リセット
2018年5月に公開したものを再編集したものです。エブリスタにて開催の三行から参加できる超・妄想コンテスト「眠る」参加作。
人間が側頭葉から自分の記憶を取り出して管理するのが当たり前の社会になってから、僕たちは夢を見なくなった。そもそも「夢」と呼ばれる現象は、脳が眠っている間に記憶を整理するためのプロセスだったわけだから、それを機械によって行うことで人は夢を見る必要がなくなったのだ。
僕らは毎晩、眠る前にメモリーリーダーと呼ばれるヘルメット型の装置につながれる。最近ではベッドとメモリーリーダーが一体化したものがごく一般的で、夜、眠るために横になるだけで記憶の整理が行われる。
脳から取り出された記憶は即座に言語化、数値化、映像化され、端末に保存。不要な記憶と必要な記憶はあらかじめ使用者の方で設定できて「不要」の項目に振り分けられている記憶は端末に送られた時点で自動削除されることになっていた。
そして必要な記憶だけが脳に戻され、その日あったどうでもいいことや嫌なことは綺麗さっぱり思い出から消えてなくなる。
もちろんあとになって要らなくなった記憶だって手動で消すことができる。
まったく便利な世の中になったものだった。おかげで忘れたくない大切な記憶については、ロックをかけて大事に保管することもできるし。
僕もまた、そんな記憶管理システムの恩恵にあやかる国民の一人。
僕たちからメモリーリーダーに送られた記憶データは、ネットワークを通じて政府のスパコンに蓄積されるため、管理者たちに自分の記憶を覗かれるのを嫌がる人間は一定数いた。けれど全国から集められる記憶データを精査して、政府は犯罪の予防やブラック企業の撲滅、障害者や独居老人の生活支援といった恩恵を僕らに還元してくれている。だから僕は自分の記憶をネットワーク上に垂れ流すことについて、それほど抵抗は覚えない。夢を見ずに熟睡することができて、なおかつ嫌な記憶を即座に忘れてしまえるなんて恩恵は、何ものにも代えがたいしね。
だけど夢を見るという現象が都市伝説となり、そんな話をしようものなら「妄言だ」と笑われる社会が誕生した頃、僕はいつも、眠ると不可思議な現象に悩まされた。そしてどうやらその現象は、かつてこの世界において「夢」と呼ばれていたものによく似ている。寝ている間に見る映像はいつも同じ。
高校生くらいの、黒い襟が目を引くセーラー服を着た女の子が、見覚えのある土手の上で僕を振り向き笑いかけてくるものだ。
「ねえ、コータ」
と、彼女は時代遅れのおかっぱ頭を揺らしながら、無邪気に僕の名前を呼ぶ。
だから僕も彼女の名前を呼び返そうとするのだけれど、映像の中の僕は彼女の名前を思い出せない。……何だっけ。彼女の名前は、何だっけ。
僕は彼女を知っている。知っているはずだ。そんな気がする。
なのに思い出せない。彼女の名前も、鼻から上の顔立ちも。僕に笑いかける彼女の優しい眼差しは、夕日に遮られて見えやしない。それがとても、とても悲しくて僕は泣くのだ。泣きながら目が覚める。でもやっぱり思い出せない。
躍起になってメモリーリーダーに保存されている記憶をすべて洗ってみたこともあった。けれども彼女につながる記憶は見つからなくて、映像化された夢の記憶には彼女の姿は映っていない。ただひとり、学生服を着た僕が田舎の土手に立ち尽くして、泣いているのが分かるだけだ。君は誰なんだろう。
思い出したいのに、思い出せない。唯一の手がかりは、メモリーリーダーの削除項目として設定されている「夢美愛」という名前だけ。
僕の知り合いにそんな名前の人物はいない。名前の響きや字面からして女の子だろうけど、こんな外国人みたいな名前、友達にいたら絶対覚えているはずだし。
ということはこのユリアというのが、夢の中の彼女なのだろうか。
だったら、と彼女の名前を、メモリーリーダーの削除項目からはずしてみようとしたことがある。だけどホロディスプレイに浮かび上がる解除ボタンをタッチしたら、パスワードを要求された。入力画面に示されたヒントはただ一つ。
『彼女の誕生日』
顔も名前も思い出せない相手の誕生日を思い出すなんて無理だった。
それからも僕は毎晩のように、彼女の夢を見て目が覚める。
だけど夢を見るなんて話をすれば、僕は世間の笑いものだ。
下手をしたら心療内科への通院を勧められる。だから誰にも相談できなかった。
結局今も、夢の中で笑いかけてくる彼女の正体は分かっていない。