女王の策略 2
女官が五人がかりでララに群がっている。ラウルの歓迎式典の女王の衣装の着付けをしているのだ。ララの銀髪を結いながら、一際ブツブツ文句を言っているのがレイチェルだ。
「陛下、果汁と砂糖では髪型が保ちませんよ。すぐに崩れてしまいます」
「いいんだ。式の間だけ保てばいいんだから。油を使うと洗い流すのが大変だろ? それよりも、前から思ってたんだが、なんでこんな白塗りこってりのひどい化粧なんだ?」
一番年長の女官が、パタパタとララの顔に白粉を塗りたくりながら言った。
「カリア様が、偽名を三つも使って各国王宮でくすしとして働いておられたものですから、顔がバレると困ると仰って、女王対応のときはいつもこの化粧と髪型で対応されていたんです」
「ははぁ、なるほど。これなら素顔がわからんものな」
「一見、おふざけになっているように見えて、意外と考え抜かれている装束なのでございます。えー、様々な効能がございまして……」
年長の女官が講釈を垂れる。
「何枚も内かけを重ねて高下駄まで履いて、背の高さや体型まで覆ってしまえば、多少顔かたちや性別が違ったところで誰でも影武者になれまする」
なるほどとみなが口を揃える。
「我が国の大臣が皆、そろって口髭をたっぷりと蓄えている理由を?」
みなが顔を見合わせながら、知らないと口を揃えた。
「髭のない大臣は、みなこの影武者を務めらさせられるからです」
「「「えええ!!」」」
その意外な話に、みな思わず大臣たちの厳つい顔を思い出して笑い声をあげた。
「それに辟易とした大臣たちが、髭を生やして外交に望んで対外的に顔を売り、髭がないと人相が変わりますのでといって逃れたのが始まりです。さすがに髭は化粧ではどうにもなりません。忌々しい」
「あはははは!!」
明るく笑う若い女官に、「歴代一番お似合いだったのは、大蔵大臣のシベリウス様でした」と年配の女官が澄ました顔で言うものだから、みな笑いが止まらなくなってしまった。一番の強面なのだ。
カリアは忙しい王だったので、臣下は誰もが一度は影武者を押し付けられたらしい。滅多にはなかったが、その姿で外国へも行かされたというのだから呆れたものである。
「カリア様の髪でカツラを作って、この髪型と化粧のインパクトで強引に目の色を誤魔化してしまうんです。一度もばれたことがありません」
「あはははは」
「身代わりを何度かやらされた臣下は、そのうち辟易としてしまって、誰も王の立場を簒奪する気がなくなってしまうんですわ」
その冗談にみな笑ったが、カリアは案外本気でそれを狙ったかもしれない。王の立場などいつでもくれてやるつもりのカリアだったが、既得権益に溺れるよりもまず、国政を死ぬ気で考えろと。いつでも代わってやるからやってみせよと。己にかしずく者の数が、己の肩に背負わなければならない者の数なのだと。
王とは孤独なものなのだ。
「そういえばカリア様は、ずっと目の色を変える目薬の研究をしておられました」
ふと、ひとりの若い侍女が言った。
「え? 初耳だ」
「そうですか? まだお元気だったころ、たまたまお茶をもって研究室に行ったら、目薬を差して何色に見えるって、私に」
「瞳の色が?」
「そうです。グレーの目が若干暗く見えますって言いました」
「ホントに?」
「ええ、色が少し濃くなってるように見えたんです」
「へえ」
「でも、どうもそれではご満足ではなかったようで、まだまだだなと言いながら難しい顔で何か考え込まれていました」
「へえ、今度探してみよう」
カリアの膨大な研究レポートは、研究室の棚にみんな入っているはずだ。今度調べてみようとララは心に書き留めた。
「さ、殿下、今度はこちらに集中してくださいませ」
この化粧に加えてさらに厚手のヴェールが顔にかけられた。なんというか、これほど大勢の大衆の前に顔を晒しながら、化粧や衣装の影でしっかり隠れているというのはなかなかに痛快だった。自分の横にいるラウルでさえ、ララが誰なのかわかっていない。
ラウル……随分痩せた──
