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「さて、これくらいかしら?」
マットが窓の上の方を磨き、ミイアが雑巾を受け取って絞り、ルリアーナが最後のゴミを箒で塵取りに集め終わった。ルリアーナの声掛けで、皆がふぅ、と息をついた。
「お疲れ様です。ルリアーナ様」
「ルリアーナ様は休んでいてくれ、俺とミイアが後片付けしてくるからよ」
ミイアとマットにそう言って、塵取りや箒を奪い取られたルリアーナは、微笑んで言った。
「一番楽しいところだけ楽しんで、後片付けは二人にしてもらえるなんて、お姫様にでもなった気分だわ!」
「お姫様は掃除なんてしませんよ?」
「そうだよ。ルリアーナ様もお貴族様なんだから、本当は掃除なんかしちゃいけねーよ」
綺麗になった椅子に腰掛け、ニコニコと手足を伸ばすルリアーナの姿に、マットとミイアは目を見合わせて微笑んだ。そして、道具の片付けに出て行ったのだった。
こんこんこん。
少し休んだルリアーナが、ミイアが持ち込んだ紅茶を淹れようと、湯を沸かしていると、小屋の扉が軽くノックされた。
「あら? ミイア? マット? 戻ったのかしら?」
なんでノックをしたのだろうと首を傾げたルリアーナが、声を張り上げて言った。
「鍵は開いているから、開けていいわよ?」
ルリアーナの声に応じて、扉がゆっくりと開いた。そこには、使用人の見習いくらいの年齢の男の子が一人、立っていた。
「……ミイア、あら? はじめまして? どなたかしら?」
ルリアーナが火を止めて、慌てて男の子に駆け寄り、目線を合わせようと屈む。すると、男の子がルリアーナを睨みつけて言った。
「悪女め! 次期当主様とフィラルディーア様の間に割って入るだけじゃなくて、お師匠の、お師匠の小屋までめちゃくちゃにしやがって……あれ?」
そこまで言った男の子は、室内の様子を見て驚いたように固まった。
「ここはあなたのお師匠様のお家だったのね。勝手に使ってごめんなさい。ところどころ、掃除した跡があったのは、あなたのおかげだったのね」
そう微笑むルリアーナに、男の子は顔をばっと赤らめた。
「べ、別に、お師匠のためだし!」
そこはちょうど戻ってきたミイアとマットが声をかける。
「ルリアーナ様ぁ! って、ライマー!? 何してるの、こんなところで」
「お前、もしかして、ルリアーナ様に迷惑をかけたんじゃねーだろーな!?」
「いや、ちが、」
その様子を見て、ルリアーナが、ふふ、と笑った。
「あなたの大切なお師匠様のお家、わたくしが大切に使えているか、確認してくださる?」
ルリアーナがそう言って、ライマーを招き入れた。ライマーは庭師の師匠の弟子として、教えられた知識をルリアーナに話す。故郷で農作業をしていたルリアーナは、ライマーに自分の知識を話すことで、尊敬を集めたようだ。
「ルリアーナ様に使ってもらえるなら、師匠も空の上で喜んでいると思います!」
すっかりルリアーナに懐いたライマーに、ミイアとマットが苦笑いを浮かべた。
「まったく、ライマーは……ルリアーナ様に失礼な態度を取ったことを先に謝りなさい」
「はぁい。ルリアーナ様、この度は私めが大変申し訳ございませんでした。……これからも遊びに来てもいいですか?」
貴族の家の使用人見習いのライマーが一番に教えられたのは、貴族への正式な謝罪だ。良家の使用人らしく、礼儀正しい姿を見せたライマーに、末端貴族のルリアーナは目を白黒させて言った。
「い、いいのよ! わたくしだって大切な方の大切な場所を他の人に荒らされたら、悲しいもの。また、植物のお話をいたしましょう?」
微笑むルリアーナとライマーに、マットとミイアが忠告する。
「ライマー。ルリアーナ様は、とても難しいお立場でいらっしゃるの。ルリアーナ様に関することは、他の者には漏らさないように」
「そうだぞ。ルリアーナ様がここで喜んで暮らしているだなんてバレたら、何されるかわからない。下手に嘘をつくんじゃなくて、ルリアーナ様との関わりはなかったことにしておくんだ」
「はぁい!」
元気よく手を振ったライマーが、走り去っていくのを見送ったミイアとマットがルリアーナに向き変える。
「ルリアーナ様! 今回はライマーだったからよかったものの、貴女への嫌がらせだったらどうするんですか!? 気軽に入室許可を出さないでくださいませ!」
「そうだ! 俺たちが出てくとき、きちんと鍵を閉めるように言ったのを聞いてなかったのかよ!?」
「え、だって、領地の中なら鍵なんて閉めなくても……」
首を傾げたルリアーナは、この後ミイアとマットにぎっちりと絞られたのだった。
「ルリアーナ様!」
「あら、おはよう。ライマー!」
ルリアーナが鼻歌を歌いながら、植物に水をやっていると、ライマーが駆け寄ってきた!
