裏切り
ボルゴの殺気が完全に消え、その瞳にはどろりとした好奇心と疑念が混ざり合っていた。
「……さっきの取引の話だが。内容によっては応じてやらんこともねぇ」
ボルゴの職業は一般職の【兵士】。力自慢の荒事には向いているが、腹の探り合いや言葉の裏を読む交渉には全く長けていない。彼は自分なりに慎重になろうと努めていたが、相手が悪かった。対するファビアンの職業は、上級職経営士。人の心理を読み、利益を提示し、盤面を支配する交渉術においては、一介の兵士とは次元が違う。
「ボルゴ、1つ聞かせてくれ。君は伝説の杖を見つけて、一体どうするつもりだったのだ?」
ファビアンは、まるで対等なビジネスパートナーに問いかけるような、落ち着いた口調で切り出した。まずは相手の欲の底をさらけ出させ、交渉を有利に進めるための布石だ。ボルゴは黄金の蜘蛛のナンバー3。その地位に甘んじるつもりはない。
「俺は……伝説の杖を見つけて、組織のボスになる。アクネラのババァを引きずり下ろして、俺が黄金の蜘蛛の頂点に立つんだよ」
(クク……、ハハハハハ!)
ファビアンは内心で腹を抱えて大笑いした。世界を支配できる伝説の杖を手にしながら、その望みがたかだかゴミ山のボスだと? あまりに小物だ。この杖があれば、この国の王座すら手に届くというのに。だが、ファビアンは嘲笑を押し隠し、慈悲深い導き手のような笑みを浮かべた。
「ボルゴ、君は自分の価値を過小評価しすぎだ。私に杖を渡せば、杖を修復し、君を黄金の蜘蛛のボスなどという小さな枠には収めない。……ライバルである『蝿の王』を潰し、君をこの泥底の王にしてやろう」
「俺が……泥底の王……?」
ボルゴの目が、欲望に揺らめいた。2つの組織を統合し、この泥底の唯一無二の支配者になる。それは彼が夢想だにしなかった壮大な未来だった。
「そうだ。しかし、私と手を組まなければ、伝説の杖を見つけたところでそれは永遠にただのゴミだ。修復もできず、誰にも売れず、君は一生、アクネラの影で幹部として泥を啜って終わるだろう。……それは、君が一番よく分かっているはずだ」
ファビアンの言葉は、ボルゴの劣等感と野心を正確に射抜いた。自分には杖を直す術がない。それは、先ほどのファビアンの解説を聞いて骨身に沁みている。一人で抱え込んでも宝の持ち腐れになるだけなのだ。ボルゴは欲望に正直な男だった。規律も、組織への忠誠も、目の前にぶら下げられた泥底の王という餌の前では無価値に等しい。アクネラについていくより、ファビアンと組む方が、自分にとって遥かに実りがある。
「……泥底の王ボルゴ。ガハハ、実にいい響きだ」
ボルゴは欲望を剥き出しにした、ゲスい笑みを浮かべた。
「わかった。その取引、乗ってやるぜ。俺たちは仲間だ」
ボルゴは大きな、肉厚な手を差し出し、ファビアンはそれを力強く握り返した。悪魔と、その悪魔に唆された愚か者の握手。
(クク……馬鹿な男だ。ゴミ山の王で満足するなら、せいぜいその夢を見せてやろう。私はその先へ行かせてもらうがね)
ファビアンの瞳が、夕闇の中で不気味に輝いていた。
「よし。捜索は明日の朝から再開する。今日はもう引き上げだ」
ボルゴを仲間に引き入れたファビアンは、ゴミ山で待機していた作業員たちに残業の取り消しを告げる。リヒターから与えられた3日間という期限など、もうどうでもよかったからだ。彼は今、この瞬間、黒き太陽から脱退する覚悟を決めたのだ。杖さえ手に入れば、兄も、組織も、自分を虐げてきた実家も、すべてを跪かせることができる。ファビアンは、少し離れた場所で不安げにこちらを見守っていたアルトを手招きした。アルトは2人の密談の内容など知る由もない。
「アルト、明日からも引き続き捜索を続けてもらう。明日からはボルゴも協力してくれることになった。みんなで協力して早急に杖を見つけ出してくれ」
「う、うん。わかったよ、ファビアンさん」
アルトは純粋に頷いた。この2人が伝説の秘宝を巡って恐ろしい裏切りの計画を立てているとは夢にも思わず、ただ借金を返し、ルーナを助けるために力を貸すと決めていた。杖の正体が原初の王笏であることを知るのは、ファビアンとボルゴの2人だけ。
そう、2人は信じて疑わなかった。だが、夕闇に包まれたゴミの山の影、呼吸1つ漏らさぬ闇の中に、その密談をすべて聞き届けていた者がいた。レア職業【忍者】のシュペーアー。ヴァレリウスが送り込んだ、組織随一の隠密職。彼は気配を完全に消したまま、嘲笑を浮かべて闇に溶けていた。




