1・横暴な英雄との白い結婚
「お前みたいな貧相な女、抱く気が起きない」
――アフェール家に嫁いだ元子爵令嬢・ライラが、初夜の寝台で夫であるフレッグに吐かれたのは、そのような暴言だった。
「親に勧められてお前を貰ってやったが、はっきり言ってお前みたいな地味女、俺の好みじゃない。この結婚は、白い結婚ってことで。いいな」
いいな、などと確認のように聞いているが、有無を言わさない圧がある。
「わかったら、この契約書に署名しろ」
そうして彼はライラに、「この結婚は白い結婚、それに対して文句は言わない」「夫が何をしたとしても決して文句は言わない」等の、フレッグにばかり都合のいい契約書に無理矢理署名させた。
このフレッグという男は、この国において英雄とされる男である。といっても、まだ強大な敵を倒したわけではない。ただ十二歳のときに、魔王を倒す英雄にしか抜けぬと伝えられている、光の剣を抜いたのだ。
伝説によると、遥か昔、勇者がこの大陸のどこかに魔王を封印したのだとか。しかしその封印は永遠ではなく、いつか解けてしまうそうだ。そのためもし復活した魔王を倒せば、フレッグは勇者として爵位や領地を与えられる――はずなのだが。
封印が解けるというのはあくまで伝説上のことで、この国は至って平和であり、魔王が現れる兆しも一切なかった。なのでフレッグは、十二歳の頃から魔王の出現を待ち続けた。成人すると、たまにダンジョンに潜ってアイテムを採集する冒険者まがいの生活を始めたが、やはり魔王は現れなかった。そうこうしているうちに三十歳になってしまったのだ。
本当は王女や公爵令嬢との結婚を望んでいたフレッグだが、光の剣を抜いただけでまだ何の武勲も立てていないためそれは叶わず、このままでは子も残せないと焦った彼の両親が、妥協してクレーヴィア子爵家の娘であるライラとの結婚を勧めたのである。ライラの方は十九歳で、年齢には差があるものの、彼女の両親が「娘が未来の英雄の妻になれるのなら」と娘を差し出したのだ。
ライラは下級とはいえ貴族の娘として、親に結婚を決められることは受け入れていた。だが彼女は、たとえ最初は家同士の都合による結婚でも、同じ家に住み共に時間を重ねてゆけば、次第に愛のある家庭を築けるはずだと希望を抱いていた。――しかし、フレッグの方にこうまで歩み寄る気がないのであれば、不可能だ。
それからの結婚生活も、フレッグの態度は横暴そのものだった。フレッグの家にはもともと使用人がおらず、ライラが家事をすることになったのだが。フレッグは「人参が入っている料理など食えるか」と言ってライラの作った食事を床に落としたり、「おい、酒は買ってないのか!? 酒を常備しておくのは当然だろう!」と声を荒らげたりして、常にライラを叱責した。
家計を支えるため、ライラは他のお屋敷のもとへ通い家庭教師として働きに出たものの、家事は全てライラが担うことになっていた。料理や洗濯のみならず、同居しているフレッグの両親の世話も押し付けられた。
フレッグの母――ライラの義母は「私はもう年なのだから、家のことはあなたがちゃんとやりなさい」と言い、フレッグにも家事を手伝ってほしいと言っても「うちの子は将来英雄になるんだから、家事なんてやらせないでちょうだい」と顔を顰める。しかもフレッグから「白い結婚だということは、親には絶対言うなよ」と言われているため、義母達は「子どもはまだなの? ちゃんと男の子を産むのよ」などと非常に無神経なことを言ってくる始末。
そんな中、唯一ライラのことを気にしていたのは、彼女の家庭教師先である伯爵家のヤーシュだった。彼はライラが勉強を教えている子息・リーシュの兄であり、二十歳の男性だ。ライラが伯爵家の屋敷から帰ろうとした際、彼から声をかけてきたのである。
「何か悩みでもありそうな顔をしているね。どうしたんだい? 話を聞くよ」
「いえ。ヤーシュ様のお時間をいただくわけにはまいりません。私はこのまま帰宅しますので」
「はは、俺なら暇をしているから大丈夫さ。俺の話し合い相手も仕事の一環だと思って、少し付き合ってくれ」
そうしてライラは、家庭教師の仕事が終わると、ヤーシュと過ごす時間が増えていった。彼と話す中で知ったのだが、ヤーシュにも婚約者はいるものの、うまくいっていないそうだ。ライラの家庭に問題があることを察した彼は、自身も真剣な面持ちで打ち明けた。
