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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
一章
7/32

弔いと陰謀 1

 王都へ帰り戦勝の報告を早々に済ませると、ラウルは即、ありったけの人材を投入してケリーの行方を追った。そして、王都のはずれにある自分の館に閉じこもり、ひたすらその報告を待った。


 医師(くすし)は人々の暮らしを支える貴重な人材だ。薬草の知識はもちろん、傷の手当や病の見立てと、多くの知識と経験が物を言う。そこで、優秀なくすしは身分に関係なく、ごく幼い頃から師匠についてその知識と技術を叩き込まれる。そしてまた、その実績も評価の対象となり、厳しくランク付けされた。重大な医療事故を招けば、そのくすしだけではなく師匠にも累が及んだ。だから、弟子を取る師匠も慎重だった。実績が評価されるのだから、騙る者もいない。

 よって、くすしに関しては、どの国でもその仕事の動向が細かく見守られ、くすし個人の情報が多いということになる。そんな背景もあって、ラウルはケリーの身元を探すのにそれほど苦労はするまいと高を括っていたのだ。

 ところが、ケリーの行方は杳として知れなかった。


「なぜだ!」


 ラウルが吠えた。


「わかりません。各国ともに調べられるだけ調べ尽くしたのですが……」


 クロウが困ったように応えた。

 どこを探してもケリーという名前のくすしがいなかった。「ケリー」は男性名でも使われるので、ひょっとしてと男性も探したが、引っかかってきたくすしは年齢も性別も探し人とは程遠かった。

 ケリーと出会ったタリサ村にも度々出かけたが、村人はみんな、腕前から言ってケリーが王都のくすしと思い込んでいた。そもそもどこのくすしであろうと村人にはどうでもいいことだ。

 3年前から年に一度、春先にタリサ村周辺でしか採れない薬草を摘みに来るのだという。やってくれば怪我人や病人は診てもらったし、それ以外は隣の里のくすしで事足りた。ケリーは毎年、何日か滞在して、それが終わるとのんびり帰っていく。そんな習慣だったそうだ。

 だが、不思議なことに、タリサ村以外で彼女の噂を聞かなかった。この地域に現れるのは、薬草だけが目当ての他国のくすしだという可能性もある。

 こんな時、民の髪や目の色が総じて同じだということも災いした。多少の個人差はあってもどの国へ行ってもみな同じなのだから。


「くすしは実績が全てなのに、なぜ偽名を使った?」

「……わかりません」

「身分を騙った……? いや、でもあの村で見たケリーの腕は本物だった」

「そうですな」


 ゴダール王家のくすしですら、外科治療までこなすものはなかなかいない。大抵は内科医が主流だったのである。


「クロウ」

「はい」

「俺はバカだ……」

「殿下……」


 ラウルは自分の迂闊さを呪った。

 そしてクロウにしてみれば、幼い頃から様々なことを諦め手放すしかなかったこの王子の、たまの我儘ならできる限り聞きいれてやりたいと思う。だが今回は今までとまるで違う。王子のなりふり構わぬこの様子にクロウは大きく戸惑っていた。


「殿下、なぜあのような娘に執着なさるのか?」

「なぜ? そんなの気に入っているからに決まっているだろう」

「美しい娘なら他にいくらでもおりましょうに」

「ケリーは他の女とは違う」

「どこが?」


 クロウのしつこい追及にラウルがイライラと眉をひそめた。


「どこってそれは……」

「そもそも、かのくすしを強引にここへ連れてきてどうなさるおつもりなのか?」

「妻にする」

「なんと? どこの馬の骨ともしれないくすしの娘を? 果たして王の許可がおりますかの?」


 これにはクロウも驚いた。王族の結婚には王の許可がいる。今までどんな縁談話も一蹴して来た王子がこれはかなりなものだ。17の頃の、誰もが似合いだと言った伯爵家の令嬢を王に取り上げられて以来の真剣な恋かもしれない。


