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フリーターの居場所

 絶望と失笑に包まれたヴェルクマイスター大神殿を飛び出して、アルトは王都の喧騒の中に身を隠した。彼の足取りは重い。


 (フリーター……あのハズレ職業じゃ、いつまで経っても母さんの薬代が稼げないじゃないか……)


 鉛のような重さが胸にのしかかる。その時、ふと、脳裏に三日前、故郷を旅立った日の光景が鮮明に蘇った。



 アルトが生まれ育ったのは、石と土の簡素な家屋が数軒並ぶだけの貧しい村。朝靄が立ち込める中、アルトは乗り合い馬車が待つ幹線道路に向かっていた。後ろには、いつも農作業で泥にまみれている父と、母の代わりに家事と農作業を手伝う妹のリナが立っている。母は病弱のため家の中のベッドで臥せっている。アルトは旅立つ直前、家の中で母と二人きりで別れを済ませていた。


「アルト……無理してはダメよ。もし、良い職業を授からなかった時はいつでも戻って来るのよ」


 母の目には不安と愛情が入り混じっていた。アルトは病床に伏している母が自分のことを第一に考えて、無理をしてほしくないと心から願うその優しさを強く感じた。アルトは必ずレア職業を授かって王都で成功して、母の病気を治すと強い意志を固める。


「お母さん、僕は絶対にレア職業を授かってお母さんの病気を治してあげるよ」


 アルトは母の手を強く握りしめて熱い気持ちを伝える。


「ありがとう。でも絶対に無理はしないでね」


 アルトは母に深く頷き、家を出て父と妹のリナに向き直る。


 農業士である父はアルトの前に立ち、古びた革袋を黙って差し出した。中には馬車賃と王都での当面の生活費が入っていた。


「これを使いなさい」


 父はそれだけを言い、アルトの肩を力強く叩いた。


 アルトはその革袋の重さで、父の寡黙な愛情と覚悟をすぐに理解した。


(このお金は……父さんが必死に作った野菜を売った金じゃない。母さんの薬代のために取っておいた金でもない。うちには、こんな余裕のある金なんてないんだ。きっと、地主様に頭を下げて……借金をしてくれたんだ……)


 父の顔は少しやつれ、その目の奥には深い苦渋が滲んでいた。これは、貧しいながらも息子を思う、父の最大限の愛情の形だった。


 妹のリナがアルトにお弁当を渡す。リナの頬には、土と汗と、涙の跡が混じっていた。


 「お兄ちゃん、馬車の中で食べてね。王都の暮らしは大変だろうけど健康にはくれぐれも気をつけてね」

 「あぁ、もちろんだ。リナには迷惑をかけるけどお母さんのことをよろしくな」


 「うん、任せてよ。だから、お兄ちゃんは家のことは気にせずに王都でがんばってね」

 「あぁ、がんばるよ!リナ、父さんも心配しないで!僕は必ず、レア職業を授かってすぐに大金を送金するからね」


 アルトはそう誓い、王都行きの馬車に飛び乗った。家族の希望、それが故郷を旅立つ15歳の少年の全てだった。



 アルトは人通りの少ない裏路地へと逃げ込み、誰にも見つからないように壁際にしゃがみ込む。


 「フリーターなんて外れ職業じゃないか!僕はそんな職業を授かるために王都に来たんじゃない!」


 故郷の家族の献身、王都での屈辱、そして神殿での失笑。その全てが、今、彼の幼い胸に重くのしかかる。アルトは顔を両手で覆い、肩を震わせた。悔しさと絶望で、涙が止めどなく溢れる。しばらくは、その場から動けず、声を殺して泣き続けた。


 そして、ふと涙が止まった。顔を上げると、目の前にあるのは冷たい石畳だけだ。


(泣いてる場合じゃないだろう。僕には帰る場所などないんだ……)


 母の「いつでも戻ってきてね」という優しい言葉が、今や自分を突き動かす「戻れない」という現実の重さになっていた。アルトは袖で乱暴に涙を拭い、革のバッグから、王都の地図を広げた。


 「雑用でも何でもやってやる。とにかく金になる仕事を探そう。そのためにはギルドに登録するんだ」



 王都ケーニヒシュタットには、神託で授かった職業に応じて、3つの大きなギルドが存在する。


 まず、【冒険者ギルド】。これは、戦闘職や採取職などを管轄し、騎士団と並ぶ花形の職業だ。大金を稼げるが危険も伴う。次に、【商業ギルド】。商品の売買や金融などを扱い、「大商人」のような富と権力を手にする者たちが集まる。そして3つ目は【奉仕者ギルド】。ここでは、貴族や富裕層の邸宅で働く執事やメイド、給仕など、サービス業を専門に扱う。戦闘も商売もしないが、王都の日常を支える重要な職業だ。



 (僕に当てはまるのは奉仕者ギルドだ!)


 アルトは地図を握りしめて真っ赤なレンガで作られた壮麗な洋館へと向かった。それが奉仕者ギルドの建物だった。その洋館は、手入れの行き届いた芝生の庭園に囲まれ、磨き上げられた黒い鉄柵が厳かにそびえ立っている。窓枠には華麗な彫刻が施され、アルトの粗末な服から見れば、まるで貴族の館そのものだ。アルトは躊躇したが、意を決して重厚な扉を開けた。


 奉仕者ギルドの受付は、品のいい制服を着た女性が担当していた。受付のカウンターは光沢のある木材でできており、アルトの故郷の家1つが丸ごと入りそうなほど広かった。アルトは緊張しながら、受付嬢へ声をかけた。


「あの……フリーターのアルト・ヴィーゼンです。仕事を紹介してほしいんですけど」


 受付嬢はアルトの言葉を聞いてすぐに顔を顰めた。


「フリーター?申し訳ありませんが、当奉仕者ギルドではフリーターの斡旋は行っておりません」

「えっ、でも、雑用なら何でもできるんです。庭の手入れや、掃除、荷物運びとか……」


 アルトは必死に食い下がった。しかし、受付嬢はため息をつき再びアルトへ返答する。


「フリーターというのは、どの専門性にも発展しない、単なる雑務遂行者という神託の結果です。当ギルドが扱うのは、品位と高度な技能を要求される執事や給仕の仕事などです。あなたが言うような単純労働は私たちの業務範囲外です」


 その言葉は大神殿での失笑と同じくらい、アルトの胸に突き刺さった。


 さらに受付嬢は冷たく言い放つ。


「あなたのようなどの専門にも属せない方は、王都の外れにある『職業案内所』に行くのが通例です。そちらへどうぞ」

「職業案内所……?」


 アルトは茫然とした。それは、王都の地図にも記載されない場所、王都の裏路地のさらに奥、最下層の労働者が最後に辿り着く場所だと故郷で聞いたことがあった。



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