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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
三章
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医師のトーマ 2

 それから一週間後、僻地の戦地からトーマがようやく王都にやってきた。

 あれから王の使いがテントにやってきて、封蝋のある王直々の紹介状をトーマに差し出すと、ここを畳んだら王宮に来るようにと言い置いて帰って行った。どうやらその場限りの気まぐれではなかったらしい。

 トーマに否やのあるはずもない。もともと王都を目指していたのだ。渡りに船とはこのことだ。

 でもまぁ、疲れた。

 なにはともあれ明日からの登城に備えようと、宿への道を急いでいると、危うく通りに立っている若い娘にぶつかりそうになった。トーマがいるのも目に入らない思いつめた様子で、目の前の建物の扉を見つめながら手を胸に当て、何やらブツブツ自分に言い聞かせている。


「コレット、行くのよ。この扉をあけて、働かせてくださいとひとこと言えばそれでいいの。そうすれば、あの子達にお腹いっぱい食べさせてやれる。さあ、コレット、入り口まであと3歩よ」


 どうやらコレットという名前らしい。そして娘が立っているのはゴダール王都随一の高級娼館の裏口だ。彼女は食い詰めた挙句、今まさに自らを身売りしようとしているのだ。

 自分とそれほど違わない年なのに、食わせていかなければならない子どもがいるとは。ゴダールは比較的豊かな大国だが、それでも貧富の差はあるらしい。

 しかし、いずれにせよ夫を早くも亡くしたか、よほどのロクデナシかもしれない。気の毒なことだ……などと思いながら、急ぎ足でその場を通り過ぎようとした。

 と、通りの向こうでガシャーンと派手な音がした。

 誰かがバタバタとこちらに走って来る物音が聞こえる。

 通りは暗く狭く微妙にカーブしているので、誰が走ってくるのかはわからないが、足音の重さからして多分男が数人だ。嫌な予感がする。どう考えても和やかな状況とは言い難い。


 ダダッ──


 カーブの向こうから、頭にフードをかぶった男が走って来るのが見えた。

 その後ろからフードの男を追って来る男が3人。みな手にナイフや剣を持っている。

 トーマとコレットは唖然とその様子を見守った。

 自分たちの前を通り過ぎようとしたフードの男が、舌打ちして立ち止まった。自分たちに背を向けて、追っ手を迎え撃つ体勢になったと思った次の瞬間、


 ガキィィンンッ──


 金属のぶつかる甲高い音がした。

 フード男が斬りかかる男の剣を受け止めたのだ。その剣は片刃で、見たこともないほど真っ黒な細身の刀身だ。

 こんな華奢な剣なのに倍ほどもあるソードを受け止め、あろうことか折ってしまった。剣を折られた男がパッと離れたと思った次の瞬間、次の男がフードの男に斬りかかった。

 フード男はそれも果敢に受け止めた。

 トーマがどっちに味方していいのか戸惑っていると、コレットがドアの脇に置かれていた植木鉢を掴んで迷わず3人の追っ手の方に向かって投げつけた。


 ガシャンッ!