「だからこそ、王も興味を示さんだろう。一般色だからな」


 ラウルのかつての恋人は王族に連なる黒い髪と瞳の持ち主だった。


「ふむ、だからこそ逆に王には逆らえぬかもしれません」

「あれはそんな娘ではない」

「なぜそう言い切れますか?」

「なぜでもだ」

「では……」

「あああ、しつこいぞ、じい! とにかく俺は、ケリーに会いたいのだ!!」


 ラウルがとうとう癇癪を起こした。


「わはは、その一心とは驚きですな。この捜索に時間と金をいくら注ぎ込まれたのか。なかなかの恋慕だ」


 クロウが朗らかに笑う。


「人が悪いぞじい! からかうな!」


 膨れっ面のラウルを横目にひとしきり笑うと、少し気を引き締めてクロウが言った。


「しかし殿下、そろそろ気を引き締めねばなりませんぞ。殿下に関する悪い噂があちこちで囁かれておるそうな」

「ふん、そんなもの、今に始まったことではないだろう」

「しかし、今回は噂を広めている者の(たち)が悪い」

「誰だ?」

「アベリ殿です」

「アベリだと? あんな奴……」

「怒りに任せて彼の側近を手打ちした挙句、あやつの耳をそぎ落とされましたな」

「やつが悪い」

「何を今さらそんな青臭いことを……」


 誰が正しいのかではない。ラウルの行いが巡り巡って誰にどう利用されるのかが問題なのである。

 アベリはもともと素行が悪い。女性絡みのも揉め事はこれまでも何度も犯している。そのため、騎士団の中で冷遇されているラウル部隊への左遷だったのだ。さすがにもうかばう人もいないので、耳を落とされてもおとなしくしているが、執念深いやつのことだ。逆恨みした挙句、なにをしでかすかわからない。奴が遠縁だろうと王族筋だということもクロウの懸念を掻き立てるのだ。


「殿下、油断召されるな」

「わかっているさ」


 美しい横顔をうんざりだと盛大にしかめながら、ラウルがため息をついた。

 この王子は人一倍美しく、賢く、剣技にも優れ下の者を思う篤い心も持っている。高貴な身分に生まれ、その非凡さゆえに不幸だ。


 なぜこの美しい王子があのような──……。


 いや、これ以上は言うまい。王子は今、愛する女に夢中だ。

 これこそかくありき若者の姿ではないか。

 それなら我は、美しい主君の望みを叶えるべく東奔西走してみせよう。我の忠義はこの方ただおひとりのためにあるのだから。


  ケリーを探し始めて3か月ほど経った頃、ラウルが庭に生えているクローバーを見ながら不意に言った。


「……クロウ、母上の事件から後の一年半、記憶を失った俺はどこでどうしていた?」


 クロウはラウルのその質問に狼狽えた。


「なんですと? なぜそのようなことを……」

「ケリーと一緒にいたとき、なぜか俺はあの時のことを唐突に思い出したのだ。血まみれの母上が俺を殺そうとした日の記憶だ」


 クロウが苦虫をかみつぶしたような顔で眉をひそめた。


「殿下、その時のことはもう思い出されない方が……」

「いや、そうじゃない。俺はぽっかりと空いたその後の一年半のことを聞いている。今まで改めて聞いたことがなかったが、もしかして、ケリーと一緒にいたのではないかと……」

「なんと、それはまことですか⁉」


 目を見張るクロウにラウルは曖昧に答えた。

 都合のいい思い込みかもしれない。だが可能性はゼロではない。

 あの泉のほとりで、断片的な記憶のカケラを思いつくままにそばにいたケリーに話した。するとケリーは、置き土産のように花冠を残していなくなった。だがラウルはあの時四葉のクローバーの話をしたか? 

 いや、していない。

 なぜならケリーがラウルの髪に四葉のクローバーを結んで消えたことで、後から思い出したのだから。幸運のお守りだと言って、四葉のクローバーを髪に結んでくれた少女がいたことを。

 一度その考えに取り憑かれると、それ以外考えられなくなってしまった。あの時、自分のそばにいたのは幼いケリーだったのではないか、と。


「うーむ、それだけではなんとも……。シロツメグサの花冠を作っていて、偶然四つ葉を見つけて殿下に置き土産にしたということも……」

「まぁ、そうだな。だが、なんでもいい。手がかりが欲しい。あの時のことを詳しく聞かせてくれ、クロウ」

「……すみません、殿下。実は我々にもあの時のことはよくわかっておらんのです」

「なんだと?」


 しょげ返るクロウの様子を見る限り、嘘をついているようには見えなかった。

 クロウによると、あの事件の直後ラウル自体が行方不明になっていたというのだ。

 事件のあった王宮の前王の部屋から忽然と姿を消したのだ。そして一年半後に、同じ部屋にまた唐突に現れたという。事件後、忌み部屋としてずっと使われないまま放置されており、誰もその場にいなかったということがまた真実をわかりにくくした。

