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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
一章
2/32

タリサ村 1

 夜半から降りはじめた雨は、朝になっても一向に衰える気配を見せず、行軍の足を容赦なく重くした。

 泥濘(ぬかる)む泥は避けようもなく、重くなった泥足が、次に踏む一歩もまたグシャリと泥を()む。

 時々雷鳴を轟かせる陰鬱な空は、一行の気持まで重く(ふさ)ぎ、軍馬も兵士もただ黙々と歩き、鋼鉄の甲冑や武具がガシャガシャと擦れ合う音だけが賑やかだ。

 勝ち(いくさ)ではあったが、戦ともなれば互いに無傷ではいられない。負傷者もいる。こうなると敵地に向かう進軍のほうがよほど士気が高い。

 帰路はほぼ消化しており、進軍しながら募った歩兵は大部分が各々の(さと)に帰っているが、王直属の近衛兵百名ほどは、王都までまだあと2日ほど歩かねばならない。


「殿下……」


 侍従のクロウが馬を寄せてラウルに耳打ちした。


「迂回路にはなりますが、この先の岐路をゆくとタリサという小さな村があるのだそうで、街道先の何もない荒野で野営を張るよりは、温かいスープの一杯も口にできるやもしれません」


 昔と比べて、随分薄くなったクロウの白髪は濡れて額に貼りつき、茶色い目の周りの皮膚はたるんで疲れを滲ませている。

 春もまだ浅い雨の日の甲冑は、どれほど下着を重ねていても容赦無く体温を奪ってゆく。手綱を持つ老侍従の手はわずかに震えていた。

 じいも随分歳をとったなと、ラウルは思った。


「そうか。ここからどのぐらいの行程になる? 道に詳しい者はいるのか?」

「はい。郷の者ではないそうですが、村には何度も訪れた事があるのだそうで、ここから半日ばかりの行程とのことです」

「では、夜までには到着しそうだな。行こう。村に先触れを出せ」

「はっ」


 予定していた街道を外れ、数キロ迂回した山の麓に広がる村は、西の外れが大きく土砂に削られ、無残に倒壊した建物も見える。この雨の中、何人もの村人が必死で瓦礫を掻き分けていた。


「土砂崩れか……」

「この長雨の影響でしょうな……」

「うむ……」


 ラウルが後ろに従う隊に向かって声を張り上げた。


「みな、済まぬがもうひと働きだ。ここで恩を売っておけば、村人の覚えもめでたく、手厚く歓待されよう。酒と女の情は濃い方が良いと思わんか!」


 王子の明るい鼓舞に、みな疲れた顔を一瞬綻ばせて短く笑った。そして「おう!」と応じると、気力を振り絞って土砂に押しつぶされた農家に向かって走った。

 泥まみれの村人達は、突然加わった鎧兜や甲冑の兵士に驚いたが、王子の指揮でたちまち瓦礫を掻きわけるたくましい兵士たちに励まされ、さらに作業に力を入れた。


「この中に、誰か埋もれているものがおるのか!」


 雨に負けないよう、ラウルが村人に声をかけた。


「に、女房と、まだ五つの坊主が……」


 悲痛な男の声が訴えた。


「急げ! 馬も武具も使えるものはなんでも使って掘り起こせ!」

「おお!」


 全員が一丸となった。

 雨に濡れながら、しばらくその様子を見守っていたラウルは、間もなく「いたぞ!」という声に混じって、幼い子供の泣く声を聞いた。

 一同から歓声が上がった。

 そしてさらに、パラパラと土砂の上を転がる小さな石礫を見てラウルが叫んだ。


「油断するな! まずは怪我人を連れてみなすぐにそこから離れよ!」


 ラウルの指示で一斉に人々がそこを離れた直後、次の土砂がドッと流れ込んだ。巻き込まれたものがいないと知るや、兵も村人も揃って感謝と畏怖の眼差しをラウルに向けた。

 村で一番大きな建物である教会が一行のために開放され、司祭や村長を含む全員が、笑顔で迎えてくれた。

 広間に宴の準備がされ、ようやく泥を落とした一行は、気持ちよく温かい食事にありつけた。急な(おとない)であるのに広間はいくつもの火鉢で暖められ、村から急遽集められた女たちが、疲れた兵士たちの給仕にあたっている。もてなしは温かく心がこもっていた。ラウルの戦術は功を奏したというわけだ。

 ラウルは部屋の暖気に眠気を誘われながら、その様子を満足気に見守った。

 と──……


 ガシャンッ!


