表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

第5話 タクラン

リクは二軒隣の部屋の天上付近を見上げ、立ち止まった。

多恵も目を凝らしてその視線の先を見る。


「ムクドリの巣だ」

「あ、ほんと。巣がある」

天上から20センチばかり下に、古いアパートならではの大きめの通風口があった。

蓋がはずれていて、その隙間から鳥の巣らしい藁や小枝が覗いている。

「へえ、こんな所に」

玉城が背伸びして覗きこんで見たが、中に生き物の気配はない。

「明け方の暴風で、吹き込んだ風に掻き出されたんだろうね」

リクが言うと多恵が「なるほど」と人差し指を立てた。


「じゃ、ベビーカーは?」と、玉城。

「風が運んできたんじゃない? 佐々木さんの家の前から」リクが笑う。

玉城はベビーカーを見た。

「そんな偶然、あるのかなあ」

風に煽られカタカタと滑っていくベビーカーに、風に押し出された卵がころんと乗っかる姿を想像してみた。

奇跡だ。こんなところに起きてしまっては勿体ない偶然だ。

「それにしても、風ごときで卵が転がるようじゃダメだろ。何よりも大事な卵だろ?」

納得が行かず、玉城はこんどは軽率なムクドリに矛先を向けてみる。

「残念ながら、この巣は春から時間が止まってる」

「え?」

「ムクドリはこんな秋口に卵は産まないよ。春に何らかのトラブルがあって育てることをやめてしまったんだろう。

だから巣は崩れて行って、脆くなった」

「ちょっと可愛そうね」多恵が卵を見て呟いた。


「じゃあさ、あの手書きのメモは? 誰のイタズラでもないのか?」

玉城は再びリクに詰め寄る。

何で僕に聞くんだよ、と少し面倒くさそうな表情をしたが、リクは辺りを見回し、

通路の突き当たりの床にハラリと落ちている紙片を見つけて歩み寄った。


「例えば、これ」

リクはその紙片を拾い上げて二人に見せた。

突き当たりの壁面に設けられている、褪せたグリーンの掲示板から剥がれ落ちたもののようだ。

「わあ、かわいい猫!」

玉城が聞いたこともないような可愛らしい声を出して多恵がはしゃぐ。

お前、猫は嫌いだっただろう、と言いそうになるのを堪えて玉城も覗き込んだ。


カラーコピーされた子猫の写真だった。その横に見覚えのある書体で

『捨てられていたのを保護し、数日間面倒を見ましたが、娘のアレルギー等の・・』と、書いてあり

そこから先が切れている。

写真の上には『もらってください』とあり、連絡先も小さく書き込まれていた。


「これってさあ」そう言って多恵は先程のベビーカーの中の便せんとくっつけてみる。

「このビラの続きだったのね。風と雨で千切れて飛んできちゃったんだね。・・・ね?」

多恵はリクの顔を見て確認を求める。

「なーんだよ、まったく人騒がせな偶然だな。朝っぱらから要らないよ、そんな余興」

リクに言ったのに、代わりに玉城が答えたのでほんの少し多恵は唇を尖らせた。

「いいじゃん、ちょっと面白かったし」

「俺は眠いんだよ!」

いつになく不機嫌そうな玉城の言葉に、リクがクスリと笑った。



空は何処までも青く、深かった。

塵もホコリも全て明け方の風雨が洗い流してしまったかのように、朝の空気がキラキラしている。

リクは通路の手すりに手を置いて深い空を覗き込んでいる。

するりと猫のように多恵はその横に滑り込んだ。

目だけでリクをのぞき見る。

何かの彫像のように整ったその綺麗な横顔にドキリとして、慌てて自分も空を見上げた。


「私、台風の過ぎた後の天気も好きだけど、台風のど真ん中も好きなんです。

なんだか、ワクワクしませんか? 何か起こりそうで」

そう言って、もう一度リクを覗き込む。

リクは青い空をじっと見つめたままだったが、少し間を開けて、独り言のようにつぶやいた。

「僕は嫌いだな。さびしいから」

「え?」


多恵が聞き返そうとした横から、玉城が今気が付いたとばかりに大声を出した。

「ところで、リクは何でうちに来たんだ? 何か用事だったのか?」

今この瞬間、世の中のどんなニュースよりも聞きたいといった表情で玉城は質問した。

リクは一瞬戸惑った表情になった。

「あ・・・ごめん。用事はないんだ」

ほんの一瞬、微妙な間が空いた。


「いいじゃない。用事が無いと来ちゃいけないわけ? 玉城邸へ!」

いじめっ子を言及する学級委員長よろしく、多恵は腰に手をやり玉城に抗議した。

「そんなこと言ってないだろ?」

“こいつはすっかりリクを気に入ってしまったな”

