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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
一章
8/32

弔いと陰謀 2

「ラウル様、どうかお食事を……」


 王宮の西の塔に幽閉された、ラウルの身の回りの世話をする侍女が、食事の盆を差し出しながら悲痛な声で訴えた。後宮で最期まで母の世話をした初老の侍女である。名前はフォレスと言った。

 みる影もなく痩せ衰え、無精髭を生やしたラウルはフォレスを生気のない目で見返した。


「いらぬ。下げてくれ……」

「ですが……」


 ラウルが投獄されてすでに1週間が経つ。

 その間、わずかな水以外口にしないラウルだったが、こういう時に神龍の加護が邪魔をする。普通の人間ならとうに倒れている状況なのになかなか死ねない。無駄な足掻きだと知りつつ、自分を生かすことに興味が持てなかった。

 粗末な料理が乗った盆を前に、フォレスはどうすればいいのかと動けずにいる。


「……おまえは、ずっと母上に?」

「はい、乳母ですから、シェリル姫様がお生まれになった日から」

「……それは長いな。晩年の母に仕えるのは、さぞや大変だったであろう」

「いいえ。いいえ、決してそのようなことはございません。幼い頃からたいそう利発で美しいお方でした。あの方が笑うと、周囲の誰もが微笑まずにはおれませんでした。誰もがあの方のそばにおりたがり、あの方を目で追い、あの方と目があうと、ドキドキと高揚したものです。わたくしは、あの方の乳母でいることが誇らしかった」


 過ぎ去りし美しい日を懐かしむように、フォレスの目が遠くを見ている。


「お心を病まれてからも、時々発作を起こされる以外は、平素はごく穏やかに庭を眺めておいででした」

「そうか……」

「はい。あなた様は姫様によく似ておられます。わたくし、5歳までですが、あなた様のお世話もさせていただきました。覚えておいでではないでしょうか」

「すまぬ、全く覚えておらん。それに、俺は母上に嫌われていたゆえ……」


 ラウルはそう言って、寂しそうに目を伏せた。

 シェリルはどういうわけか、実の子であるラウルを愛さなかった。

 産まれてからほとんど抱き上げることもせず、育児のほとんどを乳母とクロウに任せきりにしたのである。

 そしてある日とうとう、父を殺したそのナイフで今度は我が子を狙った。

 当時ラウルはわずか5歳。母が去って以降も父のトーマス・トゥルース伯爵家で育てられた。

 ラウルが2歳の時に事故死した伯爵はすでにこの世にはいなかったが、豊かな家督は弟のマイクが継いでいたし、大勢の召使いやクロウもいたので、広い館で何不自由なく暮らしていた。

 フォレスが、心を病んで後宮に閉じ込められた母について行ったなら、ラウルに記憶がないのも無理はない。


「そういえば、母上の最期の様子を聞きそびれていた。俺は母上が幽閉されて以来、会うのを硬く禁じられていたゆえ、詳しく話してくれんか」

「……あなた様が、お食事をお召しになってくだされば」

「……わかった」


 仕方なく、ラウルは何日かぶりに食べ物を口にした。


「あの日は──……」


 フォレスが静かに話し始めた。


 午後遅く、シェリルの元に王が訪ねてきた。

 王にもラウルと同じように異母兄弟が大勢いたが、王は前王の正妃の嫡男であり、間違いなく王位継承権の第一位にいた。

 そして、シェリルは同じ母を持つ年の離れた実妹だ。幼い頃から可愛がっていた妹だからこそ、父王を殺しても深く心を病んでも、家族としての愛情を捨て切れなかったのだろう。

 多忙な父王は遠い存在だ。現王にとって、信頼できる身内である母や妹の方がよほど近い存在だったのかもしれない。

 小心で狡猾で冷酷な男ではあったが、この一点においてラウルは王を憎めなかった。母はああなってからもずっと、王のもとで手厚く介護されていたのだから。

 そんな王であったから、時々思い出したように母のところに通っていたという。

 いつものように王が人払いして、妹と二人きりで昔話などしていたところ、なにがきっかけだったのか、シェリルはいきなりわけのわからないことを喚きながら、暖炉の火かき棒を手にとって王に襲いかかった。


 ──お、お、お父様が戻ってきた!! 私を殺しに来る!!


