたい痛みは茶飯のことで、起き上がることすらも億劫に感じるほどの深甚な倦怠感が四肢を覆いつくしている。

 特に最近など、薬湯やくとうなどを含んでも、まともに動けぬような有様だった。


「ふう…」


 少しばかり咳き込んだのち、発作らしきものは治まった。

 とはいえ、アスラの顔色は優れない。

 褐色のおもてはいよいよ生気が失せて、蒼白の血色になっている。


 アスラがこの場所へと足をのばしたのも、病状に端を発したことだった。

 アスラは自分の命がいよいよ終わろうとしているのを感じ、わざわざ精霊の樹に(まみ)えに来たのだ。

 幾ばくかでも動けるうちに、もう一度この樹の元へと詣でたかったのである。

 最近はめっきりこの森の聖域へと足を運ぶことがなくなっていたのだが、今日は幾分具合がよく、天候も優れていたため、こうして赴いたのだ。


 島の人々にとって精霊の樹とは、(まさ)しく、紡がれた文化、営みの象徴であり、全てだった。

 実のところ、アスラはさほど信心深い方ではない。

 この樹にまつわる御伽噺(おとぎばなし)や、それこそ戦の神を導いたという伝承も、話半分というのが正直なところだった。

 ただ、そのような余談を抜きにしても、不思議と愛着はある。

 孤独を埋めてくれる大樹だった。

 美しく、雄大で、ひとたび背を預けるとささくれた心は凪いだように落ち着いた。

 アスラにもいつしか友ができ、家族ができ、子ができ、それらを支え、守るという立場になった。

 忙しい日々ではあったが、時たまこの霊木に身体を寄せて羽やすめをしたものだった。

 この樹は、黙然(もくねん)と島を支えてきたのだ。

 数多くの戦士を、言葉なく導いてきたのだ。


 精霊の樹(ジア・ルジャ)が枯れ始めてから、既に五年の歳月が過ぎようとしている。

 〈守り人〉の(にん)、霊木を守るという責務はすでに終わったのかもしれなかった。

 アスラは実際、人並みに懊悩おうのうした。

 樹はじきに死ぬ。

 島の民の誰もが崇めた、力強い精気(せいき)はすでにない。

 誰もが文化の終焉を薄々と感じ、恐る恐る口に出した。

 終わりだ、と。

 そして、それは正しかった。

 

 母なる樹、天の神々が〈穢土〉へと奉じたとされる島の賜物が、その命を散らしてゆく。

 この樹が死ぬということは、島が、〈守り人〉の一族が死ぬということと同義といってよかった。

 ある者は未来を求めて島を発ち、ある者は落日を共にせんと衰滅を受け入れた。

 まさしくそれは、この島の岐路だった。

 アスラは、己に問うた。

 回答は実に明瞭で、この島の〈守り人〉として、武人として逝く、と心は低く(うな)っていた。

 穏やかに逝くなどというのは、二重規範(にじゅうきはん)も甚だしく、烏滸(おこ)がましいことだと思った。


 〈戦士〉などと呼べば、実際聞こえは良い。

 勇猛、精悍、豪胆、いかにも武張っており、立派にきこえる。

 だが、行なってきたことを平たくすれば、ひたすらに殺しの探究という外道でしかないのだ。

 この島の民らも、背景はどうであれ随分と人をあやめた。

 〈戦士〉として、己がどれだけの不幸を呼んだのか、アスラには想像もできなかった。

 ゆえにこそ、武の道を志した以上、その陰と陽を最後まで完徹するべきだと思った。

 殺し、殺されるのが常套のいくさなのだから、きっとそのさむらいは殺しをほどこしてこうむって、初めて〈戦の士〉と呼べるものになるのだから。


 (しかし、ああ…。

 もうじきに、潮時が来る…)


 先のとおり、アスラには予感があった。

 全身を覆い尽くしていた筋肉の鎧はみるみると削ぎ落とされ、皮膚は乾き、骨は明瞭に浮き上がり、足は死の河に浸かっているとも思われる。

 命の水が、器の底から抜けてゆく。

 死の神の、鋭く冷たい鎌の剣(マルジャ・トマサ)が眼前に見える。

 唯一の心残りは、何者かに討たれずに逝くことになりそうなことだろうか。


 〈守り人〉とは何のためにあったのか。

 アスラにはついぞ、その意味を解き明かすことはできなかった。

 戦士として生まれ、戦士として死ぬ。

 強き神を敬い、霊木を守る一族。

 アスラは外の世界のことは知らないが、もしかすると特異な一生を送る人種として生まれ落ちたのかもしれないと、今になって思う。

 この孤島と、そして精霊の樹と、武道の血の道を歩み続けて、六十と余年。

 辛苦の数は、おびただしかった。

 戦士などという穏当を欠いた生業なりわいに従事していたことを鑑みれば、それも道理であろう。

 けれども、同じくらいに幸福をもらった。

 有難い生涯だった。

 

「おれも年を取ったのだな…」


 と、アスラは苦笑いとも微笑(ほほえ)みとも取れるような曖昧な笑みを零した。


 少しばかり強い風があたりを吹き抜けて、森がかすかにざわめいた。

 息苦しい胸を抑えながら、アスラは枯れた葉の積もった大地に視線を落した。

 このさび色の木の葉一枚一枚に、己の人生が、思い出が詰まっているような気がしてくる。

 風に飛ばされ、獣に踏み荒らされ、雨露に濡れ、いずれは形なく崩れる。

 無情なものだ。

 何も成さぬ道程(どうてい)だった、とアスラは記憶の海に足を浸した。

 幾十という懐かしい顔が、アスラの脳裏に薄く映っては消えていった。

 人には恵まれたという自負があったが、それらに報いてやるということがおよそ出来なかった。

 アスラには、遠くで笑い声が聞こえていた。

 聞きなれた明るい声の主が、島のどこかで、空の遠くで己に手を振っているような気がした。


 森は静まって、穏やかな風が吹き、アスラは(おもむろ)に空を見上げた。

 宙を舞う枯れ葉の向こう側には、爽やかな晴天が広がっている。

 空の色は何時も変わらない。

 深くて綺麗な青色だ。


 いつだってそうだった。

 十年前も、二十年前も。

 遠い、遠い、昔だって――。




 ♦




 名もなき島で、誰もが最初に教え諭されることがある。

 戦士の神パプ=ダを崇め、強き勇者となれ。

 そして、〈精霊の樹(ジア・ルジャ)〉を守るのだ、と。

 〈守り人〉の戦士は、天より課されたその試練に、生涯を賭して臨むのだ、と。

 島の歴史書に書かれている範囲では、少なくとも四千年以上この木を守り続けているのだ。

 大いなる神が樹に導かれ、天に昇られてより幾星霜、〈守り人〉の民は歴史を紡ぎながらこの地を聖地とあがめ、祀ってきたのである。


 島の子供は、皆幼少の頃から何らかの武具を持たされる。

 それは、剣であったり、槍であったり、斧であったりする。

 皆、自分の両親の武具を受け継ぎ、〈守り人(フターム)〉として修行をするのだ。


 今より島の暦で六十余年を遡るが、弓のカルナ(うじ)と呼ばれる血族に、一人の男の子が呱々(ここ)の声を上げた。

 翡翠色の瞳を持つ、玉のような赤子だった。

 赤子は、アスラと名を受ける。

 島では随分とありふれた名前で、一つの集落に二、三人は見かける、素気のない実に凡庸な名だった。

 その家には、父しか家族がなく、母は随分の昔に亡くなっていた。


 集落のはずれにある、酷く粗末な家にアスラは育った。

 カルナ氏は由緒もあり、武名も大きい名門という扱いをうけていたが、それは槍と弓を継いできた家に限られる。

 歴史を少し手繰ると、アスラの十一代前の先祖が俄然がぜんと剣の道を夢想し始め、青春の殆どをそこへと注ぎ込んだ。

 槍を継いできた両親と氏族の反対は苛烈であったとされるが、それを超然と跳ねのけて剣を取ったのだ。

 十一代といえば、これも島の暦で三百年以上の歴史があるといえるが、カルナ氏は実に三千年以上などという悠久の歴史を持つ伝統の血族であるから、それを比較すると流石に浅薄で、そんな新興の武道――これは氏族においてという意味だが――よりも古くから技の伝わる弓や槍を研鑽した方がよい戦士が育つだろうという反論は、致し方がない所もあった。

 このような事象は稀なことで、器を離すと書いて〈離器りき〉などと呼ばれ、氏族の武具を、ひいては伝統を受け継がないという大変に度し難く、一般の風聞も芳しくない異色の選択である。

