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龍王婚 ~真昼の稲妻~  作者: てん
二章
11/32

秘密の庭 2

 女王カリアは、王都からほど近い東の山でにわかに起きた山火事の被害状況を見ようと、シンの背中に乗って空から現場に急行した。

 そして、今まさに炎に包まれた人影を見て息を飲んだ。

 その黒い人影から幼子の細い悲鳴が聞こえるのだ。この凄惨な光景にカリアは思わず目を閉じた。


 遅かった──


 助かるまい。そう思って諦めた次の瞬間、シンがその悲鳴に向かってまっすぐ炎の中に突っ込んで行った。


「シン!」


 驚いて引き止めようとしたが、シンは聞く耳を持たない。

 そして、全身を炎に焼かれている女は、胸に硬く抱きかかえていた幼子を最期の力でシンに差し出した。

 シンがその子を口の中に咥え、再び空に舞い上がった直後、女は安心したように炎の中に崩れた。

 シンが人を救うなど、珍しいこともあるものだと思った。

 神龍が民を救う慈愛に満ちた神だと思ったら大間違いだ。まるで息をするように人の命を簡単に刈り取ってしまうこともある。

 恐ろしく賢く長生きで、色の違う種類ごとに、この世界の「精」を統べるこの得体の知れない古い生き物に、人は『神龍』と名付けて崇め奉ってその力を取り込もうとしているのだ。

 しかし、それでも、長年付き合えば多少慣れるということはあるもので、互いの考えていることがわかることもあれば、気が向けばシンは、カリアのいうことを聞いてくれることもある。乗り物がわりに背中に乗せて、カリアの望むところに連れて行ってくれるのもそうだ。

 シンが気まぐれに救った少女は、まだ赤ん坊といってもいいような幼子で、両親を失ったショックで口が利けなくなっていた。シンとカリアの姿が見えなくなると、火が付いたように泣きわめくので、そばに置きながら最低限の意思の疎通が測れるようにと字を教えた。するとたちまち覚えて真っ先に自分の名前を書いた。


『ララ』


 以来ララは、スケッチブックを持ち歩いては様々な人と会話した。

 そんなララを、みんな微笑ましい気持ちで見守った。

 幼いララは言葉を失っても、人との関わりを捨てたわけではなかったのだ。それは、あの凄惨な体験の中で、空に輝く星のように強く美しい希望だった。

 自分の全身が業火に焼かれても、我が子を必死で守ろうとしたあの母の強い愛は、確かにこの幼子の中に息づいている。大切に育てようと改めて心に誓った。

 そして意外だったのは、シンがララの傍を離れなかったことだ。大人を三人ほど楽に乗せられるほど大きな身体を、不思議な力でグッと小さく変化させ、ララを守るようにぴったりと傍にいた。長年付き合っているカリアですら、シンにそんなことができるとは夢にも思わなかった。それがましてや、馬にまで変身したのだから、カリアはある予感に胸が震えた。


 それより少しあとに見つけた男児は、実に厄介だった。

 その頃のカリアは、今よりうんと精力的に医師(くすし)として全国各地を回っていた。

 シンの神龍色である白は、老婆に化けるのに適していた。もともと小柄なこともあって、人々は実に都合よく、カリアを白髪の老婆と思い込んだ。

 カリアはそれを利用して、まだ若い頃から老婆のくすしとして各国で偽名を使い実績を積んだ。

 『アリカ』『イリヤ』『ウルカ』と呼ばれる三人の名医は、実はみんなカリアのことである。

 各国を巡り歩いているときに、優秀な若者を召し上げては、積極的に創設したばかりのシンの医療大学に入れた。シンで十分学んだ彼らは、やがて故郷の国へと帰り、各地に医院を構え、そこで地域医療に貢献した。カリアはそんな弟子たちの医院には、地域の様々な情報収集と引き換えに、優先的にシンの貴重な薬を卸した。そこはたちまち評判の治療院になっていった。

