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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
二章
15/32

女王の策略 1

「陛下! ララ女王陛下!」


 国務大臣のポルドが、大きな腹を揺すりながら女王の控えの間にドタドタと飛び込んできた。


「無礼者! 陛下は今お支度中です!!」


 女王御付きの女官長レイチェルの鋭い叱責が飛ぶ。

 その声に慌てて踵を返したポルドに、構わないというララの声が引き止めた。そして、見事な銀髪を結われながら顔をしかめ、身支度を整える女官に文句を言っている。


「イタタ、そうグイグイ引っ張るな」

「あともう少しの辛抱ですわ、陛下」


 女官たちは特に気にする様子もなく、次に女王の顔に厚化粧を施してゆく。 

 身体中が焼き尽くされているのではないかと思うような、シンとの聖婚の衝撃にララはなんと1ヶ月耐えた。そしてなんとか戴冠式を終え、喪に服しながら、慣れない政務に追われていた。


「レイチェル、まぁ、そう目くじらをたてるな。つい……」


 頭を掻きながら、最近めっきり中年太りが気になるポルドは、妻のレイチェルに片目をつぶった。


「だいたいあなたはいつも──……」


 レイチェルの小言をすかさず遮って、ララがポルドに先を促した。


「で、どうした、ポルド?」

「ああ、そうそう! 大変です。ラウル様が王の策略に嵌り、謀反の疑いで投獄されたという情報が先ほどゴダールの諜報部から……」

「なんだと⁉」

「半年前、どうやら王都からほど近い小さな村で、戦利品の横領と反乱軍のための兵をかき集めたということになっていますな。その際、それを止めに入った王族の武将の耳を切り落としたのだとか」


 ラウルはタリサ村で地すべりの復旧工事に戦利品の一部を当て、その資金で工事の人足を集めた。それを利用されたというわけだ。


「うーん……。それはひどい濡れ衣だな。ラウルはどうなる?」

「うちの諜報部によると、ラウル殿下の絶大な人気を妬んでいる王は、常日頃から殿下を追い落とすチャンスを虎視眈々と狙っていたようです。出来レースの公聴会に引っ張り出し、公平な裁きのもと、処刑したというていで、民衆を強引に納得させるつもりなのでしょう」

「そんな……」

「そしてもうひとつ、お母上のシェリル様と長年使えた侍従のクロウ殿がお亡くなりに……」

「なに⁉」

「詳細はわかりませんが、どちらも、突然王に襲いかかり返り討ちにあったとのことです」

「そんな……」


 あの老侍従は、王子に尽くすことだけが自分の生きがいだと思っているような老人だった。


「ポルド……」

「はい、ララ女王陛下、心得ておりますよ。そのような悩ましい目で男を見るものではありません」

「な、なにを言う!」


 ララが真っ赤になると、ポルドはさも可笑しそうに大きな腹を揺らして笑った。


「まぁ、冗談はそのぐらいにして、ラウル殿をいらぬというならいただきましょう。こちらに」

「……は?」

「縁談です。婿にするのです。ラウル殿を」

「誰の?」

「陛下の」

「へ、陛下って私のことか?」

「他に誰がいるのです?」

「で、でも……」

「今はあれこれ考えてる時間はございません。これしかないのです! 多額の持参金をちらつかせ、ラウル殿をシンにいただいてしまえばいいではありませんか!」

「だが、ゴダールは豊かな大国だ。牢に繋いでいるラウルを引っ張り出せるほど高額な持参金などうちで……」

「何をおしゃっているのですか、ララ女王陛下。うちの財政状況をご存知ない? 神龍を頂く五大国の中でもゴダールに次ぐ二位ですぞ」

「そうだったのか」

「そもそも、カリア様はこういう時のために、様々な薬を開発してきたではないですか」

「そうか……」


 シンは知る人ぞ知る医療大国である。他国にはない医療大学を持ち、大勢の研究者を有し、各国に広く薬や薬剤師や医師を提供している。シン以外作れない良薬を生み出せる資質こそが、白龍シンの特性でもあった。

