【第8話】 藤木家の人々
眼は閉じたが眠れない。ゆっくりとまどかの手から力が抜けて行く。
ひどいなぁ、まどかは。
先に眠るなんて、私を置いて夢の世界にダイブするなんて。
私は、ねみぃと言いながら、本当は眠れないくらいにドキドキしている。あなたの言葉は、両親のいない、兄弟姉妹のいない私にどれだけ響いたか知っている?
ひどいよ、まどか。私をこんな世界に連れてきて、責任とってくれるんでしょうね?
だから……。
病気、絶対に直して見せる。死なせない、そう少なくとも、私より先に死なせない。
はっと気がつくと辺りが薄っすらと明るい。いつの間にか寝ていた?
まどかは……私の真横で寝ていた。布団からにゅうっと白い足がはみ出し、両手は万歳状態。大胆な寝相である。
「すぴーすぴー」
可愛い寝息である。
すぴすぴ言う度に大きな胸が上下する。
でかいなぁ。
「……」
すぴすぴ
「……」
ちょっと突いてみる。
つんつん。
おープリンみたいにプルプル揺れるではないか!
「……」
う、うわああ
や、やわやわではないかっ!
お母さんとは、こんな感じなのだろうか?
「……」
まるでマシュマロ!
「……」
うわー感動!
「あん」
!!!!!!!!!!!!!!!?
え、え、え?
ごごごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっ!
就寝している女の子に、まどかに私はなんてことを!
犯罪ではないか!
ごめんなさいホントにごめんなさい.
嫌いにならないでください!嫌いにならないでくだざい、お願いじまずお願いじまずぅ。
私は半泣きで謝った。固まったまま声にならぬ声で大謝りした。
わたしの叫びにも似た祈り(懺悔?)が天に通じたのか、まどかは起きることなく、ごろり、と私の方に向き直った。そして事もあろうか私の肩と頭に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。
ふわっと優しい香りに包まれる。いい香り……、いやそれどころではない!
!!!!!お、起きている?寝ぼけている?判断できない私は息を殺した。
目の前におおきな谷間が見える。今、息をしたら、谷間に息を吹きかけることになる!
……起きるよね?起きるよね?
き、嫌われるかなぁ?
どうしよう、どうしよう?
そうこう考えているうちに、目が回り、私は気を失うように二度寝した。
…
……
どのくらい寝ただろうか?
「……!」
?
ん?誰かが私を呼んでいる?
「あき!亜紀!」
「あ……まどか、おはよう」
「な、なに言って……大丈夫なの?今お医者様を!」
まどかは涙眼でそっと私に触れる
「?まどかこそ、何言って……」
唇の周りに違和感があった。ん?鼻呼吸し難い?なんかベタベタ?
慌てて眼鏡を捜し、首を傾けドレッサーを覗き込む。
「!」
そこには大量の鼻血に塗れた私の顔があった。
……まどかの添い寝に大興奮して、不埒な行為して鼻血吹いて気を失ったのね、私。あれは二度寝ではなくて、失神っていうのね。
これは……恥ずかしいどころではない!もう、お嫁にいけないぞ私。
添い遂げるしかあるまい。
「……大丈夫よ、まどか」私は消え入りそうな声でそう言うのが精一杯だった。
まどか。
優しいまどか。
今夜20時、ログインの約束したのに。
ごめん、行けそうにない。
ローロンサ、ルカトナ、アトロニア、ナツ、まどかをお願い。
走馬灯は続く。
「いいかい、君は小さい」
「はい、だから喧嘩、格闘には不向きと思うんですけど?」
「いや、小さいなりに戦い方はある」
そう言うのは一場さん、田崎一場さんだ。私が藤木家を出る数日前から、技を一つ、二つ教えて、稽古をつけてくれたのだ。場所は藤木家の道場。大きいな、この家、道場まである。しかしなぜ道場が?