 つまりそこは、シンの諜報活動の拠点となったということである。女王カリアはなかなかにしたたかだった。

 ちなみに、金持ち貴族や王族の診察料だけはやたらと法外なのが特徴だ。

 そんな無茶な仕事ができたのも、カリアの移動手段が優れていたからだ。

 シンの背中に乗って一気に空を渡れば、行けないところはほぼない。むしろ伝令の方が時間がかかったほどだ。

 ある日、そんな旅の途中で、シンがララを救ったときのように唐突に進路を変えて、ゴダール王宮に舞い降りた時は泡を食った。

 厳重な警戒が敷かれている大国ゴダールの王宮のど真ん中に、シン国の神龍が女王とともに忽然と降り立ったのだ。

 いくらなんでも、重大な侵略行為だと言われて戦争になってもおかしくない。

 それに、たまたま警護の臣下に見咎められなかったことも、あとから考えれば奇跡としか言いようがない。

 だがその時のカリアは、目の前の扉の向こうで、幼子が若い龍王色の女に今まさに刺し殺されそうになっていることにとっさに反応しただけだった。

 これほど歳を重ねていても、若い頃から徹底的に仕込まれた護身術は、王宮育ちの高貴な女の手を止めるには十分役立った。

 カリアの正確な手刀ひとつで気を失った女は全身血まみれだった。

 部屋の奥の寝台には、この女に滅多刺しにされた、やはり黒髪の龍王色の男が絶命してすでに冷たくなっていた。

 見たところ女に傷はない。返り血で血濡れているのだ。殺されかけた幼子は、首から血を流しながら気を失っている。この子も龍王色だ。直ちに治療しなければ、失血死してしまうだろう。

 とにかく、一刻も早くこの場を離れなければならない。カリアは子供を抱きかかえ、シンとすぐさま王宮を後にした。

 この事件が、ゴダール王宮を根底から揺さぶる大事件だと知ったのはだいぶあとになってからのことだ。とかく貴人のスキャンダルは表に出にくい。

 各地の弟子がもたらした情報によると、殺されていたのはあの悪名高いゴダールの残虐王ハロルドだった。ハロルドは、一旦敵とみなした者を徹底的に叩き潰すことで有名だった。そんなハロルドも、まさか最愛の娘に殺されるとは思ってもみなかったのだろう。孫に会わせろと呼びつけたシェリル姫の突然の乱心だったという。

 それはそれとして、とっさに連れ帰ってきてしまった幼いラウル王子を、どうしたものかとカリアは頭を抱えた。

 ところが、心を自閉してしまったこの子に、幼いララが実に根気良く子供らしい熱心さで接した。またこの子も、そんな状態なのにララの傍を離れようとしなかった。それが愛らしくて哀れで、意識を閉ざしているうちにゴダールに帰してしまう方がいいとわかっていたのに、結局、一年半もズルズルと先延ばしにしてしまった。

 カリアはこの愛らしい二人を見ているのが幸せだったのだ。

 だが、黒の龍王色を持つこの子を、シンの王宮で育てるのは無理だ。民間人も多く出入りするこの王宮で、いずれこの子の噂が独り歩きすれば、国交に大きく影響する。

 あの状況から言って、カリアの横入はいかにも不自然だ。王を討ったのはカリアだと思われても仕方ない。いや、むしろそう思うのが自然だ。

 戦争になる。

 断じてそれだけは避けねばならない。ゴダールのような軍事国家を前にすれば、いくら神龍を戴くとはいってもシンなどひとたまりもない。これまで、神龍を戴く大国同士が争ったことはないと言われているが、さすがに自国の王が殺されたとなれば、どの国も黙ってはいないだろう。

 ぼんやりとたたずむ黒髪の王子を見て、ふと、いっそ殺してしまおうか――カリアはそう思った。

 だが、ララと抱き合って眠る愛らしい二人を見ていて、そんなことができるはずがないと思う。

 やがて、ラウルが心を取り戻したのを見て、カリアはやむなくラウルを国に帰すしかなかった。

 その後のララの嘆きは、宮廷に住まう者全員の心を痛ませた。

 ひと月ほども毎日毎日、城の者たちはみんな、ララの「トトはどこにいるの? いつ帰ってくる?」という質問に悩まされた。

 いくら待ってもトトが来ないことを知ると、顔が変わるほど泣きに泣いた。その激しさは徐々に収まっていったものの、ふいに思い出したように城のあちこちでしくしくと泣き出すと、シンですら泣き止ますことができなかった。

 二人の愛らしい姿に心を癒されていた大人たちはみんな、ララのこの嘆きに胸を痛めた。レイチェルなど、いっそのことトトをもう一度誘拐してこの城で育ててはどうかと言ったほどだ。