 そしてさらに、先王カリアの代から、王自らが身分を隠しながら各国王家に医師として潜り込み、王族の健康管理に深く関わるとともに、せっせと諜報活動に勤しんできた。カリアの政策に抜かりはない。


「それに、ゴダールの鉱脈の産出量がここ数十年で徐々に目減りしているという噂です。すでに枯れてしまった鉱山がいくつもあるのだとか」


 ララが驚きに目を見張った。


「ゴダールの鉱山が枯れる? 神龍がいるのに? まさか……」

「そのまさかです。この星の精である神龍が死ぬことはないでしょうが、黒龍様になにかあったとみるべきでしょうな」

「……」

「ここ百年以上、神龍ゴダールの目撃情報がございません」

「だが、神龍は他国でもめったに見かけない」

「しかし、まるきりということはございません。年がら年中フラフラ飛び回っている我が大公(シン)様を別にすれば、他国の神龍も何かの折にはご尊顔を拝めます。国力と現王政を誇示するためにもその手のイベントはどの国も年に一度ぐらいは必ずある」

「確かに……」

「黒龍様は、どうもご聖婚が行われていないようです。先々代から数えて、現王からすでに五代ほど直系の王族筋が王権を握っている。神龍の器である王器が直系から出たと言う話も聞きませんし、これも異例です。そのせいで、もしかしたら黒龍様の力が弱まっているのではないか、と……」


 神龍が選んだ最初の王「聖王」は、その性質ともども子孫に受け継がれる。しかし、近親婚を避けた一般民との婚姻によってその血は代を追うごとに薄くなってゆくわけで、大体どの王家でも、三代ぐらいを目安に神龍は再び聖王を選んで代替わりしてゆくのが通例だ。


「でも、弱っているならなぜゴダールは沈黙を守っているのだ? 弱らぬための聖婚だろう?」

「さあそれです。それもあって、ラウル殿との婚姻を陛下にはぜひともまじめに考えてもらいたいわけで……。国力が弱まっている今、ゴダール王は神龍国の後押しをひとつでも多く欲しいところかと」

「なるほど。ラウルを介して、私に神龍ゴダールを調査せよと言うのだな……」

「王族以外はなかなか神龍には近づけないものですからな」

「……わかった」

「どうかお気を付けくださいましね、陛下」

「うん、わかった」

「……でも、よかったですわね、ララ女王陛下」


 レイチェルがニコニコと言った。


「え……?」

「ラウル様は、あなた様がお小さい頃、お別れするのが辛すぎて、すっぽりと記憶を失ってしまうほど焦がれたトトではありませんか」

「そうだけど、この私で、うまくやれるだろうか……」

「もちろん、今のラウル様をお助けできるのは、陛下しかいないではありませんか」

「そう、か……」


 ララは自信がなさそうだ。厚化粧の顔をうつ向けて、膝に置かれた手を見つめている。

 そんなララの手をレイチェルがとった。


「陛下、今のあなた様には、ラウル様を救えるだけの特権と政治力がおありになる。あなた様のために心血を注いで動く優秀で忠実な家来も大公様もいるではありませんか」


 励ますようなレイチェルの言葉に、ララが毅然と顔を上げた。


「ポルド! 使者を!」

「はいもうすでに手配済みでごさいますとも! ラウル殿との縁談は早急に畳み掛ける必要があります。囚われておられるあの方をさっさと処刑されてはたまらない。わたくしめもすぐにゴダールに参ります」

「頼む、ポルド!」

「ははっ!」


 ポルドはすぐに大きな腹を揺すりながら出て行った。

 ラウルが目障りなゴダール王が、いつ牢獄のラウルに手をかけるとも知れない。ゴダールに反感を持つラウルとの縁談は、間違いなく諸刃の剣でもあるのだ。

 だから縁談話を持ち込むと同時に、ゴダール王族を苦しめる病の特効薬を届け、シンの後押しを約束しなければならない。


 どうか、どうかあの欲深な王家が、この薬に飛びつきますように──

 そしてラウルが、どうかこの縁談を断りませんように──


**


 ララはその夜、王宮の広い浴室でひとりで風呂に浸かりながら、夢のようなこの展開にパッと心が浮き立つような、一方で、この縁談がラウルを危険に追い込んでしまうのではないかという寒気がするような両極端な思いの狭間で気を揉んでいた。


