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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
三章
25/32

医師のトーマ 3

 トーマは城を案内するという王の後について、城の中よりさらに味気ない部屋に通された。目立つのは、すり切れた毛布の乗った天蓋付きの大きな寝台ばかりだ。


「ここは……?」

「俺の部屋だ」

「え……」


 戦場で一度会っただけのただのくすしの自分を、こんなにも奥深くまで案内していいものかと、さすがのトーマも他人事ながら心配になると、王が短く言った。


「すまん、トーマ、診てくれ」


 王が着ていたフード付きの粗末なコートを脱いだ。左脇腰から腿にかけて、服が大きく血に濡れていた。王が疲れたようにベッドの端に腰掛けた。


「ふう……」

「なっ……⁉」


 絶句して慌ててシャツをめくると、適当な布でかろうじて止血してある。そこを慎重にめくると、左の腰を背中から鋭い刃物で刺されたような傷がついていた。出血は今もジクジクと続いている。おそらく、先ほどの盗賊の仕業だろう。


「自分では届かんし、どうにもならん」

「あ、あなたは、なぜ……」

「騒ぐな。誰にも知られたくない。それに、俺は傷の治りが早い」


 それでも痛みはあったはずだ。なのにこの傷を見せられるまで、そんなことは微塵も感じさせなかった。


「……でもここでは道具が何も」


 背負っていた荷物は、刺客に襲われた時、娼館の裏口に置き去りにしたままだった。貴重品は身につけているが、今頃は誰かに盗まれているかもしれない。


「簡単な道具と薬なら、そこのワードローブの中に入っている。適当に持ってきてくれ」


 急いで壁際のワードローブの引き出しを開けた。

 なぜか古びた女性物の粗末な寝巻きの横に、傷を手当てするための道具が一式入っていた。意外に充実している。ということは、王はこれまでもこの道具を使う機会が頻繁にあったということだ。おそらく密かに。

 胸を突かれる思いで道具を手に取ると、トーマはベッドに腰掛けている王の側に急いだ。

 シャツを脱がせてざっと傷を改めると、幸いにも出血の割には浅い。だが、縫わなければならなかった。とりあえず、縫合のための道具を消毒しなければ。

 それにしても、この王は古傷だらけじゃないかと思った。


「湯は沸かせますか?」

「ああ、暖炉の熾火がまだ残っているはずだ。それを火鉢に移せば……」

「鍋を借りてきます」

「フォレスには……」

「わかっています。誰にも何も言いません。お茶を飲みたいとかなんとか、うまく切り抜けます」

「すまん……」


 トーマが水の入った鍋や茶器を持って戻り、上着の胸ポケットから丈夫そうな皮の巻物を取り出すと、その中からさらにロウ引きの紙で包まれた医療道具が出てきた。メスやピンセット、縫合針や鉗子などだ。


「おお、すごいな」


 王が素直に感心している。


「医術に使う刃物は特殊な形が多いし、失くすと再び手に入れるのが大変なので、これだけは肌身離さず持っています」

「それも師匠の教えか?」

「そうですね。独り立ちした祝いに一式贈っていただきました」

「近頃のくすしはみんなシンの大学で修行するが、おまえは昔ながらの徒弟制なのだな」

「そうですね。……ちょっと痛みますよ? 麻酔薬がないので仕方ありません」

「ああ、芥子の果汁で作ったというやつだろう? 今じゃすっかり一般化したが、麻酔薬は使い方を間違える……なっ…と」


 トーマが処置を始めると、王がグッと痛みをこらえて言葉を詰まらせた。


「そうです。中毒性があるんです。よくご存知ですね」

「昔、教えて…もら…った」

「……誰に?」

「……昔、おまえのような腕のいいくすしの手伝いをしたことがあるんだ。……ぐっ…俺は痛がって暴れる患者を抑えていただけっ…だが、しっかり抑えていろと叱られた。ひどい傷口に目を背けると、ちゃんと見ておけと睨まれた。元はおまえたち為政者が仕掛けた戦の結果だと」

