怒れる黒龍 1
黒鋼城と呼ばれる大国ゴダールの城は堅牢だ。
周囲を高い城壁に囲まれ、ところどころ堅い鋼鉄で補強されている。強度を増すため、真っ黒に焼き固められている広大な鋼鉄の城は、外からの侵略にもビクともしない。まさに黒龍の名に相応しい城だった。
しかし、どれほど堅く高い城壁を積み上げようと、空を飛ぶシンの前では無防備だ。
ラウルとララは、いともたやすくゴダール城の真ん中に降り立った。
そして二人を背中から降ろしたシンは、まるでそこに深い泉でもあるかのように、ララの影の中にトプンと沈んだ。
「なんと……」
ラウルがそれを見て驚いている。
「まぁ、神龍はこの星の精を集めて具現化しているようなものだから、人の常識を超えている」
「影がなくなったぞ。おまえはなんともないのか?」
「うーん、特になにも」
「呼びかければ出てくる?」
「呼びかけなくとも勝手に出てくることもある。シンが影の中にいないときは私にもごく当たり前の影ができる」
「なるほど……」
この時間帯にはひと気のない中庭だが、誰かに見咎められる前に神殿にたどり着きたい。
「ラウル、早速だが、神殿まで案内してくれ」
ラウルが「こっちだ」と先に立って、半ば薬草畑と化しているシンの庭とは違い、見事な薔薇が咲き誇る花壇の間を歩き始めた。
と──
「何者だ!」
薔薇のアーチを潜った時、槍を構えた警備の兵士にばったり出くわした。
「すまない、私だ」
ラウルが明かりの中に一歩進み出て、兵士に顔を見せた。
「え、あ? ラウル殿下?」
さっと構えていた槍を捧げて控えた兵士は、不思議そうにラウルの顔を見上げた。
「え……でも、殿下は今日お輿入れと聞きましたが?」
「うん、それでハネムーンだ」
ララがフードをとって白銀の髪を見せた。その白く輝く髪とグレーの瞳を持つ龍王色は、普段黒龍色を見慣れている護衛の兵士を驚かせた。
「──っ⁉」
「驚かせてしまいましたね。シンの女王のララです」
「は、ははっ……」
兵士は慌てて膝を折って跪いた。
「殿下とお忍びで遊びに参りましたの。黙っていてくださるわよね? だってこれからは友好国ですもの?」
いたずらっぽく唇に指を立てて、ララが兵士にとっておきの笑みを見せた。
「ハ、ハイッ!」
兵士は顔を真っ赤にして、ララに見とれている。
ぼうっとなった兵士を置き去りに、ラウルがすかさずララの腰を抱いてその場を後にした。
あまり長く話していると、突っ込みどころ満載のこの状況のボロが色々出てきてしまう。
「では、行っていいぞ」
「は……」
足早に王宮の中に入っていきながら、ラウルが顔をしかめている。
「おまえ、俺にもあんな顔しないじゃないか」
「ん? どんな顔?」
「どんなって……もういい」
「何を怒っているのだ?」
王宮の奥に向かって速足で歩いてゆくラウルにララが小走りについてゆく。
長い回廊には、数々の美術品や絵画が飾られている。どれも大きくて豪華だ。
「なんだかこう、豪華な城だな」
遠慮がちなララの感想に、ラウルがさもおかしそうに笑い声を上げた。
「あはは、ハッキリ言っていいぞ。ゴテゴテと大げさに飾り立てられた悪趣味で下品な最低の城だと」
「そ、そこまでは言ってない……」
「ここは虚勢を張って、誰がその場で最も権威を誇っているかを競い合う場所だ」
「うーん、ラウルはとことん自分の国が嫌いなのだな」
「国というか、上流階級だな。でも、この城にもいいところがひとつだけある」
そう言って、廊下を何度か曲がった後に、ラウルが不意にララを通りがかりの小さな部屋に連れ込んだ。
豪華だが、やはりゴテゴテとやたらと飾りの多い長椅子が置かれた部屋だった。
「ん? ここがしん…で…」
ララが言い終わる前にラウルに唇を塞がれた。
「んっ……」
長椅子に転がされ、ラウルが覆いかぶさって来る。
「ちょ……」
「爛れたこの城は……」
「ぷはっ、ラ、ラウル、こんなことしてる場合じゃ……」