 どうか、どうかポルドが間に合いますように──

 

「──……姫様、そろそろお上りに……」


 レイチェルの声が聞こえた。


「レイチェル!」

「はい?」

「おまえも一緒に入ってこないか?」

「……はい、では、遠慮なく」


 裸のレイチェルがおずおずと浴室に入って来た。

 その白い裸体は、多少贅肉がついているが、優美という言葉がぴったりだ。若いララとはまた違った美しさである。

 ララは王宮に設えられた、王専用の広い温泉に入っている。本来なら、王といえばどこも身の回りの世話をまめまめしくする侍女が侍るものだが、シンの場合、よほど手のこんだ衣装の着付けでなければ、そういう世話をする侍女はいない。意外にもカリアの方針ではなく、3歳のララがかつてそう言ったのだ。


 自分のことは自分でって、お母さんが言ってた──


 身分を笠に着ることのないカリアではあったが、根っからの王宮育ちに、幼いララのこの発言が響いたのである。

 そして、その人材は余すことなく王宮の治療院に回したのだった。


「レイチェル」

「あまり長湯はいけませんよ。お顔が真っ赤です」

「うん」


 昔はよくレイチェルに風呂に入れてもらった。ララは子供の頃、服を脱ぐとまずザーッと砂や泥が落ちてくるのだ。砂場や泥の中を歩き回った覚えはないのに、なんでこんなことになるのか自分でもサッパリわからない。何度梳かしても髪はすぐクシャクシャになるし、結んだり編んだりすると、その隙間から砂や葉っぱが出てくるものだから、毎日レイチェルのお世話になっていたのだ。

 

「ああ、気持ちいい」


 浴槽の湯がタプタプと揺れながらレイチェルを飲み込んだ。

 シンは火山から湧く天然温泉があるのだ。王宮にも温泉が引かれており、それもあって、カリアは王宮を治療院にした。王宮病棟には、患者専用の浴場がいくつか据えられている。


「レイチェル」

「はい?」

「……もし、ラウルが私との縁談を嫌がったらどうしよう」


 ララが気弱に小さな声で言った。


「あら、でもトトなのでしょう? それなら……」

「……ラウルはトトだった時のことを覚えていなかったんだ」

「まぁ、でも……」

「ラウルは、そ、その、私と、その……、あ、愛し合ったんだが私を覚えていたからじゃない。だから……」


 ラウルはもしかしたら、ララの身体が目当てだっただけかも知れない。ラウルのあの様子は、結構な遊び人だと物語ってはいなかったか?

 それになにより、ララはラウルに愛の言葉を囁かれたわけでも、何かの約束を交わしたわけでもない。そもそも最初からラウルとの関係を諦め、黙ってラウルの前から姿を消したのだ。ラウルが怒っていても不思議ではない。そんなことを考えれば考えるほど、この話がうまくいくはずがないと思えてきた。


「それに、私は子供を持てない……」

「きっと大丈夫ですよ。ラウル様は子供の頃、あなた様がいなければ眠ることさえできなかったではありませんか」

「……でも、もう立派な大人だ」


 白く濁ったお湯に、ララの白い髪と灰色の瞳が揺れているのが映っている。

 レイチェルはなんとも答えられなかった。二人のことは二人にしかわからないし、ラウルの本当の気持ちはラウルにしかわからない。


「レイチェル……」

「はい?」

「私の髪と瞳は変じゃないかな?」


 聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ララが言った。

 カリアとともにたくさんの患者を相手に、どんな悲惨な患者でも顔色ひとつ変えずにやってきたララの、驚くほど初心な乙女心に、レイチェルは思わず胸をぎゅっと掴まれた。

 