 いずれにせよ、アスラの手に伝承されたのはカルナ(うじ)の剣だった。


 アスラが精霊の樹(ジア・ルジャ)を初めて見たのは七歳の時だった。

 木は島の森の奥深くにある。

 その道行には、黄虎(ピラ・バガ)と呼ばれる怪物の縄張りがあり、大変な危険がつきまとう。

 不思議なことに彼らの多くは霊樹の周囲を取り囲むようにテリトリーを持ち、深奥に潜るにつれてより成熟した、したがって極めて戦闘能力の研ぎ澄まされた個体が闊歩(かっぽ)する傾向にある。

 少なくとも自分の身を自分で守れるようにならないと、精霊の樹を見ることは叶わない。

 自分の育て親に腕を認められることがまず一つ。

 そして、その推薦を受け、パプ=ダ神が天覧されると言われる御前試合に席を取り、武名を上げなければならない。

 末席であれ、〈守り人〉の戦士である者のみが、精霊の樹に拝謁(はいえつ)を許されるのだ。


 アスラの父、アンラ=マンユ・カルナは、戦士として非常に複雑な評価をなされた人物だった。

 この戦士の島で僅か十代という甚だ些少さしょうな武術の累積をして、ごく一流の剣術を使う豪傑中の豪傑であるということ。

 そして、天稟てんぴんこそ隔絶たるが、武術に心身を捧げるがあまり、神経衰弱が酷く、人の道を外れてしまった、などというものだ。

 アスラはしばしば父の生き写しなどと呼ばれ、体格も小柄な父に似通って貧弱であったが、剣の才気も天にそびえるほどにうず高く、他を寄せ付けぬ父譲りのものだった。

 血の通わない鋼の延べ棒は、まるでアスラの手足を延長したように自在に動いた。

 父は、アスラが二歳になる前に剣を握らせた。

 いや、それは正確ではない。

 アスラが一歳といくばくかで剣を取ったのだ。


 父は、手取り足取り剣術を教えることはなかった。 

 ときおり、我流の型を数すじ、打ち込みを数本見せた。

 アスラには、それで充足であると父は恐らく悟っていた。

 分別のつく大人であるならばまだしも、幼い子供は、例えそれが己の未来にとり有益で、先行投資と断じることのできる努力や忍耐であったとしても、大概は挫折し、あるいは途中で妥協点を見出し、そこに甘んじるものだ。

 この島において武術の腕はいかにも「格」や「身分」などを象徴するものと言って良かった。

 強き勇者は尊重され大いに(たた)えられ、惰弱なものは軽んじられ、蔑視される。

 幼少の頃より抜かりなく技を磨いてきたものは、年月を経てもその基礎、基盤が盤石としていて、手ごわい。

 ただ、この武術の研鑽というものは大変な艱難辛苦(かんなんしんく)を伴う。

 悪くすれば、命をも失う。

 成人の戦士であっても、無精(ぶしょう)の方向へと流れてしまう事例すら珍しくない。

 強制させずして子供に全うさせることは困難を極め、また健康への配慮という点でも一定の線引きを行いながら、親が手綱を握って慣らすように走らせる(・・・・)というのが一般である。

 

 しかし、『剣のカルナ氏』は、何か異質なものを秘めていた。

 父は強制することはせず、また程度を指示することもなく、子供は狂ったように剣に熱中した。

 アスラの実力は日に日に伸び上がった。

 同年代の子供の中では頭一つ、あるいは二つ抜けて強かったし、ときおり成人の戦士とすらある程度の勝負をした。

 よって、僅か七歳で腕を認められるに至った。

 これは異例中の異例といっていい速さである。


 アスラは、その日厳かな神事に出席していた。

 その催しは精霊の樹に新人の戦士がまみえるという、ただそれだけの行事であった。

 先の通り、単純な祭礼なのであるが、催しとしての格式は高く、島では非常に名誉ある、戦士の洗礼の場として厳粛すぎるほどの空気を伴われて行われる。

 恐るべきことにアスラ少年の天資とひたむきな努力は、若干七歳の幼子(おさなご)を、見分人に一人前の戦士として認めさせるに足るものだったのだ。

 屈強で精悍な戦士らが居並ぶ中、華奢で小柄な少年が絢爛な祭礼剣を携えてその儀式の中にあるのは、実に異質な光景である。

 太鼓や笛の神妙なる演奏がなされる最中、アスラはその樹を見上げていた。

 これほど美しいものはない、とアスラ少年は思った。

 大きなものを目にすれば、特異な存在感を、少なからず畏怖を抱くものだが、アスラは心底に映像が重くのしかかるような気分を味わっていた。

 大きい。

 なんとも大きく、壮大だった。

 幹は城壁のように広く重く、色は深い深い茶の色で、青々とした苔が半ば以上の高さまで這い上がって、蔦が幾本もぶらさがった厚い頭上の傘は、空の色を間違いなく一つ暗くしているように思える。

 光の帯が、枝葉の間を縫って、黄金色の柱のように静やかに地上に落ちていた。

 それが、〈守り人〉の民が進む道を眩く照らしている。

 水の澄み切った清らかな泉がその根元に湧いており、蓮の花が静かに咲いて、水面には遠くに見える空と霊木の御姿が、明瞭に投影されているのだった。

 戦士の神は、この樹の膝元で日夜瞑想にふけったという。

 まさに、神がかりの神秘を宿した大樹だとアスラは思った。


 美しかった。

 本当に美しかった。

 全てを忘れられるほどに、ただ美しかった。



 ♢



 アスラが十八歳の時分であった。

 アスラ・カルナが日課となっているある人物への展墓(てんぼ)を、例のごとく行っている時のことである。

 マングローブの開花の時期が少しばかり過ぎ、海に注ぐ小川には、溢れて落ちた鮮やかすぎるほどの赤い花びらが、無数に浮かんでいた。

 その小川の流れる浜辺から幾分高い位置にある崖の際に、つくりは酷く粗末だか、随分と掃除の行き届いた石の塚が、草原にぽつんと佇んでいる。

 アスラはその墓石へと、黙して向き合っていた。

 アスラの体格は少年の頃から別人のように屈強に成長し、精悍な偉丈夫といって過言ではないような青年戦士へと変貌していた。

 睫毛の長い双眸を固く閉じ、背に複雑に結った長い黒髪をなびかせて、みじろぎもせず黙祷を捧げる戦士に、慌てた様子で声がかけられたのは、まさにその時である。

 アスラは、静かに瞳を開けて背後の声の主へと翻り、つり気味の目を細めた。


 島に来訪者があった、とアスラの友人は言った。

 なんと、外界からのものと思われる船が一隻やって来たのである。

 これは無論、青天の霹靂といって相違なかった。

 外界との親交など、ごく一部の変人をのぞいて通常の島民はおよそ考えていなかったし、歴史上でもごく珍しい事象と言って良い。

 ごく珍しいというのは、過去の事例として――実に神話の時代の話に遡る昔話だが――戦士の神が〈浄土〉、つまり神々の座へと登る際に、天の神々が〈穢土〉へと船を出してそれを迎えられたとされている。

 ただ、当然ながらこれは神話の類であるから、有効な事例として数えて良いものかは難しく、実際の所、この島へと来訪した者はおよそ歴史上居ないと言っていい。


 重ねて述べるが、大変な珍事、事変なのだが、アスラがそれを知ったのは結果としてかなり遅れてのことだった。

 アスラの数少ない友人が、剣の鍛錬と墓参りを往復する偏屈極まりない戦士へとその知らせを届けようとしたのだが、これがうまくいかなかった。

 基本的に単独行動を好み、島の端の霊碑へと現れて半日も鎮魂を行ったかと思えば、森の奥地へ篭って何日も行方知れずになり、かと思えばけろりと集落に顔を出して物々交換に励むなど、神出鬼没極まりない変人の行動規則など、およそ把握できるものではない。

 アスラの友人もほとほと困り果てたが、霊碑へと参る可能性は連日極めて高いと見て行った待ち伏せが、今回見事に成功した形である。


 そんな偏屈者を差し置き、他の島民らはといえば、首長の指示のもと厳重な警戒をした。

 伝令のものが各集落へと飛ばされたのはすぐの事で、腕利きの益良雄ますらお、女傑らが呼び集められ、一方で東西南北の端に警邏の人員が油断なく配置され、不意の襲撃にさえ備えるように布陣をしいた。

 閉鎖的な環境下におかれた民族であるということを踏まえれば、『未知』という根源的な恐怖が、外界の好奇心を明確に上回ったという当事象も、無理からぬことではある。


 一通りの説明を終えて、アスラの知人は目の前の美丈夫の反応を待った。

 どうせ、いっそ冷淡といっていいほどの無頓着な回答が返ってくると思っていたのだが、期待は良い意味で裏切られた。

 行ってみるか、と剣士は言った。

 友人は当惑した。

 これまた珍事である。

 アンラ=マンユ・カルナと双璧を成すといっていい廃人ぶりで知られる魔剣アスラ・カルナが、小指のつま先ほどではあるが一種のゴシップに関心を寄せるなど、思いもかけないことである。

