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「ルリアーナ!」


「大丈夫だったか!?」


 先に弟を迎えに行かされた男爵とツァーナが、ルリアーナを迎えに戻ってきた。

 心配して駆け寄ると、ルリアーナは力ない笑みを浮かべて言った。


「心配しすぎだわ、お父様もお母様も。ここじゃ何も話せないから、早く家に帰りましょう? わたくしがこちらに来るまでの準備に、一週間の猶予をくださるそうよ」


 ちらちらと様子を伺っている門の護衛を気にして、ルリアーナは馬車に早く乗り込もうとする。ルリアーナの気持ちを汲み取った男爵が手を伸ばし、ルリアーナを馬車に乗せると、すぐさま出発した。


「一週間!?」


「ここから我が領までどれくらいかかると思っているのかしら!?」


 ダンテ伯爵家のある王都から男爵領まで、休まず馬車を走らせて三日だ。貴族令嬢の準備品を持って戻ってくるとなると、男爵領に着いたその日には準備を終え王都に戻らなければならない。


「おそらく、フィラルディーア様に害を与えるものを持ち込む準備の時間を与えないようにしたいんだと思うわ。使用人はみんな敵みたい。基本的には、大切なものは壊されるか捨てられるかしそうな雰囲気だった。お父様、お母様。わたくしの荷物、置いて行ってもいいかしら?」


 微笑みを浮かべてそう語るルリアーナの姿に、涙を流しそうになった男爵夫妻はもちろん同意する。


「もちろんよ! ルリアーナ、あなたもなんとか行かなくていいようにしてあげたいわ……」


「爵位的にも、親戚関係的にも、ダンテ伯爵家を上回らない弱小貴族の我が家に婚約打診をしたのはそのためだったのか! くそ!」


「どうちたの? おとうたま、おかあたま」


 くりくりの目で見上げる弟を抱きしめ、ルリアーナが言った。


「ねぇ、ルミルド。少し大変だけど、おうちまで急いで帰ってもいいかしら? お姉様、よそのお家に行かないといけないんだけど、急いで帰らないと時間が足りないの。頑張ってくれるかしら?」


「えぇ! おねえたま、よそのおうち、いくの? やだ、やだ!」


 駄々をこねるルミルドを抱きしめたルリアーナ。その上からツァーナがさらに抱きしめる。


「ルミルド、お姉様がなんとか行かなくてもいいように、お母様もお父様も頑張るから、そのためにも急いで領地に帰ってもいい? なんともならないかもしれないけれど、なんとか頑張るから……」


「おねえたま、いかなくていいように、がんばってくれる? なら、いそいでかえりゅ」


 そんな家族の姿を見た男爵は、腕で目元を拭い、すぐさま胸元から便箋を取り出した。


「馬車に乗っている時間も無駄にはできない。伯爵令息時代の友人たちに当たってみよう。なんとかなるかもしれない」








 道を飛ばし、道中も手紙を書き続けた男爵夫妻と、その子供たちを乗せた馬車が男爵領に戻ったのは、三日後だった。


 近い領地の男爵家や子爵家からはすでに断りの連絡が届いている。


「お母様とお父様はもう少し伝手を探すわ。ルリアーナ、気は進まないけれど……」


「えぇ、お母様。必要なものを持っていく準備は念のため進めておくわ。無理しないで」


「我が家にもっと力があったら……」


 すでに腕は使い物にならないくらい動かし続けた男爵夫妻。ツァーナの美しかった白魚のような手は、インクで汚れ、少しでも美しい字を書くためにぐるぐると布で覆われ痛々しい。月に一度掃除の手伝いに呼んでいた領民のミゲル婆を臨時で急いで呼び、ルミルドを見てもらえるように頼む。