「秘事を行うには恰好の場所があちこちにあるんだ……」
「ラ、ウ、ルっ……」
ララに口づけながら、ラウルが「キスだけ」と言った。
逞しい腕に抱き竦められ、超至近距離でラウルの黒い瞳に見つめられると、ララは身動きが取れない。
ちゅっと唇が鳴るたびにララから抵抗する気力も思考も奪われていく。
「キ、キス、だけ……?」
「ああ、キスだけ」
「でも……」
「おまえがさっきの警備兵にあんな顔を見せるからだ……」
「顔……?」
「愛くるしい顔で笑った」
「んっ」
「俺以外の男に……」
「そ……」
「だから罰を」
「はっ……」
行きつく島もないラウルの唇は、頬を滑って耳たぶを咥えた。
「ひゃ」
「ああ、そんな顔されると抑えるのが難しいじゃないか」
「そ、そんなこと……」
言われてもという言葉が続けられない。
頬を撫でていた指が脇腹を撫で、腰を撫でている。
舌は耳をなぞっている。
「ま、まっ、て、キスだけって……」
「キスだけだ」
ラウルの唇が首筋を通って鎖骨を這う。
「っ、ラウル……」
「キスだけだろ?」
指がララのシャツを簡単にはだけ、素肌にラウルの唇が押し付けられる。
「わわっ」
「キスだけだ」
キスだけだと言い張るラウルの行為に抗えない。全身が燃え上るような快感の炎に焙られてゆく。
でも一方的なのは癪に障る。
「はぁはぁ、ラ、ラウル、私もキスしたい」
「え……」
一瞬戸惑って動きを止めたラウルの肩に掴まって唇にキスした。
何度も啄むようにキスすると、ラウルがわずかに逃げるので、面白くなって顎に両手を添えて追いかけると、急にぎゅうっ抱きすくめられて形成が再び逆転した。
「ふ…ぁ…」
「ああ、ララ、おまえはたまらない」
どうやらラウルは、ララに追いかけさせるためにわざと逃げていたらしく、思い切りララを抱きすくめた後はさらに大胆になった。
気づくとララは半裸になっていた。
「ひゃっ、わあ、ラウルッ……!」
「キスだけじゃないか……」
ラウルの淫らな黒い眼が、上目遣いでいたずらっぽく煌めいている。
ひとしきりララの全身にキスの雨を降らせ、より行為が深くなるかと思いきや、ラウルがいきなり呻きながら顔を上げた。
「ダメだ。これ以上すると我慢できない。本番は初夜に取っておきたい」
「はぁはぁはぁ……」
ララは必死に息を整えながら、これでリハーサルだというなら本番はいったいどうなてしまうのだろうと、ぐったりとラウルを見つめながら思った。
大体、こんなことをしている場合じゃないのに──……
やっとのことで小部屋を出て、今度こそラウルはララを神殿に案内しながら、自分の知る黒龍に関する話をしてくれた。
「そういえば、先代ハロルド王が、一度神殿の場所を建て替えたと聞いたな。昔は中央塔の最上階に据えられていた神殿を、黒龍の命令だと言って城の地下深くに移したのだそうだ」
「へえ、それはなぜ?」
「さあ? 俺の生まれる前のことだからよくわからない」
「まあ、城の地下深くに神殿を据えるのは珍しくはないけど……」
「そうなのか?」
「ああ。青龍の住まいは地底湖だそうだから、神殿はかなり深い地下なのだそうだ」
「へえ。でもまぁ、いずれにせよ俺は、あそこに行くとひどい頭痛と吐き気に襲われて気分が悪くなる。だからよほどのことがない限り近づかない。赤ん坊のころから泣きわめいていたというから、よほど神龍と相性が悪いんだろう」
「気分が悪く……?」
ララが難しい顔で考え込むのを見てラウルが眉を上げた。
「変か?」
「いや、よくわからない。神龍と相性が悪い王族も聞いたことがないが、他の国でも神龍は滅多に見かけない。姿も大きさも様々だし、うちのシンの方が変わっているのかもしれない。シンは色々と非常識だし、よく考えればうちも城に神殿はない。シンが王にくっついてふらふらしているのだから祀るも何もない。逆に、地方へ行くとシンが立ち寄れるようにと小さな神殿がいくつも建てられている」
