第10話 ゴブリンの火柱
準備を整えて迎えた1週間後のこと。ついにゴブリンの先陣が俺たちの村の周囲に見え始めていた。
狩人の皆さんや、剣士のスキルを持っている討伐隊の皆さんが間引きを行うことで、村まで辿り着く数は多くはない。
しかし、ゴブリンの独特な低い唸り声や、叫び声が轟くたびに、村人たちは表情を強張らせ、子供たちは震えていた。
今日までに作り上げた防衛設備のおかげで、村の様子は以前とは様変わりしている。
高く堅牢な柵に覆われ、入り口には跳ね橋を設置。
濠はオババにも手伝ってもらって、村の皆と共同でさらに1メートルほど掘った。これで穴の深さは合計で1.5メートルになった。
濠の内部には、量は少ないが俺の魔法によって水が張られている。足首より低いぐらいにしか水がないものの、入れば独特の音が鳴るので、ゴブリンが穴まで来て落ちた事をすぐに察知出来る。
ぬかるみで足止め効果にも期待できるかもしれない。
さらに、柵の内側の5箇所に物見塔を設置し、一日中誰かが監視しているという体制を敷いた。
この監視でゴブリンを発見したら上からスリングショットで撃ち、ゴブリンたちに壁は上れないと印象づけする。
そうすると、奴らは別の場所から中に入ろうとする筈なので、追い立ててある場所に誘導するようにした。
柵は村を一周ぐるりと配置しているが、1箇所だけ外から入れそうに見える場所を設けてある。
その場所とは、オババと俺が魔法の杖の使用実験をしたあの広場だ。
風の魔法によって木々が薙ぎ倒されたせいで2倍以上も広くなってしまった広場……あそこからオババの薬草畑に続く道にだけ、僅かに隙間を作って柵を配置したのである。
もちろんこれは罠で、ゴブリンが入ると先には円柱形の狭い空間があり、そこには剣士たちが待ち構えている。
その先は行き止まりになっていて、梯子を下ろしてもらわなければ村に入ることは出来ない。
俺たちが防衛に専念するのではなく、このような罠を作ったのは何故かというと、倒したゴブリンの死体を回収するためだ。
俺はこのゴブリンの死体を調べて弱点を探し出すのと同時に、奴らを足止めするためのキーとしても使えるとも考えている。
ゴブリン大量発生の知らせを受けて、領軍は既にこちらに向かっている。だが、到着するまで守るばかりではどこかで破綻して一気に崩されてしまうかもしれない。だから、攻撃に転じるため、ゴブリンについて学ぶことが必要だった。
既に近くで間引かれたゴブリンたちの死体は村に運び込まれてきている。だが、まだまだ足りない。
俺は、空中に『ディスプレイ型設計図』を投影し、ある項目を見る。
そこには ――『ゴブリンの生態』――と書かれた一冊の本が映し出されていた。
◇◆◇
少しづつ、しかし確実に増えていくゴブリンたち。
最早、外で間引きを行うのは危険と判断され、現在では全員が村の中で襲撃に備えた節約生活を送っていた。
そして数日後。朝日が昇る少し前、時間にして午前5時ごろに、村の西側にある物見塔から緊急警報が鳴らされる。
吊り下げた木の板をハンマーで叩くカンカンという音は、浅く眠りについていた村人たちを一気に覚醒させた。
「ゴブリンの襲撃だーッ!」
その見張り番の張り裂けんばかりの声によって、ゴブリンとの戦いが幕を開けたのである。
「スリングショットで撃ち落とせ! 絶対に壁を越えさせるな!」
「石の補充急いでくれ!」
「剣が曲がった!? 代わりの剣を早く!」
村のあちこちで男たちの怒号が飛び交い、ゴブリンの悲鳴がひっきりなしに聞こえてくる。
戦況は今のところこちらの優勢。高い柵とあらかじめ作っておいた脚立での上からの攻撃によって、村の周囲に埋め尽くさんばかりに蠢くゴブリンたちは、一匹たりとも中に入って来れていない。
だが、やはりこの数と飢餓状態のなりふり構わず向かってくる様は、俺たちの心に恐怖と多大なストレスを与えてくる。
ゴブリンたちは、1.5メートルの濠に落ちた仲間を構わず踏みつけて殺し、その上からまた新しいゴブリンが踏み台にして我先にと俺たちに向かって手を伸ばしている。そんなのが村の周囲全てで見られるのだ。なんと悍ましい光景だろうか。
そんな中、俺は村の中央広場で文字が書ける人たちを集めて、木版に文字を書かせていた。
これは先日から作っている『ゴブリンの生態』という本だ。
ゴブリンを知るためにゴブリンの死体を持ち込んでも、それだけではこの場で分かることは限られる。しかし、この本があってなおかつ死体を直接調べられるなら、ゴブリンの弱点も見つけられるかもしれない。
そうすれば、この状況を打開する策が見えてくるはずだ。
「必ず探し出してやる」
文字を書き起こすというのは想像よりも大変で時間がかかるものだ。
10人、自分を含めて11人が全力で挑んでも、まだまだ終わりそうにない。
既に本を書き始めて3日と3時間が経過している。どうやらこの本はかなり分厚い本らしい。
こういう専門書籍というのは、どうしてこうも、どうでもいいことをだらだらと書き連ねるのか。スキルの効果で作っているので、途中を抜き出すということができないのは、このスキルにも不便な面があるのだと教えてくれる。
そうして、それから2時間後、俺たちはようやく本を書き上げた。
使用した木版の総数はかなり細かく書いたにも関わらず驚異の2000枚を超えている。
バカかよ!
