21・愚かな元夫の醜態
軽快な音楽が鳴り響き、キャンプファイアーのような大きな焚火の周りを踊り子や道化師が舞い、人々は酒と料理に舌鼓を打って……。そうこうしているうちに夜も更け、そろそろお開き、という時間になったところで――
『――ライラ。魔獣の気配がする』
まずリュミエールが、ライラにそう伝えた。
続けて、上空から翼の音がし、人々が夜空を見上げる。
「お、おい! あれはなんだ……!?」
「もしかして、魔獣じゃないか!?」
ジェラルドもすぐに空を見上げ、目を見開いた。
月明りに照らされているのは、獅子のような姿に竜のような翼を持つ巨大魔獣だ。
「あれは……! 俺が見た魔獣だ!」
突然の魔獣の出現に、人々は悲鳴を上げる。だが結界を張ってあるため、魔獣がこちらに入ってくることはない。だからこそ、ライラは皆の不安を取り除くべく、口を開こうとしたのだが――
「皆、安心してくれ! 英雄の俺がいる、何も心配する必要はない!」
(――えっ?)
混乱の渦の中にいた人々へ、大声でそう語りかけたのは……
「フレッグ!? どうしてここに……」
声の主は、フレッグだった。ライラは怪訝な顔で反射的に声を上げる。
名を呼ばれたフレッグは、ライラの方に目を向け――ぽっと、頬を染める。
「美しい人。よく、俺の名をご存知で。やはり英雄として、俺の顔はウィンベルトにも知れ渡っているのですね」
フレッグはいまだに、目の前にいるのが、離縁した自分の妻だと気付いていない。
対してライラは、「何言ってんだコイツ」とばかりにげんなりと眉を顰めた。
「な……何、頬染めてるんですか? 気持ち悪い……」
「そんなつれないことを仰らずに。実を言うと俺は、ひと目見たときから、あなたに心を奪われていたのです。お名前をお伺いしても?」
「新しいタイプの嫌がらせですか……? 私はライラですよ」
「ライラ……ううむ、前妻の名を同じですね。俺はライラという女に縁があるのでしょうか……」
「いやだから、さっきから何を言っているんですか? 私が、その元妻のライラですって」
「は……」
きょとんと首を傾げるライラに、フレッグは目を見開く。
「そ、そちらこそ、何を言っているのですか。ライラがそんな美人なわけ……。い、いや待てよ、その声は確かに……」
狼狽えるフレッグを見て、ここでライラも理解した。――この男、化粧しただけで私が私だとわからなくなっていたのだな、と。
その無礼も含め、フレッグの顔を見ていると、過去の理不尽な暴言ばかり思い出して嫌な気分になるが――ライラは、あえてにっこりと微笑んだ。
「いくら私が、今は化粧をしているとはいえ……元は妻だった女の顔もわからないとは。相変わらず最低でございますね、元旦那様」
かっと、フレッグの顔が羞恥に染まる。自分のドストライクの顔から、ライラの声で言われるというのが、どうしようもなく彼の屈辱感を刺激した。
(ライラがこんなに美しいとわかっていたら、白い結婚になんかせず、俺のものにしていたのに……!)