「あれ? それって、昨日蒔いたばかりのラディッシュですか? 芽が出るまで一週間はかかるってお師匠に聞いていたのですが……」
「そうなの? わたくしの領地ではいつも翌日には芽が出ていたわよ? ほら、見て? 明日には収穫できるわよ?」
「明日!?」
ライマーが驚くのを見て、マットがやってきた。話を聞いて同様に驚いている。ミイアは不思議そうに首を傾げるだけだ。
「植物ですから、それくらいの個体差があってもおかしくないんじゃないですか?」
「おかしいぞ! 昨日産まれた子猫が、明日には大人の猫になってるようなものだ!」
「それは……」
みんなが驚愕している中、ルリアーナは鼻歌を歌いながら、水やりを続けている。
「♪大きくなぁれ マルスさまがぁ♪」
「……もしかして、あの歌が原因ですか? マルス様ってマルス神ですよね? 豊作豊穣を祈る……」
ライマーがそう訝しげに見つめて、ルリアーナに声をかけた。
「ルリアーナ様! ここの畑の、この二区画、お借りできませんか?」
「ん? お借りもなにも、ライマーのお師匠様から借りてるのはわたくしよ? ライマーは好きに使っていいのよ?」
「ありがとうございます」
そう言って、ライマーは片方はいつも通り種蒔きをし、もう片方はルリアーナの歌をまねながら種蒔きした。
「なんか……いつもより疲れますね」
そう言ったライマーの隣で歌っていたルリアーナが突然倒れた。
「ルリアーナ様!?」
「ルリアーナ様!」
「マット、早くルリアーナ様をお部屋にお連れして!」
「僕、扉を開けてくるよ!」
三人が慌ててルリアーナを部屋のベッドへと寝かせた。男性が貴族令嬢の寝室に立ち入るのはマナー違反とミイアがいい、ルリアーナのベッドが置いてあるところから一番遠い、入り口のそばでマットとライマーがあたふたとしている。そんな中、てきぱきとルリアーナの面倒を見ていたミイアが声を上げた。
「! ルリアーナ様! 大丈夫ですか?」
「ん? ……ミイア?」
ゆっくりと目を開けたルリアーナがミイアを見る。ミイアの声を聞き付けたマットとライマーも駆け寄ってきた。
「ごめんなさいね。領地ではそんなに倒れなくなっていたのだけど、この小屋でみんなと暮らせて安心したせいかしら?」
ふふふ、と笑うルリアーナに、ミイアが目を丸くした。
「ルリアーナ様はお身体が弱いのですか?」
「小さい頃は弱かったのよ。だから、領地に暮らしていたのよ。ここ数年は倒れることなんてなかったのに」
力なく笑うルリアーナに、ミイアが悔しそうな表情を浮かべた。
「……ルリアーナ様。環境の変化や負担が大きかったのでしょうね。私がついていながら……この度は私めが大変申し訳ございませんでした」
謝るミイアに目を丸くしたルリアーナが、必死に止めた。
「ミイアは悪くないわ! ミイアがいてくれたおかげで、今日まで来れたのだもの。むしろ、ありがとう」
そんなルリアーナの言葉に、ミイアたちは拳に力が入る。
「私、今からでもルリアーナ様の待遇について、次期当主様に異議申し立てしてきます」
「やめろ、ミイア。そんなことしたら、あの女が嬉々としてルリアーナ様をギリギリまで痛めつけてくるぞ」
「え、あの女って、あのフィラルディーア様のこと? かよわい女性がそんなことするはず……」
ミイアとマットの言葉に、ライマーが驚いて声をあげる。
「今は本性を隠しているけれど、昔、この家に来たばかりの時、使用人に暴力を振るってばかりいたんだよ、あの女は」
「で、でも少女の力よ? 暴力と言っても、何もできないでしょう?」
ルリアーナの言葉を受けて、首を振ったマットが突然、ライマーに向き直る。
「ライマー、お前はもう戻れ。あんまりここに長くいると、サボっていると思われるぞ?」
「え? あ、では、ルリアーナ様、失礼します」
振り返りながら出ていくライマーを見送った。完全に離れたことを確認すると、マットが腕をまくった。そこには、激しく折檻されただろう、消えない傷跡があった。
「使用人と言っても、下級使用人にしか暴力は振るわなかったし、制服を着たら見えないところにしか暴力を振るわなかった。使用人が怪我したところにたまたまいたという設定で、あの女は下級使用人にも優しくする姿を当主様たちに見せていたんだよ。あれだけ繰り返せば気づかれると気づいたのか、最近はおとなしくなったけどな……。それに、死人が出ちまったからな……。当時の下級使用人はほとんど入れ替えられたが、俺とミイアはあの女に一切逆らわなかったから、害がないと思われてるみてーだよ」
ふっ、力なく笑うマットに、思わず怒りを浮かべたルリアーナの視線を受けたミイアが小さく首を振った。
「確かにマットの言う通りです。最近は落ち着いているので、私はあの女の恐ろしさを忘れておりました」
そう謝罪するミイアに、ルリアーナは困った顔をしたままマットに問いかけた。
「その傷は……もう、痛くない?」
「ルリアーナ様……」
ルリアーナの言葉に、マットが感動したように目を丸くした。
「おんなじお貴族様のはずなのによ。ルリアーナ様と話していると、変な感じがするぜ」
「わたくしは貴族といっても弱小貴族で、領民たちとほとんど変わらない暮らしをしていたもの。フィラルディーア様のような貴族の方が、世の中、多いのかもしれないわね」
貴族の通う学園に通うことを想像して、ルリアーナは思わずため息を吐いたのだった。