 そそくさと慰霊の片付けをしたアスラと知人は、渦中の船の元へと向かった。

 もとより、島でも指折りの剣士として名が轟いているアスラ・カルナには招集の伝令がかかっていたので、都合としては何ら悪くはなかった。


 先に述べた通り、騒動の発端よりかなりの時間が過ぎていたが、アスラ一行は浜辺へと到着した。

 南の集落に近い海に、その船はやって来たらしかった。

 遠浅の沖のあたりに、大きな船がある。

 島の民が使う船など、川を下ったり、沖の方まで漁をしに行く程度の用途の、簡単な小舟くらいのものである。

 物珍しく船を観察していたアスラだったが、次第に様子がおかしいことに気が付いた。

 元は立派な作りであったことは間違いないのだろうが、帆は折れ曲がり、船体にはいくすじかの亀裂が走っている。

 海に浮いていることから、廃船とまではいかないのだろうが、損傷が激しいのは間違いない。

 襲撃や侵略を行うにしては、正直心もとないだろう。

 当然、デコイの可能性も否定はできないので、一概に油断はできないのだが。

 

 ことの顛末から言えば、この船の連中は侵略者の類では無かった。

 嵐に遭遇してしまった不運な旅行者と、その護衛という形容が最も正しいだろうか。

 船は、偶然島へと流れ着いたものであったのだ。

 島の民の厳重すぎるほどの警戒は、杞憂に終わった格好である。

 船員は全部で十数名おり、いずれもかなり衰弱していたが、息はあるようだった。

 島の人々は取り急ぎ彼らを介抱した。

 外界のよく分からぬ来訪者とはいえ、命の危機があるものを無下に扱うことはできない。

 十分な寝床と食事をあてがい、薬師を呼んで滋養に良い薬湯などをこさえることもあった。


 しばらくして船乗り達はある程度快復した。

 ようやく歩けるようになった程度であったが、話ができるくらいには体力が戻ったのだ。

 ただ、介抱をしている時に会話があり、どうにも扱っている言語に違いがあることが分かった。

 幸いにも、どうにか意思疎通は可能であった。

 というのも、勉学を得意とする一派の連中の数人が、外の言語を扱えたからであった。


 島の人々は彼らと積極的に話をした。

 情報交換の結果、どうにも彼らは航海の途中で食糧不足になり、その上大嵐に遭い、気づいたらここに流れ着いていたという。 

 話を聞いている内に、彼らが一種の冒険家であることも分かった。

 ただ、悪性の行動――いわゆる略奪や侵略――を起こすような感性はおよそ持ち合わせておらず、良い島があったら思い出に日誌に書き残して、また数年後に訪れるというようなことをしているらしかった。

 船旅は危険で大きなリスクを伴うとのことだが、逆にその便の悪さを大いに利用し、故郷(ふるさと)では物珍しい品を新天地で手に入れたり、採取したりして、金に飽かしている富豪に法外な値段で売り付けているという。

 そういう意味では、旅行者でもあり、冒険者でもあり、商人でもあるといえるだろうか。


 〈守り人〉の民は、数千年以上にも渡る歴史のある一族だが、閉鎖的な環境下で無尽に武術を考究するということ以外をおよそ行ってこなかった孤島の人種である。

 そのため、彼ら船乗りの話というのはまるで劇物のような刺激と、好奇心をくすぐる豊饒さ、脳を焼く鮮烈さを秘めており、人気にならざるを得なかった。

 当初は、文化や地理、あるいは時勢というような堅苦しい情報交換をしていたのだが、途中からは彼ら船乗り達の冒険談になっていった。

 曰く、天よりも高い山があるとか、真っ黒な砂漠があるとか、星を生む河があるとか。

 島の中には、噓っぱちだとせせら笑う連中も一定数あったが、彼らはあくまで本気で話をしているようであった。

 どちらにせよ、島の人々は彼らを大いにもてなし、毎晩彼らの話を聞きに行った。


 極めて異例なことだが、船乗り連中の話の場にはアスラの姿がしばしばあった。

 剣の怪物アスラ・カルナがこのような場に臨席するというのは通常あり得ないことだった。

 幼少の頃より剣術の権化と言ってよい、空恐ろしい武勲を打ち立て続けてきた狂戦士が、どのような心持ちでこの場にあるのかと、当初、周囲はうわさで持ちきりになった。

 ただ、全ての話を聞いているわけではなさそうではある。

 時折、家屋の窓辺から、常の仏頂面で海のずっと先をのぞいていた。

 アスラは必ず赤い花を携えて臨場した。

 誰と話す訳でもなく、表情を変える訳でもなく、特に存在感を示す訳でもなく――ただ、少なくない畏怖こそ集めていたが――、時には家の外の屋根や外壁にもたれかかって、天を仰ぎながら船乗り連中の話を耳に入れていた。


 船乗り達は百日以上も島に滞在した。

 ちょうど百日目に、これまた極めて珍しいことが起こった。

 船乗り連中の一人が、アスラに武術の手ほどきを依頼したのだ。

 こんなものは、通る筈がなかった。

 『技』というのは、〈守り人〉の民における一種の通貨であり、財産といっても過言ではないものだ。

 先祖より脈々と受け継がれた努力と才気の結晶物こそが『技巧』であり、これを試合以外で他人に披露することはまずもって無い。

 精良な術理、屈強な肉体、勇猛な精神を持った勇者にこそ、その『技巧』という黄金の放つ輝きを見せるべきだ、という信仰があるのだ。

 船乗り連中は武術の腕に覚えが無かった訳ではなかったが、この島の基準としての勇者足りえるかといえば、到底そうではなかった。

 にべもなく断られる、と周囲は思ったが、実にしてそうはならなかった。

 アスラは、彼らの提案を飲んだのである。

 どのような考えの元かはおよそ解せなかったが、アスラは船乗り連中に剣舞を一つみせた。

 ごく単純なものだった。

 ただ、間違いなくそれは黄金・・だった。

 人外の域に達しつつある魔剣が、間違いなくそこで振るわれたのだ。

 

 そして、いよいよ別れの時が来た。

 傷んだ船は、島の豊富な材木を用いて、船乗り連中の中にあった船大工に明るいものが修繕をしていた。

 陽気で性質もごく善良であった彼らは、島の人々とも随分親しくなり、島民の中には、もっと居たらどうだとか、また来い、等と口惜しむ連中さえもいた。

 しかし、彼らはやはり海に出るようであった。

 放浪癖があるために冒険者まがいのことをしており、一方で帰りを待つ家族もおり、流石に故郷が恋しくもあるらしい。

 船乗りとしては、当然のことだろう。

 そうして、船乗り連中は惜しまれながらも、食糧などを分けてもらい、しばらくすると感謝の言葉を土産に島から去っていった。


 彼らへの餞別として、島の民は刀剣の類を数十本持たせた。

 これは、〈守り人〉の民族における最大の好意と言っても良いかもしれなかった。

 彼らは主に剣を得手とする戦士であるという話があったため、武術の指南役として剣豪アスラ・カルナに白羽の矢が立った訳であり、餞別の品として刀剣が選定された訳である。

 武具には戦士の魂が宿るとされ、古来より命の次に(おもんばか)るべきものとされてきた。

 その武具を餞別に渡すというのは、盟友に対する敬意とすら取れるような計らいなのだ。

 こうして、島始まって以来の珍事は幕を閉じた。

 島は、しばらく平穏だった。



 ♢



 それから、七年がたった。

 二十五歳になったアスラは、島で最強の戦士と呼ばれるまでになっていた。

 二年前に父アンラを大きな試合で破り、名実共に島で最高の剣士となったのだ。

 もとより、アスラ・カルナとアンラ=マンユ・カルナは己の技の研鑽のみに没頭し、試合などを軽視する傾向が非常に強かった。

 両者ともに島の歴史上でも特筆に値するような使い手であるのにも関わらず、『島でも指折り』というような抽象的な評価に落ち着いていたのはこれによる要因が大きかった。

 端的に言って、これは戦の神を侮辱するようなとんでもない不良な振る舞いだが、両人共に隔絶の実力と、それに比肩しうる気難しさ、特にアスラに関してはそれ以外の多少の事情(・・・・・・・・・・)も含め、誰も何も強く(たしな)めることができないでいたのだ。

