野望
夢のような口づけの余韻が、夜の公園の冷気の中で熱く二人を包んでいた。しかし、無情にも時間は流れていく。
「……そろそろ、行かなくちゃいけません」
ルーナは名残惜しそうに、けれど自分に言い聞かせるように呟いた。
「もう帰るの?」
アルトが尋ねると、ルーナは申し訳なさそうに頷いた。
「はい。実はこれから、夜の仕事があるんです」
ルーナは、ヴァレリウスの権力化にある王都の料理店で接客や裏方の仕事を掛け持ちしていた。昼間のランチタイムの勤務を終え、アルトに会うために時間を割き、そしてこれから深夜まで続くディナータイムの仕事に向かうのだという。
「昼も夜も働いているの? そんなに働いて、体は大丈夫なの?」
アルトは心配そうに尋ねた。
「平気ですよ。私、これでも体力には自信があるんです」
ルーナは健気な笑みを浮かべた。
「それに、実家の家族への仕送りもしなくちゃいけませんし……アルトさんに断られてしまいましたけど、立て替えていただいたお金も、少しずつでもお返ししたいですから」
「ルーナさん……」
彼女は、自分を救ってくれたアルトに甘えるだけでなく、自らの力で立ち上がり、責任を果たそうとしていたのだ。その芯の強さに、アルトは改めて胸を打たれた。
「無理だけはしないでくださいね」
「はい。アルトさんも、お仕事頑張ってくださいね」
ルーナは立ち上がり、アルトに向き直った。
「次は……1週間後のこの時間に、またここで会いましょう」
店を抜け出せるのは、それくらい先になるのだろう。アルトにとっては長い期間だが、彼女の事情を考えればワガママは言えない。
「わかりました。楽しみに待っています」
「私もです」
ルーナは最後に天使のような微笑みを残し、夜の王都の街並みへと小走りで去っていった。アルトは、彼女の華奢な背中が見えなくなるまで見送り続けた。彼女は、あの細い体で2つの仕事を掛け持ちし、家族と、そして自分への借金返済のために必死に働いている。
(僕がもっとしっかりしなきゃ)
アルトの中で、新たな決意が芽生えた。大金貨5枚の借金返済だけじゃない。もっと稼がなければ。自分がもっと大金を稼げるようになれば、ルーナが身を粉にして2つも仕事をする必要はなくなる。彼女にもっと楽をさせてあげられるし、幸せにできるはずだ。アルトの脳裏に浮かんだのは、自分を導いてくれる頼れる存在、ファビアンの顔だった。
翌朝。
ゴミ山の休憩所に、ファビアンが予定通り現れた。 いつものように冷静な油断のない表情で彼はアルトに声をかける。
「ようアルト、昨日の『装飾的な杖』の成果はどうだ? ……と言いたいところだが、まずは昨日修復した通常商品の回収だな」
ファビアンは、アルトが昨日仕上げた彫刻品や絵画、食器などを手際よく検品していく。
「ファビアンさん」
アルトは作業をするファビアンの背中に向かって、真剣な声で呼びかけた。
「ん? どうした、改まって」
「あのお願いがあります。……もっとお金を稼ぐ方法を、僕に教えてください!」
アルトは頭を下げた。
「これまでの稼ぎでは足りません。僕、もっともっと働いて、もっと大きなお金を作りたいんです。ファビアンさん、何か良い方法はありませんか」
アルトはただ純粋に、ルーナを救う手助けをしてくれたファビアンを心から信頼し、その知恵にすがった。ファビアンは検品の手を止め、ゆっくりとアルトの方を振り返った。その時、ファビアンの心臓は、静かに、しかし激しく高鳴っていた。
ファビアンの脳裏には、昨日黄金の蜘蛛のボルゴから浴びせられた「小者」という屈辱的な言葉と、交渉を拒否された怒りの炎が蘇っていた。あの醜態は、まだ、リヒターへ正式に報告できていない。ファビアンは、その屈辱を晴らすための、決定的な成果を渇望していた。しかし、その成果はトビーが遺した残骸から生み出されたものであってはならない。
(アルトの才能は、トビーが見出したものだ。そして、今アルトが上げている利益は、トビーが穢して完成させたシステムが生み出している)
ファビアンは、死してなお自分を苛むトビーの残影を憎悪していた。経営士である自分こそが、利益を生む仕組みを作る天才であるはずなのに、トビーの汚れた実績の陰に隠れている現状が許せなかった。トビーの作ったシステムで儲けることに、ファビアンは強い抵抗を感じていたのだ。そんな矢先、アルトが頭を下げた。
「もっとお金を稼ぐ方法を、僕に教えてください!」
これは、ファビアンにとって天啓だった。
(そうだ、このアルトを利用するのだ。トビーのシステムを使うのではない。俺が、経営士の力で、アルトの【修復】という才能で新たな利益の仕組みを作り上げればいい!)
それは、トビーが作ったシステムを遥かに凌駕する、ファビアン独自の、完全に新しいビジネスの青写真だ。
ファビアンは、この新たな計画の成果をヴァレリウスに報告することで、幹部会での屈辱を帳消しにできるだろう。そればかりか、死んだトビーの遺産を否定し、自分がトビーよりもはるかに優れた頭脳を持つ存在であることを証明できる。
「……フフ」
ファビアンの口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。アルトの純粋な向上心は、彼の屈辱を晴らすための、最高に都合の良い燃料となったのだ。ファビアンは顔を上げると、いつもの冷静な表情に戻り、アルトの目を見つめた。
「よかろう、アルト」
彼の声には、先ほどのイライラは微塵も感じられなかった。
「お前の願い、叶えてやろう。もっと稼ぐ、とっておきの方法をな」
ファビアンは、自らの屈辱を晴らし、トビーを超越するための、アルトを利用する計画の策を練り始めた。