 もちろん周囲はこの間、上を下への大騒ぎだ。王家もラウルの生家であるトゥルース伯爵家も躍起になってラウルの行方を捜したし、当時のクロウはそれはもう憐れなものだった。ラウルが見つかったという知らせを受けた時、安堵のあまり卒倒したほどだ。

 ラウルが行方不明になった後も現れた直後も、白い大きな光を見ただの、怪しい人物がいただのという、曖昧な目撃証言はあったがそれだけだった。そして、肝心のラウル本人が何も覚えていないのだから、真相は今もまだ藪の中だ。


「我々は、殿下がご無事であっただけで良しとしました。あまり深く幼い殿下を問いただしても、思い出さなくて良いことまで思い出されてしまうのが怖くて……」

「………」

「逆にお尋ねしたい。あの時の記憶が戻っているのですか、殿下」


 クロウの真剣な眼差しに、今度はラウルが目を伏せる番だった。思い出せたことはあまりにもわずかで断片的で、空白を埋めるにはあまりにも心もとなかった。


「万事休すか……」


 毎晩酒を飲んで荒れるラウルの嘆きを聴きながら、クロウも己の無力に落ち込んだ。

 ラウルはずっと気づかないふりをしているが、ラウルがケリーの居所を知らなくともケリーは知っている。それなのに、いくら待ってもケリーが現れないということは、そういうことなのだ。

 その現実が一層ラウルを落ち込ませた。

 そんな時、ラウルにさらに追い討ちがかかった。

 母親のシェリルが亡くなったのである。


  王の妹であるシェリルは、15年前に父王を(しい)したかどで後宮深くに幽閉された。その時にはすでに心を深く病み壊し、日常生活もままならなかったのである。処刑されなかったのは、ひとえに現王が末妹を深く哀れんだからだ。

  シェリルは15歳でラウルを産んでいる。ラウルは現在27だからシェリルは42歳ということになる。いくら心を病んでいると言ってもまだまだ死ぬには早すぎるし、重い病があったとは聞いていない。

 シェリルの夫でラウルの父は、シェリルより20も年の離れた穏やかな人で、シェリルがラウルを産んで2年後に事故であっけなく死んでいる。王の正妃の遠縁にあたる伯爵だった。クロウはこの父の家に長く使えた侍従の一族だ。

 ラウルがクロウと慌てて王宮に駆けつけると、早々に後宮から出された母は、宮廷の片隅の日当たりの悪い部屋の寝台で、白い布をかけられて眠っていた。母のそばにいるのは初老の侍女ただひとりだけだった。

 やるせない思いでラウルがそっと白い布を取ると、母はまるで少女のようにあどけない顔で冷たくなっていた。


「いくら亡くなったとはいえ、後宮から早々にこのような粗末な部屋にお遷しするなど、いくら何でも心がないではないか……!」


 クロウが青くなって侍女に低く叱責すると、侍女は畏まってオロオロと言い訳をした。


「で、ですが、後宮では男子禁制ですからラウル殿下が……」

「黙れ黙れ! お前は……」

「よせ、クロウ。この侍女に罪はない。それに、後宮に棺を据えられれば俺は会いに行けん」

「ですが、実のお子ではないですかっ……」


 クロウが悔しそうに肩を震わせている。


「ええい、棺はまだか!」


 半ば八つ当たり気味にクロウが侍女に言った。


「は、はい、もう間もなく……」

「いいんだ、クロウ。母上はこれで楽になられたのだ」

「殿下………」


 侍女に向かって母の最期の様子を聞こうとして、ラウルはふと言葉を失った。母のドレスの胸元から、白い晒しが見えていたのである。不審に思ってきっちり巻かれたコルセットの紐を解くと、晒しは胸元に分厚くぐるりと巻かれ、わずかに血を滲ませていた。


「これは……一体どういうことだ……⁉」


 さすがのラウルも顔色を変えた。

 おそらく、正面から胸に向かってひとつきされた傷が致命傷になっている。


「ああ、お許しください、殿下! 姫様は、姫様は私が少し目を離したすきに……!」

「そのような話はどうでも良い! 母上は誰に斬られたのだ⁉」

「――私だ」


  物々しい従者を大勢引き連れ、そこへ入ってきたのは王だった。王のそばにピタリと武将のアベリがついている。失った左耳の傷はなんとかふさがり、穴だけがぽっかりと開いている有様だ。