 それが、急に両者相踏みとなり、互いに士気も高いという異様な状態が形作られており周囲はまた混乱した。

 その試合ときたら、激烈を極めた。

 始まり方こそ静粛なもので、太陽が中天にのぼるまで両人ともに身じろぎひとつもせずに正眼の構えのままにらみ合い、見物人らは固唾を飲んで見守った。

 その後は、技の尽くし合い、心血の絞り合いと言っていい凄絶(せいぜつ)剣撃(けんげき)の応酬だった。

 互いに剣が折れるまで嵐のような打ち合いをし、アスラは薄氷の勝利を得たのである。

 これは流石に、見物した海千山千の年長者も、


 「〈守り人〉の歴史の中でも、指折りの比武(ひぶ)だっと言わざるを得ない」


 と、感嘆の調子だった。


 特筆すべきことはもう一つあった。

 アスラは結婚をしていた。

 これも、およそ二年前のことだ。

 島では、かなり遅めの結婚と言えるだろうか。

 アスラは己が誰かと結ばれるなどということに現実感が無かったし、金輪際(こんりんざい)そのつもりもなかった。

 結婚相手は、残った数少ない幼馴染である。 

 〈守り人〉の武を尊ぶ文化は、歴史に名を残すような勇壮な戦士を幾人も作り上げてきた側面のみを切り取れば(きら)びやかなものであるが、その裏に、(おびただ)しい人間が帰らぬ者となっているという『(かげ)』の面がある。

 気心が知れたような連中が少しずつ減ってゆき、アスラと(さい)は水が低くに流れて合流するようにくっついた。

 (ただ)れた恋愛などと形容すれば両人に失礼ではあるが、少なからぬ暗さ(・・・・・・・)はどうしてもあった。

 互いに、心細かったのだ。

 島では、往々にしてこのような結婚の様相を見ることができる。

 しかし、夫婦仲は良好で、今では一歳になる息子も居り、人並みの幸福を享受しているといっていい穏やかな日々だった。


 ただ、そんな平穏を破るかのように、再び島に船がやって来た。

 今度の船は、難破などとは一切関わりのないような頑健な造りをした船だった。

 黒塗りの船体に、燃えるような紅蓮の旗を掲げている。

 なにか不穏な雰囲気を纏った船だった。


 アスラは、島の南の海岸線にてその船を睨んでいた。

 島の戦士の中でも一等の腕を持つアスラは、当然今回の黒船騒動に駆りだされたのである。

 一瞬、島は前の船乗り連中が帰って来たのでは、と浮き足立った雰囲気になりかけたが、年長者の冷静な鶴の一声によって統率され、妙な火照り(ほてり)はすっかり冷めていた。

 前回同様、厳重な警戒が敷かれたのは言うまでも無い。


 船から、何者かが降りて来た。

 どうにも船の持ち主、つまり船長であるようだ。

 前回来た船乗り達の話では、島の人々の格好は変わっているとの話だったが、降りて来た男もかなり変わった格好をしていた。

 変ちくりんな茶色い帽子を頭にのせ、船と同じで真黒な外套(がいとう)をだらしなく着込み、腹には真っ赤な帯が何重にも巻かれている。

 髭も、顔中を覆わんとばかりである。

 何日も広い海洋を進む過酷な職であることは以前の連中に聞いていたが、この目の前の男は、知性と清潔さとは無縁の存在であるような気がした。


 降りて来た男は開口一番に、「この島は俺が貰った」などと言い始めた。


 アスラが相手の言葉を理解出来たのは、勉学の賜物である。

 幼少の頃より、勉学に通暁する一派の人々とアスラは懇意だった。

 何より、亡き母と妻もその一派のものだったのだ。

 アスラは子供を授かったので、剣の鍛錬も控えめにしなければいけなくなり、若干の手持ち無沙汰になっていた。

 そこで、平素より世話になっている彼らの仕事の一助になれば、と子守りのついでにせこせこと勉強に勤しんでいた訳である。

 アスラは、最悪このようなことが起きることも想定していた。

 勉学に明るい連中は、武術を主に研鑽しているものらから比べると、どうしても戦闘の能力が劣る。

 悪意を持った外敵がこの島にやってきた際に、その者らが通訳を行うことは大きなリスクがある。

 できれば、それなりに腕の立つ戦士が通訳をできた方が何かと便利だろう、というのがアスラの考えだった。


 アスラは男に、それは出来ぬ、と断った。

 当然の話である。

 野卑(やひ)がすぎる。

 こんなものは交渉ですらない。

 いわば、一種の威圧なのだろう。

 ただ、ここは戦士の島である。


 男はニヤリと笑うと、何かの合図だろうか手を高く挙げた。

 すると、船から一斉に人が降りて来た。

 みすぼらしい格好をした者だらけだが、手には粗末な武器が握られており、数もかなりいそうだった。

 どうにも、この男どもは賊の類に間違いないようだ、とアスラは結論付けた。

 外界のものが必ずしも善良であるとは思っていなかったが、直近の二例は流石に極端ではある。

 そもそも、この島に訪れるであろう『船乗り』という人種を捉える際に、船に乗るという行為がハイリスクなものであるということは無視できない。

 そのような職種は、命の危険と隣り合わせであろうその分、より大きなリターンを得られるようになっているというのが、社会の構図として自然だ。

 実際に、以前の船乗りたちは舶来(はくらい)の品として、異国の地で手にしたものをかなりの金子(きんす)に変えていたという。

 当然、精神性として正業(せいぎょう)について堅実に身を固めようというものらよりも、博打を打つ感覚のやくざな輩が多いのではないか、という推測は容易に成り立つ。

 前の善良な船乗りらの方が稀な例なのではとアスラは考え至ったほどだ。


 船長らしき男は、どうする投降するなら許してやる、などと(のたま)ったが、当然島側の誰もがそんな話など耳にいれなかった。

 アスラが頭を回していたことがもう一つ。

 この連中は、以前の船乗りらの直接の知り合いである可能性は低いということだ。

 島の民の身体能力の高さ、武術の腕などは、百日以上この地に逗留(とうりゅう)した彼らが、手放しで称賛するものであった。

 つまり、この程度の戦力ではまずこの島を落すことはできない、と彼らは知っている筈。

 この島を客観的に語るとすれば、島民の練度の高さについて言及する可能性は高い。

 目の前のこれらが、島を偶然に発見したのか、あるいは以前の船乗りたちの話を聞いて、何か都合のいい部分だけを切り取って解釈をしたのかは知らないが、いずれにしても外界の知人(・・・・・)らのことを斟酌しんしゃくするような必要は微塵も無さそうである。

 アスラは最終通告として、命はないぞ、と述べたが、男らの態度は変わらなった。

 程なくして、島の海岸線で戦闘が行われた。

 どちらともなく怒号が飛び、開戦の火ぶたが切られた。

 賊約百名弱、戦士三十名の合戦である。


 結果は、賊たちの惨敗で終わった。

 敵うべくもない(いくさ)だった。

 島側の被害は何一つとしてなく、一方で賊らは船長と戦闘員数名、水夫を除いて皆死んだ。

 〈守り人〉は、圧倒的な強さであった。

 アスラなど、いかにも冷血な剣さばきで十四人も斬って伏せた。

 ただ、大変に驚いた事が一つあった。

 賊たちの中に、奇妙な術を使う者がいたのだ。

 前衛というよりかは、後衛の位置取りにその者はおり、なにやらむにゃむにゃと言葉を紡いでいた。

 そして、その怪しい者が手にしている錫杖を振りかざすと、なんと、火の矢――便宜上こう述べているだけで、あるいは火の槍、火の剣のようなものかもしれない――が飛びだすではないか。

 実に面妖である。

 人知を超えた、自然の現象を超越したまことに不可思議な(すべ)である。

 このような技術があるというようなことも、件の船乗り達が微かに言っていた。

 こんなものは、御伽噺(おとぎばなし)の中の存在だと思っていたが、実際に存在するとは、とアスラは驚嘆の心持ちであった。


 その後、船長らしき男は必至で命乞いをした。

 この男がどのように船員を率いていたかは分からなかったが、これの号令によって、指示によって部下らは散ったのだ。

 それを、よくもいけしゃあしゃあと、(かしら)である自分の命を拾おうと足掻けるものだ、とアスラはにわかな軽蔑の念と、尊敬の念を抱いた。

 いずれにせよ、島の戦士達は男から島を襲った理由を聞こうと思っていたので、現段階で殺すつもりはなかった。


 船長らしき男の話を纏めると、どうにもこの賊たちは冒険家らしかった。

 男の国では、新たな島を見つけた者に大きな褒賞が与えられるという。

 その国の統治者が何を考えているかは知れないが、領土の拡大か、あるいは有力な資源の獲得、労働力の徴収などを目的としているのではないか、とのことだった。

 これは、いってみれば民間の連中を用いた、大規模な侵略の下見だ。

 アスラは、嫌な予感がした。


 話を聞き終わると、アスラは男の話をかいつまんで咀嚼し、伝令のものへと伝えた。

 アスラは、男らの処遇について頭を回した。

 賊連中の中には、泣きながら己の行く末を憂うものさえいる。

 基本的には、これらを生かして返す訳にはいかない。

 この島の場所が吹聴(ふいちょう)されて判然とし、航路が確立されれば、この男らの属する国がこの島へと人員を差し向ける可能性は否定できない。

 それでなくとも、これらにしてみれば、現状の人死にが出ているという事態を快く思う筈も無く、コミュニティをあげての報復行為を図ることは想像に難くないのだ。

 双方とも最終的な顛末としては、規模感こそ不明だが、(いくさ)になる公算は極めて高い。

 島の位置を定められるのがまずく、戦死者が出ていると知られるのもまたまずく、〈守り人〉の民が一連の騒動に介在していると流布されるのも実に(かんば)しくない。

 生かして返すメリットがないのだ。


 ただ、感情論として。

 論理的ではない部分としての稚拙な意見ではあるが、戦闘員では無い水夫らを殺すことは、アスラには(はばか)られた。

 この人らは、食い扶持ぶちであろう船の雑用を、粛々とこなしてきた人種だ。

 戦士など、人を害すことを日夜考えているようなものを殺すことなどは、容易(たやす)い。

 しかし、日々を真っ当に、一生懸命に生きている人らをどうして手にかけることができるのだろうか。

 

