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2・不貞と、崩壊の始まり

 ヤーシュの手が、そっとライラの頭を撫でる。


「――っ。ヤーシュ様……」

「本当は、家に帰るのが苦痛なんだろう。うちに泊まってくれていいんだぞ。そうだ、酒は好きかい? いい葡萄酒があるから、一緒に飲まないか」

「い、いえ……すみません。早く戻らないと、家で、夫が待っていますので……」


 ヤーシュの誘いを振り切って、ライラが家に帰ると――


「フレッグ様、ただ今戻りました。すぐお食事を温めて――……、っ!」


 フレッグの部屋を訪ねると、彼が見知らぬ女性と抱き合っているところを目撃してしまう。相手は若い女性だ。愛らしく、豊満な身体つきの――本来フレッグの好みの女性はこうなのだろうな、というような。


 ライラが呆然としていると、相手の女は目を潤ませて言う。


「ごめんなさい。私、お二人の邪魔をするつもりなんてなかったんです……! でも、フレッグ様のことを愛してしまったから……っ」


 ――何が「邪魔するつもりはなかった」だ。フレッグが妻帯者だと知っていて、そういう行為に及んだのだろうに。


「おいライラ、リリアナを泣かせるな! お前に文句を言う資格なんてないだろう!」


 別にライラが睨んだわけでも、暴言を吐いたわけでもないのに、フレッグは彼女を責めた。

 ひとまず女性の方には帰ってもらい、ライラはフレッグに事情を聞くことにしたのだが――


「……フレッグ様。私達は離縁する、ということでよろしいでしょうか」

「何を言っている。離縁はしない」

「え……?」

「離縁なんて外聞が悪い。それに、リリアナは愛らしいが爵位も何もない、平民の回復士(ヒーラー)見習いだ。身分だけならお前の方が上だからな」

「それじゃ……っ。私に、夫に愛されることなく、他の女性との不貞を許し、ただ使用人のように働く日々を永遠に続けろとおっしゃるのですか」

「何が不満だ。俺のような英雄の妻でいられるのだから、感謝しろ」


 ――駄目だ、話にならない。同じ言語を用いているはずなのに、話が通じない。


 後日、ライラは一度生家に戻って実の家族に相談してみたものの、「男性の火遊びなんてよくあることなのだから、そのくらいで嘆くんじゃない」「そもそもお前に原因があったんじゃないのか?」などと言われてしまい、心の傷は深くなるだけだった。


 誰にも気持ちをわかってもらえず、自分の方がおかしいのだろうかと苦悩する日々が続いて……。



 ◇ ◇ ◇



 ――こんなはずじゃなかった、と。フレッグはずっと思っていたのだ。


 フレッグは十二歳のときに、魔王を倒す英雄にだけ抜けるという、光の剣を抜いた。そのとき彼は、これで自分の人生は順風満帆だと信じて疑っていなかった。


 だが、何年待っても肝心の魔王が現れない。この大陸において、魔王が出ないかぎり、魔獣は特殊な魔力が満ちたダンジョンの中でしか生きられず、そこから出てくることはない。国が平和すぎて、フレッグが活躍する機会がないのだ。光の剣を持っているというだけで英雄扱いはしてもらえるものの、実際に武勲を立てなければ叙爵することはない。――「未来の英雄」扱いされていても、「真の英雄」ではないのだ。


 そのため結婚もなかなか決まらなかった。いや、正確には下級貴族からなら申し込みはあったのだが、フレッグが「王女か公爵令嬢でなきゃ嫌だ、絶世の美女でなきゃ嫌だ」などと高望みしすぎていたのだ。俺は英雄なのだから、妻だって俺に釣り合う女でなければならない、と。いつまでも条件を下げることをしなかった。


 だから婚期を逃し、親に泣きつかれて、ライラと結婚することになったのだ。だがフレッグには、それが不満であり屈辱だった。


(こんなはずじゃなかった。俺は美しい王女や公爵令嬢と結婚するはずだったんだ! くそっ、忌々しい……!)