「あぁ、なるほど」
「だから、病払いの季節ごとのシンの祭りは、そういう地方の神殿に出張なんだ」
「あはは、神龍の地方出張か」
「ふふ、そうなんだ。そして、神殿や王宮には、よく民がシンにと言って季節で最初に実ったものを持ってきてくれる。そう言う意味では王宮全体が神殿替わりと言ってもいいが、シンはそういうものは食わないし、腐らせるのも勿体無いので病棟の患者たちや、王宮で働くものたちみなで食べてしまう」
「病棟?」
「ああ、シンの王宮の半分は治療院なんだ。私もおばあさまも医師だからな」
「あははは! 本当か!」
「む、なんで笑う? お前も子供の頃はそこで治療されていた」
「あぁ……そうか、あの庭は王宮の薬草園だったのか……」
ラウルが楽しそうに目を細めた。
心を閉ざしていたラウルに、シンの思い出はほとんどない。実際、ふと唐突に意識を取り戻し、シロツメグサの花冠を作ったあの短い時間だけが、ラウルのララとの思い出の全てなのだ。
「……シンは素晴らしい国だな。ますます結婚生活が楽しみになってきた」
「ふふ、おばあさまが作った国なんだ。小さいが本当に素晴らしい国なんだ」
「……そうか」
手放しで自慢するララを、ラウルが愛おしそうに見つめた。
「話がそれてしまったが、黒龍のお披露目の祭りはいつだ?」
「民も参加する国を挙げての祭りは、黒鋼祭だけだな。季節の変わり目に年に二回ある。でもそれも神龍のお披露目というより、採掘の安全祈願と鉱物のさらなる産出を願って、各地の鉱山でやるものだけだ」
「黒龍は出張しない?」
「あはは、俺の知る限りないな。どこの教会にもある、鋼鉄の柱に黒龍が巻き付いた神龍像を掲げるだけだな……」
そうこう言っているうちに、二人は王宮の中央塔から地下に向かって伸びている狭いらせん階段の入り口までやってきた。二人の見張りがいたが、こちらがラウルだと知るとさして疑うこともなく通してくれた。コツコツと靴音をさせながら地下へと降りてゆく。かなり深い。
壁は複雑なレリーフが施された鋼鉄の板で覆われ、ところどころ明り取りのキャンドルスタンドが壁に取り付けられている。長い階段を下りると、神殿の入り口は大人の背丈の倍ほどもある分厚く巨大な鋼鉄製でできており、凝ったレリーフと複雑な模様の瑪瑙がふんだんに埋め込まれていた。
ララはふと、何かの呪術のまじないみたいだと思った。
滑車の取り付けられた巨大な扉は、手で押して開けることができず、幾重にも巻かれた鎖をジャラジャラと回しながらようやくゆっくりと開いた。
大人が百人ほど入れそうなゆったりと広い神殿で真っ先に目についたのは、広間の中央にそびえる太い鋼鉄製の柱だ。大人が二人がかりで手を繋いでやっと囲めるぐらいの太さだ。真っ黒に黒光りするその柱には、やはり何かのレリーフがびっしりと掘られている。昔の古代文字のようだ。
その柱を中心に、なんとなく祭壇のようなものはあるが、ここにはそれだけだった。
タリサ村の教会の祭壇すらもっとそれらしい。あそこには確か、柱に巻き付いている神龍の像があった。それなのに、本家本元の神殿の柱には肝心の龍がいないのだ。
「これだけ……? なんだここは……? ん、ラウル……?」
「ああ、ララ、俺はやっぱりここはダメだ。さっきからひどい頭痛と吐き気がして、何かの悲鳴のようなものが頭の中でガンガン響く──」
ラウルが真っ青な顔で頭を抱えながら、今にも倒れてしまいそうだ。
「ど、どうした、大丈夫か?」
と、突然ララの白い影の中からシンがまろびでてきた。
〈ララ、ゴダールはこの柱の中にいる〉
「……えっ⁉」
〈この柱の中に閉じ込められているんだ!〉
「えええ⁉」
「ララ、ああ、頭が割れそうだ……」
「あ、ああ、わかった、今ここから……」
とりあえず黒龍のことは後回しにして、ラウルを支えながら、広間から出ようとすると、唐突にシンが部屋いっぱいに膨れ上がった。