 アスラにしてみれば、戦争などできる限り避けたい事態だ。

 その芽があり、摘めるのであれば、間違いなく摘んだ方が良いとも思う。

 息子はまだ小さく、妻も育児の疲れがある。

 そこへ、戦火が入り込むなど、家族にかかる心労はいかほどのものだろうか。

 島の他の民にしてもそうだろう。

 だが、罪も無い人々を無為に殺すことが正しいことなのだろうか。

 今後、もしかすると罪を成すかもしれないというだけで。

 アスラの心中には、珍しく葛藤があった。


 結局、船長の男と戦闘員に関しては処刑したが、水夫らについては手を下すことは無かった。

 それが、正しいことか、誤ったことか、アスラには分からなかった。

 ただ、水夫を生かして返すと決まった時に、彼女(・・)が空から微笑(ほほえ)んだような気がした。



 ♢



 それから二十数年の後である。

 アスラは五十歳になっていた。

 少々老いが見えてきたが、剣の腕はますますの上達を見せ、剣の腕だけであれば戦の神に比肩しうる、などという罰当たりな品評すら下されることがあった。

 アスラは依然として健在であったが、島の状況ははここ二十年で大きく変わっていた。

 良い方向にではなく、悪い方向へと。


 あの黒船の騒動の際、アスラが感じた嫌な予感は見事に的中することになった。

 島への侵略が始まったのだ。

 共通するのは、赤い旗だ。 

 例の賊連中は燃えるような旗を船の天辺に掲げていたが、同じような旗を掲げた連中が、引切り無しに島に寄せるようになった。

 長期的な展望を考えれば穏便な非対称戦に持ち込んだ方が良いと、当初アスラと勉学に通じるものたちは柔軟に交渉を持ちかけようとしたが、聞く耳が持たれる様子はなかった。

 きっかけは、最初の船乗りの連中なのか、見逃した賊連中の水夫らなのか、あるいは別のところにあるのかは、もはや知れない。

 今更、過去の行動を悔やんでも仕方がない。

 例えば、発端が最初の船乗り連中だとしたら、弱った彼らを見殺しにすれば良かったのかと、そのような話にもなる。


 最初は、いってみれば素人に毛が生えたような統率の取れていないものらが大半だった。

 それが、日を追うごとに練度は上がってゆき、戦術は洗練され、数はおびただしくなり、そのうちにまさしく軍隊といっていい連中が大挙して出征して来るようになったのだ。

 ただ、〈守り人〉の民は強かった。

 強さの質が、次元そのものが違った。

 戦の神は、無二の強さを天へと捧げさせるべく、〈守り人〉の民へと恩恵を賜った。

 頑健な肉体と、果てしない膂力(りょりょく)、恐るべき勇猛さは、戦士としての必要な素養を完璧に満たしている。

 ただ、賊らも異様な士気を抱いて島へとやってきた。

 攻め寄せる連中のその瞳には、侵寇しんこうの強い意志が宿り、どこか焦燥と、背水の狂気すらはらんで、炯々(けいけい)と光を放った。

 悪口雑言の類ではあろうが、世のためにくたばれ、悪魔ども、鬼の手下、などと島の民を中傷することがあったことを、アスラは記憶していた。

 何か、大きな目的が、命を捨てても良い大望が、彼らの奥底に確かにうごめいていた。


 二十数年間の襲撃回数は数えることも馬鹿らしくなる程で、その対応に追われた戦士達はだんだんと疲弊していった。

 始めはほとんどなかった戦死者も年々増えて行き、今ではそれなりの数となっている。

 賊たちの中に、凄絶な(まじな)いを使うものが混じり始めたのも、その一因だろうか。


 これが悪い事の一つ目。

 そしてさらに悪い事があった。

 来訪者の増加に伴ってか、奇病が流行り出したのだ。

 その病は、戦士達の疲弊にも大いに関係していた。

 島民は、それを死班病(しはんびょう)と呼んで大いに恐れた。


 始まりは、三の月の六日のことであった。

 アスラは、西の集落で妙な病が出たというのを耳にした。

 黒い痣のような湿疹が出る病だという。

 それ以外には目立った症状も出ないし、見たところ単純な皮膚疾患のようであるという結論が出された。

 病に罹った者は、それほど縁のある人物でなかったので、アスラはお大事に、とその程度に思っていた。

 ただ、その後、西の集落でその奇病が流行りだした。

 一週間もせずに、集落の半数の者が身体に黒い湿疹を持つようになった。

 島に、わずかに緊張が走った。

 そして、それから更に一週間の後。

 西の集落で死者が出た。

 他ならぬ、最初の患者だった。

 それからだった。

 悪夢が始まったのは。


 その病は、たちまち島中に蔓延した。

 そして、次々と島民の命を奪って行った。

 全身に黒い斑点が現れる、驚異的な感染力を持つという二点が大きな特徴というだけで、それ以外の委細など分かりようも無かった。

 それこそ、感染の経路など、およそ分からなかった。

 勇壮なる〈守り人〉の戦士らは、姿の見えない病魔に蹂躙されようとしていた。

 地獄のようだ、とアスラは思った。

 感染者が出た家は焼き捨てられ、患者は火矢で無慈悲に殺められることさえあった。

 倫理はともかく、感染予防を図る行いとしては誤っていないというのが実に歯がゆく、ゆえに恐ろしい。

 島の民はいつになく殺気立ち、疑心暗鬼になり、身体に(あざ)のあるものは必死でそれを隠した。

 暗澹あんたんが島を覆った。


 病に罹ったものは段々と衰弱していき、直に死に至った。

 記憶の混乱、欠落が見られることも、病理観察の過程で特筆された。

 死斑病の患者は、二週間から三週間ほどで命を落とした。

 血を吐く訳でもなければ、咳をするわけでもない。

 体力、生命力だけを淡々と奪っていく病魔であった。

 特効薬もなげれば、治療薬もない。

 かといって自然治癒なども期待できそうにない。

 この病の発病は文字通り死を意味しており、まるで死の神の使者のようだった。


 幸いにも、アスラはこの病に罹患りかんしていなかった。

 単純に運が良かったのだろう。

 ただ、死の神の影はすぐそばにあった。

 妻との間には、二十余年間で娘を一人授かっていたが、その娘が死斑病に倒れた。

 十一才になったばかりであった。

 己の命など、アスラにはどうでも良かった。

 この娘は、戦争の真っただ中に生まれた。

 平和な島を知らず、豊かな春秋を知らず、このまま死んでいっていい筈がない。

 そのような悲しいことが、言葉に尽くせぬほど(むご)いことが、許されるのであろうか。


 アスラと妻は、自らに病が移るのも厭わずに必死に看病をした。

 感染経路も確かでなく、ただ感染力だけは高いということのみが知れている死斑病のことを考えれば、文字通り狂気の沙汰であった。

 アスラ夫妻の心は一つだった。

 ただ、愛する我が子を死なせたくなかった。

 戦へ出て、寝る間もなく娘の看病にあたり、また戦へ。

 そんな生活が七日以上続いた。

 あらゆる薬草を試した。

 薬師に、考えられうる調合も依頼した。

 精霊の樹(ジア・ルジャ)への祈りも、寝る間を惜しんで行った。

 誰でも、何でもよかった。

 目の前の絶望を、悪夢を、力などではどうしようもない現実を、打開して欲しかった。

 