 残念ながらそれは敵にかすることもなく粉々に砕けたが、多少気は反らせたかもしれない。しかし、トーマはコレットのその迷いのない行動に面食らった。


「そっちの味方?!」

「当たり前じゃない! フードの人は私たちを庇って立ち止まったのよ!! しかも3対1なんて卑怯よ!」


 コレットはもう次の棒切れを手にしている。


「なるほどっ」


 それでトーマの心も決まった。背負った荷物を降ろし、腰の剣を掴んだ。


「加勢します!」

「いいから引っ込んでいろ!!」


 フード男はいかにも鬱陶しそうに、トーマを後ろに退かせようとした。


「そうはいきません!」


 フード男に並んで追っ手と対峙すると、なるほど追っ手はスカーフで顔を隠し、盗賊風のいかにも怪しい男たちだ。


「きゃあああ! 火事よ!!! 火事だぁぁぁ!!! 誰か来てえ!!」


 コレットのその悲鳴に、敵が一瞬怯んだ。まだ斬りかかってこようとする者もいたが、ボスと思われる男が舌打ちしながら手下にすかさず命令した。


「ちっ、退け!! 退け退け!!」


 その後ろ姿を見守りながら、トーマが呆れたようにコレットに言った。


「なんで火事?」

「人殺しって言ったらみんな怖がって出て来ないけど、火事ならみんな出てくるでしょ? ほら……」


 こともなげにそう言うコレットの言っている側から、あちこちの家から人々が次々に飛び出してきた。


「火事はどこだっ!?」

「火元は!?」


 トーマはコレットの頭の回転にすっかり舌を巻いた。


「君、すごいですね!!」

「おまえたち、怪我はないか?」


 フード男がそう言ってこちらにやって来て言った。


「おまえ、トーマか? こんなところで何をしている?」

「え?」


 きょとんと見上げるトーマに、男がフードをわずかにめくり上げて顔を見せた。見覚えのある濡羽色の黒髪と凛々しい黒い瞳がトーマを驚いたように見つめている。


「ラウル王!?」

「しっ、バカ、大きな声を出すな」


 コレットの火事だという声に慌てて飛び出してきた野次馬の目を避け、王がフードを被り直すと、とっさにトーマとコレットを連れて通りを抜け出した。広い通りに出る寸前、王は腰の剣を抜くと「ゴダール」と呼びかけた。

 真っ黒な刀身がギラリと光ったかと思うと、そこからドッと何か巨大なものが滑り出してきた。コレットとトーマが驚いて身を引くと、王が安心させるようにいった。


「心配ない。ゴダールだ。乗れ」


 黒馬だった。引き締まった艶やかな漆黒の体躯と、逞しい四肢に力強い蹄……とはいかず、丸くカーブしているはずの蹄は、獲物を引き裂くような肉食獣の鉤爪だ。3本ある。そして、よく見ると漆黒のボディは毛皮ではなく鱗だった。黄金の(まなこ)の虹彩は縦に亀裂が入っている。ぱっと見馬に見えるが、明らかに馬ではない。どうやら変化(へんげ)しているようだが雑な変化である。でも、不思議とこの奇妙な生き物は美しかった。


「の、乗る!? これに!? ゴダールって、ゴダールって、簡単に言いますけど、ししし神龍ですよね? むりむりむりむりっ! むりです!!」


 ゴダールを前に尻込みしたのはコレットだ。


「いいから早くしろ、人が来る!」


 王に腕を掴まれ黒馬の背中に強引に押し上げられて、トーマとコレットが背中に跨ったかと思ったら、「しっかり掴まってろよ」と王が言うが早いか、ゴダールはたちまち空へと一気に駆け上がった。


「ひえええええええっ!!!」


 トーマとラウル王に挟まれるように乗り込んでいるコレットが、前にいるトーマの背中に思い切りしがみついた。

 こんな状況であるにも関わらず、トーマは背中に当たる柔らかい感触にドギマギしてしまった。

 

「あ、あの、コレットさん、もう少し力を抜いていただけると……」


 トーマの小さな抗議に、コレットはウンウンと頷きながら、黒龍が揺れるたびに益々力を込めるのだった。

 やってきたゴダール城は、焼き締めた鋼鉄がふんだんに使われた堅牢で巨大な漆黒の城塞だ。しかし、中に入ってみると案外ガランと何もなかった。ゴダールらしく扉や柱の厳ついレリーフだけが存在感を放っているが、装飾品が何もない。以前は廊下や広間のあちこちに、様々なものが飾られていた痕跡はあるが、飾り台や広い壁はぽっかりと空いたままだ。


「お城なのに、ずいぶんひと気がないんですね」


 コレットがトーマの思っていたことをズケズケと口にした。


「それに、なんか飾りも少ないっていうか、想像してたのと全然違うっていうか……、お城ってなんかもっとこう煌びやかなもんかと……あ、こっちは普段使われてない離れですか?」