 シェリルはそう叫びながら、自分が殺した父と兄を見間違えて襲いかかったのだそうだ。


「前王か……」


 母はその狂った頭の中で、父に復讐される幻を見ていたのだろうか。


「私が駆けつけた時には、姫様はすでに胸から血を流して絶命しておられました」

「……そうか。長々とご苦労であった。私は何もお力になれなかったが、そなたのような忠義者がいて、母はさぞ心強かったろうと思う」

「ラウル様……」


 殺されたクロウの忠義に比べるべくもないが、フォレスにとってラウルは、長年使えた女主人の息子で、わずか5歳までの短い間だったが、乳を与えオムツを替え、実の母に代わって世話をした。

 その子が今、両親ともに亡くし、実の父より親しんだ臣下を亡くし、追い討ちをかけるように実の叔父に陥れられ生きる気力を失っている。


 ───なんと不幸なことなのか。


 王はラウルを妬んだ。

 誰も口には出さないがそれが大方の見方だ。

 王位継承権第一位の息子の自分を差し置き、ラウルが前王のお気に入りであったことも大きいが、兵や民たちの間でラウルの人気は絶大だった。

 戦場では王を含むどの王族も、騎士団にがっちり周囲を守らせ、安全な後方でただただ時間を潰すだけの腰抜けばかりだ。

 そんな中、過酷な戦地にばかり送られているのに、真っ先に先陣を切るのはラウルただ一人だった。ラウルの騎士団で鍛えられた軍人は優秀な者ばかりだった。勇猛果敢な将軍たちもラウルには一目置いた。

 そしてラウルは、活躍した兵には惜しみなく報償を取らせた。戦禍を食らった村落では、できる限りの復興工事をした。

 そうしたラウルの人気は末端から火がついたのである。それだけにその人気は根強く圧倒的だ。

 そしてその絶大な人気は、王の立場を危うくする。だから陥れられた。

 ありもしない罪をでっち上げ、この処刑の正当性を公の場で明らかにするためだけに、今、ラウルは生かされている。

 だが、ラウルはそんなことはもはやどうでも良かった。ただただ、この身が呪わしい。

 さめざめと泣くばかりの乳母を慰めていると、突然宰相が訪ねてきた。


「ラウル殿下、釈放です。出られませ」

「……は?」


 貧相なキツネ目の宰相が直接やってきたのにも驚いたが、この展開にも驚いた。


「釈放だと? どういうことだ?」

「あなた様に縁談が持ち上がっております」

「───なんだと?」


 あまりのことに、言っている意味がわからない。聞き違えたのだろうか。


「シンの女王との縁談話がにわかに持ち上がりました。よって、今日王宮にやってくるシンの使者にお会いいただきます」

「貴様、本気で言っているのか?」

「………」


 黙ってラウルを見つめ返す狐目の宰相にも、実はこの状況がよく呑み込めないでいた。

 わずかに揺れた瞳の動きでそれを察したラウルは、牢の中から動かなかった。


「くだらん。王に謀反を起こし、処刑されたと言って断ればよかろう」

「そうは参りません」

「なぜだ?」

「王のご命令だからです!」

「……シンと言ったか? どんな旨味がある?」

「…………」


 シンといえば、白龍を戴く北海の島国だ。

 扇型につながるゴダールをはじめ大陸続きの四国と違って、大陸の端にポツンと位置する忘れられた島国だ。

 複雑な潮流が囲む上に、海岸沿いは断崖絶壁に囲まれ、島全体がすり鉢状になっている。ろくな資源を持たないために、医学が発達したと聞いているが、他の国とほとんど国交を持たず、神秘のヴェールに包まれた謎多き小国だ。

 良くも悪くも頻繁に交流のある四国と違って、王国の内情もほとんど伝わってこなかった。

 優れたくすしの大学ができたと聞いたことがあるが、徒弟制が主流のくすしで大学に通う者はあまり聞いたことがない。

 このことはケリー捜索の際にラウルも初めて知ったことで、その際にシンのくすしもくまなく調べたが、そもそもシンには、ケリーというくすしがいなかった。 

 世間ではシンの王家はとっくに滅び、今は民だけが島の中で静かに暮らしているだけという噂が、まことしやかにささやかれていたほどだ。

 実際、ラウルはシン王家の特徴のある銀髪とグレーの目を持つ王族を一度も見たことがなかった。

 他国との外交も数多くこなしていたラウルですら、かろうじて王家が滅びてなどいないということを知るのみである。

 

 確か女王で、とんでもない老婆だったと思ったが記憶違いか──?


 シンがなぜ、自分のような王家の余り物との縁談を望んだのかはわからないが、滅びかけの小国の王家がゴダールという大国と結びつくことで、起死回生の王国の発展を狙っているのかもしれない。だとすれば、間違いなく自分など選択ミスだ。それに、ラウルはもう王家のそんな政略に関わるのはまっぴらだった。


「出て行け」


 にべもないラウルに、宰相が従者に向かって顎を振った。

 すると従者は、いきなりフォレスを両側から掴んで剣を突きつけた。


「ラウル様!」

「……っ⁉」

「あなた様が従わない場合は、この侍女がひどい目に遭いますな」

「……俺には関係のない母の乳母だ」

「そうですか、では、我らに従うまであなたの目の前で、あなたに()()()()()侍女を斬り殺していきましょう」

「なんだと!」

「やれ」


 宰相の冷酷な命令が飛んだ。

 従者がフォレスに向かって剣を振りかぶった。


「やめろ!!」

「では、言う通りに?」

「……わかった。フォレスから手を離せ」



***

 