 娘は日に日に衰弱していった。

 最初は言葉を口にできていたが、そのうちにただ呻くようになった。

 そして、眠り続けるようになった。

 娘が弱りきった頃、アスラ夫妻の心身が限界に達しそうな時、アスラが最も恐れていた事態が起こった。

 今度は、妻が病に倒れたのだ。


 娘は、妻が倒れて程なく息を引き取った。

 命の(ともしび)は、育てることのなんと難しく、散ることのなんと儚いことだろうか。

 葬式とも、消毒ともいえぬようなものを集団で行い終えた後、アスラは村の外れにある廃屋に入っていった。

 薄暗い部屋に、妻が粗末な寝具に横になっていた。

 妻は、静かに泣いていた。

 アスラが帰ってくると、何かを、壊れたようにずっと呟いていた。

 頭が、胸が、つぶされて細切れになりそうだった。


 アスラの家族は、妻だけになった。

 優しかった息子は、数年前に亡くなっていた。

 剣に生きた父はといえば、随分と前に逝っていた。

 これは、夢か、とアスラは何度も思った。 

 目を閉じるたびに、不必要なほどに暗闇が広がった。

 ここへ、この静寂の世界に逃避したい、と幾度蠱惑(こわく)されたものだろうか。


 結果として、島を滅亡させかけた死班病は、数ヶ月の内に治まった。

 特効薬などの人為の影響ではなく、ごく自然に根絶されたのだ。

 感染経路を失ったからか、毒性を失ったのか、はたまた別の理由か、死班病の患者は一切島から姿を消した。

 島は、救われた。

 ただ、ほとんど最悪に近い救われ方だった。

 島には数十人程しか民が残っておらず、島は墓標だらけになってしまったのだ。


 アスラは奇跡的に生還を果たした者の一人であった。

 ただ、アスラには何も残っていなかった。

 あの後、妻は当然のように墓標の下へと潜ってしまい、家族はとうとう誰も居なくなってしまっていたのだ。

 これほどの虚無を、無力を、絶望を味わったことは無かった。

 何を呪えば良いか分からなかった。

 己の生まれか、所業か、それとも才能か。

 墓標に手を合わせるたびに、死んだ家族から非難を浴びせられているような気がしてならなかった。

 どうして、助けてくれなかったのか。

 最善は尽くしたのか。

 人殺し以外は、何もできないのか。

 そんな幻聴が聞こえた。

 どうすれば、人を救えるのか。

 その(すべ)が、分からなかった。


 ただ、悲しんでいる暇など無かった。

 賊どもは、〈守り人〉の民の事情など知らない。

 むしろ、兵力が落ちている今こそが好機と勢いを増す可能性すらあった。

 アスラは、亡き家族を想いながら、剣を取った。

 己以外にも、悲しみのふちにある人間がある。

 そのものらを救うには、より多くの夷敵(いてき)を討つ他にはない。

 心の安寧を、束の間ではあるかもしれないが平穏を、この島へともたらすのだ。

 精霊の樹(ジア・ルジャ)の加護が、きっと〈守り人〉の民を導いてくださる、とアスラは思った。


 しかし、試練は終わらなかった。

 島の民は、真の困難にぐうしてもいなかったのだ。


 それから程なく、〈守り人〉の民は大地に膝をつけた。

 致命的な事変があった。

 あくる晴れた日、戦士の一人が聖域に精霊の樹を(はい)しに行くと、その大きな葉の傘の一部が茶に染まっていたのである。

 着色ということはない。

 四季による紅葉ということも、またない。

 ここは常夏で、秋冬が入り込む余地はないのだ。

 つまり、それは一部の枯死こしだった。

 精霊の樹に、死の食指が伸びようとしていた。


 「精霊の樹が、枯れる」


 おぞましい悪報だった。

 心を砕くのに、あまりに効果的な言葉の羅列であった。

 島民らは勉学に明るいものらを含め、知恵を出し合ったが、原因の究明に至ることはなかった。

 悪いことに、薬師などはほぼ全て病でやられており、焼き討ちや副葬などによって文献が失われているという不可抗力も、それを助長した。

 手詰まりである。

 寄合では、いつしか樹の再生を試みる新案はおろか、発言の量そのものすらも、細く、また小さくなっていった。


 樹は、日に日に弱っていった。

 真綿で首を絞められるように、静かに、しかし着実に命は散っていった。

 〈守り人〉の民には、焦燥ばかりがつのり、振る舞いも次第に野蛮さが滲んで、戦の場で心無い振る舞いをするものすら現れるようになった。

 しかし、誰もそれを叱することはなかった。

 そのような身綺麗な振る舞いを、できるような心のゆとりが無かった。

 誰もが、不安を、憤りを、虚しさを限界まで秘めていたのだ。


 果たして、島民たちに諦めの色が見え始めたのは何時からだったろうか。

 好転が無い。

 霊木はいずれ散る。

 戦火はくすぶり続ける。

 民は、ずっとずっと少なくなった。

 つまり〈守り人〉に、明るい前途など無かった。

 そうしてある時、四千年以上の年譜を綴ってきた〈守り人〉の歴史の十字路は、突然とアスラの目の前に現れた。



 ♢



 ある時、年若い戦士が定例の寄り合いでいった。


 「この島をあきらめよう」


 と。

 残った島民は、その当時三十八名。

 内訳は、年若い者が二十二名、アスラら老人が十一名、(わらべ)が五名である。

 女子供は、十人も残っていない。

 なるほど、〈守り人〉に未来は無かった。


 それを聞いた歴戦の戦士らは、当然の如く激昂した。

 修羅さながらの形相で憤怒した。

 若い戦士に掴みかかり、傲然と大声で吠えた。


 「貴様、ふざけているのか」

 

