怒れる黒龍 2
「シン⁉」
そして、柱に全身を巻き付かせると、壊そうとするように全身でギリギリとものすごい力で締め上げているのだ。
「シ、シン! 何をしている⁉」
「うう……っ」
「ラウル!」
仕方なくラウルを優先し、ラウルを担ぐようにして必死に階段を上り始めた。
誰か人を呼んだ方がいいのかとも思ったが、どう考えてもあのシンを見られるのはマズイ。
ひとまず、ラウルを楽になるところまで連れて行き、もう一度神殿に戻ろうとしたとき、扉の向こうからバキバキミシミシと何かが割れる不吉な音がした。中からガラガラと何かが崩れる音がするが、幸いにも分厚い扉が全開ではないのでそれほど音は外に漏れていない。
だが、考えうる限り最悪の状況だ。あれを見られたら深刻な国際問題だ。
──ああ、どうしよう。まさかこんなことになるなんて……。
それでも必死に、よろよろと階段を上がっていると、ふとラウルが軽くなった。
「ララ、もう大丈夫だ」
「え?」
まだ顔色は悪いが、ひどい頭痛と吐き気は収まったようで、すっと背筋が伸びた。
そして、ゆっくりララを見ると「戻ろう」と言った。
「い、いやでも」
「大丈夫だ。なぜか頭の中の悲鳴が止んだ」
「悲鳴が……?」
「たぶん、シンのおかげだろう」
ララは訳がわからない。この場をどう収めるかばかりに気がいった。
もう一度神殿の中に戻ると、柱をバラバラに壊しただろう瓦礫の中心に、なにかを咥えたシンがこちらに気付いて近づいてきた。そして、咥えているものを迷わずラウルの手にポトンと落とした。
それは、真っ黒な細身の剣だった。
「これは?」
ラウルがシンに聞いた。
〈抜けばわかる。私にできることはここまでだ……〉
シンは疲れたようにそう言って、ララの影の中に再び戻った。
よくわからないまま、ラウルは剣の鞘をスラッと払った。
と──
ドッ
という音がして、真っ黒な奔流が剣から流れ出してきたかと思ったら、それは渦を巻きながらラウルの腕に巻き付いた。
「う、わっ」
「ラウル!」
それはたちまちラウルにギリギリと巻き付きながら、左腕全体を締め上げている。
「うわああぁ──…」
「ラウル!」
「来るな!」
ラウルのその激しい一言に、ララは思わず足を止めた。
ラウルは身を折って左腕を右腕で抱え込むように苦しんでいる。
「ぐっうぅぅ……」
「ラウル!」
ラウルの忠告を無視して駆け寄ると、ラウルは激しく息を乱しながらなんとか顔を上げた。
「はぁはぁ……大丈夫だ。少し驚いただけだ」
ララがラウルの腕を取ると、そこには人の腕ほどの太さの黒龍が、不吉でいかついアクセサリーのようにきつく巻きついている。
「ま、まさかこれが黒龍? ラウル、痛みは? 剥がせないのか? ゴダールは何か言ってる?」
「い、いや、締め付けられる圧迫感はするが痛みはもうない。激しく混乱しているようで、なにを言っているのかよくわからない。傷つける気はないようだから、このまましばらく様子を見よう」
「わ、わかった」
〈おそらく、黒龍はラウルの龍脈に反応しているんだ〉
シンが影の中から言った。
「……シン、俺たちを連れてシンに帰れるか?」
〈ああ……〉
「では行こう」
ここはとりあえずこのままにして、誰かに見つかる前に再びシンを目指した。
シンに向かう白龍の背中の上で、マント越しにゴダールの巻きついた左腕を庇うようにして、ラウルが黙って何かに集中している。少し落ち着いた黒龍の声を聞いているのかもしれない。だが、その声はララには聞こえない。
「ラウル……」
気遣うようにララが声をかける。
「え……?」
ラウルがハッと顔を上げた。
「大丈夫か?」
「すまん、黒龍がさっきからずっと俺の頭の中に直接話しかけてくる」
「黒龍はなんて言ってる?」
「……ハロルドに嵌められたと」
「え、ハロルド?」
