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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
三章
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王墓

「突然家出したのよ、この子……」


 王宮の巨大なダイニングテーブルの上に並べられたフォレスが作った料理を頬張りながら、クレーネが言った。

 テーブルには他に、トーマ、コレット、王の護衛隊のカール将軍とフォレスもいる。普通なら女官が食事を共にすることはないが彼女は特別だ。


「人聞きの悪いこと言うなよ……」


 トーマが顔をしかめた。


「だってそうじゃない。引きこもり生活が長かったから、その反動で目薬ができた途端、あっという間に置手紙して家を飛び出して、広い世界を見るから止めないでくれって……」


 クレーネによると、トーマはずいぶん長いこと、その目立つ髪と目のせいで、王宮の奥で人目を憚るように暮らしていたらしい。

 黒は色素の中でも一番濃い色だということもネックになった。トーマの髪は染料を受け付けなかったのである。どうしても人前に出なければならない時はカツラを被り、目が悪いんですと言って色付きメガネをつけていたのだと言う。これがシンの龍王色である白ならここまで隠す必要もないが、シン王宮にゴダールの王族がいるのを知られるのはマズい。そのぐらい当時のゴダールの政情は危うかった。

 だが、そんなことを理解できない子供には、この状況は大変なストレスだっただろう。

 そんなトーマが12歳になると、ララは先代王のカリアが残した目薬の研究開発を託した。それに没頭することでトーマは日ごろの鬱屈をなんとか逃れた。


「姉の私の目から見ても、健康な男の子が閉じこもるように暮らすしかないなんてかわいそうだったわ」

「じゃあ、この目薬を作ったのはトーマ様なんですか?」


 コレットが驚いたように声を上げた。


「そうよ。ね?」

「でも、各国の龍王色は比較的すぐにできたんですが、肝心の庶民色に一番手間取ってしまって、結局、全色完成するのに五年もかかってしまいました」


 一同から「へえ」と関心の声が上がった。


「でも、薬の開発ってすごく時間と手間がかかるって聞いたことあるわ。五年ってもしかしてすごいことなんじゃ……」


 コレットがそういうのに、トーマが照れて頭を掻きながら「でも、先代女王の基礎研究がありましたから」と謙遜している。


「目薬ができた時は、あまりにも嬉しくて、この日のためにずっと準備していた家出用の荷物をつかんで、すぐ王宮を出ました。ちょうどゴダールに向かう船があったんです」


 シンは北海に浮かぶ島国だ。


「城は大騒ぎよ。でも、お母様はちっとも慌てずそのままにさせて、あとは人をやって、常時あんたの様子を報告させてた。今にして思えば、シンの髭を仕込んだあんたの荷物を追いかければ、すぐに見つけられるってわかってたのね」

「ちっとも知らなかった……」

「母もあれで王だから。たぶん、トーマの研究状況も家出する準備してたのも正確に把握してたと思う」

「うむ、シンの諜報能力は世界一だ。世界中に広く散らばるくすり屋を拠点にあらゆる情報を集め、シンで育った医師(くすし)は、どこまでも深く潜り込んでゆく。シンを敵に回すのは愚か者のすることだ。お母上を侮られましたな、トーマ殿下」


 カール将軍が楽しそうに笑うのに、トーマが首を竦めた。


「そーかしら。私はなんか、こそこそしてるみたいで嫌だわ」

「ハハハ、姫様は手厳しいですな。しかし、戦況を大きく覆すのは常に情報です。軍隊の規模でも武器でもない。シン王家が長年に渡って積み上げてきたこの諜報網は、各国喉から手がでるほど欲しがっているものですぞ」

「へえ、そういうものなんですね」


 いつもラウル王に振り回されているように見えるこの将軍も、実は各国に鳴り響くほどの有名武将だ。そのカール将軍に褒められて、さすがにクレーネも悪い気はしない。


「そうですとも。ララ女王陛下は非常に優秀な戦略家です。無益な戦をせぬのもこれ戦いなのです」

「あ、ありがとうございます、母がお褒めに預かり光栄です」


 そして、トーマが家出したそのタイミングで、ゴダールの国境付近で闇国との小規模な戦が始まりそうだという噂がトーマの耳に入った。

 ラウル王は、戦には出来るだけ自身が出馬することで有名だった。噂の国境付近の戦場は、シンから海を隔ててすぐ目の前だ。


「いてもたってもいられなかったんです。僕と同じ髪と目を持った父がどんな人なのか、どうしても会って確かめたくなった」


 そう言うトーマの言葉に、みな感じ入るものがあった。

 

「……で、お前の目から見た俺は、どんな男だった?」

「「「陛下」」」


 皆が一斉に椅子から立ち上がり、男性は胸に右手を、女性は軽く膝を折って礼をとった。

 ラウルがララと並んで椅子に座ると、そのあとに皆が続いた。

 