 と。

 確かに、〈守り人〉の営みを考えれば解せぬ発言である。

 このような難渋した状況下で、戯れでいったのだとすれば、人間性を疑うだろう。

 しかし、若い戦士の眼差しは真剣そのものであった。

 体は緊張と真摯さでこわばり、懊悩したのだろう渇いた唇は震えていた。

 迷い抜いて、考え抜いての結論なのだろう。

 アスラは、静観した。


 年若い戦士は程なくこう返した。


 「真面目だ」


 そして、続けて言った。


 精霊様はもう枯れる。

 治す手立てもない。

 だからこそ、自分らは諦める。

 自分には家族がある。

 精霊様も大切だが、家族も大切だ。

 このままだと、島は滅びる。

 だから、自分らは未来を求めて外へ出る、と。


 訥弁とつべんだったが、しかし要点のみをまとめた立派な弁舌だった。

 耳が痛く、隔靴として口に出せなかった事実が、いよいよ卓上へと投げられたのだ。

 聞いたアスラは目を丸くした。

 若者の弁の中にあった、島を出るという着想に驚いたのだ。

 老戦士らも、流石に驚愕の相を隠せなかった。

 島に残っている人々は、家族や仲間を失った者ばかりである。

 この意見に、全く共感できぬことはない。

 なるほど確かに、島は滅びの運命の中にあるのかもしれない。

 精霊樹が弱り果て、戦禍の只中にあるなど、覆しがたい窮状は明らかである。

 若い彼らを、この島に、〈守り人〉の文化に殉じろなどと強制する権限は、どんなに年を取っても発生しない。

 若さとは、自由さである。

 古ぼけた文化から免れ、また、戦士の営みからも離れ、心の赴くままに振舞えばいい。

 未来は、この若人らの手の中にあるのだから。


 アスラは言った。


 「好きにするといい」


 と。

 先達に大目玉を食らうかとも思ったが、他の戦士らも大きな反論は口にしなかった。

 アスラと同じことを考えたのかもしれない。

 あるいは、ばかばかしいとあきれ果てたのか。

 それを皮きりに、年若い者たちは、自分も、自分も、と便乗し始めた。

 結果、アスラら老人達以外が漏れなく島を出て行くこととなった。

 単純な頭数は減り、脂の乗り切った戦士は殆どがいなくなり、島の戦況が悪くなることは明らかであった。

 しかし、誰一人として若者らを止めることはなかった。


 翌日から、廃船の修理が行われた。

 島の入り江には、賊どもの乗って来た船が幾らか残っていたのだ。

 船底の水漏れや、帆の風穴、甲板の腐食などが多数あったが、一月(ひとつき)もすると、幾らか形になった。

 燻製の肉や、干した果物、飲料水、等の作成と積み込みで、さらに十日ほど。

 合計二月(ふたつき)程で、船出の準備は整った。

 偶然のことだろうが、賊たちの襲撃回数も心なしか減り、静かに時が流れた。


 程して、若者達は島を去って行った。

 何故かは分からないが、年寄りの数名も便乗することと相成った。

 この四月の間に心変りがあったのかもしれない。


 アスラは、特に島を出ようとは思わなかった。

 出たくないか、といえば嘘になる。

 外の世界には少なからず興味があるのだ。

 しかし、島を出た所で自分には大した未来もなく、燃えるような情念もない。

 若ければ話は違っただろうが、六十近い爺が粋がっても仕様がないのも事実である。

 残った余生なぞ、今まで通り〈守り人〉として使えば良いのだ。


 島に残った者は、アスラを含めて七名しかいなかった。

 いずれも老境にさしかかった戦士である。

 しかしながら、運命は残酷であった。

 またもや、賊どもの激しい襲撃が始まったのだ。

 その勢いといったら、これまでのものなどとは比べ物にならないほどの怒涛さであった。

 ここ最近の静けさは、嵐の前のそれだったようである。

 島の四方の警戒を七人の老いぼれで回すのは無理がある。

 精霊の樹は一層弱って行き、戦士達は疲弊していった。


 老いた戦士達は守り続けた。

 あるいは、〈守り人〉はこの為だけにあったのかもしれぬ、とばかりに戦い続けた。


 始めは七人だった。

 決起を兼ねて、控えめに酒盛りなどもした。

 命を捨てることは覚悟の上だった。

 この難時にこそ、神のご加護があると、そう信じて。

 思い出について、家族について走馬灯のように追想した。

 そうして、


 ――訃報。


 一人減って六人になった。

 仲間を庇って呪いを浴びて、粉々にされたらしい。

 戦場で死ぬことをみつけるという幸いは、なんと素晴らしいことか。

 葬儀をして、心をあらたに武具を取った。


 ――訃報。


 これで五人。

 賊軍の大将と相討った。

 見事な、実に武張った最期である。

 戦の神も、お喜びになるに違いない。

 葬儀を催して、敵方の手ごわさを胸に刻んだ。


 ――訃報。


 幾らか減って四人。

 満身創痍で戦い続け、前のめりに倒れたという。

 なんと、なんと、戦士の鑑のような落命のしかたには嘆息するばかりである。

 死後の世では、死んでいった同胞に畏敬の念を抱かれるに違いない。

 葬儀をとり行って、己の限界に挑むことを誓った。


 ――訃報。


 戦士は減って行った。

 そして、墓標は増えていった。

 精霊の樹は、徐々に徐々に葉を落として行った。

 〈守り人〉は、だんだんと消えていった。


 そして―――。




 ♦




 「島は守られた、か…」


 アスラはそう独り言ちて、記憶の海より意識を戻した。


 激しい戦いが、連日連夜続いた。

 アスラは、外敵を、ただひたすらに殺して回った。

 老境に入ったとはいえ、首を飛ばすことの技量は人の倍の倍はあるという醜い自負があった。

 美しかった砂浜は、亡骸なきがらと血潮で赤黒く染まり、死肉を貪る海鳥や獣が大挙し、この世のものとは思えない腐臭で満ち満ちた頃、賊連中の挙兵はやんだ。

 守り切った。

 たった七人で。

 人海と呼称して差し支えのない、絶望的な数の暴力を、老戦士らは退けたのだ。


 快挙と、そう評価してもいいのではないだろうか。

 ただ、その喜びを分かち合う同胞は既に誰も存命では無かった。

 島には、アスラ一人を除いて誰も居なくなっていた。

 理由は極めて単純である。

 戦士らは、みな戦で散ったのだ。

 もう二年は孤独を味わっただろうか。


 それにしても、アスラは病らしきものと長い付き合いがあった。

 アスラは、いつからか血を吐き戻すようなった。

 明らかな重病なのだが、ことに〈戦士〉はそのように捉えない。

 文字通り、血反吐を吐くような鍛練を日夜繰り返すからだ。

 無理のある技術を用いれば、四肢がちぎれたり、身体中の骨がバラバラになることさえある。

 付け加えれば、アスラの修行の激烈さは島中で知られる所であり、それも実に見事に目眩しとしての機能を果たしていた。

 苦痛とは即ち警鐘である。

 〈守り人〉の文化は、痛みへの忍耐、ひいては克服を多とするところがある。

 つまりは、病や怪我への恐れを意図して取り除くことが良い心がけとされているのだ。

 考えようによっては、死斑病を軽んじて壊滅的な被害を生じさせたことに繋がるというところもあるだろうか。

 アスラの吐血は治らず、歳を経るごとに酷くなって行った。

 不味いのだろうな、などと人ごとに考えていたが、今や老衰と合わさって、命の水は干からびようとしている。

 しかし、仕様がないとアスラは思っていた。

 命を捧げるように生きた。

 それが、心からの本望だったのだ。


 これがアスラを取り巻く現状の全てである。

 (むご)く、孤独で、哀れな晩年と言えば、それはそうだろう。

 だが、不適当かというとそうでもない。

 因果応報の帰結である。

 事情はどうであれ、随分の殺生を行った報いだろう、とアスラ考えていた。

 何せ、アスラ自身として必要な殺生は(いと)わない性質なのだ。

 それは悪性とは言えないまでも、反道徳的であるのは明らかである。

 事実、殺しに後悔は無い。

 必要な措置であったし、妥当な行為であった。

 ゆえにこそ、魂はきっと呪われる。

 この世は実に無情なものだが、命の冒涜は、法や私人が罰を与えられずとも、巨大な罪業の濁流となって、当人を(でき)させ、苦悶させながら、暗い冥府へと流し果たすだろう。

 外道には、外道に相応しい末路がある。


 アスラは胸の鈍痛に眉を顰めながらも、首を(もた)げて木を見上げた。

 精霊樹は、深緑の情景のなかにあって、そこだけ色が褪せていた。

 未だに枝も幹も太く、威容は威容であるのにも関わらず、消え入りそうな儚さを抱いてしまっている。

 ああ、おれら〈守り人〉の民はいよいよ滅んだのだな、とアスラは改めて思った。

 死が迫ると、どうして万物は退色するのだろうか。

 髪やひげは白く、葉はさびて、腐り落ちれば黒くなる。

 彩色は、生命の鮮やかさに他ならないだろう。

 そして、始まりがあれば、終わりがあるのは当然のことだ。

 画布に塗り込んだ染料もいつかは色あせて、灰のように、泥のようになるように。

 永遠などは無い。

 定命には、抗えぬものなのだ。

 命も、〈守り人〉という民族にも、精霊の樹にも、輝ける時間には限りがある。

 

 ただ、無念ではある。

 死んでいった同胞は誰が労い、その悲しみを諫めてくれるというのか。

 若く、ただ剣に打ち込んでいた頃にはまず無かった思いがアスラの心中に渦巻いていた。

 諸行無常とは、正しくこのこと。

 この島に産まれた以上、戦士であるしか選択肢は無い。

 人を殺すために生を授かって、むことなく技を磨き、烈々と人を殺めて、行きつく場所はおそらく苦汁をなめる自縄自縛の地獄なのだろう。

 〈守り人〉の民が行ってきた過去の凶悪の清算が、今の衰亡なのかもしれない。

 しかし、何らかの報いがあって欲しかった。

 ただひたすらに浮上もせずに滅んでゆくなどと、これは流石に情けが無い。

 アスラは、誰ともなく虚空を睨んだ。


「戦士とは、なんと(みじ)めなものか…」


 アスラの呟きに反応するものは、何なかった。

 鈍い響きを持った嘆きは、木々の間に木霊し、消えて行った。



 ♢



 穏やかな風が、森の聖域を吹き抜けた。

 わずかに湿りけのある、涼しい風だった。

 森全体がざわめいて、清涼を感じているようである。

 いつの間にか、あたりを賑やかしていた小鳥らの声が、降ってこなくなっていた。

 陽気はあくまでも穏やかで、この広場全体を優しく包んでいる。

 そんな静やかな駘蕩たいとうの中、アスラはいつしか眠気を感じていた。


 元から無理を承知してこの場所に来ていた。

 なにせここは森の奥地、アスラの家からでは随分と悪路を歩かなければいけない。

 疲労が蓄積して当然である。

 幸い危険な獣には会わなかったものの、病んだ老骨には答えるだろうか。

 事実、さび付きつつある四肢は鈍い痛みと、関節の軋みを放っている。

 具合のよかった胸の痛みも、また平常の苛烈さに戻りそうだ。


 アスラは、休むか、と眼を閉じた。

 陽気や風もいい塩梅であるし、休憩を取るのに気候は申し分ない。

 本来ならば森の奥で休むなど、獣どもに命をくれてやるのと同義だが、アスラにはもはや些末なことだった。

 その程度の気配の察知は未だ容易であるし、仮に獣に食われたとしても心残りはそうない。

 考えようによっては、餌になる分だけ世に貢献があるかもしれないとすら思う。


 恥ずかしい話だが、生きるあてが無いのだ。

 崇敬していた神木は枯れた。

 愛した家族は逝ってしまった。

 残った同胞も、その後を追った。

 アスラという存在の根幹にあるのだろう剣も、今や複雑な感情が渦巻いて、そも体調が悪く満足には振れはしない。

 今生に、未練らしい未練がないのである。


 目を瞑って程なく、アスラの身に心地良い酩酊感が入り込んできた。

 意識がわずかにしりぞいて、夢と現実がほのかすかにまじりあう。

 アスラは、睡魔の揺り籠に揺られながら、ふと思った。

 本当に、ふと、である。


 ――もし、自分に次の人生があったとしたら何がしたいか。


 等ということを。


 普通の状態では決して考えない事象であった。

 それは、夢見がちなロマンチストが、興がのった時におこなうような、一種の逃避である。

 ただ、死が間近に迫っているのだ。

 次の人生のことを夢想するのも、馬鹿馬鹿しいことは間違いないのだろうが、ある意味では必要な段取りなのかもしれない。

 眉唾であるが、島の言い伝えでは来世が存在するといわれている。

 輪廻転生があったのなら等という迷信も、老いた今だからこそ中々子供っぽく悪くなかった。


 そんな思いの下アスラは、そうさな、と面白半分に考えて見た。


 己は、真に何を成したかったのか。

 まさに下らない戯れの一環であるのだが、存外に難しい。

 剣というものを無くし、家族を無くし、〈守り人〉という文化を無くし、故郷を無くして、何を思うのか。

 何かがあるはずだ。

 荒涼とした心の地平に、きっと何かを見出すことができる。


 (ああ、そうか)