 王がコレットのその言葉に短く笑った。


「いや、本殿だ。俺が王位に就いてから、城の中にある金目のものはあらかた売り払った」

「ええ! この国はそんなに貧窮してるんですか!?」


 コレットが目を丸くした。

 トーマもこれには驚いた。


「あはは、いや、豊かな鉄鉱石やその他の金属の鉱脈や宝石も採れるから、この国は基本的には豊かだな」

「じゃあなぜ……?」

「ここに飾られていたものが気に食わなかったからさ」


 トーマの疑問に、短く答えるラウル王の横顔には苦い笑いが浮かんでいた。


「ひと気がないのはごく信頼のおけるものだけにして、余剰人員を整理したからで、飾り物は嫌いなものを売っぱらって、それきり積極的に買い替えをしなかったからだ」

「へえ、じゃあ、王宮に絵や美術品を卸していた芸術家は干上がっているでしょうねえ」


 コレットの何気ないその一言に、王が意表を突かれたように彼女を見た。コレット自身は何も考えずに口にしたようで、まだキョロキョロと辺りを物珍しそうに見回している。


「……確かにそうだな。では、これからは少し何か買い足すことにしよう」


 トーマはコレットの鋭い市場感覚にも驚いたが、それに即座についてゆく王のその柔軟性と素直さにも驚いた。


「陛下!」


 その声のした方を見ると、老いた女官が王のもとに走り寄ってきた。


「フォレス、今帰ったぞ」

「陛下! 今帰ったではありません! またそのような平民の服で供もつけずにどこ……その方々は?」


 フォレスと呼ばれた老女官は、トーマとコレットの姿を見て不思議そうな顔をした。


「ああ、こっちの若者の方はうちの新しい宮廷くすしで、こっちの娘は……あー……」

「コレットと申します。私は……」

「僕の助手です。看護師をしてもらっています」


 娼館で身を売ろうとしていたとは言いにくかろうと、トーマはとっさに嘘をついて庇ってしまった。コレットが戸惑いながらも話を合わせてくれた。


「は、はい、そうです」

「今夜は二人ともこの城に泊まってゆくがいい。あの連中は案外しつこい」


 最後の言葉はフォレスに聞こえないよう王がこっそりトーマとコレットに囁いた。どうやら聞かれたくないらしい。おそらく、小言を聞きたくないのだろう。


「あの連中って、闇国の人たちですよね?」


 王に合わせて囁くコレットの言葉に、王が驚いたように目を見開いた。


「なぜわかった?」

「あの中に、肩に鷲の刺青が入っている人がいました……」


 そう言って、コレットは自分の左の上腕の辺りを指した。

 闇国のならず者の中には、鷲が蛇を掴んで羽ばたいている意匠を施した刺青が入っていることが多い。神龍を蛇になぞらえ、それを狩る鷹が彼らのシンボルというわけだ。


「でもダメなんです。 私は子ども達が待ってるから帰らなきゃ。今頃お腹空かせてるわ」

「なんだ、子持ちか?」

「あぁ、いえ、私の子ではなく亡くなった姉の子です。ロクデナシの義兄が借金残して女と家出したので私が引き取ったんです」


 コレットが慌てて事情を説明した。


「その若さで苦労人か……。それなら無理して引き留めることもできんな。フォレス、誰かに言いつけて送ってやってくれ。住まいはどこだ?」

「あ、グリーン通り17番地のボロアパート……あのう、とても言いにくいんですが、何か食べ物を少し分けていただけると……」

「すぐにお子さんたちの分もお包みしますね」


 フォレスがそう言って、すぐにコレットと一緒に出て行った。


「おまえは今から宿を探す予定だったんだろう? なら、好きなだけここに滞在するがいい」


 王がトーマに向かって言った。


「は、はい、では、お言葉に甘えて……」



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