「俺の祖父で現王チャールズの父、先代の王だ」
「先代の王に?」
「ああ……」
ラウルは黒龍に取り憑かれているのが負担なのか、だるそうにしている。
「ラウル、大丈夫? あ、そういえば、さっきの黒い剣はどうした?」
「ああ、今俺の腕に巻きついている」
「え?」
「あの剣がゴダールの神器なんだ。ちなみに、王族でないと抜けない」
「そうだったのか……」
「そういえばシンの神器はなんだ?」
「私だ」
「え?」
「私自身が神器なんだ」
「そうか。だから影に入れるのだな」
「たぶん。それで、結局何が起きている?」
「先代王は代替わりの聖婚をさせまいと、黒龍ゴダールを煮えたぎったドロドロの鉄の中に放り込み、固めて閉じ込めたのさ」
「……!?」
ララはそのあまりの凄惨なやり方に絶句した。
神殿にあったあの太い柱がその正体だった。あの中には、神器の姿のまま固められた黒龍が封印されていたのだ。
残酷だが、しかし──
「巧いやり方だ……」
ララが唸った。
国の財政の根幹を支える神を殺すわけにはいかない。だが黒龍は鉱物の精だ。体の組成と相性の良い純度の高い鉱物に絡めとられた挙句、その鋼鉄製の檻が餌にもなって黒龍を生かしたのだ。結果、黒龍は百年以上も檻の中に身動きもままならず閉じ込められていたというわけだ。
「だから、地下に神殿を移したのか……」
ララの言葉にラウルが首を傾げた。
「おそらく、煮えたぎった鉄を急激に冷やし固めるのに大量の地下水を使ったんだ。海水は不純物が多い上に、塩気が鉄には致命的だから」
「なるほど。冷やし固めたその柱をあの地下神殿に引き上げ、錆びないように見守りながらあそこで黒龍を見張ってたというわけか……」
「……でもなんで、ハロルド王は突然そんな大胆なことを? あまりにも危険すぎる」
「王器が現れたからさ。どういう経緯だったのか、それにいち早く気づいた先代は、小さな村で生まれたその若い農夫を、村ごと滅ぼしている」
「……そうだったのか」
「……当時、王位継承権の第一位にいたハロルドは、まだ二十歳になったばかりだったそうだ」
ラウルが表情の読めない顔で静かに言った。
ゾッと寒気がするような怒りがラウルから漂ってくる。ゴダールに取り憑かれてシンクロしているのだろうか。
「ラウル、シンに戻ってどうするつもりだ?」
「……王に黒龍を返す」
「それだけ?」
「もちろん」
「……」
シンの王宮の広間では、歓迎会は宴もたけなわだった。ゴダール王族以外、シンはほとんどがララの臣下だ。各国の王族は明日からの到着になるはずだ。
そのど真ん中に、ララとラウルを背中に乗せたシンが降り立った。
おおお──
広間には、神龍を初めて見た人々のどよめきが広がった。
慌てたのはシンの家臣一同で、玉座に踏ん反り返っている姫が、替え玉だと気づかれてしまう前にすかさず退場させた。
そして、白龍から降り立った男がラウルだと気付いたゴダールのチャールズ王が、ご機嫌な顔で近づいてきた。
「おお、ラウル。そなたシンの白龍ともすでに近しい関係か。素晴らしい神龍ではないか! わが国の黒龍とどちらが優れておろうの!」
チャールズ王がシンを見て白々しく笑う。王位を継いだ時、神龍にまつわる王家の秘密も聞いているはずだ。この小心で狡猾な男は、知っていてなお、黒龍を救い出そうとしなかったのだ。
その王に向かって、ラウルはマントを捲って自分の左腕を見せた。
「これが何かおわかりか、王よ?」
醜い宝飾品だとでも思ったのか、王が苦いものでも飲んだような顔でラウルの腕から目をそらした。
「なんだそれは? そなた、こんな婚礼の宴で黒龍を象ったそんな陳腐な飾り物をつけておるなど悪趣味極まりないぞ! 早くしまいなさい!」
ラウルの全身から、何かがゆらりと立ち昇った。
「陳腐と仰ったか?」
ラウルから黒っぽい霧が立ち昇った。