 無色に近い心底の中に、ちっぽけな彩りを感じた。

 淡い記憶の映像が、くしゃくしゃになった画質でそこに投影された。

 茅色(かやいろ)の髪を持つ少女が、眩しい笑顔をたたえてそこにあった。

 彼女(・・)が、遠くの海を見ながら言っていた。

 砂浜に流木で何やら絵を描いて、好奇心の塊のように夢物語の話をしていた。

 彼女は結局、外界の船乗りたちには会えなかった。

 死の神の、いや、もっと悍ましい何かの手によって、若くして冥府へと落とされた。

 しかし、そうだ。 

 きっと、そうしようと約束をした。


 (世を見聞しよう)


 と。

 今までは、様々な重しがそれを阻んだ。

 無論それは、殆どが宝物のように貴いものではあったけれども、背負って、それを守るべく、身動きはしにくくなっていた。

 最後の船こそ見送ったが、自分が若く、しがらみの一切がなければ、是非にと乗船していたかもしれない。

 別に、アスラは己の人生を恨んだことは無い。

 〈守り人〉としての生まれやその使命も、それなりに誇れるものであった気がする。

 アスラにとり、ごろつき(・・・・)のような己と、皆が過ごしたくれた時間は、何にも代えがたい至福の時である。

 それは間違いなかった。


 寄合いで青年が口にした「島を出る」というその着想は、遥かな前よりアスラの中に生きていた。

 だからこそ、喉につかえる事無く飲み込めたに違いない。

 彼女が存命であったその当時は、ほら吹きではないが、頓珍漢(とんちんかん)なことを(うそぶ)く奴だ、とにわかに冷ややかな調子であったような気もするが、今になって、アスラはようやくその彼女の気持ちをくめた気がした。


(自由とは、そうだよな。

 何をしてもいいし、何に縛られることもないのだよな。

 おれも、いよいよ重しが、肩の荷が下りたのか。

 随分と、六十年と余年もかかってしまったが…)


 何もかもを無くした今だからこそ、よく見えるものがある。

 子供の頃に交わしたちっぽけな約束や、抱いた下らない夢や、馬鹿な妄想。

 そんなものでさえ、実に有難く、自身に大きな道しるべを与えてくれる気がした。

 年長者は、どうして枯れたように見えるのか、説教くさいのか、ものを憂いているのかと、とアスラは青二歳の頃思った。

 いよいよ腑に落ちた。

 (から)になるからなのだ。

 職務も、責任も、若さも、時間も、家族も、何もかもが人生から無くなってしまう。

 それらは、前述のように大人(おとな)という人種を縫いつける(くさび)で間違いないのだが、同時に心身を支え動かす骨肉の芯となるものでもあるのだ。

 重責から解き放たれたとき、本当の意味で身が軽くなったとき、人は虚無に苛まれるに違いない。

 ゆえに、探さねばならないのだ。

 重しになるようなものを。

 課題のようなものを。

 

 (そうか、旅か。

 いや、悪くないかもしれぬ…)


 うっつら、うっつら、船を漕ぎながら、アスラは口元に微かな笑みを作った。

 そして、心の中で戯れに呟いた。

 他でもない、枯れ果てた精霊の樹に向かって。


 (精霊様、聞いておりますか。

 愚老はもう長くありませぬ。

 ですから、許されるのであれば、一つばかり願いを聞いて下され。

 この愚老に来世が許されるのであれば、世を見聞する旅がしとうございます。

 戦士らしくないのは重々承知しておりますが、最後に愚老の我儘をご容赦下さい…)


 と。

 無論、願いなど叶う筈はないが、戯れには十分だった。

 生涯で最後の悪ふざけである。

 そうしてそれを心の内で言い切るのと同時に、アスラはすとんと眠りに落ちた。



 ♢



 そよ風がアスラの長い髪を揺らした。 

 装飾などを併せて編み込んだ、工夫のある頭髪である。

 風にいたずらをされた白髪頭の持ち主は、満足そうな表情を浮かべながら木に背中を預けている。

 傷と(しわ)におおわれた浅黒い諸腕(もろうで)は、そっと佩びていた剣を抱いていた。

 無骨そのものと言っていい飾り気の無い長剣は、眠る男の生き様を表しているようだった。

 かつては鮮やかであっただろう民族的な衣装は、ずいぶんと色がくすんで、布地はほつれ、くたびれている。

 その有り方は、自然そのものといった印象を受ける。


 胸の上下は無かった。

 寝息の音もなかった。

 静かに、静かに、眠っていた。

 森が唸るように風が吹いた。

 この島全体が嘆くようでも、(いきどお)っているようにも思われる。

 頭上の霊木から枯葉が数枚、アスラの上へと落ちた。

 地べたにも落ちた。

 アスラは、やはり穏やかに双眸を(つむ)っていた。

 かさかさという音がして、それを最後に静かになった。


 簡単な話だった。

 終わったのだ。

 アスラという男の生涯が。

 来るべき時が、唐突にきたのである。


 剣に打ち込み、酒を嗜み、友を慈しみ、家族を尊び、島を言葉少なく愛し、そして…全てを失った。

 六十五年の生涯を〈守り人〉として尽し、最後の最後までその任を勤め上げた、不器用で誠実な男だった。

 昼寝と飯、笑うことが趣味で、炭焼きなどの雑事が存外にうまく、妻の吹く笛の音が大好きだった。

 そんな、名も無き孤島の老戦士アスラ・カルナは、静かに、あまりにも静かに、息を引き取った。










 ――筈だった。


 そう、筈だったのだ。


 アスラが深い眠りに就き、島には本当に誰も居なくなった。

 だから、その光景を目にした者も居ないだろう。


 アスラが眠りに落ちてから、いくらもたたぬ内にそれは起こった。

 突如として、枯れた筈の精霊の樹が光を放ったのだ。

 じんわりとした、優しい、優しい、光を。

 それは、今生を勤め上げたアスラを祝福しているようにも見えた。


 光は森を照らし、辺りは金色に染まった。

 段々と光は強まり、精霊の樹が確認出来ないほどに眩しくなる。


 そしてアスラの身体を金色の光が優しく包み込んで――。


用語集


守り人(フターム)

名も無き孤島に暮らす人々。精霊の樹(ジア・ルジャ)と呼ばれる神木を守ること、強き戦士となることを営みの中心としている。

戦争と疫病で人口が激減し、作中冒頭の時点で半ば滅んだような状態にある。共通する外見的特徴は、褐色肌で身長が高く、耳は先細りで長い。先述の通り戦闘民族と言って差し支えない人種で、身体能力が非常に高く、数千年に渡って武術を錬磨し続けてきた歴史を持つ。

強きものを讃える武人かたぎな習わしがある一方で、高度な鍛造技術や精緻な民芸の技法も、個々の血族、あるいは家々に伝承されている。また、音楽や学問についても一応の理解(・・・・・)があるような風習も持ち合わせるなど、文化的側面にも秀でていたといえるだろうか。

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うおおおおお! まさかのリメイク版! 1週間遅れましたが、またこの作品が読めるとは…感無量ですね。 少し前に旧作は何度目かの読み直しをしていたので復習は完璧です。 リメイク版も続き楽しみにしています…
あなたの作品をまた読むことができてとても嬉しく思います。 いつか読んだような記憶が新生していく喜びを言葉で伝えるのは私の文才では難しいのでただ一言。 ありがとう……!
まさかこれ程までの小説に出会うとは、読み始めた時には思ってもいませんでした(TSタグによりついただけです笑) 投稿頑張ってください!! 応援してます!!!
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