 このままではララを見守る大人たちの間で病人が出るのではないかと気を揉んでいたある日、どういうわけか、ララはトトのことをピタリと言わなくなった。

 何事もなく、トトがやってくる以前のように元気に飛び回るようになったのだ。

 みな戸惑ったが、以前にも同じことがあった。両親を山火事で亡くしてしばらくすると、ララはポッカリとこの時の記憶を失っていたのである。

 解離性健忘症という。心を守るために、人の心が稀に作り上げる防波堤だ。

 その事実がまた、大人たちの哀れを誘うのだが、これ幸いとみんなララとともに、トトの存在をそっと心の奥にしまい込んだのだった。


 ララはその後順調にカリアの医師の修行に入っていった。

 物覚えのいい幼いころに、一通りの薬と病の知識を詰め込み、その後年齢に合わせてゆっくり実習でその意味を身体に覚え込ませていった。

 ララは実に優秀な子供だった。乾いた砂が水を吸い込むように、知識も技術も吸収していく。特に外科術に才能を発揮し、自分でも様々な治療法や道具を編み出した。大の男すら怯む無残な傷や手術に挑むララに、何故外科がいいのだと聞くと、薬でゆっくり経過を見守る内科治療と違って、手っ取り早く一気に治療に結びつけられるのがいいと言った。

 どうやらララは、せっかちな性格らしい。



***



「ララ、おまえは好きな男はいないのかい?」


 18になったばかりの頃、ララはカリアにそう聞かれた。

 あまりにも唐突すぎて、一瞬反応できなかった。

 そもそも、日々の生活はあまりにも忙しく、王宮の治療院での仕事の他に薬の研究や勉強で手一杯だ。恋など考えたこともなかった。


「どうしてそんなことを聞くんです、おばあさま? もちろん、そんな人いません」

「ああ、私としたことが、自分が長生きなものだから、つい人の時間の感覚を忘れてしまう……」


 カリアは頭を掻き毟らんばかりにして顔をしかめた。


「ララ、私はおまえに結婚して子供を産んでほしい」

「は……? おばあさま、私はまだ18です」


 実を言えば、ララは男と女の営みに怯んでいた。

 知識はありすぎるほどちゃんとある。王宮の女性陣や往診先の娼館の女たちとの女子語りでは、大胆な話をいくつも聞いた。男の身体の仕組みだって、なんなら自分の身体よりよく知っている。

 シンでは臣下がみな気遣ってくれたので、滅多に若い男を診ることはなかったが、国外へ出てカリアの目の届かない往診ではそうもいかなかったのである。

 乙女の身に、これがいけなかった。医療の英才教育の多大なる弊害だ。

 性行為がもたらすあらゆる暗い側面も知ってしまったのである。

 ララは、軍隊が通り過ぎた村や町で、心無い男たちからひどい暴行に遭う女性たちを何人も診た。ララはそんな治療現場に出くわすたびに、男には決して身をまかせまいと強く決意したのだった。

