脅迫
トビーの誘いに対してアルトは激しく拒絶した。
「ふざけるな。誰がお前なんかと組むものか!」
アルトはトビーを怒鳴りつけて力の限りに突き飛ばした。アルトの顔は裏切りと絶望に染まり鬼のような形相になっていた。その目には自分を騙したトビーへの激しい嫌悪が燃え上がっている。アルトの凄まじい形相に、周囲にいた罪人たちも思わず後ずさりし静まり返った。しかし、トビーだけは違った。トビーはアルトの怒りに対して満足げな笑みを浮かべていた。
トビーは起き上がり、再びアルトの耳元に身を寄せて誰にも聞こえない声で囁いた。
「お前、いい顔するじゃないか。だがな、よく考えろ。お前があのクソみたいな泥沼を這い出るには、知識と仲間が必要なはずだ」
「黙れ。頑張れば何とかなる」
アルトは自己を奮い立たせるように強い意志を込めて反論した。トビーはその幼い抵抗を鼻で笑う。
「頑張るだけじゃ、あの泥沼じゃ鉄貨1枚も生み出せねぇぜ。俺と組めば、お前の力を最大限にいかすことができる。それに、今すぐここから出ることだってできるぜ」
トビーの声には確かな自信が込められていた。そして、トビーはその声色を一変させてアルトを脅迫する。
「だが俺と組むことをこまめば、お前を金色の蜘蛛の奴隷市に出品させてやる。そこで売られれば、お前は一生故郷へ帰ることもできなくなるぞ」
「黙れ!」
アルトは大声で叫んだ。それは脅しに対する恐怖と、裏切り者に頼らざるを得ないかもしれないという自己への嫌悪が混じった、悲痛な叫びだった。
トビーはアルトから離れて牢屋の鉄格子の前に立ち、服の内側に隠していた古びた革袋から銀貨を数枚取り出して、鉄格子の隙間から衛兵の手のひらに滑り込ませた。衛兵は無言で、銀貨の重さを確認するように握り込んだ。トビーは知っていた。ここの衛兵どもは、蠅の王にも金色の蜘蛛にも忠誠心などなく、金さえ渡せばどちらの裏切り者にも融通を利かす、ただの腐ったクズだということを。衛兵は銀貨を無言で受け取り、素早く服の内側に隠した。
『ガチャン』
衛兵は無言で鍵を取り出して牢屋の扉を開けた。トビーは隠し持った賄賂という力であっさりと釈放されたのだ。牢屋を出たトビーはアルトに背中を向けたまま言った。
「アルト。明日、ここへまた来てやる。それまでに俺の誘いに乗るか考えておけ」
そう言うと、トビーは後ろも見ずに、収容所の廊下へと消えていった。
トビーが去った後もアルトの怒りは収まらなかった。トビーが服の内側から取り出した古びた革袋をアルトははっきりと見ていた。あれは間違いなくトビーが自分から奪った金だ。トビーはアルトの絶望を踏み台にして自由を手に入れたのだ。しかし、アルトには何もできない。衛兵はあのクズと結託している。その時、牢屋の奥で横になっていた、ボロボロの服を着た背の高い男性がアルトに声をかけてきた。
「アイツとは関わらない方がいいぜ」
「あなたはトビーのことを知っているのですか?」
アルトは問いかけた。
「ああ、アイツは泥底でも有名だ。あいつの職業は話術士。接客業から交渉まで様々な業務を任される一般職だ」
一般職。それはハズレ職業とは違い、さらなる進化が期待できる職業だ。レアではないがハズレ職業に比べてはるかに融通が利き泥底に来るべき職業ではない。
「ぼ……僕を騙していたのか」
アルトの瞳に新たな憎悪が灯った。
「アイツは人を騙すのが得意なペテン師さ。アイツを恨んでいる奴は大勢いる。だからアイツに関わらない方がいいぜ」
男性は親切に忠告してくれた。だが、アルトはもう誰も信じられない。この男性も自分を騙そうとしているのではないかと疑心暗鬼に陥る。しかし、少しでも情報が欲しいアルトは恐怖を押し殺して男性に尋ねた。
「トビーは僕を金色の蜘蛛の奴隷市に出品すると言っていたけど……本当でしょうか」
アルトの口調にはトビーの脅迫に怯える色が滲んでいた。男性は目を閉じたまま、静かに答えた。
「アイツならやりかねないな。アイツは交渉には長けたヤツだ。噂じゃあ、金色の蜘蛛は働けなくなった者や使えないハズレ職業を奴隷市場で売りさばいているという話だ。気を付けた方がいいぜ」
そう言うと、男性は再び横になって眠りについた。アルトは一気に血の気が引いた。トビーの脅しは紛れもない真実だった。衛兵に助けを求めることはできない。このまま牢屋にいれば、自分は金色の蜘蛛の商品として、二度と日の目を見ない場所へ送られる。
奴隷になんてなりたくない。母の治療費を稼ぐという誓いも、王都への復讐も、全てが絶たれる。アルトは恐怖で眠ることなどできない。冷たい床に座り込み、闇の中、トビーの誘いに乗るかどうかの葛藤に苛まれ続けた。
そして、朝になった。
規則的な足音とともに、トビーは約束通り牢屋の前に現れた。衛兵は彼の姿を見て面倒くさそうに顔をしかめるだけだ。
「よお、アルト。返事は決まったか?」
アルトは顔を上げた。その目は徹夜の疲労で窪んでいた。憎い裏切り者と手を組むという行為はアルトにとって最大の屈辱だ。だが、この絶望的な状況を打破する唯一の手段もまた、トビーが握っている。アルトは喉の奥から絞り出すような声で言った。
「組もう。だが、僕はすぐに借金を返す。そしたら、お前とは手を切るぞ」
トビーはアルトの言葉に満足げにニヤリと笑った。
「いいぜ、好きにすればいいさ」