「あはは、王にですか? それはすごい度胸のくすしですね」

「その頃はまだ王じゃなかったがな。おまえの治療のやり方が、彼女によく似ている」

「彼女……? 女性ですか」

「そう。それに、おまえは彼女に顔つきも何となく似てるんだ」

「だからまだ出会って日も浅い僕を信頼してくださると?」

「十分だろう?」


 おどけたようにそう言う王の軽口に、トーマも思わず苦笑した。

 縫合が終わり、トーマが傷口に布を当てていると、ほっとしたのか王の口がますます軽い。


「俺のせいで彼女を危険な目に遭わせてしまって、落ち込む俺を逆に彼女が慰めてくれた」

「ええ? なんでそうなるんですか?」


 トーマが道具を仕舞いながら苦笑すると、王は「優しい女なんだ」と小さく笑った。


「そこは美しい泉のそばで、あの時間に戻れるなら俺は何を差し出しても──…」


 懐かしそうな眼差しでどこか遠くを見ながら、不意に現実に立ち返って哀しく笑った。


「……いや、よそう、せんないことだ……」


 王は誰にともなくひとりごちると、手早く服を着替えた。

 トーマはなんとも言えない。その後の二人の成り行きを知っていたからだ。


「……シンの女王との馴れ初めですか?」


 トーマが痛い傷に触れるように、そっと小さく聞いた。


「よくわかったな?」


 王が驚いたように目を見張った。


「陛下と女王の悲恋は世界中が知っています」

「はは、冗談だろう? もう20年も昔の話だ」

「でも、あなたと女王のことは、戯曲になって旅芸人が盛んにあちこちで演っていますよ? 流行歌にもなってます。子どもだって歌えます。もっとも、実在の王家や神龍を出すのはあまりにも不遜だということで、名前や設定は様々に変えて、脚色もいろいろ加えられていますが……。一番有名なのは、スイフト一座の『バラ色の悲恋』という戯曲かな……?」

「そ、そ、それ、知ってるぞ! 城の女たちにどうしてもと誘われて一度だけ観劇したことがある! あの甘ったるい大袈裟なお涙頂戴ものの戯曲だろう? どうりで展開に見覚えがあると思ったが、あれが? あれが俺とララの話⁉ ララが聞いたら卒倒しそうだ。イタタ……」

「あはは、脚本家や役者が聞いたら泣いて悔しがりますよ。何しろ、陛下と女王の一件は人が大勢いる宴の会場で起きたことなんでしょう? それだけの人々の口に戸を立てるのは無理です。……はい、これは普通の痛み止めです」

「そういえば、雇われの楽隊がいた。あれか……」


 ラウル王に薬草を煎じたティーカップを渡すと、王はありがとうと言って口をつけ、盛大に顔をしかめた。それが苦い煎じ薬のせいなのか、今トーマから聞いたことの顛末だからなのか、おそらくそのどちらもなのだろう。

 実際、二人の悲恋はなかなかにドラマチックだ。


「それより陛下……」

「ん?」

「今日、陛下を追っていたのは何者です?」

「……あいつらは闇国の殺し屋集団だ。首謀者を追っていて油断した。黒幕はおそらく、前王の派閥の生き残りだ。あいつらの存在は、俺の王政が抱える持病みたいなものだ。随分捕まえたが、もう20年もこんなことが続いている」


 ラウルはまた一口薬をすすって顔をしかめたが、トーマは呆れてぽかんと口を開いた。


「王自らがお独りでその捜査を?」

「おまえまで固いこと言うな。たまたま今日は独りだっただけだ。それに、俺を餌に誘き出すのが一番早い。何しろ俺は目立つからな」


 それにしても、王自らが表立つことではない。誰か他の者に変装させてと思ったところでトーマはふと思い出した。


「あ、そう言えば近頃、シンで開発された目の色と髪の色を変える目薬と染め粉が発売されたのはご存じですか?」

「え?」

「洗えば落ちてしまうそうですが、よくできていて、誰でも好きな色の髪と目の色になれます」

「本当か⁉」

「まぁ、おもちゃみたいなものでしょうが……」

「す、すぐ取り寄せてくれ!」


 その時、ノックの音がしてドアの向こうから声がした。


「父上」

「ジルベールか? 入れ」


 応じる王に、失礼しますと部屋の扉を開けたのは、艶やかな黒髪を肩まで伸ばした青年だった。トーマと同じ年頃だ。


 ──王子。


 改めて紹介されるまでもなく、彼のその容姿が何者かを如実に物語っている。

 トーマは部屋に入ってきた背の高い彼を、マジマジと見てしまった。ジルベールは、なぜかちょっと驚いたような顔でトーマをちらっと見ると、すぐに王に視線を戻した。


「侍従のジャンがコレットのアパートから戻ってまいりました」

「ああ、ありがとう、ご苦労だったな」

「それが………」


 広間に行くと、広い宮殿ではしゃいでいる3人の幼い子どもとコレットがいた。

 ジャンの話によると、コレットのアパートでは子ども達と一緒に大家が待ち構えていて、未払いの家賃を今週末までに支払わなければ、すぐにでもここを出て行ってくれと迫られたと言う。