今、ララの横にあれほど焦がれたラウルがいるが、表情のない痩せた顔で、不機嫌に始終黙りこくっている。それは、兵や村人の前で快活に笑い、自分をからかったラウルとは別人のようだった。
昨夜遅く、海を渡ってシンにやってきたラウルは、ゴダール王家の者にガッチリ囲われ、取りつく島もない。ラウル自身も、与えられた部屋に閉じこもったまま誰とも接触を持とうとしなかった。この婚礼に戸惑い、用心深く周囲を観察してはいるが、自分が誰と結婚しようがまるで興味がないのだ。
ラウル………
ララがヴェールをとった。
さすがにこれから花嫁になろうとする女がどういう顔なのか気になるのだろう。ラウルが初めてこちらを見た。
ララはニッコリと微笑んでみせた。唇の端を引きつらせたラウルの笑顔を見て、吹き出しそうになってしまった。まだララが誰かわからないようだ。
しかも、さっきからララにうるさく纏わりつく羽虫を、ラウルが思わず払ってくれた。
ぷ。ハ、ハエが……
甘い匂いを放つ髪に、ハエが次々に寄ってくる。レイチェルが盛大に顔をしかめた。
ハ、ハエにたかられているのか、私は……。
ララは笑いを堪えて肩を震わせた。
高下駄を履いて歩くのは至難の技で、重い衣装のせいで動きも自由にならないし、ガクッとよろけたところをラウルが支えてくれた。ラウルは相変わらず表情をなくしているし、主賓なのにハエにたかられているが、ラウルにこの化粧の効能を早く話して聞かせてやりたい。
クックと笑いをこらえるララを、レイチェルが叱り飛ばしている。それを見て、ラウルがなんとも言えない顔で戸惑っている。
あははは……もうだめだ。
控え室に戻ったところですかさず衣装を脱ぎ捨て、髪を洗って化粧を落としの油を塗った。ラウルはわけがわからないというように戸惑ったままだ。まだララが誰かがわからないらしい。顔を洗って服を着替え、窓の外に待機しているシンを確認すると、窓枠に足をかけ、サッとその背中に飛び乗った。
「うわああ!!」
ラウルの悲鳴が聞こえた。
そしてラウルは、シンの背中にまたがったララを見て愕然と目を見張っている。どうやら龍を見るのは初めてらしい。黒龍は本当にどうしてしまったのだろう。
「ケリー……」
よかった。髪と目の色が違っても、素顔を見れば私が誰かはわかったらしい。
「ララだ。私の本当の名前はララ・フォーサイス・シン。行こう、ラウル」
ララが手を差し出すと、ラウルが吸い込まれるようにその手を取った。そしてこわごわシンの背中に乗ると、ララの腰に捕まった。
「行け、シン!」
シンがその合図で、ドッと空高く舞い上がった。
ラウルが、ララと二人で白龍の背中にまたがりすごい速さで空を翔けてゆく。
「どこへ行くのだ?」
「ゴダールへ。今なら主だったものはみんな王についてうちに来ているはずだから、王宮の警護が手薄だろう? その間に神龍のいる王宮奥の神殿に行って黒龍に謁見したい。ゴダールだけは一度も会ったことがないんだ。黒龍はどんな神龍だ?」
「どんなって、俺は本物の黒龍など見たことがないぞ」
「え?」
「黒龍は王だけにしかその姿を見せないと言われている。大昔は大勢の前にも頻繁に姿を見せていたらしいが」
「なぜ?」
「なぜって、そんなもの、俺にわかるわけがない。そもそも俺は神龍など興味がない。すまん、役に立てそうにないな」
「でも神殿の場所ぐらいはわかるだろ?」
「まぁ」
「じゃあ、そこへ案内してくれればいい。あとはシンに任せよう」
「シンに?」
「うん、神龍同士は気配が探れるんだ。そうだろう、シン?」
〈ああ。近くまで行けばおそらく〉
「……っ⁉ 神龍が喋った!!」
「聞こえるのか⁉」
今度はララが驚く番だった。
「え?」
「神龍の言葉が聞こえる者は珍しい。前王のおばあさまでも稀にだったし、私も普通に話ができるようになったのは、聖婚をすませてからだ」
「……そうなのか?」
だがそんなことより、ラウルは少し前まで牢獄にいて、さもしい王の策略で無理やりシンまで連れてこられ、今、ここでこうしてララといることがまだ信じられない。
「ララ……、おまえはケリーではなくララというのだな」
