緊張の果てに
神々しい光が降り注ぐテーブルの最奥、上座に1人の男が待っていた。派手な真紅のスーツを着崩した、二十代前半と思われる若い男だ。 腰まで伸びた艶やかな黒髪がスーツの肩にさらりと掛かり、その整った好青年の顔立ちには、人懐っこい笑顔が浮かんでいる。
男はテーブルに肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せると、その笑顔のまま食い入るようにファビアンを見つめていた。だが、その笑顔はどこか決定的に歪だった。 口元は三日月のように綺麗な弧を描いて笑っているのに、目だけが一切笑っていないのだ。まるで精巧に作られた蝋人形が無理やり笑わされているような、底知れぬ不気味さがそこにあった。
彼こそが、組織の実務を支える【7つの柱】 の一人であり、上級職豪商を成長させた大豪商を持つ幹部、ローレンツである。
ローレンツは、ガチガチに緊張して立ち尽くすファビアンを見ると、鈴を転がすような明るい声で言った。
「やあファビアン。挨拶はいいよ! そこにある椅子に座りなよ」
その口調は、まるで旧友に話しかけるかのように気さくだった。だが、その軽さがかえってファビアンの恐怖を煽る。組織の序列において、十の歯車であるファビアンと7つの柱であるローレンツの間には、超えられない壁がある。
「……わかりました。座らせていただきます」
ファビアンは、自分よりも遥かに格上のローレンツに対し、極めて丁寧な言葉遣いで応じた。その動作は明らかにぎこちなく、指先が微かに震えている。それも無理はなかった。ファビアンは今日、新事業の提案だけでなく、昨日の泥底の幹部会議での失態も報告しなければならないからだ。
ファビアンは緊張で震える体を必死に抑え込みながら、下座にある薄汚いランプの下の椅子に腰を下ろした。ファビアンが座ると、ローレンツはニコニコと笑いながら、首をコクリと傾げて問いかけた。
「それで? 泥底の会議の報告をしてよ」
その瞳は、やはり笑っていなかった。黒曜石のように冷たく、感情の読めない瞳が、ファビアンの心臓を射抜くように見据えている。ファビアンは、ローレンツのその不気味な笑みに晒され、さらに喉が渇き、心臓が早鐘を打った。
「も、申し訳ございませんッ!」
ファビアンは報告を口にする恐怖に耐えきれず、ガタッと椅子から立ち上がり、深々と頭を下げて謝罪した。
「私の力不足で……今回は……!」
しかし、ローレンツの反応は、ファビアンの予想とは違っていた。彼は怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ無反応に不気味な笑みを張り付けたまま、軽い口調で遮った。
「あ! 謝罪なんていいよ。時間の無駄だし。内容だけ端的に教えてよ」
そのあまりの軽さに、ファビアンは逆に背筋が凍る思いがした。謝罪すら許されないほど、自分は価値がないと思われているのではないか。ファビアンは脂汗を垂らしながら、必死に言葉を紡いだ。
「は、はい……。すぐにご報告いたします」
ファビアンは震える声で続けた。
「蝿の王は、トビーが処分されたことにより、ぼったくり食堂のシノギを縮小せざるを得ないと判断しています。その補填として、賭博場のシノギを拡大させる方針とのことです。……しかし」
ファビアンは唾を飲み込んだ。
「賭博場の運営が軌道に乗るまでは、上納金は3割減での支払いを要望しています」
「ふーん。で、黄金の蜘蛛は?」
「……黄金の蜘蛛のボルゴは……リヒター様、もしくはそれに相応しい立場のあるお方が幹部会議に来なければ、話はしないと……交渉の席に着くことすら拒否いたしました」
報告を終えたファビアンは、処罰を覚悟して体を縮こまらせた。トビーがいた頃にはあり得なかった減収と、交渉決裂。これは明らかな失態だ。
その時だった。
「アハハハハハハハッ!!」
突然、広い部屋にローレンツの狂ったような大笑いが響き渡った。
「傑作だね! アハハハッ!」
ローレンツは腹を抱えて笑い転げている。その場違いな哄笑に、ファビアンは恐怖も忘れ、きょとんとしてローレンツを見つめるしかなかった。




