11・ルヴァインの過去
「母は気が弱い人でね。父の不貞を知っていながら父に何も言えず、いつも泣いていた。俺は当時五歳で、不貞ということについて明確に理解していたわけではないが、父が母をとても悲しませていることはわかった。俺から父に、母を悲しませるなと言ったこともあるのだが、叩かれて終わりだった。父はいつだって傍若無人で、反省してくれることはなかった。……やがて、母は俺を遺して自害した」
「――っ」
ライラをリードしてステップを踏みながら、ルヴァインは自分の過去を語る。彼の声は、楽団の奏でる円舞曲に紛れて周囲には聞こえないだろうが、ライラの耳には確かに届いていた。
「父はまるで、邪魔者はいなくなったというかのように不貞相手と再婚した。継母は、前妻の子である俺を疎んだ。やがて産まれた父と継母との子だけが可愛がられ、俺は虐げられた。だから俺は十二のときに家を出て、寮のある王都の魔術師団に入団したんだ」
「そう……だったのですね」
「だからあなたが、不貞した夫に毅然と別れを告げた姿を見て、爽快だった。無意識のうちに、幼い頃の、父を憎んでいた自分を重ねていたのかもしれないが。……それでも本当に、あなたを好ましく思ったんだよ」
紅玉のような瞳は美しく、まっすぐにライラを見てくれる。ライラは、その言葉に嘘はないように思った。
「だから俺は、フレッグを刺したあなたのことを、恐ろしいなんて思わない。――それに。俺だって、愛した女性が不貞したら、まあその女性を刺すかはわからないが、間違いなく相手の男は刺すだろうしな」
にっこり、と。そんな言葉を優美な笑顔で言うのだから、ルヴァインはやっぱり、そこそこ曲者ではあると思う。だがそれは、幼少期の心の傷が深かったからこそなのかもしれない。
(だけど――)
「……辛い過去を打ち明けてくださって、ありがとうございます。私、あなたのことは、悪い人ではないように思います。……それでも」
光の剣で刺し、衆人の前で離縁を突きつけてやったからといって。フレッグとの結婚生活がなかったことになるわけでも、フレッグにつけられた心の傷が全てなかったことになるわけでもない。
「私は、元夫との結婚生活で疲れ果てました。もう、恋愛とかそういうのはこりごりなんです。これからは、世界を救うことだけ考えて生きます」
「そうか。それはもっともだな。俺も魔術師として、世界に貢献することを考えよう」
ルヴァインは微笑を崩すことなく答えた。ライラは、ほっとしたような、拍子抜けしたような感覚を覚える。
「……引き際は潔いんですね」
「あなたを困らせるつもりはないと言っただろう? 正直に言ってくれてありがとう。おかしなことを言ってすまなかった」
「いえ……」
「――父が不貞し、母に遺された俺は、愛というものを信じることができなかった。だがきっと、心の底では誰かを愛したかったんだろうな。けれど今まで、どんな令嬢を見ても、好ましいと思うことができなくてね」
(……心の底では誰かを愛したかった、か)
ライラがフレッグとの結婚生活で疲れ果てたのは本当だ。だからこそこれからは、なるべく自分の力で生きていきたいと思った。だが、かつては愛し愛される夫婦に憧れていたのも本当である。
平凡でいいから、穏やかな家庭を築きたい。
――そんなふうに願っていたのが、もう、遠い昔のことのようだ。
そんなことを考えるライラに、ルヴァインは、心の奥底を打ち明けてくれるように微笑む。
「あなたを、好ましく想うことができる。俺は、それだけで幸せなんだよ」