「なるほど……」

「コレット姉ちゃん、あのおじさんも髪が真っ黒だぞ! この兄ちゃんと同じだ!」


 五歳ぐらいの男の子が、王とジルベール王子を順番に指して目を丸くしている。


「おじ……」


 ラウルがストレートな幼児の言葉に絶句していると、コレットがすかさず男の子を叱りつけている。


「こ、こら、マイク! おじさんじゃなくて、王様! 王様と王子様よ! さっき説明したでしょ!」


 コレットがマイクと呼んだ少年の口を押さえながら、えへへとごまかし笑いを浮かべている。ふと気づくと、8歳ぐらいの少女が、いつの間にかトーマと手をつないで話しかけてきた。


「あなたも王子様なの? 髪は茶色いけど、あたしはそれでもかまわないわ。お嫁さんになってあげる」

「あはは、ありがとう。君は?」

「メリッサ」

「そっか、メリッサ、僕はトーマと言うんだ。でも残念ながら、僕はここの王子様じゃないよ。くすしなんだ」

「なんだ、そうなの? じゃあ、あたしのことは諦めて」


 言うが早いか、メリッサはすかさずジルベールのそばに駆け寄っていった。


「ちょ、メリッサ、何やってるのよ!」


 積極的なメリッサの求婚に困っているジルベールから、コレットが必死でメリッサを引き剥がしていると、今度は3歳ぐらいの一番のおチビさんがベソをかきはじめた。


「コレット姉ちゃん、お腹すいたー!」

「ちょっと待って、ショーン、今何か……」

「あらあら、賑やかですこと。さあみなさん、こっちですよ。こちらの食堂でお食事をしましょう。陛下や他の皆さんもいかがですか?」


 フォレスのその言葉に、トーマはひどく腹が空いていることを思い出した。考えてみれば、朝から何も食べていない。全員でゾロゾロと食堂に入ってゆくと、長いダイニングテーブルには様々な料理が乗っていた。


「わあ!」


 子ども達が歓声をあげていそいそと席に着き、早速料理にかぶりついた。


「コレット、住まいがないならこの子ども達を連れて後宮に入るがいい」


 ──えっ……。


「ああ、それがいいですわね、陛下」


 老女官が笑顔で王の提案に追従するのを聞いて、トーマは目の前が暗く沈んだ。

 噂のゴダール王の後宮(・・・・・・・・)である。

 ラウル王は、かつてララ女王との婚約が破談になって国へ帰ってくると、数年後から正妃を娶らないまま、後宮に様々な女たちを召し上げ、次々に子を産ませた。そして、王は今も旺盛に愛妾を召し抱えているというわけだ。

 結局はこの王も、権力にあかせて女を自由に囲う男なのだ。ララ女王との悲恋は、彼にとってもはや遠い昔の思い出なのだ。


「え、こ、後宮ですか……」


 コレットの表情が一瞬硬くなる。しかし、彼女が否やといえば王もフォレスも無理強いはしないだろう。


「わかりました。よろしくお願いします……」


 コレットがそういうのを聞いて、トーマは心底がっかりした。そういえばコレットは、娼館に身売りしようとしていたのだった。覚悟はできていたのだ。


「おまえもだ、トーマ」

「は? 私? 私ですか? 後宮は男子禁制だと思いましたが……?」

「ああ、うちの後宮は俺の腹心も家族で住んでいるのだ。警護もしやすいし、少し改装して住まいの設備はそのまま流用だ。要するにまあ、後宮とは名ばかりで、俺の側近の体のいい寮だな。だからおまえも、空いている部屋を好きに使うがいい」


 そういうことだったのかと思った。ゴダール城の後宮には、王の愛妾が王子、王女とともにひしめき合っていると言うのは大げさな噂だったのだ。

 なんとなくホッとした。


 しかし──


 料理を口に運ぶ、品のいいジルベールの横顔をチラッと見つめながらトーマは思った。後宮には彼のような龍王色の王子や姫が複数いるのは確かだ。






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