神の腕
それは突如として現れた。
僕らの頭上。赤く染まり始めた空に、それは――巨大な『右腕』は顕現した。褐色の皮膚に太い血管が浮いている。盛り上がった筋肉が岩のようですらあった。辺りのビルをはるかに凌駕するそれは、一切の迷いがないように『破壊』を開始した。
人々の悲鳴が響き渡る。ビルが倒れ、道路は捲れ、人々は紙くずのように宙を舞った。そこら中で血飛沫が上がる。
唐突な蹂躙劇。僕はその中で彼女の手を取って駆けだした。瓦礫をくぐり、炎に包まれた自動車を避け、人々を押しのけて『右腕』から距離を取る。街を抜け、近くの山を駆け上った。木々のざわめきに混ざり、遠くから破壊と断末魔が届いてくる。
僕と彼女は山頂付近の高台に駆け込み、せり出した展望台から街を見下ろした。そこでは、未だ殺戮は続いていた。右腕が宙を滑り、ビル群をなぎ倒し、拳で地を割り、指先で弄ぶように人々を押しつぶす。どこからか上がった火の粉が瞬く間に巨大な炎へと成長する。地獄にも似たその光景は、何処か幻想的に僕の目にうつり、綺麗だとさえ思った。
僕の隣で、彼女は身を乗り出すようにして眼下の街を眺めていた。そしてぼそりと、これからどうなるんだろうと呟いた。ほんと、どうなるんだろうね、と返す。そして、彼女の肩を抱いた。
がむしゃらに動く『右腕』を見る。アレは、いつまでこれを続けるのだろう。地球上のすべてを無に帰すまでだろうか。増えすぎた人類を間引く神の腕。
僕は、すべてが終わった世界で彼女と二人、生き残った想像をした。その何もない空間で僕らは二人、悠久の時を過ごすのだ。そして、アダムとイブのように、新たな人類の祖となる。そんな突飛な想像をして一人頬が緩むのを感じた。
そんな世界も、悪くないと思えた。
僕は魂の抜けたように、じっと目の前の破壊を見つめる彼女の肩に置いた手に力を込めた。
まだ、破壊は終わりそうにない。