今はもう決して手が届かないが、元は妻だった女だ。自分があれほど冷たく突き放さなければ、今頃温かい家庭を築けていたはずの――
「お……お前、俺と結婚してた頃はそんなに綺麗じゃなかっただろう! 詐欺だ!」
ライラが美しくなったのは、王家御用達の化粧品と、王宮の化粧師直伝の技術、前世の記憶にある美容方法、ストレスからの解放などいろいろあるが。ライラに化粧品も洋服も買ってやらないどころか、家にほとんどお金を入れておらず、ライラにストレスを与えるだけだったフレッグに文句が言えることではない。
「あの……とりあえず静かにしていてもらえますか。恥ずかしいですし、今、全然そんな場合じゃないので」
魔獣を見て騒いでいた人々も、ライラとフレッグのやりとりを見て、何事かとぽかんとしている。ライラはこほんと咳払いをして、人々に告げた。
「ええと、皆さん、この男のことは気にしないでください。それから、結界が張ってあるので、魔獣は中へ入ってこられませんので。安心してくださいね」
ライラの言葉通り、空飛ぶ獅子のような魔獣――リュミエール曰く「マレディクシオ」という魔獣は、まるで見えない壁にぶつかるように、バン、バンと宙に身体を打ち付けていた。今、結界は可視化されていないが、ちょうどマレディクシオのいるところが結界であり、奴は人を襲いたくても、中に入ってこられないのだ。
「本当だ! 魔獣はこちらに来られないぞ!」
「ライラ様の結界は、やはりすごい!」
「さすがは英雄様!」
人々はライラに喝采を浴びせる。それが、フレッグの怒りにかっと火を点ける。
(英雄と呼ばれるのは、俺のはずだったのに……!)
フレッグはライラを睨むが、ライラは無視して人々に告げた。
「皆さん、私はあの魔獣を退治してきます。結界の中なら安全ですので、皆さんはこのままここへいてくださいね」
「ありがとうございます、ライラ様!」
「くれぐれもお気をつけて!」
人々の歓声に笑顔で手を振り、ライラは仲間に呼びかける。
「ルヴァイン、アランズ、行きましょう。援護をお願いします」
「ああ、もちろん」
「お任せください、ライラ様!」
三人が、結界の外へ向かおうとし――
「待て、ライラ! 俺の光の剣を返せ、この盗人め!」
(ああもう、うるさすぎる……。魔獣退治を邪魔されても厄介だしな……)
「どうします、ライラ様。あいつ、殺しましょうか?」
「あなたさえよければ、その辺に埋めてくるが」
アランズとルヴァインはこんなことを言い出すし。いやいや君ら、目が本気だぞ?
「ライラ、お前にあの魔獣を倒すなんて無理に決まってる! 俺が守ってやるから、おとなしく光の剣を返せ!」
「……わかりました。そこまで言うなら、身の程を思い知ったらどうですか?」
ライラはフレッグを黙らせるために、光の剣を渡した。ここでアランズは、「あ、俺のときと同じパターンだ」と思った。そして彼の予想通り、フレッグがリュミエールを握り――
「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!」
フレッグは、以前アランズがリュミエールに触れたときよりも、更に苦しそうな悲鳴を上げた。掌に、地獄の業火で焼かれるような痛みを感じている。――フレッグがリュミエールに、「貴様が私に触れる資格はない」と告げているも同然だ。
『英雄としての心を失い、どこまでも堕ちた男め……。私に触れるな』
「どっ、どうして……! ライラ貴様、光の剣に何の細工をした!?」
『私が貴様を拒否しているとわからぬとは、本当に無様な奴……。私が貴様を主だと認識することは、もう二度とない』
フレッグはリュミエールの元所有者であるが、リュミエールの声は、もうフレッグには聞こえないようだ。フレッグは痛めた手を押さえながら、わけがわからず困惑して喚いている。
「……フレッグ。リュミエールの声が聞こえませんか? リュミエールはもう、あなたを主だとは思っていませんよ」
「こ、声……? 光の剣の声なんて、聞こえていたのは、昔だけだ。大人になったら、声は聞こえなくなるものだと……」
「大人であっても、心が邪悪でなく、リュミエールに所有者だと認められていれば、声は聞こえるんですよ。……フレッグ、あなたはリュミエールに見限られたんです」
フレッグの心が淀んでしまったせいでリュミエールは一度光の力を失い、深い眠りについていたのだ。英雄として世界の平和を願う心を持ち続けていれば、こんな無様な思いをすることはなかったというのに――
「そ……そん、な……」
「……もう、わかったでしょう? フレッグ、あなたはここでおとなしくしていてください。今あなたにできることは、何もありませんので」