「皆さん、これを書いている最中に何か使えそうな情報はありませんでしたか?」
そう聞けば、パラパラと情報が出てくるが、現状で使えそうな情報は少なそうだった。
ゴブリンが極度の乾燥肌体質なため、刺激物、たとえば『香辛料などを水に溶かしてゴブリンにかけると、激痛によりのたうち回る』というのは使えそうだが、そもそもこの村には塩ぐらいしかないし、数も全然足りない。
他に何かないか。そう思っていた時、ふとマリーちゃんの言葉が耳に入った。
「ゴブリンの魔石の正しい取り出しかた。というのがあった」
「マリーちゃん、それちょっと見せてもらえる?」
「うん。はい」
「ありがとう。…………なるほど、これは使えるかもしれないぞ」
ゴブリンのようなモンスターの内部には魔石がある。しかし、その魔石は小さいうえに鉱山から採れるものと比べると品質が非常に悪いとされていた。
だが、この正しい取り出し方を用いれば、体に残った魔力を魔石に集約させて取り出すことができるらしい。そうすれば、単純に胸を開いて魔石を取り出した場合より、品質がかなり良くなるのだとか。
そして、ゴブリンの魔石の属性は『火炎』。
「よし、皆さんはこれからゴブリンの死体を解体して魔石を取り出す練習をしてください。出来るようになったら手の空いている方にも手伝ってもらって、なるべく多くの数を用意してもらえると助かります!」
俺はその場で解体され、取り出された5つの火炎属性の魔石を持って、オババのいる物見塔へ向かう。
この塔は、オババの家の裏にある広場を監視する用に建てられた一番高い塔だ。
「オババ、状況はどう?」
「今のところは順調だ。だけど徐々に押されてきてるね。いくらローテーションでやっているとはいえ、剣士たちも体力の限界はあるからな」
「そっか、なら剣士の皆さんを休ませるためにオババに働いてもらいたいんだけど」
「あの場所で風の魔法は使えないよ。狭すぎるからね。火の魔法なんてもってのほかだ、せっかく作った柵が燃えちまう」
「分かってるよ。だからオババには結界を張ってもらいたいんだ。結界ってある程度形を変えられるって言ってたよね?」
「ああ、だけど結界を使うなら攻撃魔法は使えないぞ」
「それでいいよ。オババには結界をこんな形にして欲しい」
俺がオババに見せたのは木版に描いてきた煙突のような絵。
ゴブリンが入ってくる入り口側には穴が空いている。
「結界は許可した魔法を通すことが出来る。でしょ?」
「そうだが、何をするつもりだ?」
「決まってるじゃん。オババが結界を張ってくれるなら、奴らの始末は俺がやる」
俺は手に持った赤い魔石を見せながらオババにそう言った。
オババはそれで全てを察し、すぐに剣士たちを引き上げさせる。
剣士たちが引き上げると、結界は俺の言った通りの形に張られた。流石オババ、俺の絵から読み取って少し改良したらしい。
そして、オババは堰き止めていたゴブリンたちを結界の中に入れると、俺に目で合図した。
さて、俺の成長した姿をオババに見せてやるとするか。
簡易的に作ったスプーンのような形の木の杖に魔石を乗せて、ゴブリンたちのいる方へ突き出す。そして……
「……ファイア!」
ゴウ……ッ!
次々と突撃してくるゴブリンたちが、俺の放った火炎魔法『ファイア』の火柱に飛び込んでいく。
煙突型の結界は空気を押し上げ、燃料の逐次投入と上昇気流によって、炎は益々盛大に燃え上がった。
「あはははは! 見てよオババ! 綺麗な火柱だ!」
自分の魔法に興奮してそう叫んでいた俺を、オババがドン引きして見ていたのは言うまでもないだろう。