「急ですまないが、ミゲル婆。ルミルドのことを頼む」


「あら、大切なお嬢様の一大事ですから、呼べば領民全員だって手伝いにきますよ。さ、坊っちゃま、婆とお庭で遊びましょうか?」


 ミゲル婆がそう言ってルミルドを連れ出し、心配した領民たちが手伝いのためにやってくる。ありがたい人手に感謝して、男爵夫妻は人海戦術を繰り広げるのだった。












「ルリアーナ、ごめんなさい。本当にごめんなさい」


「ルリアーナ、本当にすまない……」


「おねえたま、いっちゃやー!!!」


 男爵夫妻が満身創痍で泣きながら見送るのを、領民たちも悔しそうに見つめる。


「お嬢様だって、お貴族様じゃねーか。お嬢様のことを守ってくれたっていいじゃねーか」


 力自慢の領民がそう言って目を拭う。

 泣き叫ぶルミルドを、ミゲル婆が抱きしめているが、そのミゲル婆の目にも涙が浮かんでいる。



「みんな、わたくしのために本当にありがとう。でも、大丈夫よ。婚約を解消されたら無事に戻ってくるわ。もう再婚は望めないかもしれないけれど……我が領の支援もしてもらえるし、領にとっては最良の選択だわ。わたくし、貴族令嬢として、誇りに思うもの」


 そう言ったルリアーナの荷物は本当にごく僅かだ。使用人たちに食糧が出てくるのかわからないため、しばらくの食糧。調理場が借りられるかわからないため、簡単な調理道具。ただ、刃物の類は持ち込んだ瞬間難癖をつけられると見越して、全て諦めた。ドレスは破られたり捨てられたりしそうだと予想して、簡易なワンピースを数着。洗濯や掃除の用品、そして、家族からの手紙を入れるための空の鍵付きの箱と便箋や筆記用具。


「ルリアーナ。兄がたまにルリアーナに会いに行けるようにすると言ってくれた。会わせてもらえるかわからないが、いざというときは私の実家のシャンティ伯爵家を頼りなさい」


「わたくしの刺繍ファンの方たちが、ルリアーナを気にかけてくれるって言っていたわ。社交の場に連れ出されたら、わたくしの刺繍を身につけた人を探しなさい。きっと助けになってくれるわ」


「はい、お父様、お母様」



 そうしてルリアーナは男爵家を出た。帰りも馬車を飛ばし、なんとか約束の一週間後にダンテ伯爵家に辿り着いたルリアーナを出迎える使用人は、門の兵ただ一人だった。


「自分の部屋の場所はわかっているって聞いているから、まっすぐ向かえ。荷物は執事が中身を検めてから俺が持っていく」


「はい、ありがとうございます」


 礼を言ったルリアーナに、同情したような視線を浮かべた門の兵は、周りの様子を伺って、小声で言った。


「あんまり力にはなれないが、必要なものがあればメイドのミイアに頼むといい。三つ編みにそばかすが目印だ。ミイアと俺は、その、昔からいるからな……」


「昔から? ありがとうございます」


 数少ないが仲間がいるかもしれないという期待と、もしかしたらこれも、フィラルディーアに対する愛情深い、門の兵の罠かもしれないと思いながら、ルリアーナはお礼を言って、自室に向かった。

 もちろん掃除もされておらず、むしろゴミが増やされたような部屋の様子を見て、ルリアーナは掃除道具を用意していて良かったと安堵の息を吐いたのだった。




 しばらくして、門の兵が持ち込んだ荷物は、ぐちゃぐちゃになっていたし、鍵付きのケースは壊されていたものの、何もなくなることなくルリアーナの手元に届いた。


「……これ、荷物だ。それから、その非常食、一つ増えてるのあるだろ?」


「増えてる……これかしら?」


 ルリアーナがそう言って箱を覗き込むと、門の兵は言った。


「それ、食うなよ? さすがに毒は盛ってないと思いたいが、下剤か何か入れてたように見えた。俺がチクったとバレるとやべえから、ほら、」


 そう言って差し出されたのは何かの糞のようなものだった。


「え?」


 ルリアーナが嫌がらせかと思った。しかし、弱小貴族として農業に携わってきたルリアーナは、鶏糞や牛糞、さらには人糞なんて肥料として見慣れている。糞ではないと思い直し、首を傾げると、門の兵は言った。