「まず、人を呼びなさい」
「それ、戦い方ですか?」
「ああ、戦略だ、生き残ることが第一だ。助けてと叫ぶと、人は巻き込まれると思い助けに来ない場合がある。確実に人を呼び、目撃者を増やすには、火事だっ、連呼して叫びなさい。まず、これが一つ、分かった?」
「はいっ」
「いい返事だ。次は技だ。まず、相手の目を見る。そして相手が間合いに入ったらいいかい、よくお聞き。相手の目を見て、相手の足の甲を思いっきり踏みつけるんだ。足を見て踏みつけると、相手は警戒して避ける。だからこの眼のフェイントを使う。そうすると相手は痛さのあまり、必ず君に対してお辞儀する。そこを横に殴るんだ。殴る個所はここだ。そして殴る拳の場所は、人差し指と中指のここの骨で殴る。拳の握り方は小指から順番に握りしめる。」
そこで私は一場さん相手に、毎日2時間ほど練習し、技を伝授してもらった。更に田崎さんは他の技や(私には習得出来ないけど)、身体の鍛え方なども、教えてくれた。
まどかのお父さんと組み手を見たときは、びっくりしたけど、格好いいなぁ田崎さん。この人がお父さんだったらなぁ、などと思ったりもしたものだ。
田崎さんには何度も何度もお礼を言った。
助けて下さってありがとうございますと、何度も。
彼はひと言いった、仕事だよ、と。それでも感謝しきれない、命の恩人だ。
伝授が終わると、まどかの両親が待っていた。通された部屋は和室でお茶菓子が用意されていた。
私は自分の知っている限りの言葉を尽くして、お礼を言った。すると、まどかの両親はまどかの小さい頃の話、事故の話をし始めた。
その事故で、まどかは失語症になり、この街を離れたそうだ。カウンセリングやリハビリを重ね、公園で歌を歌い始め、芸能界にスカウトされたとのこと。
問題は、その事故だ、と両親は言う。
この席に、まどかはいない。
「亜紀さんのお父さんは、バイク事故で亡くなったと聞いたが、お父さんのバイク、名前は分かるかい?」
まどかのお父さんがゆっくりと尋ねる。
肩幅が広く、がっしりした体格。眼光が鋭い、ちょつと怖いかな?
お母さんはまどかに似ている。目元などそっくりで、美人さんだ。
「父のバイクですか?」
「Z400FX」
「!」
「……事故の場所は駅通りの大きな交差点」
「!なぜそれを?……え、まさか、まどかの事故は?」
「あの時、私は先に横断歩道を渡っていた。妻とまどかが私を追う形で横断してきた」
「まさか、そこに!」
「信号無視をしてきたバイクが、妻と、まどかに接触しようとした」
「……」
私は絶句し、沈黙するしかなかった。
「わたしもバイクが好きでね、だいたい見ただけで名前が分かる。信号無視してきたバイクは甲高い音、独特なマフラーの形状、あの音は2サイクルのバイク、KH250だ」
「え?」
「そこに横滑りに、バイクをぶつけてきた人がいた。バイクはZ400FX」
「!」
「ぶつかった衝撃でバイクは2台とも炎上、搭乗者2名は死亡、妻とまどかは寸前で助かった」
「……ぐ、偶然……スリップしてぶつかっ……」
「いや、あれはぶつけに行っている。明らかに妻と小さいまどかを見て、助けに行っている」
「……そんな」
親父が?うそだ!あいつは保育器を鉄パイプでぶっ壊す、いかれた外道だ。人を助けるなんて、決してしないクズヤローだ!人違いだ!
「人違いでしょう、父はそんな人ではありません。暴力組織のリーダーですよ、いまだに娘の私が襲われるくらい、酷い事をしていた人間です」
考えがまとまらない、どういうこと?私は保育器ごと潰しておいて、知らない子供連れは助けた?分からない!
「これが、現場に落ちていた。警察に説明して渡したが、ゴミ扱いされたので、私が持っておくことにしたのだが」
「……これ」
それはプラスチック製のがらがら玩具だった。
「あのバイクの持ち主が有名なチームのリーダーと知ったのはマスコミが騒ぎだしてからだ。家族の方にお礼をしようとしたが、近づけなかった」
「……」
「遺児がいると聞いて尋ねたが、病気で死亡したと」
あの祖父母達なら平然と嘘を言うだろうな。全て、無かったことにしたいらしいから。いや、今祖父母達なんて、どうでもいい。
私は、両親に対する思いが複雑だ。
あの、両親は私の事をどう思っていたのだろうか?
知る術は無い。
だけど、思わずにはいられない。
母が死に、父が死んだ。
私がいなければ彼らは死ななかったはず。あんなゲドーでも親だ。怨むと同時に罪の意識が溢れる。お父さん、お母さん、何故です?
答えは無い。誰も答えを知らない。この問題は問題集の数学みたいに簡単に解けない、公式も無い。私が解かないといけない難し過ぎる問題だ。ローロンサもアトロニアもルカトナもナツも答えを知らない、予測は出来るが正解ではない。
「改めてお礼がしたい」
「あの男が勝手にした事です。私は関係ありません。私は彼を親と思っていません。改めてのお礼は受け取れません」
私の言葉を聞き、まどかのお母さんは、少し悲しい顔をした。
「そうか……」
お父さんはそう呟くと深いため息をついた。
ローロンサ達を使って手に入れた情報には、まどかの事は一行も無かった。
「色々お世話になったのに、すみません」
「いや、こちらこそすまなかった、立ち入った話をして」
「一言、伝えたかったのですが、亜紀さん、どうか知らない方が良かったとは、思わないでください。まどかと私は、あなたのお父様に助けられたのは事実です」
「……これ、貰っていいですか?」
私は、がらがらを見つめ尋ねた。
「あなたのがらがらだ」
まどかの両親は、悲しそうな顔でそう言った。
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