 そして、ラウルが何か口を挟む前に冷ややかな口調で言った。


「捕らえよ」


 その一言で従者が一斉に剣を抜いてラウルを囲んだ。


「王よ!! これは一体どういうことなのか⁉」

「やめろ、クロウ!」


 不穏な陰謀を感じて用心深く構えたラウルを押しのけるように、怒りに目が眩んだクロウが止めるのも聞かずに前に出た。


「とくと説明されよ!!」

「ラウルは先の遠征で戦利品を横領し、予定にない村で人を集め、この私に対する謀反を企てた。その咎により捕縛するものである」

「な、何をおおせか! あれは村を襲った土砂崩れの復旧工事で、一時的に借り受けたものの、ラウル様の私財ですでに返済されている! ……アベリ殿、貴殿、さては殿下を逆恨みしてて……!!」


 さらに前に踏み出したクロウに、剣を抜いたアベリがいきなり斬りつけた。


「がっ………!!」

「クロウ!!」


 胸からぼたぼたと血を流し、クロウが胸を押さえながら片膝をついた。そのクロウにアベリがさらに剣を振りかぶった。


「王子付きの侍従の分際で、王に刃向かうとは何事か、無礼者めが!!」

「やめろぉ――!!!!」


 斬ッ!!


 ドッとクロウが冷たい床に昏倒した。

 ラウルが駆け寄って抱き起こした。


「じいっ! じいや!」

「で、殿下、これは何かの間違いです。す、すぐに疑いは晴れて……ゴフッ……」

「もういい、喋るな、じい!」


 ラウルが己のシャツを引き破り、クロウの傷口から流れる血を必死で止血しようとしている。だが、血は後から後からあふれて止まらない。


「で、殿下……ラウル王子……」

「しゃ、喋るな、じい……頼む……」


 クロウがラウルの胸の中で口から血を流しながら、ラウルを見上げた。骨ばった血まみれの手でラウルの頬を撫でた。その手はざらつきすでに冷たくなり始めている。


「……で、殿下、泣きなさるな……どうか、笑ってくだされ……」

「ク、クロウ……じい、死ぬな……」

「じいがきっと、ケリ……様…を見つけて…差し上げます……」


 こみ上げる咳をするたびに、クロウの口からどす黒い血が溢れる。


「じい、もういいんだ。お前が生きていればそれで……」

「殿下……あぁ、おいたわしい……」


 クロウの手が床に落ちた。


「――……」


 今まさに命の灯火を喪ったクロウの体を、ラウルがそっと横たえた。

 そのラウルを剣を構えた従士が数人取り囲んでいる。

 ラウルは俯いたままゆらりと立ち上がると、黙って王に対峙した。その禍々しい雰囲気に、みなが圧倒されて一歩二歩と退がった。


「何をしておる! と、捕らえよ!」


 最初に動いたのは王の口だった。その声に押されるように一人の従士が動いた。

 その剣を紙一重でかわし、ラウルが三歩で王の目の前に立った。そして、とっさのことに怯えて動けない王の腰から剣を抜いた。そのまま振り向きざまにアベリを一刀両断した。

 悲鳴すら上げられずに首から夥しい血を吹き出し倒れたアベリを跨ぎ、ラウルは次の従士を狙った。腰が引けて怯える従士を袈裟懸けに斬り殺し、三人目の従士の両腕を払った。


「がああああっ」


 腕を失って転がる従士の悲鳴で、王がようやく声をあげた。


「な、何しておる!! ラ、ラ、ラウルを捕らえよ!! 捕らえんかぁぁあ!!」


 狭い部屋に次々に剣を構えた従士がなだれ込み、ラウルの前で構えている。部屋に充満する血の匂いを思い切り嗅いだ。次の獲物を狙うラウルは、ふと、母の寝台の足元で蹲って震えている初老の侍女に気づいた。寝台の白い布が、飛び散る血で赤く汚れている。クロウのまだ温かい亡骸が兵たちの足の間に転がっている。全身から殺気を漲らせるラウルと違って、二人の死顔は驚くほど穏やかだった。


「──……」


 従士たちがジリジリとラウルに迫ってくる。

 ラウルは唐突に、持っていた剣を投げ捨てた。


 ガランッ──


「殺せ……」


 そう言って一切の力を抜いた。






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