泥底の幹部会
アルトが希望を胸に部屋を出て行くと、入れ替わるようにして、異様な威圧感を放つ2人の男が来客室へ入ってきた。
1人はまるで樽のような体型をした巨漢だ。脂肪に埋もれた首と、はち切れんばかりの腹。そして何より目を引くのは、脂ぎった広い額に彫り込まれた、不気味な蜘蛛の刺青である。彼は黄金の蜘蛛のナンバー3のボルゴ。泥底にある商店や屋台はすべて黄金の蜘蛛の支配下にあり、彼がその売上金を回収している。泥底の住人にとって、ボルゴの姿は死神と同義であり、姿を見ただけで震え上がるほどの恐怖の象徴だった。
もう1人は対照的に、病的なまでに色白で、枯れ木のように細く背の高い男だ。窪んだ眼窩に鋭い眼光を宿している。彼は蝿の王の新たなナンバー2のナーデル。かつてのナンバー2と3であった双子のウコンとコッシが、トビー処刑の際に奴隷落ちとなったため、その後釜として昇格した男だ。現在は泥底の賭博場の総責任者であり、ぼったくり食堂の管理も兼任している。
2人はファビアンに対して挨拶もせず、当然のように豪華な革張りのソファーにドカドカと腰を下ろした。ボルゴが座るとソファが悲鳴を上げ、ナーデルは長い足を無遠慮に組んでふんぞり返る。ファビアンは、礼儀知らずな2人を冷ややかな目で見下ろしながら、単刀直入に切り出した。
「トビーがいなくなった。今後はお前たちで、今までの売り上げを継続できるのか?」
ファビアンの声には、明確な圧力が込められていた。 トビーが死んだことで、蝿の王の最大の資金源の1つであるぼったくり食堂の売り上げが激減することは火を見るよりも明らかだった。だが、ファビアンが危惧しているのは、単なる現金の減少だけではない。 トビーが食堂で新人を騙し、莫大な借金を背負わせるシステムは、泥底の経済を回すための燃料だ。 食堂で借金を負った者は、返済のために職業安定所に駆け込み、どんなに過酷で危険な仕事でも受け入れざるを得なくなる。そうして供給される安価で使い潰せる労働力こそが、黄金の蜘蛛の利益を支えていた。
トビーという【入り口】を失えば、借金を背負う者が減る。それは即ち、職業安定所に来る労働者が減り、黄金の蜘蛛もまた、安定した労働者の確保ができなくなるという、組織全体の地盤沈下を意味していた。
沈黙を破ったのは、細身のナーデルだった。
「ぼったくり食堂の売り上げが落ちた分は、賭博で補うつもりだ」
ナーデルは、窪んだ目を細めてファビアンを睨み返した。
「しかしな、ファビアン。稼ぎ頭のトビーを殺したのは、お前たちだろ。しばらくは上納金を減らすのがスジってもんじゃないのか?」
ナーデルは凄むように言った。自分たちの不手際ではなく、組織の方針で利益が減ったのだから、補填しろという要求だ。だが、ファビアンは全く動じない。眉1つ動かさず、冷徹に言い放つ。
「トビーを処刑すると判断したのは、ヴァレリウス様だ。お前は、ヴァレリウス様の判断を否定するのか?」
その名は、裏社会における絶対的な死の宣告に等しい。通常の人間なら震え上がる恫喝だ。
しかし、ナーデルは怯まなかった。彼は冷笑を浮かべ、淡々と言葉を返す。
「脅しは通用しないぞ。今までと同じ額の上納金を望むのなら、トビーと同等の集客力を持つ者をこちらへ派遣しろ」
ナーデルは一歩も引かず、新しい方針を突きつけた。
「それはできないのだろう。俺たち蝿の王は今後、ぼったくり食堂のシノギを縮小し、賭博場のシノギを拡大させる方針で固まった。賭博場の運営が軌道に乗るまでは、上納金は5割減で支払うつもりだ」
それは相談ではなく、通告に近い口調だった。ファビアンは、これ以上議論しても平行線になると判断した。ナーデルはウコンたちとは違い、理詰めでの交渉術に長けている。
「……上納金の減額を、俺の一存で認めることはできない。一旦、この話は持ち帰るとしよう」
ファビアンがそう告げると、ナーデルは何も返事をせず、無言で立ち上がった。そして、ファビアンを一瞥もしないまま、足早に来客室を出て行った。
部屋には、ソファーに沈み込んだままの巨漢ボルゴとファビアンだけが残された。