 広間の片隅で陶器が割れる派手な音がして、男の怒号が響いた。


「小僧! 貴様、わしを何と心得る!」

「お許しください、どうか、どうかお許しを!!」


 あれは武将のアベリの声だ。戦場では勇猛果敢で勇ましい命知らずだが、女好きで酒癖が悪い。騒ぎに顔色をなくした村長を見て、ラウルは仕方なく腰を上げた。


 ──やれやれ、先ほどの善行貯金がこれでチャラだ。


 武将というのは、いや、男というのはなぜこうも、大人しく酒と食事が楽しめないのか。同じ目的を持っているときの結束は固いが、それを無くすと途端に揉め事を起こす。

 席を立ったラウルに道を開ける人々の間を歩きながら、騒ぎの中心に行くと、床に蹲る女を背中に庇うように、美しい少年がアベリを見上げている。その様子がさらに逆鱗に触れるのか、赤い顔をさらに赤くしてアベリが吠えた。


「貴様、小童(こわっぱ)の分際で、このわしに歯向かうか!!」


 少年にアベリの太い腕が伸びた瞬間、考えるより早くラウルの体が動いた。とっさに、アベリと少年の間に割って入ったのである。


「よせ、アベリ」


 自身の身を呈して少年を庇った主人の姿に、さすがのアベリも怯んだ。


「殿下⁉」

「控えよ、アベリ殿!」


 クロウが威厳のある太い声を飛ばすと、アベリが慌てて片膝をついた。


「まぁ、よい。宴の席だ。だがこの場は、俺に預けてくれるなアベリ」

「はっ……」


 とっさのこととはいえ、主君に手を上げようとしたのだ。アベリは顔色をなくしている。

 ラウルは、床で震える女を庇いながら、こちらを睨みつける少年を見た。


「私の部下が何か無礼を? そなたの姉御か?」

「……友人だ。ローラは人妻で、まだ目立たないが身籠っている。そちらの御仁は、そのローラを無理やり膝に乗せようとしたのだ」


 何か言おうとしたアベリを手の一振りで制し、ラウルが言った。


「それは済まなかった。心のこもった歓待のお陰で気が大きくなってしまったようだ。こちらは過酷な戦場から戻ったばかりで、先ほどの救助のこともある。疲れのせいで、美しい女性の慰めが欲しくなるのも無理はなかろうと思うが……」


 言い訳しながら哀れを乞い、小さくおだててさりげなく恩を着せたが、逆効果だった。


「だからと言って、何をしても許されるわけではない!!」


 もっともだ。詭弁に惑わされるタイプではないようだ。


「ケ、ケリー、ケリーお願い、お願いだからもう………」


 床に蹲ったまま、震える女が小声で少年のシャツの裾を指先でぎゅっと掴んでいる。


「……」


 ケリーと呼ばれた少年は、仕方なく口をつぐんだが、まだ挑戦的な目つきでラウルを睨んでいる。


 ──面白い少年だ。


 年の頃は17・8ぐらいだろうか。茶色い長髪を雑に後ろでひとつに縛り、頭の回転が早くこれだけの軍人に怯むこともない。美しい子だと思った。


「殿下、このように無礼な小僧をお許しになるのか!!」


 アベリが髭面の赤い顔をさらに赤くしてとうとうわめきだした。

 

「うむ、そうだな、アベリ。ではこうしよう。王軍きっての勇将であるお前にすれば、村の女を無理やり(なぶ)ったなどと、あるまじき言いがかり」

「そ、その通りだっ! それがしは、それがしはその様なことは断じて──……」

「もちろんそうだ。俺の部隊でその様なことは断じて起きない。ましてやお前がそのような恥知らずで無様なことをするわけがない。我が軍は無辜(むこ)の民を蹂躪(じゅうりん)することなど断じてない!」

「もちろんそうだ!」


 アベリや他の兵たちが同意する。


「ではその証に、我々がこの村にいる間、世話をしてもらうのは男だけとしようではないか。男子の手が足りないときは、老婆でよい。だが、女性には遠慮してもらおう。我々は、若い娘に惑わされるようなヤワな騎士団ではないのだ!」