「俺も婚約者には辟易していて、婚約解消を考えているんだ。だから……正直、君の気持ちはよくわかる」
(……どこの夫婦も婚約者も、周りから見たらうまくいっているようでも、問題を抱えているものよね)
ライラは、生家は子爵家とはいえ、ごく小さな領地であるため家はあまり裕福ではなく、兄がいるので自分が主人となれるわけでもない。容姿は地味で身体つきも貧相であるため、再婚も難しいと考えていた。
(……温かい家庭を築くことが、私の夢だった。フレッグ様と、もっと向かい合ってみるべきなのかもしれない)
そう考えたライラはその夜、意を決してフレッグの寝室を訪れた。
「なんだ、何か用か」
「用というわけではないのですが……。たまには、少しお話しいたしませんか。私達は一応夫婦なのですから、もっとお互い、理解が必要かと……」
ライラの言葉に、フレッグは面倒くさそうに息を吐き出す。
「俺がお前と結婚したのは、親の面倒を見てくれる女が欲しかったのと、この歳で独り身だと周りがうるさいからだ。妻帯者という肩書はもう得られたのだから、後はお前は、家のことをやっていればいいんだ」
「……ですが。同じ家で暮らしているのですし、もう少し夫婦の時間を……」
慎ましく、平凡で構わない。穏やかで幸せな家庭を築きたい――
そんなライラの願いを打ち砕くように、フレッグは彼女に侮蔑の眼差しを向ける。
「なんだ、そんなに男が欲しいのか? 女のくせに淫乱な」
「……っ」
いやらしいものを見る視線に、羞恥でかあっと顔が熱を持つ。
「ち、違います。そういうことではなく、もっと言葉を交わしたり、お互いのことを知ったりする時間を――」
「必要ない。もういいだろ、俺は疲れてるんだ。そんな我儘で俺を煩わせるな」
ライラは仕事と家事をこなしているが、フレッグは「いつか真の英雄となる日のために鍛えておかないとな」と、襲来する予定もない魔王と戦うため、そこらの森に出かけて剣を素振りするような日々を送っている。にもかかわらず平気でそんなことを言って、ライラを部屋から追い出した。
ライラは自室に戻り、独りで恥辱に耐える。
フレッグには、まるで男に飢えているかのような言い方をされてしまったが、そういうことではない。――家族であるはずの人から、愛されないことが悲しいのだ。
街で幸せそうな夫婦や、子連れの女性を見るたび、羨ましく思ってしまう。自分はこのまま、もう誰からも愛されることなく一生を終えるのかと思うと寂しくて仕方がない。
それでもライラは、自分はこの家に嫁いだのだから妻としての役目を全うしようと、自分を叱咤していた。家庭教師の給金が貯まったら、少しでも彼に良く思ってもらえるよう、上質な化粧品でも買うべきかとも考えていた。
(……フレッグ様は、昔から英雄と言われてきた人なのだもの。今は、冴えない私なんかに目を向けないのかもしれない。だけど妻として努力し続ければ、いつかはきっと――)
……そんな、ある日のこと。
「今日は、伯爵家でご子息に勉強を教えた後、楽器もお教えする予定でして、遅くなります。お食事は、作り置きしてありますので」
「そうか」
ライラがそう言って家を出るとき、なぜだかフレッグは機嫌がよかった。普段なら「作り置きの飯なんて嫌だ、できたての温かい食事がいい」などと不平を漏らすのに。
今日は義母と義父も用事があって出かけている。たまには、家で一人で過ごせることが嬉しいのだろうか。
不思議に思いつつも、ライラは勤め先の伯爵家へ行き――リーシュに勉強と楽器を教えた後。帰ろうとしたら、いつものようにヤーシュが声をかけてきた。
「ライラ。もう帰ってしまうのかい?」
「はい。今日はいつもより遅くなってしまったので……帰って家のことをやらないと」
「ライラ、待ってくれ」
立ち去ろうとしたところで、ヤーシュはライラの手首を掴む。
「もう気付いているかもしれないが、俺は、君に惹かれているんだ」
「ヤ、ヤーシュ様……?」
「だから、君を放っておけない。君を見ていると……守ってあげたくなる」
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