「周りには、お前に嫌がらせをするために糞を集めたと言っておいたが、それは嫌な匂いをつけた泥だ。水で少し溶いて、そこの尿瓶(しびん)に入れておけ」


「こんな偽物じゃバレないかしら? 本物はもっと臭いが強いわよ?」


「……ほんも、おま。お貴族様じゃねーのか? そんなことより、それで、その非常食もこうやって、数口食べたフリしておくんだ」


 門の兵はそう言って、非常食を皿の上に乗せ、手に持っていたフォークを使って砕いた。


「手慣れていらっしゃるのね……?」


「まぁ、必要だったからな。ミイアもこの手のことには慣れているから、困ったら頼るといい。今は俺と協力してお前に嫌がらせをするって名目で一緒に来て、部屋の前で他の奴らが来ないか見張ってくれている」


 少し水を混ぜて、口から吐き出したかのような形状にした門の兵は、ルリアーナに言った。


「“皆からの歓迎の印です”って言ったら、さっそく食ってやがったって俺は報告してくるから、しばらくしたら皿ごと部屋の外に置いておけ。そして、もしも何か言われたら腹痛そうなフリでもして、尿瓶(しびん)を回収させろ」


「……よくわからないけど、あなたの言う通りにした方がいいということはわかったわ。ありがとう。あなた、お名前は?」


 ルリアーナがお礼を言ってそう聞くと、門の兵は目を丸くして言った。


「こんな門の兵に名前なんて、お貴族様が? いや、いい。俺は、マットだ」


「マットね、ありがとう。ミイアにもお礼を伝えておいて」


 ルリアーナがそう言って、箱から果実を二つ取り出す。


「これ、うちの領地でお父様が作った名産品よ。ジャムに加工して出荷されることが多いのだけれど、わたくしはそのまま齧るのが大好きなの。よかったら、食べて?」


「……いいのか? お貴族様が、こんな親切……。まさか、毒入りか!?」


「いえ、大丈夫よ。なら、この箱から好きなものを選んでいけばいいわ。わたくしのお父様が丹精込めて作った大切な果実ですもの。悪用なんてしないわよ」


 ルリアーナはそう言って、マットの持つ実を手から奪い取って、スカートの裾で拭いて齧った。シャクっと、心地のいい音が響き、蜂蜜のような甘さの果汁がルリアーナの口いっぱいに広がり、爽やかな香りが鼻を抜けていった。


「んー! 相変わらず最高!」


「まぁ、領地の名産品に泥を塗るようなことはしねぇか……。ありがたく、いただくぜ! ミイアにも渡しておくよ」


「んんん、まっほぉ、ありあほぉ」


「お貴族様ならお貴族様らしく、そんなふうに喋るなよ! ていうか、“お父様が作った”って言ってたよな……? お貴族様が農作業をするのか……? うちの使用人にもお貴族様は多いが、手が汚れるような仕事はみんな嫌がるぞ?」


 混乱した様子のマットが唸っていると、控えめにドアが5回引っ掻かれた。


「やべ、ミイアからの合図だ。これ、ありがとな。すまないが、少し怒鳴らせてもらうぜ」


 そう言って、マットは手早く果実を服の中に隠した。こくりと、ルリアーナが果実の最後の一口を飲み込み、偽装した皿の上に一緒に載せたところで、マットが机の上を大きく叩いた。ドン!と音が響き、皿がガチャリと鳴った。


「お前なんか、次期当主様の婚約者に相応しくねー! 少しでもフィラルディーア様の美しさを分けてもらうことだな!」


 マットはどかどかと足音を立ててドアに向かい、最後に麻布に入った偽糞を床に投げた。顔は申し訳なさそうに歪んでいるが。


「馬糞がお似合いなお貴族様よ! 床に這いつくばって掃除でもしてみるがいい!」


 ばたんと音を立ててマットが出ていき、ルリアーナは首を傾げた。


「馬糞……? もしかして、用意した偽物の糞は馬糞という設定なのかしら? それならもっと臭いが強いはずじゃ……。バレないかしら?」


 ルリアーナは麻袋をひろい、せっかくだからと木箱の一つを開けてその中に入れ、蓋を閉める。そして、麻袋を軽く破り、まるで掃除に使ったボロボロの布切れのようにすると、尿瓶(しびん)に突っ込んだ。


「……もったいないけれど、マットの言葉に真実味を持たせるなら、こうするしかないわね?」






 ルリアーナはそう言って、マットに言われた通りに、しばらくしたらドアの前に皿と尿瓶を出し、人が来たら苦しんでいるフリをした。そのおかげか、数日間は平和に過ごすことができたのだった。

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