自分の目の前にいる白銀の髪を持つ美しい女は、あれほど恋焦がれた女なのだ。それが自分の婚約者だという。
ほんの昨日まで生きる気力を失い、人生に絶望していたというのにそれがどうだ。今や一転して天にも舞い上がる気持ちだ。
「……ラウル」
「ん?」
「実はひとつだけ言っておかなければならないことがあるんだ」
「なんだ?」
「……私は子どもが産めない。シンの王になるとはそういうことなんだ」
「え?」
「もしそれが嫌なら、私と無理に一緒になる必要はない。でも、おまえがゴダールに帰るのは無理だろうから、そしたら、当たり前の普通の娘と一緒になって、シンで好きに暮らしてくれればいいんだ」
ララは早口で一気にそう言った。
「ララ」
「……い、今まで黙ってて済まない。でも、おまえをゴダールの牢獄から救うにはこの方法しかなくて……。あ、あの、それに、ゴダールの王家を騙すにももってこいの方法だと思わないか?」
「ララ……」
「そ、それに、私もラウルの嫁になる夢が、一度は見たかっ……」
最後は消え入りそうな声で真っ赤になってそういうララを、ラウルが背中からギュッと抱きしめた。
「……っ」
「ララ……」
情感の篭った声でラウルに耳元で囁かれ、ララは胸の中がカッと熱くなった。
ラウルはララの髪に顔を埋め、思い切りその甘い匂いを胸に吸い込んだ。
「ラ、ラウル……」
「……ずっと逢いたかった。あの泉での一夜を、何度も何度も夢に見た。俺がどれほど必死におまえの行方を追っていたかわかるか。愛してる。俺にはもうおまえしかいなかったんだ」
ラウルの手がララの顔をこちらに向かせ、背中からララの唇に唇を重ねた。
ララの心臓がぎゅっと掴まれて息が苦しい。
恋い焦がれたラウルの黒い瞳が、ララを熱く見下ろしている。
全身の血が沸騰しそうだ。
「ラウル……、本当にいいの?」
「おまえさえいれば俺には十分だ」
白銀に輝くシンの巨躯が、夕日を反射しながら海を渡り大地を翔けた。
大小二つの影を乗せた神秘的な巨大な生き物の影が、同じ速さで地上を流れて行く。
ララはゆっくりと、ここまでのことをラウルに話して聞かせた。
自分がシンの王宮で暮らすことになった経緯や、神龍ゴダールに関する不穏な噂、二人が幼い頃、ほんの短い間一緒に暮らしたシンの王宮のことや前女王カリアのこと。
ここ近年、ゴダールの鉱山の産出量が著しく落ちているという話以外、ラウルにはどれも初めて聞く話ばかりだった。
ララの話に熱心に耳を傾けながら、ラウルの脳裏に突然、様々な映像が稲妻のように一気パパッと駆け巡った。
血まみれの母との間にサッと立ちはだかった白髪の小柄な老婆──
自分を見つめる大きくて真っ白な美しい龍──
自分の膝で丸くなる猫──
犬とポニーは仲良しだった──
ぐにゃりと手の中で蠢く大きなカエルは気味が悪かった──
白髪の老婆はいつも、変わった道具や薬草がたくさん乗った大きな机の前にいて、分厚い本を片手に幼い少女相手に熱心に何かを教えていた──
時々、忙しい仕事の合間を縫ってやってきたお腹の出た男は、自分を肩車しながら散歩してくれた。その男の横でニコニコと見守る茶色い髪の女性は、男のことをなんと呼んでいたっけ──……?
「ポルド……」
「え?」
「俺をゴダールに迎えに来てくれた大臣のポルドは、俺をよく肩車してくれた」
「ああ、そうだな。私も小さい頃はよく遊んでもらった。思い出したのか?」
雑草だらけの広い庭で、泥まみれで駆け回る少女の明るい瞳は、色こそ違うが今目の前にいる愛しい女と重なった──
「……俺は毎晩、おまえの寝間着のどこかを掴み、髪の匂いを嗅ぎながら眠った」
「うん……」
「トトと呼ばれていた」
「……うん」
「ララ……」
「うん?」
ラウルの頬に温かい涙が伝った。
「俺はなんで今まで、あんなにも幸せだった時間を忘れていたんだろう……」
「ラウル……」
ララの肩に額を乗せるラウルの頭をララが優しく抱えた。
「これからはずっと一緒だ」
「ああ。夢みたいだ……」
ラウルは今度こそ、何度も夢見た世界に行けるのだ。
そしてまもなく、ゴダールの広大な王宮が眼下に見えてきた──




