蜜月 2
ラウルとララの秘密の逢瀬は、そんな風に始まった。
空を翔ける神龍がついているのだ。人目をしのいで楽に行き来することはできた。とはいえ、二人は多忙で様々な人々に囲まれて日常を過ごす王だ。二人きりになれる時間がなかなか取れなかったし、すれ違いも多かった。思い通りに会えない日が続く中で、ラウルがある日、見せたいものがあると言って、ララを馬に変化したゴダールに乗せてとある場所に連れて行った。
「ここは……」
初めて二人が結ばれた、タリサ村近くの静かな泉のほとりだった。
ラウルはそこに、小さな別邸を建てたのだ。
素焼きのレンガで建てられた田舎家風の小さな家は、シンの宮廷の奥にあるカリアの研究室にもよく似ている。
睡蓮の花が今は盛りで、絵画のように美しく澄んだ水を彩っている。
「ゴダールの王都まで馬なら一日かかるが、神龍なら距離は関係ない。だから……」
「え? 神龍に距離は関係ないのか?」
「知らなかったのか? 龍脈という神龍しか行き来できない特殊な空間と地上を交互に通って移動してるのだそうだ」
「そうなのか!?」
「シンに乗って長距離を移動すると、景色がおかしかったろう?」
「……そうだったかな? 上空の雲より高いところを移動するから寒さをしのぐのに必死で、じっくり辺りを見たことがなかった」
「ああ、なるほど。龍脈は空にあるのだものな。おそらく、龍脈からこの世界に出てくる瞬間に稲妻みたいに光るんだろう」
「へえ……」
「だって、どこへ行くにもせいぜい一時間足らずで行けるなんて変だと思わなかったか?」
「ああ、確かに!」
「おまえは生き物の身体については詳しいのに、こういうところは抜けているのだな」
「むう」
「まぁ、そう怒るな。そんなわけで、俺は週末はなるべくここで過ごすようにするから、おまえも合わせてくれれば嬉しい。それに、ここはフォレスしか知らないから、邪魔者なしで二人でゆっくりできるぞ」
「そうか」
中もごく素朴な作りで、いつまでもひだまりの中で静かに過ごしていたくなるような家だった。
***
ララがタリサ村で目当ての薬草を収穫し、いつの間にか二人の子持ちになっていたローラに別れを告げて泉の別邸にやってきた。毎週末とはいかなかったが、ラウルとの逢瀬ももう一年ほどになる。
この別荘の管理人をしているフォレスが、ララの顔を見て顔を綻ばせた。
「まあ、ララ様、ようこそおいでくださいました」
「こんにちは、フォレス。ラウルは?」
「それが、急遽明日にならなければ来れないとおっしゃって……」
「……そうか、それなら仕方ないな」
聞き分けよく納得したようなふりをしたが、本当は気に入らない。ララだってここへ来る時間を作るために必死なのだ。
「フォレス、ちょっとこのまま出かけて来る」
「は? はい、どこへ行かれるのです?」
「散歩。夕食までには帰る」
「はい、行ってらっしゃいませ」
森をかき分け、街道に出る寸前、シンに声をかけた。
「シン」
たちまち影の中から躍り出たシンが、ララを背中に乗せた。
晴れた空に、一閃の稲妻が瞬いた。
王の執務室の窓から光ったそれを、ラウルはうっかり見逃していた。
急遽開かれることになった閣僚会議の資料に目を通していたのだ。
それによると、この近年ゴダールに併呑されたばかりの元闇国と、国境付近で結構大きな小競り合いになってしまい、仲裁のための王軍を派兵をするべきか否かという実に世知辛い会議だ。
まぁ、内戦に発展しかねないそれなりに深刻な問題ではある。
ただでさえ、王族を追われた元王族の扱いに頭を痛めているところなのに、問題は次から次へと湧いてくる。
ノックの音がした。
大臣たちがもう来たのかと、冴えない気持ちでラウルが自らドアを開けると、そこにはフードを目深にかぶったララがニコニコと立っていた。
「なっ、ララ⁉」
「やあ、ラウル」
誰かに見られる前にララを執務室に急いで引き入れた。
そもそも、ララとの関係はごく一部の者しか知らない極秘中の極秘の国家機密だ。
各国との外交バランスを崩しかねない王同士の恋愛など、表沙汰にできるものではない。以前の婚約は、ラウルがただの王族だったからこそ成立したのだ。
「なんでおまえここに?」
「忙しそうだから私から会いに来た」
と、そこへノックの音がして、今度こそ大臣たちが次々に執務室に入ってきた。
ラウルはとっさにララを大きな執務机の下に押し込んだ。
深刻な顔をした大臣たちが、会議のテーブルに着いたが、ラウルは気が気じゃない。
白銀の髪に灰色の瞳のララが見つかったら大騒ぎだ。
「どうされました、陛下? 今日何かご様子が……?」
大臣が言う。
「い、いや、なんでもない」
かしこまったラウルの声が聞こえるが、ララの目の前のラウルの足は、せわしなく貧乏ゆすりをしている。
「あー、どうかな、みんな。会議を一時間後に変更できないか?」
「なぜです?」
「なぜってそれは……」
「一刻も早く方針を固めねばなりますまい?」
「ま、まぁ、そうだな」
ラウルが諦めた。
一方、ララはラウルがいつもどんなふうに王の執務をこなしているのか気になるところだ。
ラウルの足の間でそっとラウルを見上げるが、ラウルは書類を見るふりをして、声を出さずにララに「おとなしくしていろよ」と口をパクパクさせた。
にっこり笑って頷いて見せたが、ラウルは不審そうに目を眇めた。