 その鬱憤は、全てライラにぶつけられることになった。フレッグは、光の剣を抜いておきながら真の英雄になれていないという劣等感が強い。それが、ライラに当たり散らすことで、少しは気が晴れるのだ。ライラに対して偉そうに振る舞うことで、自分が本当に偉くなった気がするから。ほら、やはり俺は強い。俺には逆らえないのだ、何故なら俺は英雄なのだから、と――


 正直、不貞してやったときのライラの悲しそうな顔も――快感だった。


 不貞相手のリリアナはダンジョンで出会った見習いの回復士だ。ソロの自分と違い、彼女は他のパーティーに属していたのだが、ちょうどそのとき仲間とはぐれていて、不安そうにしていたところを助けてやったのだ。


 そうして彼女が光の剣に気付いたので、自分が英雄であることを明かした。彼女はフレッグが妻帯者であると知っていたようだが、「フレッグ様みたいな人が旦那様だったら、きっと幸せなんだろうなぁ。奥さんが羨ましい」と言ってきたのだ。フレッグは「何と健気な子だろう」と感動し、それから何度か逢引きを重ね、身体を重ねる仲となった。


(俺が愛しているのはリリアナだが――不貞行為を知られたときの、ライラの顔は最高だった。そうかそうか、俺が他の女と寝ていてそんなに悲しかったのか? ふん。顔は好みじゃないが、可愛いところもあるんじゃないか。まあ、リリアナの方が何倍も可愛いんだがな)


 ライラを傷つけてやることが、愉しい。あいつが無様であるほど、自分が価値のある人間になったような気がする。そうだ――俺は英雄なのだから。もっともっと、人々から称えられるべきなんだ!


「フレッグ様、どうしたの? 何か考えごとぉ?」


 フレッグは、はっと我に返る。今はリリアナと、久々に二人でダンジョンに来ているところだった。ダンジョンはたまに金目の物を手に入れられるし、薄暗くて人目もないため、魔獣さえいないときであればイチャイチャもできる。二人は実際に何度か、ダンジョンを連れ込み宿の代わりにしたこともあった。


「いや、なんでもない。リリアナは本当に可愛いなと思っていただけさ」

「ふふっ、嬉しい。……あれ?」

「どうした、リリアナ」

「なんだかキラキラしたものが落ちてるわ。きれーい」


 リリアナがダンジョンの床から拾い上げたのは、魔石に似た石だ。ただし、赤い火の魔石や青い水の魔石でもなく、闇を閉じ込めたような漆黒をしている。


「なんだ、これは。見たことがない色だが、魔石の一種か?」

「ふふ。なんだか子どもの頃に絵本で見た、願いを叶えてくれる石みたい!」


 子どものようにはしゃぐリリアナが、フレッグにとっては微笑ましかった。犬にするように、彼女の頭を撫でてやる。


「本当にそれが、願いを叶えてくれる石だったらいいのにな」

「うんうん。ねえ、フレッグ様は、何がお願いごとはある?」

「俺の願いは……」


 ――魔王さえ、復活してくれたら。


 何度思っただろう。早く魔王が復活すればいいのに、と。そうすれば、自分は光の剣の力を思う存分発揮し、真の英雄になれる。富も名声も、地位も女も、全てが手に入るのに、と――


 そして実はリリアナもまた、同じ考えを抱いていた。

 リリアナにとって、フレッグが光の剣を持っていることは、とても魅力的だ。価値のある男が自分のものなのだと思うと、優越感に浸れるから。


 だがどうせなら、本当に魔王を倒し、英雄になってほしい。より価値のある恋人が欲しい――「英雄の妻」という座が欲しいから。


(魔王が、復活してくれたらいいのに)


 二人は謎の黒い石に触れたまま、そう、心から願ってしまって。

 そしてその願いは――届いてしまった。

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