その不穏な雰囲気に、広間にいた全員がザワザワと顔色を変えた。
ラウルに纏わりつく黒い霧が徐々に濃くなり、左腕に絡みついた黒龍が、ふっとラウルの腕から離れて鎌首を持ち上げた。
その場にいた全員がギョッとなった。
「な、なんだそれは!? なんと不吉な!! 退がれ、ラウル!!」
王が訳もわからず喚き散らす。
王を守ろうと、護衛の家臣が王を取り囲んだ。
鎌首を持ち上げた黒龍は、黒い目をギラギラ光らせて、まっすぐ王を見つめ、かぁああっと耳まで口を開いた。赤い舌と白い牙が光った。
その禍々しさに、王の護衛も一歩二歩と怯んだ。
今や広間はラウルと黒龍から立ち上る禍々しい気で満たされ、全員が凍りついたように身動きができなくなっている。黒龍の怒りとラウルの怒りが見事にシンクロしていた。膨れ上がった二つの殺気は、いよいよラウルの腕から黒龍を解き放ち、今にも王の喉笛に飛びかからんとしていた。
とその時──
「ラウルッ!!」
ララの声が広間に響いた。
怒りに燃えていたラウルの目が、その声でハッと一瞬我に返った。
「ここは私の王宮だ! この王宮には、私の大切な思い出がたくさん詰まっているのだ! そして、そなたも私のその美しい思い出のひとひらなのだ……!」
ララの灰色の目から、涙が溢れて止まらない。
「ラウル、こっちを見ろ……」
「……」
ラウルはララに背を向けたまま、じっと固まっている。
「ラウル――…」
ララが泣きながらラウルのその背に呼びかけた。
ラウルが、ゆっくりこちらを向いた。
「ララ……」
「憎しみに溺れるより、私を愛していると言ってくれ……」
ララがラウルに向かって両腕を差し出した。
ラウルが思わずその腕を取ろうとした刹那、チャールズ王の甲高い声が広間に響いた。
「その紛い物の化け物を斬れ!」
ハッと思うまもなく、ラウルの腕から伸びた黒龍に向かって、護衛の剣が振り下ろされた。
その剣をまともに受けた黒龍が、パッと両断されて霧となって霧散した。
おおおお!
広間にどよめきが起きた。
振り返って黒龍を斬った護衛にラウルの怒声が響いた。
「馬鹿者! それこそが神龍、黒龍ゴダールなのだっ!!」
ラウルの叫びに、王とその他のゴダール王家の面々が、愕然と目を見開いた。
広間に立ち込めていた黒い霧が、蠢きながら広間いっぱいに広がり、龍王色のゴダール一族を包み込んだ。その途端、一族が次々に悶え苦しみ、身体中の穴という穴から黒い霧を吹き出しながらバタバタと倒れていった。霧はそれを取り込み、ますます濃く大きく膨れ上がりながら、何かの形を成してゆく。
広間にいた大勢が逃げ出した。逃げ遅れたものは、凍りついたまま、なすすべもなくそれを見守り続けた。
ララを守ろうと、レイチェルや臣下がララを慌てて連れ出そうとしてララの激しい抵抗に遭っている。
「やめろ! 離せ!」
同時に「チャールズ王!!」という誰かの悲痛な叫びがする。
一族を取り込んだ霧はとうとうチャールズ王を飲み込んだ。
王は身体中から黒い霧を吐き出し、吸い込まれ、顔はみるみる皺が刻まれ、黒い髪は茶色くなったかと思うと白髪に覆われ、醜くしなびた小さな老人になると、自らの重みに耐えかねたようにぺたんと床に座り込んだ。
そして闇のような黒い霧は、最後にラウルの前で広がると、まるで食らうように頭からざあああっと呑み込んだ。
「ラウル!」
飛び出そうとしたララを、レイチェルが掴んで引き止めた。
「ララ様!!」
「離せ! 離してくれ! ラウル!! シン!! シン、出てこい!!」
「いけません!! 女王様!!」
必死でもがくララを、ポルドまで加わって引き止めた。
真っ黒な神龍に飲まれてゆくラウルが、完全に見えなくなる寸前、ララに向かって声に出さずに笑顔で愛していると言った。
「ラウル!! いやああああっ!!」