 フォレスに手伝ってもらいながら身支度を整え謁見の間に行くと、玉座には冷ややかに自分を見下ろす王がいた。無駄なあがきと知りつつ睨め付けずにはいられない。

 そしてなぜか、ラウルは自分と同じ年頃の同じ龍王色を持つ王族の青年数人に混じって席につかされた。


 ふん、なるほどな──。


 このさもしい王家の策略にラウルは皮肉な笑みを漏らさずにはおれない。

 シンの使者がラウルをこのうちの誰かと見間違えるなら、そのまま押し通すつもりというわけだ。

 つまり、ラウルのように胡乱な者を送り込むより、しっかり抱き込んだ忠実な一族の方がいいに決まっている。小国といえども相手は神龍を戴く王家だ。

 ラウルを他王家に送り込むこの縁談はゴダール王家にとって諸刃の剣なのだ。

 だが、ラウルはそれでも構わない。両国の関係などどうなっても知ったことではない。そこで黙ってなすがままに控えていた。

 そこへ、数人の従者を従えて、シンの使者と思しき恰幅のいい五十男が入ってきた。謁見の挨拶もそこそこに、明るい茶色の瞳は迷うことなくラウルをまっすぐ見つめると快活に言った。


「おお、ラウル殿下であられますな。噂通り、なんとご立派で美麗な方か! 私めはシンの国務大臣のポルドと申します。以後お見知り置きを」


 そう言って、慇懃に頭を下げるポルドを見て思わず笑い出しそうになってしまった。

 王の歯噛みがここまで聞こえてきそうだ。これで王の謀略は瞬時に潰えたというわけだ。

 だがそれはそれとして、ラウルはこの状況に全くピンとこないのは変わらない。

 

「シンの女王陛下がなぜ私を……?」

「はい、我が女王は以前お見かけしたあなた様と是非とも生涯を共にしたいと」


 質問の答えになっていない。


「どこかでお会いしたことが? 私には覚えがないのだが……」


 会っているなら分かる。王族は目立つ。


「はい、我が君は兼ねてより、お忍び旅行がお好きでしてな。その際にお見かけしたと申されておいででしたが、私にも詳しいことは……。我が君も恥ずかしがって詳しいことは申さぬのです。我々臣下も女王の突然の申し出に困惑しております」

「そうでしょうとも」

「あ、いや、これは失礼いたしました。私も今日この場でラウル殿下にお目にかかり、我が君の心眼も確かなものだと確信いたしました!」


 そんな子供騙しを信じられるかという言葉を飲み込んで、ラウルはここは様子を見ようと思った。

 そして、王は謁見を早々に切り上げてポルド一行を下がらせると、急いで部屋を変えて閣僚会議に入った。龍王色の青年たちはゾロゾロと帰っていく。

 会議のもっぱらのテーマは、シンとの国交による有益性だ。

 シンはこの縁談を持ち込むに当たって数々の進物を寄越した。

 その内容が実に豪奢なものだったが、ゴダールが目をつけたのはそこではなかった。

 数々の宝物の中に、実に興味深い()()()()()があったのである。見たこともない新薬だ。


 王族は総じて頑健だが、ゴダールには王家特有の持病があった。それは、心臓や脳の血管が梗塞を起こしやすいのである。多くは加齢によりもたらされるので、避けようもなく致し方ないものとしてこれまで見過ごされてきたが、稀に若いうちに発症してしまうこともあった。

 シンが寄越した進物の中に、さりげなく、この病の予防薬のレシピとその現物が入っていたのだ。これには王家が色めき立った。

 レシピの中には見たことも聞いたこともない原料が含まれていたが、シンと国交が開けば解決するだろう。

 そして、どうやら医療大国らしいシンと繋がりを持てば、我が国の医療も飛躍的に進歩すると見たのだ。

 健康は金になる。

 これにはラウルでさえ唸った。この治療薬は庶民にも効果を期待できると専門家が言うのだ。

 何気なく窓を見上げたとき、晴れた空に一閃の稲妻を見た。


 ──行けということかクロウ。


「ラウルさま……」


 いつの間に入ってきたのか、他の女官とともにフォレスが茶器をラウルの前に置きながらそっと囁いた。そして、小さく折りたたんだ手紙をラウルの手に押し付けた。


「シェリル様の秘密が書かれています。あなた様のこの縁談がなければ、墓場まで持って行くつもりでした。そして、こうすることが正しいかどうかわからない。あなた様をもっと苦しめるかもしれない。でも、ラウル様、どうか、どうか生きてください。あなた様にはどうしても倒さなければならない敵がいる」


 ラウルの耳元で素早く囁くと、フォレスは逃げるように去って行った。

 その日の夜中、やっと閣議をまとめた王がラウルに笑顔で言った。


「──……というわけでラウル、シンへ行け。そして、シンの内情を報告することでおまえの罪は不問といたそう。ところで、おまえを手厚く育てたベンジャミン・トゥルース伯爵は健勝か?」


 ──今度は叔父が人質というわけか。


 王の厚顔無恥なその笑顔を見て、ラウルは心の底まで凍りついた。




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