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負の連鎖

 トビーに自分の持つ修復のスキルが、交渉という強力な「付加価値」なしには社会で通用しない現実を突きつけられたアルトは、目の前に運ばれてきた王都の美味しい料理を前にしても、全く食欲がわかなかった。


 目の前には、泥底では決して口にできないはずの、ふっくらとした鉄板ハンバーグと、香りの良いパンが並んでいる。しかし、それらは何の感動ももたらさなかった。それほどまでに、トビーの「銅貨5枚はお前がつけた値段だ」という冷徹な言葉が、アルトの胸の奥深くに突き刺さっていたのだ。


 トビーはそんなアルトを気にする様子もなく、自分の食事を優雅に堪能した。アルトは何かを口に入れたかもしれないが、それが何だったのか、どんな味がしたのかさえも、全く覚えていなかった。2人は無言で食事を終えて料理店を出た。店を出てトビーは足を止めた。トビーは王都の華やかな光が溢れる通りとは逆の方向を向いたアルトに簡潔に告げた。


 「明日、職業案内所で集合だ」

 「あぁ……」


 アルトはまるで魂が抜けたかのような力ない声で返事をした。


 「その服はお前にやるから、大事にしろよ」


 そう告げると、トビーは振り返り、そのまま何の未練もなく、王都の華やかなネオンが灯る中心街へと消えていった。アルトはトビーの背中が見えなくなるまで立ち尽くした後、手に銅貨5枚を握りしめた。それが、小金貨6枚という大金の中からトビーによって定められた、今のアルト自身の価値であった。アルトは自分が身につけている場違いなほど上等な服と、銅貨5枚の報酬という現実を突きつけられながら、自分に似つかわしくない王都の町から逃げるように泥底へと急いだ。



 アルトの足は、いつしか王都の華やかな通りから離れ、街灯が少なく薄暗い通りへと踏み入っていた。賑やかな喧騒は徐々に遠のき、周囲は急速に閑静な、そして少し陰鬱な雰囲気へと変わる。


 王都に来てまだ3日目だというのに、アルトはこの圧倒されるような王都の華やかさよりも、泥と汗と絶望の匂いがこびりついた泥底の雰囲気の方が、自分には合っていると、心の奥底で思ってしまった。


 「はぁ〜……」


 アルトは深いため息をついた。その理由は明確だった。今日、手にした銅貨5枚という報酬は、彼の借金の1日の利子(銅貨5枚)で、全て失われてしまうからだ。


 借金は一円たりとも減らない。それどころか、今日の宿代すら残らない。アルトは、今夜の寝床をどうすれば良いのかという切実な不安を抱きながら、昨日ぼったくりにあった食堂へと向かった。


 アルトが食堂に着くと、昨晩の不穏な雰囲気はどこへやら、店は多くの客で賑わっていた。この店は、通常はごく普通の食堂として営業しているのだ。アルトの姿に気付いた店員が、笑顔でアルトへ声をかけてきた。


 「お客さん、1名ですか?カウンターへどうぞ」


 店員は、昨日の法外な請求やトビーとのいざこざなど全くなかったかのように、笑顔で普通に接客をする。その厚顔無恥な態度にアルトは腹が立ったが、トビーに諭されたTPOの教訓が、彼に大声を上げさせることを許さなかった。


 アルトは何も言わずに、手に握りしめていた銅貨5枚を店員に手渡した。店員は銅貨の枚数を素早く換算すると、レジに戻って手続きを行った。そして再びアルトの元へ戻って来ると、アルトの手のひらに硬貨を置いた。


 「初日できちんと利子を払ったのはお前が初めてだ。これは優秀な債務者への謝礼だ」


 店員が手渡したのは鉄貨5枚だった。そして、店員は暖かい笑みを浮かべて言った。


 「またのお越しをお待ちしてます」


 店員はそう述べると再び賑やかな店内の接客に戻っていった。


 アルトは、手のひらに乗せられた鉄貨5枚を見つめて立ち尽くした。銅貨5枚という、自分が一生懸命に磨き上げたペンダントの売り上げは利子として完全に消えた。しかし、この鉄貨5枚は、泥底の宿屋の1日分の宿代を賄える。


 「……僕に宿代をくれたんだ」


 アルトは、昨日自分をぼったくった店員が、今、わずかな気遣いを示したことに、得体の知れない感動を覚えた。


 「あの店員さんも、僕やトビーのように、この泥底の非情な仕組みに抗えない、ただの被害者なのかもしれない……」


 アルトは泥底から逃れられない闇が、店員のような人間にも影を落としていることに実感した。


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