「で、どうなんだ?」

「は、えーと、その………」

「どんなも何も、子どもの前でお母様を寝室に引っ張り込んだまま何時間も出てこないなんてどうかしてるわ」


 実に遠慮なく、クレーネが不機嫌にズケズケと言った。


「あ、姉上……」


 トーマの顔が赤くなった。

 ララが小さく肩をすくめた。


「あはは、それは済まない。でも、おまえたちは生まれた時から18年も母を独占していたのだから、少しぐらい譲ってくれても構わんだろう? それよりも、父と呼んでくれぬかクレーネ」


 王がまるで悪びれずにニコニコとそう言うものだから、クレーネはすっかり毒気を抜かれてしまった。


「ご挨拶が遅れました。クレーネですわ、お父様」

「出会った頃のララに生き写しだ。その頃ララは『ケリー』と名乗っていた」

「存じ上げております」

「ポルドともに息災か?」

「はい、レイチェルとますます仲睦まじくやっております」

「そうか。会いたいな」

「今度連れてまいります」

「それは楽しみだ。あの二人はとても愛情深い優れた人格者だ。俺も何度も救われた。俺の方からも今度ぜひ会いに行くのでよろしく伝えてくれ」

「シンにいらっしゃるんですか? おおごとにならなければいいんですが……」

「息子のトーマが素晴らしい目薬を発明してくれたじゃないか。煩わしい公式訪問はしない」

「はぁ、なるほど。それはそれで大騒ぎになりそうですが」

「クレーネ、まぁそう心配するな。私がちゃんとするから」


 ララが言った。

 ラウルがニコニコと今度はトーマを見つめた。


「ここ数ヶ月、息子と知らずに接していたが、おまえは俺には出来すぎた息子だ。コレットを狙った剣をとっさに払った腕も見事だった。母上のララに感謝しなければな」

「はい、母上だけでなく、私はシンの王宮にいる優しい臣下たちに育てられました。みんな私の家族だと思っています」


 手放しで褒められて、トーマは顔を赤らめながら謙遜した。


「そうか、俺の血を受け継いだために苦労をかけたようで、すまなかった。だが、良い臣下に恵まれたのだな」

「はい」


 そこへ、カール将軍の部下がやってきて、こっそり将軍に耳打ちした。

 それを受けて将軍が神妙な顔で立ち上がった。


「陛下、ジルベール様の葬儀の準備が整いました」

「そうか……」


 みなが一斉に立ち上がった。

 ゴダール王家の王墓は、山の中にある。

 神龍が生まれたと言われている最古の鉱山であり、そこに深く穿たれた古い坑道の最深部が王家の墓なのだ。

 黒鋼(クロガネ)城と言われる堅牢で広大な王宮は、この山を背中に背負うように建立されている。

 現在はすでに採掘は行われていないが、王墓より低い位置にある坑道跡は、一般民の墓として解放されている。

 つまり、この鉱山全体が王都に住う者たちの大きな墓所になっていた。

 中腹よりやや上にある王墓へ行くには、凝った装飾の施されたトロッコが据えられており、先頭のトロッコには手漕ぎの運転席、次に人の乗る車両が続く。そこにラウルとトーマ、コレットの三人がまず乗り込んだ。ラウルはジルベールの遺骨が入った骨壺を抱えている。ゴダールは火葬なのだ。

 ジルベールの死は急だったので、今はごく身内のものだけで弔うが、この後は一般にも公表され、続々と様々な者が続くだろう。なにしろジルベールはゴダールの王子だったのだから。

 ラウルが乗り込んだ車両にララがやってきて言った。


「ラウル、他の者が聞かぬので、私があえて聞く」

「……ああ」

「そなたが胸に抱くその者は、人を殺め、そなたの命を狙い、神龍を封じ込め、王家の転覆を謀った裏切り者だ。それでも、この王墓に葬るのか?」


 ララの言葉にラウルが小さく笑った。


「ララ、裏切りは王家のお家芸だ。王に真っ当な善人などひとりもいない」

「……そうだな」

「ジルベールは、王家の闇を産まれた時から一身に背負わされた犠牲者だ。この子に罪はない。本当の罪人はその闇を紡いできた我らだ。それに、この子は俺の息子だ。最期までそれだけを望んでいた。ここに葬ることでそれが守られるなら、俺はジルベールの父として、なんとしてもそれを守る」