「まあ、ララ様! あなた様はいつでもどんな時でもお美しくてお可愛らしいですよ」

「そ、それはレイチェルが、私の姉のようなものだから、身内の欲目ってことも……」

「まぁ、私の目をお疑いですのね? どれ、よく見せてください」


 レイチェルは、お湯に鼻先をくっつけそうになっているララの頬を両手で持って顔を上げた。

 そして、頬を両手でグニグニと押して変な顔を作る。


「むにゅにゅ……」

「ああ、勘違いでした。姫様はやっぱり変なお顔でした」

「あははは……」


 ララは首をそらしてレイチェルの手から一旦逃れると、すぐに腕を伸ばしてレイチェルに抱きついた。


「レイチェル……」


 レイチェルがララを抱きとめた。濡れたその身体は熱く、わずかに震えている。


「……レイチェル、私、怖い」

「………」

「私は王としてやっていけるだろうか? おばあさまが前に言っていた。神龍が選ぶ王は、その器があるからではなく自分に合う体質の人間を探しているだけだろうと。そんな私がこの国の女王になって、ましてや他国の王族であるラウルを救えるのか? そもそも、他国の深部である神龍の秘密を探れるだろうか? 王になったばかりのこの私が? ……あまりにも多くのことが一度に起きすぎて、何をどう考えればいいのかよくわからないんだ」


 レイチェルは、自分の首にしがみつくララの頭をぎゅっと抱きしめ、濡れた冷たい髪に唇を押し付けた。

 20年前のララは、口が利けずに首からたくさんの言葉の札を下げて、利発そうな茶色い目で大人たちを見上げていた。王宮の庭を駆け回り、夢中で遊び、誰よりも熱心に学び、いつの間にかカリア様に負けないぐらいの優秀な医師になっていた。そして今、王としての責任の重さと、心を震わす初めての恋に圧倒されている。

 この方は、まだたった25才の若い女性なのだ。

 それでもレイチェルは確信した。ラウル様はきっと、私の姫様に夢中だと。百歩譲って今は無理でも、そのうちきっと夢中になると。


「ララ様。謹んで白状いたしますと、あなた様の家臣であるわたくしどもはみんな、我らがララ女王陛下に恋をしているんですの。それはもう、みんなあなた様に夢中です」


 レイチェルは首に巻きついたララの手を離し、両肩を掴んで灰色の目を覗き込んだ。

 見慣れない灰色の目は不安に揺れている。レイチェルは励ますようにニッコリと微笑んだ。


「あなた様に恋をするちょろい者など、チョチョイと鼻先であしらっておしまいなさいませ。それが女に生まれた甲斐というものですわ」


 いたずらっぽくそういうと、ララがパチパチと目を瞬いた。


「ふふ、レイチェルったらもう……」

「ふふ、ララ様、とりあえず一旦上がりましょう。のぼせた頭では、何を考えてもダメですわ」

「わかった」


 鏡の前で、レイチェルがララの髪を乾いた布でよく拭いて、昔と同じように丁寧に髪を梳かしてくれている。

 鏡の中では、見慣れない白銀の髪と冷ややかな灰色の瞳のよそよそしい女が映っている。


「心のない冷たい人形のようだ」


 何気なく呟いたララに、レイチェルも鏡に映った自分の顔をちらっと見ながら顔をしかめた。


「嫌だわ。目尻に皺が刻まれた、しょぼくれた太ったおばさんが映ってるわ」

「そ、そんなことはない!」

 

 ララが驚いたように目を剥いた。


「いつも朗らかで会う人すべてを優しく包み込む、包容力のある美しくて暖かい女性が映っている」

「ふふ……」


 レイチェルが嬉しそうに、鏡の中のララと顔を並べた。


「……そうだな。すまない。自分だとどうしても欠点ばかり見てしまう」

「私たちの愛しい姫様は、くるくるとよく動く瞳で、豊かな髪をなびかせて、颯爽と王宮を歩き回り、慣れない政務を一生懸命こなしながら、いつもの明るく闊達なところはちっともお変わりになりません。カリア様はあなたが何かしようとするたびにこう仰った」

「「ララや、おまえの好きなようにやりなさい」」


 二人の声が揃った。広い脱衣室に女の明るい笑い声が弾けた。


「ありがとう、レイチェル。心が決まった。私の最初の大仕事は、ゴダール王子との婚姻と、ゴダールの神龍を調査することとする」

「仰のままに。ララ女王陛下………」


 レイチェルがスカートの裾を持ち上げ、片膝を折って恭しくお辞儀した。






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