微かな希望
エーデルマン家。 父グスタフ、レア職商帝が王都の物流を牛耳る、財で貴族となった男爵家である。
かつては平民であったが、莫大な財力をもって王室に貢献し、爵位を買い取った成金貴族だ。彼らの支配力は凄まじく、王都で流通する煌びやかな高価な品々から、庶民の生活を支える日用品に至るまで、ありとあらゆるものがエーデルマン商会の息がかかっていると言っても過言ではない。その莫大な経済力ゆえに、エーデルマン家は一部の上級貴族さえも資金力で支配下に置く、強大な権力を持つ。
長男フランツ、上級職豪商が社長を務めるエーデルマン商会が表の顔を担い、次男のリヒター、レア職業交渉人と三男のファビアン、経営士は黒き太陽に所属している。エーデルマン商会はヴァレリウスと手を組むことで、さらなる地位向上を目論んでいる。
場面は戻り、東館の元食堂。
上座にはリヒターが優雅に脚を組んで座り、下座には、血まみれのローレンツが控えている。そしてその足元の床には、ファビアンが絶望に打ちひしがれ、嗚咽を漏らしていた。
静寂を破り、まずリヒターが口を開いた。
「ローレンツ君、愚弟が迷惑をかけたこと、改めて謝罪をしよう」
リヒターが丁寧に頭を下げると、ローレンツは慌てて手を振り、真剣な表情で答えた。
「いえ、謝罪など不要です! リヒター様。僕のこの負傷は自傷行為であり、自分の感情をコントロールできなかった僕自身の罰です。決してファビアン君のせいではありません」
ローレンツは、あくまで自分の未熟さが招いた怪我だと主張し、謝罪を固辞した。リヒターは、ローレンツのその忠誠心と狂気を含んだ申し出に、静かに頷いた。
「そうか、わかった」
リヒターは視線を床のファビアンへと移した。その瞳には、肉親への情など微塵も感じられない。
「それでは本題に入るとしよう。……その前に、ファビアン。君は今すぐに実家に帰りなさい」
その冷たい言葉は、ファビアンにとって死刑宣告に等しかった。ファビアンは震える体を必死に抑え、顔を上げて兄にすがった。
「あ、兄上……! 私にもう一度だけ、チャンスをください! 私はあのアルトの心を掴んでいます! 今、アルトを上手に扱えるのは私だけなのです!」
ファビアンは涙ながらに嘆願した。自分の唯一の切り札であるアルトの存在を強調し、なんとか追放を逃れようとしたのだ。その必死な姿を見て、ローレンツが再び堰を切ったように大笑いした。
「アハハハハハッ! ヤバいよ! ヤバすキングだよ!」
ローレンツは腹を抱え、ファビアンを指差して嘲笑った。
「いくらリヒター様の弟だからと言って、調子に乗り過ぎだ。7つの支配座の1人であるリヒター様は、僕たちにとっては神に仕える天使様のような存在なんだよ? 君はリヒター様の言葉を、天使様のお告げだと受け取り、黙ってその言葉に従うべきだよ。本当に君はヤバいね」
ローレンツの狂信的な言葉に、リヒターは静かに口を挟んだ。
「ローレンツ君、愚弟の愚かな行為は兄である私の責任だ。申し訳ない」
「い、いえ! 僕こそ先走った発言をして申し訳ありません!」
リヒターの謝罪を受け、ローレンツはピタリと笑いを止め、真顔に戻って深々と頭を下げた。この切り替えの早さが、彼の異常性を際立たせていた。リヒターは、再び冷酷な視線を弟に向けた。
「ファビアン、何度も言いますが、君には才能がないのだよ。私も7つの支配座の1人としての立場上、無能をこれ以上、黒き太陽に所属させておくことはできないのだよ」
リヒターは一度言葉を切り、ため息をついた。
「しかし、私も家族を粗末に扱うことには抵抗があるのだよ。私は、家名を傷つけ、組織の不利益を生み出す君には、家にこもって2度と表に出て欲しくないのだけれども……」
そこでリヒターの声色が、ふと変わった。
「兄として、もう一度だけチャンスを与えてあげるとしよう」
ファビアンの顔に希望の光が差した。だが、続く言葉は慈悲などではなかった。
「3日以内に、アルトと共に杖を見つけろ」
「……え?」
「もし見つけることができなければ……」
リヒターの美しかった青い瞳が、濁った暗黒の色へと変貌し、狂気に満ちた眼光でファビアンを射抜いた。
「お前は2度と、日の下を歩くことを許さない。……わかったね、愚弟」
それは、兄からの温情ある提案ではなく、失敗すれば一生座敷牢、あるいはそれ以上の地獄が待っているという明確な死の宣告だった。