「そっ……!!」


 そんなと言おうとして、アベリはその先を続けられずに絶句した。そして、他の兵士にしてみればとんだとばっちりだ。厳しい戦場帰りの楽しみといえば、女の癒し以外に何があるというのだ。みなが口々に何か言おうとしたところでラウルがすかさず声を張り上げた。


「我々の穢れなき精神をとくと証明しようではないか! 幸いにもここは教会だ! 我らが黒龍神の御前で誓おうぞ!!」


 教会の祭壇では、蛇のような長い巨躯を、鋼鉄の柱に巻き付けた漆黒の龍を象った御神体が祀られている。


「お、おう……」

「どうした、声が小さい!!」

「うおおお!! も、もちろん、我らの高潔は、神龍とその神子(みこ)であらせられる殿下がご存知だ!」


 みなが一斉に吠える。

 この世界は、五色の神龍から加護を受けたいくつかの大国が支配していると言われている。

 それぞれ、黒龍、白龍、赤龍、青龍、黄龍の五色の龍だ。各国、神龍が宿る神器を持っていて、王家がそれを代々受けつぎ、王宮の神殿の奥深くで守られている。いずれどこの国もこの主な大国の属国で、それが遠く及ばない地は『闇国(あんこく)』と呼ばれ、未だ蛮族の住まう僻地として無視されている。

 王族は総じて頑健で、老けにくく病に強く長命だ。少しの怪我や傷などはたちまち治癒してしまう。そして、神龍の色にちなんだ身体的特徴をもっていて、多くの場合、髪や目の色に現れる。一般的に民は総じて茶色い髪に茶色い瞳で、王族の全てが神龍色を持っているわけではないが、王の近親であればあるほどその特徴は濃くあらわれる。従って、髪や目の色を見ればどの王家の者かは一目瞭然だ。


 ラウル・トゥルース・ゴダールは、黒龍を戴く大陸中央に位置する大国、ゴダールの王族だ。現王は実の叔父であり、その黒髪と黒い瞳がそれを如実に証明している。

 逆にいえば、この特徴を持っているからこそ、神龍に選ばれし希少な王とその一族ということになるわけで、王族は神の御子として、人々から畏怖と尊敬の対象となっている。


「で、ですが殿下、高潔なる我々を愚弄したその小僧をこのままになさるのか! それでは我々の面子が立たぬではありませんか!」


 アベリが辛うじて腹いせを口にした。彼も王族の末端に名を連ねていたが、残念ながらラウルのような龍王色の恩恵を受けなかった。

 ふん、おまえが先に女を愚弄したのではないかという言葉を飲み込んでラウルは言う。


「なるほど。では、この少年は俺が罰を与えよう」

「は?」

「ではみな、その様に計らって宴を続けよ。後は頼んだぞ、クロウ」


 言うなりラウルは少年の腕をとった。

 クロウは待ってましたとばかりに、意気揚々と女たちを広間から追い払い、がっかりした兵士たちを無理やり席につかせた。

 クロウはかねてより、心無い男の乱暴狼藉の犠牲になる女たちを見ているのが哀れでならなかった。

 なによりも主のラウルがそれを毛嫌いしており、以前、まだ年端も行かぬ少女に乱暴した兵士を問答無用で手打ちにしてしまったことがある。滅多に怒りをあらわにすることがないラウルだったが、本気で切れると苛烈だった。そのことを知っている部下たちが、ラウルの前でハメを外しすぎることは決してないが、この部隊は王軍の半端者の寄せ集めだった。アベリもそのひとりである。ラウルが育てられ、また育ててきた精鋭は、ことごとく王の側近部隊に取り上げられた。

 クロウの指示に従って、村長が慌てて村の男たちをかき集めに行った。


「ケリーと言ったか? 俺と来い」


 そして、まだラウルを睨む少年の耳元で囁いた。


「その手の中に握り込んだ物騒なものからそっと手を離せ」


 ケリーがハッと目を見開いた。万事休すとばかりにスッと息を吸い込んだところで、ラウルが鋭く耳元で囁いた。


「調子にのるな。腐っても軍人だ。ここでお前が引かなければ、村人全部の命が危ういと知れ」

「……!」


 ケリーは、左手に持ってシャツの裾の中に隠したナイフを渋々テーブルに戻すと、ラウルに引きずられるように連れられていった。





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