 カリアが深くため息をつきながら言った。


「ララや、各国の王族に王族病ともいうべき神龍にちなんだ病があるのは知っているね?」

「ええ、まぁ……」


 神龍色を持つ王族は、どの国でもおおむね老けにくく頑健で長命だが、晩年になると特徴のある病を発症して亡くなることが多い。

 例えばゴダールは、血管梗塞を起こしやすいのだ。鉱物由来の黒龍の「精」が王族の血管を固くしてしまうからかもしれない。

 実は薬はある。

 シンではとっくに開発が済んでいる。要所要所にさりげなく使うことで、王家の信頼を勝ち得て来た。

 だが、カリアは決してこれを公表しなかった。外交の大きな秘策になるからだ。

 その他の王家の特質も、徐々にわかってきている。

 ゴダールが真っ先に研究対象とされたのは、他の国々に脅威を与える好戦的な武闘派国家だからだ。

 王家の弱みはがっちり掴んでおくに限る。そしてそんなしたたかな戦略が、小さな島国を長年守り続けたのだ。


「我が国シンのことはまだ教えてなかったね」

「ああ、そういえば……。でも、シンは人の病に効く薬の素材をその身に宿しているぐらいだから、ないと思ってました」

「実はあるんだよ」

「それはどのような……?」

「白龍のシンはいろいろな意味でかなりの変わり者だが、シンが特殊なのはシンの加護が一代限りだからだ」

「へえ、ああ、だからうちはおばあさま以外王族がなかったのですね」

「そうだ。各国の王族が持つ王族病ともいうべき神龍の副作用は、シンの場合、次の世代に強く出てしまう」

「子に……ということですか?」

「そうだ。人の病や怪我は、薬や医療が治してしまうように思うかもしれないが、実は自分自身が持つ自己回復力が一番大きな働きをしていることはもう気づいているね?」


 ララはもちろんと力強く頷いた。

 それは、医療に携わっているものならすぐに気づく人体の驚くべき能力のひとつだ。


「次世代のシン王族は、この自己回復力が大きく損なわれてしまうのだ」

「……え」

「病に対抗する力がまるでなくなるということも含め、逆に狂った過剰反応を示すこともあり、その作用は身体にどのような影響を及ぼすのか見当もつかない。極端に病にかかりやすくなることもあれば、正常な骨や皮膚や内臓を、病巣と勘違いして壊してしまうこともある。症例は様々だ。法則性もよくわからない。必ず皆が死ぬわけではないし、発症しないものもいるが、そのさらに次の世代となると、不治の病でほぼ十割が必ず苦しむことになる」

「それは……」

「そう、だからシンの王は一代限りなのだ。つまり歴代の王はみな初代聖王だ」


 神龍から直接選ばれる最初の王を「聖王」という。その王の子供や孫などの子孫が王族というわけだ。


「聖王だけは、神龍の加護を一身に受けられる。子孫の王族に比べてもうんと長生きだ。そして、シンの王にならなければ作れぬ薬も多くある」

「え……」


 おばあさまだけが知っているシンの秘薬は、あらゆる感染症に劇的に効くのだ。おかげでシンでは流行病で亡くなる者がいない。

 各国の王族病の秘薬もおばあさまにしか作れない。

 シンは王国の生き物の健康を作る特性を持ちながら、王だけはその恩恵に預かれないなんて、皮肉なものだとカリヤは笑った。


「ララ、おまえは次代の王だ」

「でも、まだそうと決まったわけでは……」


 子供のころから言い聞かされてきたので、ある程度覚悟はできている。だが、ハッキリしたことはシンしか知らないのだ。


「シンがなぜ直ちにおまえに代替わりの聖婚をしないのかわからないが、私が死ねば間違いなくシンはおまえを選ぶだろう」

「……私に資質の王器がないから聖婚しないのかもしれません」

「いや、シンはおまえのためだけに小柄に変化(へんげ)し、馬の姿になる」

「は……?」

「私はシンが変化できるなど、おまえが来るまで知らなかった。それにおまえは、時々シンの言葉がわかるね?」

「え、ええ、まぁ……」

「私はいまだにシンと言葉が交わせない。そんな者は、この王宮で、いや、この国でおまえひとりなのだよ、ララ」

「……」

「……すまないね、ララ。おまえにこんな重い選択を迫ることになって」

「私が本当に次の王……?」

「そうだ。だから、おまえが王になる前に、結婚して子供を産んでほしい。庶民の今なら普通の子が産める」

「そんなこと突然言われても……」

「ああ、そうだね。だからこれからすぐに見合いの手配を……」

「ちょ、ちょっと待ってください、おばあさま! 私、結婚なんて嫌です!」

「なぜ? 今の私の話を聞いてたかい?」


 心外だというように、カリアが両手を広げた。


「どうしても欲しくなれば、おばあさまが私を育ててくださったみたいに、もらい子をすればいいわけで」

「……まぁ、いいだろう。今すぐというわけでもないし、考える時間をやろう」

「私の考えは変わりません」


 以来、カリアや臣下たちは、これという若者をちょくちょくララの助手として置くようになった。

 だが、逆にララはこれで完全にへそを曲げた。

 知らない若い男がいると研究室から出てこなくなってしまったのだ。こうなると、ララが一筋縄でいかないことをみなよくわかっていた。

 カリアや臣下たちは頭を抱えたが、


「陛下、人間、一度も恋をしないのも難しいものですわ」


 レイチェルのこの一言で、みな「確かに」と一旦手を緩めることにした。

 が、この見込みは甘かった。

 そのまま気づけば、ララは二十歳をとっくに越していたのだった。





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