 ララがニッコリ微笑んだ。


「……わかった。では、私はそなたたちの帰りをおとなしくゴダール城で待っていることとする」


 そう言って、クレーネと共にさっさとそこを去っていってしまった。


「父上、母上は……」


 トーマに最後まで言わせずにラウルが苦笑した。


「わかっている。でもまぁ、相変わらず憎まれ役の下手なやつだな」

「ふふ、そうですね」

「……陛下、僭越ながら、今の言葉を聞いて、ジルベール様はお喜びになっていると思います」

「コレット、カーニバルで俺たちと別れてから、どんなことがあったか聞かせてくれ」

「はい……」


 深い山の奥に向かって、トロッコがゴトゴトとゆっくり進み始めた。

 コレットの話によると、子供たちと辻馬車に乗り込んですぐ、ガーナの一味に拉致されたのだと言う。そのままあの廃工場に連れ込まれたが、ジルベールは決してコレットのそばから離れようとしなかった。あの柄の悪い連中から、ずっと守ってくれたのだそうだ。


「だから最初は、連中と仲間だとちっともわからなくて……。でも、いろいろと話しているうちに、やっとことと次第が見えてきました」


 ショックでしたとコレットは言った。


「ガーナ達は、おっとりと穏やかで品のいいジルベール様を、自分たちのいいなりにできると思ってたようですが、私には、ジルベール様はあの連中とも違う、何か全然別のものを見ているように見えました。連中が口にする卑怯な野望から、最も遠いところにいる人だと……」


 何度もコレットに謝りながら、子供達だけでも無事に返すと約束してくれた。ガーナがラウルの頼みでアッサリ子供達を手放したのも、ジルベールが幼い子供を手にかけ、無闇に敵の怒りを煽るのは愚かだと説得していたからだ。

 子供達は手下たちに連れて行かれたあと、城のすぐ近くの宿屋で無事保護された。

 コレットは、その時見ていたジルベールの横顔を思い出しながらポツンと言った。


「私は、あんなに昏い目をした人を見たことがありません。死期の近い重病人だってもっとマシだったわ……」


 そしてコレットはハッと何かを思い出したように続けた。


「私が縄を解いてとっさにジルベール様に体当たりした時、私の手に神剣を押し付けたのはあの方なんです。だからやっぱり………」

「……わかってるよ、コレット。ジルベールは今際の際に、玉座が欲しいのではなく、俺の息子でいたかったと言ってくれた……」

「そう、でしたか……」


 コレットが不意にトーマを見つめながら言った。


「そうだ、それと、ジルベール様は、初めてトーマ様を見たとき、ああ、これで自分の役目は終わったと思ったと言ったんです」

「え……? じゃあ彼は、僕の正体を知っていた……?」

「いいえ、多分知らなかったと思う。『なぜそう思ったのかはわからないけど、なんとなくふとそう思ったんだ』って笑ってました。彼は最後の最後まで、知らなかったと思います」


 ──そうか、君が……。


 ジルベールの目から、命の灯火が消える寸前、彼はトーマを見ながらそう言った。

 黒い瞳のままのトーマを見て、正体に気づいたからかも知れないが、今となってはもう永遠にわからない。

 コレットの目からポロポロと涙がこぼれた。


「……穏やかで誰にでも優しくて親切で、うちの子たちも後宮の子供たちも、みんなあの方を頼りにして慕っていました。それが、あんな酷い亡くなり方をするなんて、どうして……! ジルベール様は、何かのボタンを掛け違っただけなんだわ……!」

「そうだな……。ありがとう、コレット」


 苦しそうに胸を押さえながら泣くコレットの肩を、ラウルが慰めるように抱いた。


 トロッコが目的地についた。

 そこは、深く大きな洞窟だった。その洞窟の奥には渦を巻く大穴が穿たれ、その穴に沿って、夥しい水晶の結晶柱が乱立していた。人の想像を超えたその幻想的で美しい光景を見れば、神龍は本当にここから生まれてきたのかもしれないと思わせられた。

 ゴダールの最初の王の骨壺が、この穴の最深部の水晶の柱の根本に置かれているはずだ。そこから徐々に手前に来るに従って、新しい王族の骨壺ということになる。

 よく見ると、巨大な水晶柱の影に、いくつもの骨壺が置かれている。二つ並んで置かれているものもある。夫婦か親子か、あるいはきょうだいだったのかもしれない。

 その穴の入り口手前の祭壇に、ジルベールの青い美しい骨壺が置かれた。

 これから100日の間、ここには明々と蝋燭の火が灯され、人々が次々に献花に訪れられるようになっている。

 神官が、弔いの(うた)を詠唱している。

 人は皆、神龍から生まれ神龍へと還ってゆく。だから安らかに──というような内容だ。

 この水晶の穴を通って、再び神龍に還ってゆけということなのだろう。

 トロッコから降りてきた宮廷の人々が、涙を拭いながら順番に献花してゆく。

 100日が過ぎれば、ジルベールもどこかの水晶柱の根元で永遠に眠るのだ。

 自分もいずれ、神龍の中に還ってゆくのだろうかとトーマは思った──。




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