「挙兵だが、私は反対だ」
「いやでも王よ……」
深刻な会議が始まった。
何が議題なのだろう。
ララはラウルの足の間から手を伸ばし、テーブルの上に置かれている書類をそっと指先でつまんでするりと自分の手元に引き寄せた。
「あ」
ラウルが小さく声を上げた。
男女を含む大臣たちが、ラウルのその様子になんだと視線を向ける。
「ゴホン、ああ、なんでもない、すまない」
ラウルが咳払いしながら姿勢を正したのだが、ララが足の間で熱心に資料を読んでいる。
なるほど、国境付近で始まった、元闇国だった領土との深刻な小競り合いだ。ゴダールに併呑されたばかりのこの領民は、元敵国だったということもあり、周辺地域からの不遇な扱いに不満を抱えているらしい。
「あー、その、挙兵はどのぐらいの規模を想定している?」
ラウルが大臣に向かって問うと、低い男の声が「精鋭五百ほどを予定しています」と応じた。おそらく、騎士団を束ねる将軍だろう。さすが軍事大国。好戦的だ。
「五百⁉ たった三千人程度の領民しかいない村に? 民の殆どが剣など手にしたこともない農民ばかりだろう?」
ラウルが呆れたというような声を出した。
「ですが王、挙兵はやはり数で圧倒させるのが常識かと思いますが……」
「そんなやり方で圧倒して、ますますあの村の民を抑圧しろと? 挙兵など論外だ」
「いやしかしっ……」
議論が始まったのだが、圧倒的な戦力差を見せつけることこそが、戦意喪失を招き、結局は戦争抑止になるのだという意見にラウルは押され気味だ。
「黒龍様のお力で、こずるい闇国の民など圧倒しておしまいになればいいではありませんか!」
「……っ」
一方的な偏見にラウルが反論しようと口を開いたその時──
「舞踏会だ!」
という、ラウルに身に覚えのないラウルの声がした。
「「「は?」」」
閣僚たちがそろってラウルの顔を見た。
「あ、いや、その……」
ララだ。ラウルの下手な声マネをしてとんてもないことを言った。
「この~~」とテーブルの下をチラッと覗き込むと、ララはラウルの股の間でニヤニヤ笑っているだけだった。
「なんと仰せか、王よ?」
大臣のひとりが聞き間違いかというような顔でラウルを見る。
「あー、舞踏会だと言ったのだ。挙兵するより、もみ合っている互いの領主を城に招いて、舞踏会をすることとする!」
「そ、それは……」
「いや、でも案外……」
「でもそれだと……」
意外にも賛成する者もいて、それを機に閣僚たちが喧々諤々の議論となった。
ラウルの、いや、ララの意見が少し優勢になったところを見計らって、ラウルがすかさずそれに乗っかった。
「力に力で押せばその反動はますます強くなるだけだ。長年の確執を越えてゴダールに属すと決めた闇国の領主と領民に敬意を払うべきだ。意味のない偏見は捨てよ。というわけで舞踏会で決まりだ。王の俺がそうと決めたのだ。以上、会議は終わりだ! みんな舞踏会の準備を直ちに始めろ、解散!」
ラウルのらしからぬ強引な閣議の締めに大臣たちは少し驚いたが、王が言うなら仕方がないとばかりに、ぞろぞろと執務室を出て行った。
ラウルはなんとか平静を装って全員が出て行ったのを確認すると、自分の座っていた椅子を思い切り後ろに引いた。
すると、ラウルの膝に頭を載せてすっかり居眠りしていたララが、その拍子に膝を外されガクンと姿勢を崩した。
「う、あれ?」
「……よだれが垂れてるぞ」
いけねというように、ララが手の甲で自分の唇を拭った。
「はあ、おまえというやつは……」
「終わった? 挙兵の百倍はいいアイディアだったろう? 揉め事にはうまい食い物と音楽が一番だ」
どうやら、これがシン女王のやり方らしい。そして案外、的を得ているのかもしれないとも思う。
「ラウル、泉の家に早く行こう。フォレスが美味い夕飯を作って待っている」
「……そうだな」
ラウルが苦笑しながらララに短くキスした。
泉の家でまずは二人で最新式の風呂に入った。
泉から水を引き、ゴダールで作られた新型ボイラーで沸かされた湯は、パイプに繋がったバルブを回せば、ふんだんに熱い湯が出てくるようになっていた。
湯桶でラウルの背中に湯をかけながらララが目を見張った。
「わ、すごい、なんだこれ?」
「すごかろ? 湯沸かし器だ」
「へえ、さすが工業国だ……」
「でもおまえの所には、この素晴らしい香りの石鹸がある」
「ふふ、いい匂いだろう。うちの薬剤部のしご…と…」
背中を流していたララの手がふと止まった。
「……ラウル?」
「ん?」
「この傷はどうした?」
もともと傷痕の多い身体だが、右の脇腹をかすめるように、浅いが新しいナイフ傷のようなものがついていた。傷は塞がっているが、赤く盛り上がった傷跡がまだ生々しい。
「ああ、もう治りかけているだろ? 大丈夫だ」
「そんなことを聞いてるんじゃない」
「ララ、今そんな無粋な話はしたくない。ややこしい閣僚会議が終わったところだ……」
「……」
言いながらラウルが、手の中でたっぷりと泡立てた石鹸をララの身体に塗り付けた。
そんな風に言われてしまうと何も言えない。自分といるときは王であることを忘れてほしい。ララがそうであるように。
近頃シンで売れている、薫り高い石鹸でラウルの身体を洗いながら、ララもまたラウルの手に愛撫されてゆく。