見えないように溜息を一つ付き、面倒くさそうに玉城は多恵の立っている通路の反対側へ視線を泳がせた。


「あれ?」


目に映ったものにハッとして、玉城はつい大きな声を出してしまった。

「え? 何?」

それにつられて多恵とリクがその視線の先を見る。

そこには長く艶やかな黒髪をした、色白の美しい女性が佇んでいた。

玉城が大きな声を出したので女性の方も玉城の方を見、微かに会釈すると、

少し気まずそうに階段を降りて行ってしまった。


「何よ先輩。大きな声出して」

「いや、なんかビックリするくらい綺麗な人だったんで」

「いちいちそんなんで大声出してたら街なか歩けないじゃん」

「そうだよな。なんか、声が出た」自分でも格好悪いなと思い、玉城は照れ笑いした。


「ねえ、玉ちゃん」

ふいにリクが真剣な声を出した。

「え?」

「玉ちゃんってさぁ・・・」

何か切羽詰まったような目をしている。

「何?」少し驚いて玉城はリクを見た。

「玉ちゃんってさ、たとえば、もの凄く美しい女性が部屋に入ってきて、急に服を脱いじゃったらどうする?」

「は?」

予想もしなかった言葉がリクから飛び出して、更に玉城は大きな声を出した。


「だからさ」

リクは心配そうな表情を浮かべて、じっと玉城の目を見る。

「急に目の前で裸になられてさ、誘われたらどうする? いや?」

玉城は目をパチクリさせる。

多恵の反応を見る余裕もない。


「いや・・・・そりゃあ、嫌かどうかと聞かれたら、イヤではないよ。むしろ嬉しいよ。

そんな夢みたいなシチュエーション、ふつうあり得ないからな」

訳が分からない質問に慌てながらも、玉城はつい本音で答えた。


「ほんと? ほんとに?」

リクの声がホッとしたように弾んだ。そして、

「よかった」と嬉しそうにニコリとする。

「いや、良かったって・・なんの質問だよいったい!」

何となく自分一人バツが悪い気がして玉城はリクに突っかかった。


多恵はそんなリクをチラリと見た後、さっき女性が居たあたりに視線をやり、最後に玉城をジッと見た。


「じゃ、僕、帰るから」リクがすっきりした表情で言った。

「え? 寄ってかないのか?」

「うん。別に用事は無いから。ごめんね」

そう言うとリクは軽く手を上げて階段を駆け降りて行った。


「あーーあ。帰っちゃった」

ガッカリした様子の多恵。けれども無理矢理引き留めないだけの節度は持っていたらしい。

玉城は少し見直した。

「本当にあいつだけはいつまでたっても理解不能だよ。本当に何しに来たのかな」

頭をがしがし掻きながら玉城がつぶやく。

「寂しかったからじゃない?」

さらりと多恵が言う。

「は? 寂しい? ありえないよ。多恵ちゃんは知らないだろうけど、あいつほど孤独を好む奴はいないよ」

「そうかしら」

「そうだよ」自信たっぷりに答える玉城。けれどふと、怪訝そうな表情になる。

「でもさあ、普段女に関してあんな話題振るような奴じゃないんだ。

俺の知る限り、一切そんなこと無かった。何かあったのかな、あいつ」


「何かあったのかな、じゃなくて、何かしたのかな、じゃない?」

「え?」

「さーれーたーの。玉城先輩」

玉城は多恵を見つめた。

「・・・なに?」

「分からなかったの?」

「え? 何かされたのか? 俺」

「そうね。結果的に。うーん・・・何て言ったらいいのかな」

「な、何だよ一体!」

訳も分からず青ざめる玉城。

「あ、そうだ」

多恵はひらめいたように、人差し指を一本立てた。


「托卵」

そう言ってニコリとした。


「はあぁーー?」

「きっと、さっきの彼は体温低くて無理だったのよ。先輩ならうまくつき合えるんじゃないかな、あの美人と。好みだったみたいだし」

「おい、もう勘弁してくれって! 何のことかサッパリ分かんないよ」

早朝から起こされ、眠そうな目をこすりながら、疲れ果てたように玉城はかすれた声を出した。


「だーかーらー、何度も言ってるじゃない。 托卵よ、た・く・ら・ん♪」


多恵の究極に短いスカートが、柔らかい風にフワリと揺れた。



                 (END)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